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僕とユキと、サイコな愛情


「ねーねー、寝ないのー?」


 暗い室内で、顔を覗き込むようにして言われた。幼い表情で僕を見る無邪気な顔を見つめながら、僕はずり落ちていた毛布をそっと肩の辺りまで引き上げた。同じベッドに入っている僕らを、僕らの体温で温まった毛布が包み込む。僕はそっと目の前の頭を撫でてやった。


「ユキちゃんが寝るまで待ってるよ」


「だーめ! 今日はユキがまってるの!」


「……あ、はは。そっか、もうユキちゃんもお姉ちゃんだもんね」


「そうだよぅ。もう7歳だもん」


「7歳、ね。……てことは、もうかれこれ5年か」


「なにがー?」


「ううん、何でもない。じゃあおやすみ」


「おやすみー! ちゃんと目を閉じてるんですよー!」


「わかったわかった」


 大人ぶる少女さまを満足させるためにとりあえず目を閉じておく。しばらくすると、僕が寝たと思ったのか、正面から穏やかな寝息が聞こえ始めた。そっと目を開けてみる。無邪気なくらいに無防備な寝顔がとても可愛かった。突如、庇護欲が僕のなかで疼きだす。この子を救ってやれるのは、この世で僕だけなんだ。なんとしてでも助け出してみせる。そう思えば思うほど、この子に対する愛しさがこぼれそうになる。

 この子を見つめながら、大学時代に付き合っていた彼女のことを思い出した。いや、今も付き合っていると言えるのだろうか。わからないけど、僕の前から彼女が唐突にいなくなったことだけが現実として残っている。

 3年前、彼女は僕の前から消えた。学生時代から僕と同棲中だった彼女だが、突然いなくなってしまったのだ。僕に残ったのは部屋にある彼女の私物と、その当時にはもう生まれていたユキだけだった。もう、僕を心から愛してくれていた彼女は存在しない。僕が心から愛していた彼女は存在しない。

 ユキの頭を小さく撫でて、彼女を起こさないようにベッドから出た。そのまま寝室をあとにして自室へと向かう。

 自室では、ノートパソコンがつけっぱなしで放置されていた。あの日からつけたままのパソコン。調べても調べても解決まで繋がらないことというのは往々にしてある。僕がいま直面している問題がそれだった。彼女探しにパソコンを使うのもどうか、とよく言われる。そういう人たちは大抵わかっていない。現状、僕にできることはそれだけしかないのだ。僕と似たような経験をしている人たちの生活を知り、その後どうしたのか、どうするつもりなのか、愛する人は戻ってきたのかを知ることしか。自分の傷口に香辛料を塗りたくるような行為かもしれない。でも、いいのだ。理解してくれない人たちなどどうでもいい。理解してくれる人だけが欲しい。心から、切にそう思う。

 理解者たちが書き込む掲示板を覗く。これといった更新はされていなかった。それもそうか。毎日欠かさずにチェックしているけど、新しい出来事が起こった事例が最後に更新されたのは半年近く前だったし。誰もが現状に苦しんでいる。どうしようもない現実を前に、必死に足掻き続けている。

 ふと、パソコンの横に置かれていた写真立てが目に留まった。彼女が写っている写真が閉じられたものだ。満面の笑顔で写る彼女を見ていると、なぜだかいつも泣きそうになる。彼女を抱きしめたい衝動に駆られながら、心の底で軟弱化した自分の精神に怒りを覚えた。諦めるな。まだ、彼女が完全に消えたわけではないんだ。

 パソコンをつけたまま椅子を立ち、部屋の電気だけを消して自室を出た。寝室に戻り、ベッドで安らかに就寝しているユキの横に腰かける。ユキの寝顔を真っ直ぐ見下ろしながら、そっとその頬を撫でた。いなくなった彼女に昔よくしていたように、唇を人差し指で優しくなぞってみる。彼女への愛しさをユキにぶつける行為でしかないことに気づいて少し後悔した。でも、止められなかった。


「……リサ……」


 思わず、彼女の名前が口からこぼれた。それも、視界も声も歪んでいる状態で。ちくしょう、耐えろ。僕なんて彼女に比べればまだマシなほうなんだぞ。彼女は、もっと大変なものを失っているんだから。

 それでも、言葉は終わらない。


「ユキ……リサを、返してよ……頼むから……」


 |リサの皮を被っているユキに言った《、、、、、、、、、、、、、、、、》。心から愛したリサの中で生きているユキは、寝息を立てるだけで何も返してはくれなかった。

 リサが失ったのは、自分自身だ。いつからか『リサ』という人格はブレ始めて、5年前には『ユキ』という2歳の女の子の人格が生まれた。それからしばらくは『リサ』と『ユキ』は共存していたのだけど、それから2年後にあたる今から3年前、『リサ』の人格は完全に表には出てこなくなり、リサの体のなかには『ユキ』だけが残った。

 彼女が精神分裂症を患った原因はわからない。けれど、彼女が次第に壊れていく様子は僕も気づいてはいた。どうしていいか悩んで、なんとか解決策を打開しようとしたけど、そうしているうちにリサはいなくなってしまった。リサが消えたときにユキはまだ4歳になる手前で、会話もほとんど成り立たず、リサが小さい子どもを演じているようにしか見えない風景に絶望を抱いてすらいた。

 精神分裂症、並びに消失症について深く調べていくうえでわかったのは、『ユキ』という存在が、『リサ』の人格から派生する形で生まれた、ということだった。つまり、『ユキ』という存在は結局のところ、『リサ』なのだ。主人格である『リサ』の記憶、経験、感情、性格が分離してできあがったのが『ユキ』ということになる。ユキと過ごしていくうちに気づいたこともある。それは、ユキがちゃんと歳をとっていくことだ。ユキは成長している。まるで、小さな子供が大人へと育っていくように。

 そこで、僕は一つ見出した。リサの人格要素を主成分とするユキはいま7歳。そして、僕とリサが出会ったのは彼女が22歳のとき。なら、あと15年を経たら、彼女はどうなるんだろう?

 きっと、『ユキ』は完全な『リサ』になる。僕の知る『リサ』に。僕が愛した『リサ』に。

 ……でも、長すぎるんだ。こっちがおかしくなりそうなほどに。


「もう待てないよ、リサ……助けてくれよ……早く追いついてよ……」


 ユキには残酷な意味しかもたない言葉の羅列。そうまでしてリサが恋しいのか? ……あぁ、恋しいさ。本当はユキなんてどうでもいいんだ。リサを取り戻す過程で必要不可欠だから大事にしているだけ。我ながら狂ってる。どこまでサイコな愛情を温めてるんだ、僕は。

 涙がぽたぽたと落ちていく。それが彼女の顔を濡らしていく。そんなときだった。真下の彼女が小さく、こう口ずさんだ。


「……ユート……」


「え……?」


 僕の名前だった。それも、リサが普段口にしていたような呼び方。

 彼女の次の言葉を必死に待つ。でも、それ以上はなにも言わなかった。彼女のまなじりに涙が溜まっているのがわかる。……リサ、なのか? リサが帰ってきた? いや、僕の涙か? わからなくなる。いろんな感情がせめぎ合って、どうしていいかわからない。ただ、涙が止まらない。

 そっと肩を揺する。繰り返していると、彼女の瞼が重たそうに上がった。僕を見留めた途端にびっくりしたような表情になる。そんなに僕の顔はぐちゃぐちゃなのだろうか。……いや、いまはそんなことどうだっていい。やっと見え始めたんだ。見失ってたまるか。


「ねぇ、リサ……僕だよ、わかる?」


 涙声のまま尋ねる。祈るように、すがるように。彼女は驚いた表情をそのままに、まじまじと僕の顔を見つめていた。頼む。帰ってきてくれ。僕は、僕が本当に愛していた君に会いたくて、ずっと――


「――えと、|リサってだぁれ、ゆーちゃん?《、、、、、、、、、、、、、、》」


 高まっていた想いが、即座に現実へと突き落とされたような気がした。


「…………は、ははっ……なに期待してんだよ、まったく。…………っ」


「ゆーちゃん……どうしたの? なにか嫌なことがあったの?」


 ユキが心配そうに尋ねてくる。僕は手のひらで涙をすり潰すようにしながら彼女に答えた。


「……いや、なんでもないよ。本当どうかしてた。そんな簡単にいくわけないのにな。……もう寝ようか。少しそっちにずれてくれる?」


 僕が言うと、彼女はゆっくりと奥へずれてくれた。僕は毛布をめくり、彼女がいた位置に横になる。

 ユキが僕の顔に手を添える。


「ゆーちゃん、悲しそうな顔してる」


「そんなことないよ。ユキちゃんの顔見て元気になったから大丈夫」


「ほんとう?」


「うん、本当。だから安心して寝ていいよ」


 そっと頭を撫でてやる。普段彼女にしているように、かつてリサによくしていたようなやり方で。するとユキは、「……うれしい」と小さく言った。その言葉に、僕のなかの彼女への想いは、熱く、焦らすようにくすぐられていく。


「……ねぇ、ユキちゃん。『ユート』って呼んで」


「どうして?」


「いいから。……今だけで、いいから」


「……ゆー、と……?」


 あどけない言い方だったけど、それでもやっぱり言い方はリサと似ていて。つまるところ、彼女は彼女なのだ。『リサ』も、『ユキ』も、同じリサ。そう実感した瞬間、僕は彼女に唇を寄せていた。深く深く、舌で彼女のすべてを味わうように。彼女の戸惑ったような吐息が心地良い。余計に、彼女が欲しくなる。


「んっ……ゆー、ちゃん……っ。な……どう……」


「ごめん。この行動が、もしかしたら君の未来に傷をつけるのかもしれない。僕の求めるかつてのリサ

に、君はもうならないのかもしれない。7歳の君にこんなことをしていいわけがないのはわかってる。けど、もう無理なんだ。僕は、リサのすべてが好きだから」


「な、に言ってるの……? どういうこと?」


「僕を嫌いになってもいいよ。でも、これだけは言わせて」


 彼女の体に手を這わせる。唇を合わせ続ける。昔、僕らがしていたように。大好きだった君にしていたように。


「僕は、これからも君を愛していく」


「ゆーちゃん……」


「ずっと一緒にいよう。僕は、君だけを見てるから」


 彼女を見つめる。彼女も僕をじっと見てくれる。そうしたままどれくらいの時間が経っただろうか。お互いとも相手の瞳に吸い込まれそうなまま、顔はどんどん近くなって。

 すると、彼女がそっと目を閉じた。僕の口づけを待つかのように。7歳の少女にこんな仕草ができるのか? まさか、リサ? いやいや、人間の本能が状況判断を働かせているだけかも。

 ――あぁ、もういいや。どうでもいい。

 僕は彼女のことを愛していて、彼女はいま僕に体を預けてくれている。

 その現実だけがあれば、もう、他には何もいらない。










                                      了





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