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 掌に菓子を乗せられて、学者は複雑な顔をした。


 喋り方こそざっくばらんとしていたものの、これまで余り表情を変えなかった彼がそんな顔をすると、一気に印象が若くなる。金花はほんの少し愉快な気持ちになったが、気付かないふりをして、銀花にも蛋撻を一つ渡した。

 蛋撻というのは、エッグタルトのことである。見た目も味もカスタードパイそっくりなのだが、あえていうならば、こちらの方が詰められている中身の黄色が濃く、また表面が艶々としているのが違いだろう。

「ここの蛋撻は美味しくて評判なんですよ。」

 食べろ、と無言ながら強固に勧める四つの瞳にエンは降伏した。味見の要領で端を一口齧る。


 港に着いて、三人で海沿いの柵に凭れて金花が購入した焼菓子を頬張りながら、小休止しているところだった。

 屋外で一緒に物を分け合って食べるというのは、なぜか、他人との距離を縮め、お互いと親しくなるのに役立つ行為である。それとも食べるという行為自体が、三大欲求の一つに基づくものであるゆえに人間を無防備にするのだろうか。

「…………甘い。」

「……表現力のない方ですね。」

「そう、せめて、ねっとりと甘い卵のカスタードクリームに、歯を当てるだけでさっくり崩れるタルトの絶妙な焼加減、とか、それくらいは言って頂きたかったです。」

 金花と銀花が口々に言うと、根負けしたかのようにエンはもう一回菓子を口へと運び、時間をかけて咀嚼した。

「甘いもんはどっちかというと苦手で……つうか、甘いもんを甘いと言って何が悪いんだ?」

「わかってない!」

 洩らされた一言に、少女達は思わず声を揃えてエンを弾劾した。何せ、蜃邑では、この蛋撻といえば、朝から並んでも充分価値があるものとされていたので。しかも華節に合わせて、黄色の物を食べることは縁起が良いとされていたということもある。


 潮風が顔を撫でる。波が穏やかなのは、島を囲む珊瑚礁が自然の防波堤の役割を果たしているからだ。波飛沫が上がる其処を越えると、海は一気に深くなり、水の色は碧緑から紺青へと変化する。水平線が曲線を描く沖では、数艘の船が間隔を取りつつゆるゆると動いていた。

「時々は、凌まで見えるんですよ。」

 金花に手渡された袋から二つめの蛋撻を取り出して、銀花が言った。

 片手で影を作った下で目を眇めるようにして、エンは陸地の影を探す。これまでずっと鋭い印象しかなかった視線が、少し撓んだ。

 銀花の警戒心に満ちた様子も多少はなりを潜めたようで、金花は心中で安堵した。自分とは違い、気がつかなくてもいいことにまで気付いてしまうぐらい聡い少女だから、色々と思うことがあるのだろう。しかし、祖父に案内を仰せつかった身にしてあの態度では、黄家の一員として相応しい態度とは言えない。

 さて、と指についた菓子屑とクリームをそっと舐め取ってから金花は思案する。

 これからどうすればいいだろうか。



* * * * * * * * * * * *


 

「銀花は?」

「あそこです。」

 差し出された椰子の実を、金花は礼を言って受け取った。氷で冷やした椰子の実を金槌で割り、その穴に空洞になった植物の茎を差し込んで中の液を吸い出すという手軽な飲み物だ。

 目の前の屋台の横には、布をぐるりと張り巡らせただけの簡素な試着室があり、銀花はそこで刺繍の施された上衣を試している最中だった。

(といっても、押し込んだのは私だけど。)

 椰子ジュースを飲みながら、金花は隣に立つ青年の様子を窺う。


 白い開襟シャツとジーンズに包まれた身体は中肉中背の平均的なものだ。髪の色は黒、眼の色は焦茶。住民の大多数が東洋人の蜃邑において容易に溶け込む色彩だった。東洋系の名前を持つのだから当然かもしれない。容貌も勿論東洋風で、実年齢よりも数才若く見えている可能性がある。

 それ以外に何か特徴的な点を挙げようとしても、その眼差しが真直ぐで深いように思える、という主観を交えた曖昧な感想しか、金花には思い浮かばない。

 露店から露店へと、人の奔流の中を時には沿うように、時には逆らうように連れ回され、辟易したのか、いささか疲れた顔で椰子ジュースを口に含む姿からは、特段変わった人間には見えなかった。たとえば、並外れて優れた頭脳を持ち、世界的な学術機関に所属する学者だというようには。

 そして、銀花がそんなに警戒する必要があるようには。


「あの……すみませんでした。」

 唐突な謝罪に、彼は驚いたように金花に顔を向けた。

「何が?」

「銀花です。あの子、さっきからずっと、あなたに失礼な態度を……」

 金花がしどろもどろになりながら答えると、エンは何かを考えるように片手で口を押さえると、気付いてたのか、と呟いた。

「嫌だわ、私、そんなに鈍感ではありませんよ。」

「いや……、」

 エンは言いよどんだが、結局まったく違う方向を指す質問を形にした。

「金花、君は銀花のことが解ったりするの?」

「それは、生まれたときからずっと一緒ですもの、顔を見れば大抵のことは解ります。」

「そうじゃなくて……例えば、銀花が怪我したり、何かを強く念じたら解る?」

(『白の塔』の学者もこんなレベルなのかしら?) 

 これまで双子と見るたびに、多くの者に訊かれてきた質問に、金花は呆れた様子を隠さずにエンを見た。

「そんな都合のいい超常現象があるわけないでしょう。」

「しかし、君達は黄家の双子だ。」

 そういえば、と金花は先程の祖父の振舞いを思い出す。彼が人の数手先を読むことができる賢い男だとは知ってはいるが、それにしても、初対面の相手に能力を使ってみせた意味が摑めない。

「いいえ、私にはああいう力は備わっていないようです。」

 そのせいで昔は随分悔しかったのだけれど。今となっては平静に返事をすることができる。


 もう覚悟は出来ていた。銀花にさえも言ったことはないが、解っていた。

 あの能力を持たない者に黄家の当主が務まる筈がない。


 常夏の蜃邑は美しい。目を眩ませるほどの色彩の集合、香辛料の匂いを潜ませる潮風。熟れた果物の香りがする夜、何もかもを奪いつくすような凶暴な嵐。そしてスコールに洗い流された空に架かる虹。それらすべてに別れを告げつつその日を待っている。これは、自分にとって最後の夏だ。

 島を去らなければならないのは、自分なのだから。


 それでも、その方が、銀花が此処を離れることになるよりも良い、と今ではそう思えるのだ。


「それは……よく隠されているのか、それとも再び封じたのか。」

 エンの独り言のような呟きを金花が追及しようとした時、苛立った声が掛けられた。

「ちょっとアンタ、買うんだったら買う、買わないんだったら買わない、はっきりしてくれないか」

 露店の女主人は金花の前で仁王立ちになって、豊満な身体の前で両腕を組んだ。

「服はどこにやったんだい?」

「え?」

 訊き返しかけて、彼女が、自分と銀花を思い違えていることに気がつく。

 急激に襲ってきた悪い予感に身体がすっと冷えた。

 自分はずっと此処に居た。隣でエンだって見ていた筈なのに、試着室から出てくる銀花の姿を二人共が目にしていない。

 金花は勢い良く立ち上がった。驚いた女主人が何か言っているのには構わずに走って、視界を遮る一枚布を引き開ける。


 試着室の中はもぬけの殻だった。



* * * * * * * * * * * *



 有無を言わさぬ勢いで試着室に押し込まれ、憮然としながら、銀花は上衣の釦に指を掛けた。

 きっと似合うと押し付けられた服は、落ち着いた黄緑色に唐草の縫い取りがされている。葉裏と蔓には沈んだ金糸が使われていて、薄暗い幕の中、僅かな光を捕えては煌いた。


 金花が銀花にこのような服を選ぶことは珍しい。

 名前に沿うかのように、金花は暖色系の服をを好み、その中でも金糸で刺繍されたような、華やかなものが似合った。逆に、銀花はモノトーンや地味な色合いの服の方が落ち着く。刺繍はない方がいいと知った上で、金花が銀花に手渡すものには、必ず邪魔にならないような、小さな銀糸の縫い取りが入っていた。

 物心ついてからはじめて、金糸を使った服を渡された。

(まるで形見のよう。)

 去りゆく者が、自分の欠片を押し付けがましくない程度に、そっと残していくような。留まることを諦めた者の小さな我侭。

 間近に迫る、龍による当主の選択。

 銀花は着たままだった酒楼の制服を脱ぐと、黄緑色の上衣を身につけた。


 金花が知っているということを銀花は知っていて、銀花が知っているということを金花は知らない。


 無防備に、そしてきっと無意識に差し出される思いを受け取るのは、とても苦しい。

 溜息をつきながら、銀花は身を包む絹地をそっと撫でた。一瞬過ぎって消える反射光は、祖父を訪ねている学者の眼を思い起こさせる。

 無作法な態度を取ってしまった、と銀花は溜息をもう一度重ねた。本人に悪気があって、探ってしまうのではないのだろう。自分と同じように、自然に隠されていることに気がついてしまうのは、きっと。

(あの人にも秘密があるから。)

 直感的に思ったことを、銀花は繰り返した。

 隠し事があるために、他の秘密にも敏感なのだ。彼自身の秘密に触れなければ、きっとこちらにも干渉しない。そのように弁えているし、それが一番安全な道だと解ってもいるのだろう。他に大事な物がある人間は、巣に蓄えられた蜜のために、蜂に手を出さない。

(……それでも、あの人は)

 変化を呼び込む。そんな予感がする。

 ざわめく胸に、銀花は眉を顰めた。


 万物は流転する。万象は変容する。

 それはこの世の真理だ。

 それでも、ずっと変わらないのだと思っていた。服の趣味も性格も掛け離れている。それでも、いや、だからこそ、お互いが大事だった。生まれた時から、いや、生まれる前から二人なのだから。

 

 近づく気配を感じ取ることができなかったのは、考えに沈んでいたからだ。

 気付いた時には遅すぎた。背後から伸びた手は、薬品を染ませた布で銀花の口と鼻を覆い、彼女の抵抗を難なくあしらった。


 変化を防いでみせる、といつも思っていた。変えない、変えたくない。変化など求めていない。

 諦めないで欲しかった。そんな焦がれるような、懐かしむような透明な眼で、すべてに別れを告げないで。自分はまだ諦めていない。

 共に居られるためなら、なんだってすると。


(金花。)


 片割れの名前を胸の内で呼んだのを潮に、銀花の意識は闇に沈んだ。 



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