冷笑主義的世界観
子供に突然能力を与えたらどうなるか分かるか?
こんなセリフを思い出した。どこで聞いたのかももう覚えていないけど。
異世界転移とやらをしたのはちょうど高校二年の夏だった。
どういう経緯でなったのか忘れた。
ラノベやらアニメやらのように途轍もなく強い力を手に入れた。
ある程度の高い地位について疑似的ハーレムだってできた。
身分は低くも高くもなく中流といった青年が自分の全身を凝視して別のことをさせないように見張っている。
手には紙が十数枚。小難しい単語にきっちりと並んだ文字。
読まされる文字の羅列の意味など頭に入ってこない。
今思えば、実は何も変わっていなかったんだ。
暇潰ししかしていなかったのだ。ろくに努力もせずに楽にいた。ただただ快楽を享受しただけ。克服も挽回もない出汁のない味噌汁を味わい尽くす。
どこまでも自分の目的だけを貫いている人間のほうがましに見えてくる。身の回りの一時期的な喜びに振り回されない。長期的に見て素晴らしい人生を。
いや、違う。そもそもの所が違っている。多少のバフはあとうともチートバグを使えなかった彼らはどう考えようとも大多数がとやかく言う相手ではない。その塊の一つ一つは彼らの一つ一つに結局は敵わない。敵うわけがない。実際今ここで豊かさ比べをしようとなると大差で負ける。ほとんどは第一試合敗退だ。
人間は考える。世界は公平だ、平等だと。どこかできっとそうだと、無意識のうちに感じている。
そうでなければ死んでしまうから。意味がなくなるから。
しかし、やはり現実は本当のこととして見たくないうちに襲いかかってくる。
どう議論しようにも、伝承を除いて事実だけを見ると公平でない。チートの自分が分かり易い例だ。
世界は多くの人間にとって優しくない。
中途半端なリアリストはこれを受け入れない。受け入れたくないし、できない。心の奥底ではとうに知っていて、体になじんでいるっていうのに。意味がないのならば暇潰し。お楽しみ。無駄な苦労などなしに。だから彼らは笑う対象。
そしてこれら且つ、上の人間の自分の目標のために何でもする、という優しくないことが大嫌い。何の施しも与えない彼らを嫌うが、施しを与えるのは大好物だ。
中途半端なリアリストは誰にも何も与えない。与えるとしたら家族に、友人に。たまたま親睦が深かった異性に。
いろいろ考えた結果で、自分は中途半端なリアリストだったと思った。
本当に何も変わっていなかった。能力を突然手に入れただけで、可能なことが増えただけで、できることは少ないまま一直線。
つまりどんな世界であろうと自分には優しくない…。優しくないのではなく、好かれようとしなかったのか。
先生という職業の人は口をそろえて伝える、
正解は人それぞれにあります。
というのはただの気休めだったのか。
正解って何だ?
だが、この自分は正解ではないだろう?これが正解なわけが無い。
先生たち、自分には正解がありませんでした。
疑問ばかり連なって肝心のことは思い付かない。逃げ続けてきたツケが最後の最後に助走をつけて全速力で殴り掛かってきたのだ。
もう時間はない。あとの数十歩を大事に踏みしてこの先どうなるかは真理に任せるのみである。
聴衆は沸いていた。まるで世界大会で自国チームが優勝したみたいに。感激の大合唱と拍手が合わさってて心地の良い音色に調和している。
最後の一歩を使い切って、止まった。
泣きたい気分だった。怒りたい気分だった。ぐっちゃぐちゃに感情が取り巻いて混ざって混沌の真核に触れていた。
その中からなんとか微笑みを選び抜いてごく自然にそれをこなした。
とある男が近づいてくる。この男の雰囲気的にあまり良い所で育ちはしなかったのだろう、荒っぽいような。そういうところが端々に見受けられる。
一瞬目の前が光った。
魔法。それも高等でない誰でも使えるような簡単な方法の。
頭の無い体が見える。自分のだ。
最後に問えば、答えが帰ってくるだろうか。
正解は一体何で—―。




