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幻想世界ルクサーシア物語  作者: PYT


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第七話 蘇る痛みの記憶と、ささやかな休日

 翌朝。ライルは意識が浮上すると同時に、全身を駆け巡る凄まじい激痛に、声にならない悲鳴を上げた。


 指先一つ動かすだけで、筋肉がミシミシと断裂の音を立てるような錯覚に陥る。魔力過負荷オーバーロードと、全出力を出した後の肉体的な反動。


(……くっ、この感覚……前にもあったな……)


 霞む視界の向こうに、かつての記憶が蘇る。


 それは、アムネジアの屋敷を去る数ヶ月前のこと。師匠であるアムネジアと行った、最後にして最大の実戦形式の模擬戦だった。


『ライル。遊びは終わりよ。今の貴方の全力を、その「身体強化」に注ぎ込みなさい』


 いつも通りの冷徹な声。だが、その背後に漂うアムネジアの魔力は、屋敷全体を震わせるほどに膨れ上がっていた。アムネジアは、愛弟子のライルに対し、一切の加減を捨てていた。


『でも、師匠……屋敷が壊れます。それに、全力なんて出したら貴方を――』


『甘いわね。そんな暇があるなら、自分の心臓が止まらないことを祈りなさい』


 躊躇ためらいを見せたライルに、アムネジアの容赦ない魔術が襲いかかった。ヴィナの力を借りた


ことわり」の攻撃は、避けることさえ許さない。ライルはなすすべもなく弾き飛ばされ、地面を転がった。


(くそ…いらぬ心配だった…)


「師匠!死んで下さーい!」


 ライルの剣がアムネジアに届かなかったのは言うまでもない。邪神を討伐するほどの実力は今でも衰えていない。アムネジアの心配をした愚かさだけが心に残った。


 全力の身体強化。それは肉体を魔力という暴力で強引に駆動させる諸刃の剣だ。あの日、完膚なきまでに敗北したライルは、翌朝、指一本動かせないほどの絶望的な筋肉痛に襲われた。


『ライル、覚えておきなさい。極限の状況では、貴方の肉体は貴方の意志を裏切る。その「動かない体」で何ができるかを、今のうちに魂に刻んでおくのよ』


 アムネジアのあの厳しい言葉。


 昨日、アース・ベアとの戦いで、ライルは不思議と冷静だった。動かない足を、折れそうな腕を、どう動かせば死なずに済むか。あの地獄のような訓練のおかげで、体が「限界の先」の動かし方を知っていたのだ。


(……全く、あのクソ師匠。……感謝なんて、してやりませんよ)


 ライルは苦笑し、重い体をゆっくりと起こした。


「……ふぇぇ……ライルさん、生きてますかぁ……?」


 隣のベッドから、消え入るような声が聞こえた。


 フレイリアが、シーツにくるまったまま芋虫のようにモゾモゾと動いている。彼女もまた、高位魔法『聖域展開サンクチュアリ』の反動で、精神的にも肉体的にもボロボロのようだった。


「生きてますよ。シスターこそ、鼻血は止まりましたか?」


「もう! その話はしないでくださいって言ったじゃないですかぁ! あうぅ、腰が……魔力が空っぽで、立ち上がることすらヴァナウの試練に思えます……」


 二人はしばらく、ベッドの上で力なく笑い合った。


 昨日の今日だ。とてもではないが、今日もギルドへ行って魔物と戦うなんて不可能だった。


「……今日は休みにしましょう。せっかくレーネに来たんです。本調子に戻るまで、街でも探索しませんか」


「えっ! 良いんですか!? ……あ、でも、お金が……」


「昨日の報酬、アース・ベアの核が高く売れたみたいで、金貨が結構入ってます。一人で使うのも効率が悪いですし、パッと使いましょう」


「ライルさん……! 好きです! ……あ、あう、今の『好き』は、太っ腹なところが、ですよ!?」


 顔を真っ赤にして弁明するフレイリアを、ライルは「はいはい」といなした。


 アムネジアの屋敷では、金は単なる金属の塊でしかなかったが、外の世界では「心の余裕」を買えるものらしい。ライルは、不本意ながらも少しだけワクワクしている自分に気づいていた。


 昼過ぎ。少しだけ痛みが和らいだ二人は、連れ立ってレーネの街へと繰り出した。


 祭りの前夜祭ということもあり、街は昨日以上の賑わいを見せている。色とりどりの旗がはためき、香ばしい屋台の匂いが空気に溶け込んでいた。


「わぁ……見てくださいライルさん! あのリボン、すごく綺麗!」


「……シスター、リボンは防御力に貢献しませんよ」


「もう、そういうことじゃないんです! 可愛いものを愛でるのは、心の浄化なんですぅ!」


 ライルは溜息をつきつつも、フレイリアの後ろを歩いた。


 彼女は時折、振り返ってはライルの顔色を窺い、楽しそうに笑う。その姿は、昨日の戦場で見せた「命を削る聖女」とは別人のように、年相応の少女だった。


 ふと、通りかかった雑貨屋の店主に声をかけられた。


「お熱いねぇ、そこの若いおふたりさん。記念にペアのストラップでもどうだい?」


「ぺ、ペア!? いや、そんな、私たちは……!」


 フレイリアが顔を火のように赤くして、激しく手を振る。


 だが、店主は構わず「デートだろ? 仲良くやりな」と笑って通り過ぎていった。


「…………デート」


 フレイリアが小さな声で呟く。


 彼女の視線が泳ぎ、法衣の裾をぎゅっと握りしめた。


「ライルさん、あの……。これって、その……ハタから見たら、デートに見えるんでしょうか」


「……さあ。効率的に街を把握するための視察、と言えばいいんじゃないですか」


「もー! ライルさんは本当にムードがないんですから! ……でも」


 フレイリアは、ライルの横に並び、少しだけ肩をぶつけるようにして歩いた。


「……でも、私、嬉しいです。ライルさんとこうして、怖いことなしに歩けるの。……昨日は本当に死ぬかと思いましたけど、ライルさんがいてくれたから、今こうして笑顔でいられるんですよね」


 フレイリアが顔を上げると、そこには満開の花のような笑顔があった。


 その純粋な瞳に向けられ、ライルは一瞬、言葉に詰まった。


 心臓が、昨日の戦闘とは違うリズムで、トクン、と跳ねる。


「……俺だって、一人だったら今頃砂になってました。……だから、これは対等な休息です。ほら、あっちにアップルパイの店がありますよ。甘いもの、食べたかったんでしょう?」


「……! はいっ! 食べます、食べ尽くしますよぉ!」


 ライルの不器用な気遣いに、フレイリアは嬉しそうに頷いた。


 夕日に照らされたレーネの石畳を、二人の影が並んで伸びていく。


 アムネジアの言った通り、体はボロボロで、思い通りには動かない。けれど、その重い足取りさえも、今のライルには心地よく感じられた。


(師匠……「痛み」を知るっていうのは、確かに悪いことじゃないかもしれませんね)


 ライルは、隣でパイを頬張る騒がしい聖女を眺めながら、自分の中に生まれた「守るべきもの」の存在を、静かに受け入れていた。

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