第10話 深淵の足音は脅威の前触れ
十分の休憩を終え(カイスが無理やり切り上げさせ)、一行はさらに洞窟の奥へと辿り着いた。そこは異様な光景だった。
ただのゴブリンではない。体長二メートルを超える筋肉の塊、ホブゴブリンが三体、重厚な革鎧を纏い、槍を揃えて陣を敷いていたのだ。
「へっ、デカいのが出やがった! だが所詮はゴブリンだ。ミーナ、一発ぶちかませ!」
「任せて! 火炎!」
ミーナが魔法を放つ。だが、その背後の闇から、不気味な詠唱が響いた。
後方に潜んでいたゴブリン・シャーマンによる対抗魔術――『霧の壁』。火炎は虚しく霧に包まれ、霧散した。
「なっ、魔法が消された!? 」
ホブゴブリンたちが、初心者パーティの想像を超える統率力で距離を詰めてくる。カイスが大剣を振り下ろすが、ホブゴブリンは盾で平然と受け流し、鋭い槍の突きを繰り出した。
「うわっ、ぐあああ!」
カイスの肩を槍が掠める。ジグの矢も、後方のシャーマンが張った『風の障壁』に弾かれる。完全に詰みの形だった。
パニックに陥る『暁の風』。だが、ライルだけは一人、戦場を冷静に「俯瞰」していた。
(前衛が壁、後方が支援。……定石通りですが、カイスたちの練度が低すぎる。あのシャーマンの喉を潰せば、あとはただの肉の塊だ)
ライルは動いた。カイスがホブゴブリンに押し込まれ、泥を跳ね上げた瞬間。その泥飛沫に紛れて、ライルは音もなく加速する。
「おい、坊主! どこへ行く、そっちは――」
ジグが叫ぶが、ライルは聞かない。
ホブゴブリンの横を通り抜ける際、ライルは「たまたま」躓いたふりをして、左手の盾の縁をホブゴブリンの膝裏に叩きつけた。
「ガッ!?」
巨躯がバランスを崩す。カイスには、自分の大剣の圧力が勝ったように見えただろう。
ライルはそのまま、混乱する前衛を無視して闇の中へ。そこには、再び呪文を唱えようとしているシャーマンがいた。
シャーマンがライルに気づき、毒の霧を放とうとする。
ライルは冷めた瞳で、借り物の重い直剣を逆手に持ち替えた。
「――フウブ流・第二形『水鏡』」
最小限の動き。ライルは毒霧の中を、まるで霧そのものになったかのように透過し、シャーマンの喉元を横一文字に切り裂いた。
絶叫さえ許さない一撃。シャーマンが崩れ落ちると同時に、ホブゴブリンたちを覆っていた強化魔法が霧散する。
「お、おい……今の、何が起きたんだ?」
ミーナが呆然とする。霧が晴れた先には、死んだシャーマンの傍らで「腰を抜かしたふり」をして座り込んでいるライルの姿があった。
「……あ、危なかった。転んだ拍子に、剣が当たったみたいです」
そんなわけがあるか、と突っ込む余裕さえカイスたちにはなかった。弱体化したホブゴブリンを、カイスたちが死に物狂いで仕留める。
「ふぅ……。見たか、これが俺たちの底力よ!」
カイスが肩で息をしながら、勝ち誇ったように笑う。だが、フレイリアだけは見ていた。
ライルが闇の中へ消えた時の、あの「迷いのない足運び」。そして、戻ってきた時の、一滴の返り血さえ浴びていない清潔な姿を。
「……ライルさん。また、無理しましたね?」
フレイリアが近寄り、小声で、けれど確信を持って尋ねる。ライルは視線を逸らしながら答えた。
「……早く帰りたかっただけです。それに、この程度は訓練にもなりません」
戦闘が終わり、カイスたちが「戦利品だ!」とシャーマンの持っていた杖を拾い上げようとした、その時だった。
――ドォォ……ン。
洞窟のさらに奥、深い闇の底から、心臓を直接掴まれるような重い衝撃が響いた。
それは足音というにはあまりに巨大で、鼓動というにはあまりに不吉だった。
「な、なんだ……地震か?」
ジグの声が震えている。
ライルの表情が、一瞬で険しいものに変わった。アムネジアの屋敷でさえ感じたことのない、生理的な嫌悪感を伴う「魔力の凝縮」。
ズゥゥゥン……。
音が近づくたびに、洞窟の天井からパラパラと小石が落ちる。
カイスたちの持っていた松明の火が、風もないのに小さく、青白く変色していく。
「……シスター、俺のすぐ後ろに。離れないでください」
ライルの声から余裕が消える。
闇の向こう側に、一対の「赤い光」が灯った。それはゴブリンのような濁った赤ではない。冷徹な知性と、圧倒的な暴力が混ざり合った、深紅の輝き。
(……ゴブリンじゃない。……いや、上位種か?)
闇の中から現れようとしているのは、薬草園の変異種程では無いが、このパーティでは勝てない相手。
「お、おい……カイス、逃げようぜ。これ、ヤバすぎるって……」
「黙れ! ここで逃げたら冒険者の名が――」
カイスが虚勢を張るが、その足は生まれたての小鹿のように震えていた。
(あぁ…このリーダーはだめだ…今なら間に合うのに、引き際がわかってない)
ライルは盾を構え直し、静かに魔力を練る。
ただフレイリアだけは守る。その事を忘れてはいなかった。




