月影ヨル
山奥の夜は、異様なほど静かだった。
父・月影狼牙の背中が、雷光に裂かれた瞬間。
世界が、音を失った。
「……逃げろ、ヨル」
それが、父の最後の言葉だった。
続いて母がヨルを抱き寄せる。
その腕の温もりが消えた直後、雷が落ちた。
叫び声は、どこにも残らなかった。
地面は焦げ、空気は焼け、
両親がいた場所には何も残っていない。
ヨルは泣かなかった。
泣けば、足が止まると分かっていたからだ。
「禍野街に行け……」
父の遺言だけを胸に、ヨルは山を下り始めた。
数日後。
山道の途中で、異様な気配を感じた。
「……いたぞ」
人の声。
低く、粘ついた声。
木陰から現れたのは、数人の男たちだった。
銃、刃物、鉄棒。
そのどれにも、共通の印があった。
――五年子狩り。
「ガキが一人で山から下りてくるなんてよぉ」
「どうせ“当たり”だろ?」
ヨルは即座に理解した。
今の自分では、戦えない。
何日も歩き続け、食料も尽き、
体は限界だった。
視界が歪む。
心拍が、やけに大きく聞こえる。
――逃げるしかない。
ヨルは能力を使った。
ほんの一瞬、世界の流れを歪める。
男たちの動きが、鈍る。
その隙に、ヨルは駆け出した。
「っ、今の見たか!?」
「速すぎる……!」
背後で、怒声が上がる。
「五年子だ!」
「チッ、ガキのくせに!」
ヨルは振り返らなかった。
ただ、歯を食いしばって走った。
肺が焼ける。
脚が悲鳴を上げる。
それでも止まらなかった。
その日から、さらに移動を続けた。
森を抜け、山を越え、
夜は眠らず、昼も身を潜めた。
何度も倒れそうになりながら、
それでもヨルは進んだ。
――止まったら、殺される。
それだけが、身体を動かしていた。
やがて、人の多い街へ辿り着いた。
臨時の避難所。
騒がしい声、人工の灯り。
ヨルは深く息を吸い、
自分の体を無理やり真っ直ぐにする。
血の匂いも、痛みも、
表情には出さない。
入口に立つ警備員が、訝しげにヨルを見る。
「……一人か?」
「ああ」
短く答える。
声は、震えていなかった。
体は限界だった。
それでも、弱さを見せる理由はなかった。
――ここでは、ただの少年でいればいい。
ヨルはそれ以上何も語らず、
避難所の中へと足を踏み入れた。
この時、
外で噂が立ち始めていることを、
ヨルはまだ知らなかった。
「近くに、五年子のガキがいたらしい」
その“ガキ”が、
自分自身を指しているとも知らずに。
そして――
この避難所で、運命の出会いが待っていることも。




