篠原カナ
――それでも、手を伸ばしたかった
テレビの音だけが、部屋に残っていた。
黒煙を上げる街の映像。拘束される人々。ヘリに乗せられていく五年子たち。
佳奈はソファに座ったまま、画面を見つめ続けていた。
「……リキは、どうなっちゃうんだろう」
呟いた声は、誰にも届かない。
背後で母が洗い物をする音が、やけに大きく響いた。
「佳奈。あの子のことは忘れなさい」
振り返りもせず、母は言った。
「私たちとは……違う世界の人間よ」
佳奈はそれ以上、何も言えなかった。
けれど胸の奥で、確かに何かがひび割れていた。
学校は、何事もなかったかのように日常を続けていた。
教室では、禍野街の話題が軽い調子で交わされる。
「やっぱ五年子って危ないんだね」
「国が管理するの、当然でしょ」
佳奈は机に向かったまま、何も言えずにいた。
避難所で、血に濡れながら前に立った少年の姿が、何度も脳裏をよぎる。
――同じ言葉を、同じ口で言えなくなっていた。
放課後、校舎を出た佳奈は、駅前で一枚の張り紙に足を止めた。
《禍野街周辺 復旧支援ボランティア募集》
政府の認証印。
迷う前に、手が動いていた。
現地は静かだった。
戦闘の痕跡は残っているのに、人々の動きは淡々としている。
瓦礫を運ぶ民間人。
その横で指示を出す政府の部隊。
「初めて?」
声をかけられ、佳奈は顔を上げた。
ヘルメットを被った女性が、同じように汗を拭っている。
「はい……」
「大丈夫。できることだけでいいから」
自然に隣に並び、作業が始まる。
「佳奈ちゃん、仕分けお願い」
「……え、名前」
「名簿に書いてあった」
女性は軽く笑った。
「私は由良。由良・……由良でいいよ」
一瞬だけ、言葉を選んだように聞こえた。
佳奈はそれ以上、踏み込まなかった。
「篠原佳奈です」
「学生でしょ? 無理しなくていいのに」
佳奈は手を止め、少しだけ考えてから答えた。
「……避難所で、助けてもらったんです。五年子に」
「そっか」
由良は否定も驚きもせず、ただ受け止めた。
「私、前に出たかったんだ」
「え……?」
「戦う側。守る側」
瓦礫を持つ手に、わずかに力がこもる。
「でも、能力もないし、結局ここ。後処理ばっかり」
佳奈は、その横顔を見つめていた。
「……でも、由良さんがいなかったら、もっと大変だったと思います」
「優しいね」
由良は小さく笑った。
作業が終わる頃には、二人は自然と並んで座っていた。
由良が水を飲みながら言う。
「ねえ、佳奈ちゃん」
「はい」
「零部隊、試験があるんだって」
佳奈は息をのんだ。
「……受けるんですか?」
「うん。落ちる可能性の方が高いけど」
由良は空を見上げる。
「それでも、前に行きたい。
誰かを守れる場所に」
佳奈の胸に、避難所の光景が蘇る。
「……私もです」
「え?」
「私も、救いたい人がいるんです」
声は震えていたが、視線は逸らさなかった。
「今度は、私が手を伸ばしたい」
由良はしばらく黙り、やがて静かに頷いた。
「じゃあ、一緒に受けよっか」
「……はい」
その瞬間、佳奈は思った。
逃げないと決めたのだと。
この選択が、やがて多くの運命を巻き込むことを、
この時の二人はまだ知らなかった。




