『謝罪』という名の公開処刑
翌日。
早朝の陽光が薄霧を貫き、通学路の坂道を照らしていた。
私は歩いていた。その足取りは、いつになく軽やかだった。
鞄の中には、昨晩わざわざ駅前のデパートまで行って買った物が入っている。そのずっしりとした重みが、今は無性に心強かった。
教室の前に着く。
私は足を止め、深く息を吸い、表情筋を整えた。
媚びへつらうための作り笑いじゃない。心の底から湧き上がる、堂々とした微笑みを浮かべて。
ガララ。
私は教室のドアを開け放った。
それまで騒がしかった教室の空気が、私が姿を見せた瞬間に少しだけ凝固した。
昨日の『更衣室事件』は明らかに尾を引いていて、少なくない女子たちが探るような、あるいは敵意を含んだ視線を向けてくる。
この粘りつくような『空気』。以前の私なら、とっくにうつむいて、ドブネズミみたいに席まで逃げ帰っていただろう。
でも今日は違う。
私はそれらの視線を無視した。
というか、見えてはいるけれど、気にならなかった。
「みんな、おはよう!」
私は明瞭な、よく通る声で、クラス全体に向かって挨拶をした。
「……あ、お、おはよ」
ドア近くにいた数人が、反射的に挨拶を返してくれた。
彼らの表情は気まずそうで、この『台風の目となった狂人』にどう接すればいいのか戸惑っているようだ。
私はその気まずさを気に留めず、まっすぐ後ろへ歩いていった。
理人はすでに来ていた。
「おはよう、理人」
私は自然に彼に声をかけた。
理人は文庫本から顔を上げ、その死んだ魚のような目で淡々と私を一瞥した。
「ああ。星野」
簡潔。平坦。
でもそれで十分。それは共犯者だけが共有できる安心感だった。
私が鞄を置いて座ろうとした時だ。
「あの……星野さん」
背後から、おずおずとした声が掛かった。
加藤さんだ。昨日、私が赤いペンを貸した女の子。その隣には、昨日数学を聞きに来た二人組も立っている。
「おはよう」私は笑顔で応えた。
「その……」加藤さんは周囲の冷ややかな空気を気にしながら、声を潜めて言った。
「昨日の更衣室のこと……聞いたよ。なんか、みんな酷いこと言ってるけど……私たちは、星野さんがそんな人じゃないって思ってるから」
「そうだよ!」隣の子も同調した。
「昨日だってわざわざ数学教えに来てくれたし、あんなに優しい人が、理由もなく暴れるわけないもん。きっと誤解だよね?」
「変な噂なんか気にしないでね、委員長」
彼女たちの心配そうな瞳を見て、胸の奥がじんわりと温かくなった。
ほらね。
世界は完全に私を見捨てたわけじゃない。
私が本当の善意を差し出せば、ちゃんと受け取ってくれる人はいるんだ。
「ありがとう」
私は彼女たちを見て、一点の曇りもない笑顔を見せた。
「安心して、私は大丈夫。確かに私がやらかしちゃったのは事実だから、今日ちゃんと決着をつけてくるね」
その時。
教室の入り口から、聞き覚えのある高デシベルの談笑が聞こえてきた。
来た。
玲奈、真由、優奈。
彼女たちはいつものように、女王とその取り巻きといった風情で教室に入ってきた。
教室の中央で談笑している私を見つけた玲奈の顔が、一瞬だけ引きつった。「なんであんたが笑ってんの?」という驚愕がその目に走る。
今だ。
私は逃げなかった。
座りもしなかった。
クラス全員が見ている中で、スカートの裾を正し、足を踏み出し、玲奈の方へと一直線に歩いていった。
教室内のざわめきが、私の動きに合わせて波が引くように消えていく。
誰もが手を止め、息を呑み、これから始まるであろう『修羅場』を待ち構えている。
玲奈は近づいてくる私を見て、無意識に半歩後ずさり、顔に防御的な『被害者』の仮面を貼り付けた。
「ち、千夏ちゃん? 何? まだ何か文句あるの……」
私は彼女の三歩手前で立ち止まった。
そして。
クラスメイト三〇人全員が見守る前で。
両手を前で揃え、最も標準的で、最も丁重な九〇度の角度でお辞儀をした。
「玲奈! ごめんなさい!!」
張り上げた声が、静まり返った教室に炸裂した。
玲奈は驚いて肩をビクリと震わせた。
私は頭を下げたまま、大声で続けた。
「昨日の更衣室で、私が大事なものを失くして、カッとなって冷静さを欠いてたのは事実なの!」
「勘違いしてあなたを疑って、衝動的に手を出して、あまつさえ無理やりロッカーを開けるなんて! あれは絶対にしちゃいけないことだった!」
「みんなの前で怖い思いさせて、嫌な思いさせて、本当に……申し訳ありませんでした!」
私の声は朗々と響き、そこには一切の皮肉もなく、誠実さだけが満ちていた。
私は本当のことを言っている。
「疑ったこと」は謝っていない。「従わなくなったこと」も謝っていない。
私が謝罪しているのは、「衝動的な暴力」と「プライバシーの侵害」についてだけだ。
そこは私が間違っていた部分だから、認める。
頭を上げると、私はクラス中が呆然としている中、鞄からきらびやかな金色の箱を取り出した。
GODIVAのゴールド・コレクション。
高校生にとっては、「最上級の謝罪」を示すのに十分すぎるほど高価な品だ。
私はその箱を両手で捧げ持ち、玲奈の前に突き出した。
「これ、お詫びのしるしです」
私は彼女の目を直視し、揺るぎない眼差しを向けた。
「謝罪の気持ちとして、玲奈の大好きなチョコ買ってきたの。昨日の傷ついた気持ちを埋め合わせるには足りないかもしれないけど、どうか受け取ってください!」
教室は死のような静寂に包まれていた。
全員が度肝を抜かれていた。
みんな私が喧嘩を売るか、また発狂すると思っていたのだろう。
誰も予想していなかった。私がこれほど『卑屈』とも言える姿勢で、衆人環視の中でこれほど丁重な謝罪を行うなんて。
玲奈の表情は……実に傑作だった。
驚愕、困惑、そして一本取られたという苛立ち。
彼女はその金色の箱を、まるで時限爆弾でも見るように見つめている。
受け取る? そうすればこの件は手打ちになり、彼女はもう被害者面ができなくなる。
受け取らない? クラス全員の前で、こんなに誠実な謝罪と高価な贈り物を拒絶すれば、彼女の方が心の狭い、執念深い人間に見えてしまう。
「あ、あの……千夏ちゃん……」
玲奈の口元が引きつり、辛うじて困ったような笑顔を作った。
彼女は得意の『イイ子ちゃん』演技で、この圧力をかわそうとした。
「いいよぉ、そんなの……私だって千夏ちゃんにも事情があったのはわかってるし、きっと焦ってただけなんだよね?」
「あの時は本当に殺されるかと思って怖かったけど……反省してるなら、もう謝らなくていいから」
彼女は私の手を軽く押し戻し、拒否しようとした。
「友達同士じゃん。プレゼントなんて気を使わなくていいよ、高かったでしょ……」
以前の私なら、この「いいよ」を聞いた時点で、安堵して尻尾を振りながらプレゼントを引っ込めていただろう。
でも今の私には、彼女の手口が透けて見える。
彼女は『寛容さ』をアピールしつつ、私の『償い』を拒絶しているのだ。
贈り物を受け取らせなければ、貸し借りは清算されず、彼女は引き続き『被害者』という道徳的高地に居座れる。そして今後いつでもこの件を蒸し返して私を刺すことができる。
させない。
「いいえ!」
私は手を引かなかった。それどころか、さらに一歩踏み込んだ。
声に一層の誠実さを込め、むしろ「受け取るまでここを動かない」という執念すら滲ませて。
「昨日はどう考えても私が悪かったの!」
「玲奈が嫌だって言ってるのに、私が無理やりロッカーこじ開けて、あんな大勢の前で恥かかせちゃったんだよ? あれは許されない野蛮な行為だった!」
「私のこと許さなくていい! むしろ罵ってくれてもいい!」
「でも……このプレゼントだけは、絶対受け取って!」
私はチョコの箱をさらに押し付け、ほとんど彼女の胸にねじ込むような勢いで迫った。
「これは私のけじめなの! 私が自分を納得させるための罰でもあるの! 受け取ってくれないと、私、本当に申し訳なくて夜も眠れないよ!」
「え……?」
玲奈は私の気迫に押され、タジタジと後退った。
周囲の生徒たちがざわつき始めた。
風向きが……変わった。
「委員長、あそこまでやってるのに……」
「ていうかアレ、結構高いやつだよね? ゴディバだし」
「それに謝り方も超誠実じゃん。みんなの前で頭下げてさ」
「玲奈ちゃんもそろそろ受け取ってあげればいいのに。あんまり拒否ると逆に……」
これが『空気』だ。
玲奈が最も得意とし、振りかざしてきた武器を、今私が握っている。
みんなの目には、今の私は「過ちを犯したが心から悔い改め、身銭を切ってまで償おうとしている誠実な人間」に映っている。
もしここで玲奈が拒み続ければ、彼女こそが「いつまでも根に持つ」「誠意を踏みにじる」悪役になってしまう。
玲奈も明らかにそれを察知した。
彼女の視線が私を越え、背後のクラスメイトたちへ向いた。
そこに漂う『もう許してやれよ』という空気を見て取った。
彼女の顔色が変わった。
私を引き裂きたいほどの悪意が瞳の奥で一瞬閃いたが、彼女はそれを無理やり飲み込んだ。
深く息を吸い、泣くよりも醜い、引きつった笑顔を貼り付けた。
「もう……千夏ちゃんってば、真面目すぎだよぉ」
彼女は手を伸ばし、少し乱暴に金色の箱をひったくった。
「そこまで言うなら……もらうね。これでおあいこってことで」
取った。
彼女の手が箱に触れた。
「ありがとう! 玲奈!」
私は千斤の重荷を下ろしたような、晴れやかな表情を作った。
「約束する! これからは絶対に、あんな衝動的なことしないから!」
言い終えると、私はもう一度深く頭を下げた。
そして、ハエを噛み潰したような顔をしている彼女を二度と見ることなく、反撃の隙も与えず。
くるりと背を向け、背筋を伸ばし、軽快な足取りで自分の席へと戻った。
ふぅーっ。
席に着いた瞬間、肺の底から濁った空気を吐き出した。
勝った。
今月のお小遣いは消し飛んだし、頭も下げた。
けれど私は、それよりも遥かに重要なもの――このクラスにおける『足場』を取り戻した。
今日から、『更衣室で発狂した女』というレッテルは剥がれ落ちる。みんなの記憶に残るのは、『過ちを認めて正せる、気前のいい委員長』というイメージだけだ。
私は横目で、こっそり後ろを盗み見た。
理人は相変わらず読書姿勢を崩していない。
けれど私が見た瞬間、彼の視線がわずかに上がり、文庫本の縁越しに私を捉えた。
そして、極めて小さく肩をすくめると、再び活字の世界へと戻っていった。
彼は何も言わなかった。
でも、それで十分だ。
私は思わず口角が上がるのを抑えきれず、一時間目の教科書を取り出した。
太陽の光が机に降り注いでいる。
今日の空気は、本当に美味しい。




