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【完結】読心術と物理法則で、青春の嘘を完全論破する ~空気を読まない怪物が、仮面の聖女を「論理的」に救うまで~  作者: こころよみ
偽物聖女の覚醒

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濁った空気と未決の死刑

 更衣室を出てから教室に戻るまでの道のりは、一世紀にも感じられるほど長かった。

 教室に足を踏み入れた時には、さっきの騒動の余波がウイルスのように蔓延しきっていた。

 男子たちはまだ何が起きたか知らず、昨夜のゲームや来る合宿の話で盛り上がっている。

 けれど、女子側の空気は完全に変質していた。

 朝の訂正で少し和らいだはずの視線が、今や再び凍てつくように冷たい。

 しかも今回は、単なる「疑念」ではなく、ある種の**『確信めいた嫌悪』**だった。


「聞いた? 更衣室で発狂したって」

「人のロッカーあさるとか……変態すぎでしょ」

「やっぱりあのスレ本当だったんじゃない? 見た目は大人しそうなのに、中身ドス黒いよね」

「関わらない方がいいよ、噛み付かれそうだし」


 その囁き声は、私を避けることすらしていない。

 まるで無数のハエが耳元で羽音を立てているようだ。


 私はうつむき、スカートのポケットの中で、戻ってきたブレスレットを無意識に摩った。

 冷たくて、ゴツゴツしている。

 本来なら私に力をくれるはずの『英雄の勲章』が、今は焼きごてのように熱く感じる。


 頭はもう冷静になっていた。

 アドレナリンが引いていくにつれ、理性が主導権を取り戻す。


 さっき起きたことを反芻する――。

 ブレスレットが忽然と消えた。

 玲奈が「ゴミ」という地雷ワードで挑発した。

 私が激昂して手を出した。

 ロッカーを開けるように誘導された。

 そして最後、ブレスレットが魔法のように私のポケットから出現した。


 完璧すぎる。

 これは偶然なんかじゃない。私の性格的な弱点を突き、周到に設計された連鎖的な罠だ。

 優奈はおそらく最初から、私が着替えている隙にブレスレットを私のポケットに滑り込ませていたのだ。

 そして玲奈が私を激昂させ、真由が世論を誘導した。

 彼女たちは私の他人への不信感と、衝動的な性格を利用し、私を『被害妄想のイカれた女』へと仕立て上げたのだ。


 嵌められた。

 完全に、馬鹿みたいに踊らされた。


 自分の席のそばまで歩く。

 でも、座れない。

 というか、後ろを振り返れない。


 理人が後ろに座っている。

 あれだけ賢い彼だ。更衣室に行かなくても、周囲の雰囲気を見るだけで、何が起きたか推測できているはずだ。


 彼はどう思うだろう?

 朝、せっかく彼が『品位』という防衛線を張ってくれたのに、それを私自身の手で木っ端微塵に爆破してしまった。

 バカだと思うだろうか?

 『やはり救いようのない欠陥サンプルだ』と、失望の目を向けるだろうか?


 心臓が痛いほど収縮する。

 女子全員の敵意よりも、理人からの失望こそが、私にとって最も恐ろしい断罪だ。


 私は深く息を吸い、判決を待つ罪人のような気分で、錆びついた首を回して振り返った。


 理人はそこに座っていた。

 手には読みかけの文庫本があり、その姿勢は授業前と何一つ変わっていない。

 私の気配を感じて、彼はゆっくりと顔を上げた。


 視線が交わる。

 私は反射的に首をすくめ、弁明しようとした。

「違うの、あれは罠で……」


 けれど、理人は私に口を開く隙を与えなかった。

 彼はただ、その底知れない死んだ魚のような目で、私を淡々と一瞥しただけだった。


 その目には驚きも、嘲笑も、そして失望さえもなかった。

 そこにあるのは……『無』。

 まるで最初からこうなると予測していたかのような、あるいは何が起きようと関心がないかのような静けさ。

 彼は何も言わなかった。

 ただ視線を戻し、ページを一枚めくった。私にまとわりつく悪評も、今の無様な姿も、彼にとっては単なる環境ノイズでしかないかのように。


「……」


 その瞬間、全身の強張っていた筋肉が弛緩した。

 罵倒されなかった。

 慰められもしなかった。

 彼はただ、いつも通りそこに存在していた。


 彼が以前言った言葉を思い出す。

『ストライサンド効果を警戒しろ。足掻けば足掻くほど、泥沼は濁っていく』


 そうだ。

 今私が何を言っても、周囲の目には言い訳にしか映らない。

 もし今、理人に泣きついたり、もう一度玲奈に食ってかかったりしたら、それこそ本当の敗北だ。


 ミスをしたなら、甘んじてそれを受け入れろ。

 泥沼に落ちたなら、暴れて泥を撒き散らすな。

 耐えろ。

 冷静になれ。

 余計なことをするな。


 私は奥歯を噛み締め、椅子を引いて座り、次の授業の教科書を取り出した。

 手はまだ微かに震えていたが、私は無理やり黒板を睨みつけた。


「はーい、チャイム鳴ったぞ、席つけー」


 その時、教室のドアが開いた。

 担任の伊藤先生が、色とりどりの小冊子の束を脇に抱えて入ってきた。

 先生は教室の異様な空気を一瞥し――眉をひそめて何かを察したようだったが、あえて言及せず、冊子の束を教卓に放り出した。


「星野」


 先生が私の名前を呼んだ。


「これ、来週の林間学校のしおりだ。配ってくれ」


 クラス中の視線が再び私に集中する。

 さっきまでの私なら、みんなの目に怯えて尻込みしていただろう。

 でも今は……それが逆に救命ボートに見えた。


「……はい」


 私は立ち上がり、教卓へ向かう。

 これはタスクだ。

 思考停止して実行できる、単なる機械的な動作だ。


 私は分厚い冊子の束を受け取り、一班から配り始めた。


 窓際に来た時。

 玲奈は机に突っ伏し、肩を震わせてまだ『被害者』を演じ続けていた。

 私がしおりを彼女の机に置くと、彼女は怯えた小鳥のように大げさにのけ反り、恐怖に満ちた目を私に向けた。まるで私が隠し持ったナイフで刺しに来たとでも言うように。

 周囲の女子から即座に非難の眼差しが飛んでくる。


 けれど私は無視した。

 何も言わず、立ち止まらず、彼女を一瞥することさえしなかった。

 しおりを置き、反転し、次の机へ向かう。


 手元の作業だけに集中すればいい。

 タスクを完了させることだけを考えればいい。

 この単調な労働のおかげで、私の狂乱していた心臓は、ようやく少しずつ冷えていった。


……


 ようやく、長い一日が終わった。


 帰りのホームルームが終わるや否や、玲奈は取り巻きの女子たちに囲まれて教室を出て行った。去り際に私を振り返り、勝利者の優越感に満ちた視線を投げるのを忘れずに。

 他のクラスメイトたちも三々五々帰宅し、教室の人口密度は急速に下がっていく。


 私はのろのろと帰りの支度をしていた。普段の倍以上の時間をかけている。

 片付けというよりは、時間稼ぎだ。

 私は怖かった。

 理人と向き合うのが。彼から完全に愛想を尽かされた目で見られるのが怖かった。


「じゃあ俺は先行くわ! 霜月、また明日! 委員長もまたな!」


 田中君が巨大なスポーツバッグを背負い、相変わらず何もなかったような爽やかさで私と理人に手を振り、グラウンドへ走っていった。


 田中君がいなくなると、教室に残っていた数人も帰り支度を済ませていた。

 夕日が窓から差し込み、机と椅子の影を長く伸ばしている。空気中を金色の埃が漂う。


 理人はまだ座っていた。

 私を待っているわけではないけれど、まだ帰ってもいない。彼はただゆっくりと本を閉じ、文房具を大きさ順に筆箱へ収め、鞄を背負った。

 その動作は滑らかで、表情は平坦。

 まるで今日起きた茶番劇など、彼の世界には存在しなかったかのようだ。


 彼が立ち上がり、ドアの方へ向かう。

 このまま私が黙っていれば、彼は赤の他人のように一人で去っていくだろう。


 私は彼の背中を見つめた。

 羞恥心がこみ上げてくる。

 やらかした。

 朝、「私はあなたの友達だ」なんて大口を叩いて、彼に助けてもらったくせに。午後に自分の衝動でまた玲奈の罠に嵌まり、こんな醜態を晒してしまった。

 今の私に……彼の隣に立つ資格なんてあるの?


 でも。

 ここで追いかけなかったら……このチャンスを逃したら……。

 この亀裂は永遠に修復できなくなるかもしれない。


 私は拳を握りしめた。

 嘲笑されてもいい。無視されてもいい。

 一人で帰りたくない。


 私は深く息を吸い、鞄を掴んで、早足で彼の前に回り込んだ。


「……理人」


 私は立ち上がろうとしていた彼を呼び止めた。

 理人の動きが止まる。彼は顔を上げ、その瞳は相変わらず凪いだ湖面のようだった。

 私は彼を見つめ、声が震えないように腹に力を入れた。


「一緒に、部活行こ」


 私は言った。


 理人は一瞬、固まった。

 その死んだ魚のような目が、わずかに、本当にわずかに見開かれた。意外そうに。

 彼の論理モデルでは、このような精神的打撃を受けた個体は、『社会的接触の回避』あるいは『単独での逃走』を選択すると予測していたのだろう。

 明らかに、私の能動的なアプローチは、再び彼の計算を狂わせたのだ。


 沈黙が二秒続いた。

 理人は「大丈夫か」とも、「更衣室で何があった」とも聞かなかった。

 彼はただ存在しない眼鏡を押し上げ、鞄を持って立ち上がっただけだった。


「今日の風速データに基づけば、気象部の窓の補強が必要になる可能性がある」


 彼は淡々と言い、歩き出した。


「急がないと、凜という名の騒音発生源に文句を言われるからな」


 それは黙認。

 それは……許可だった。


 私は彼の背中を呆然と見つめ、鼻の奥がツンとするのを感じた。


「……うん!」


 私は力強く頷き、鞄を握り直して、小走りで彼の後を追った。


 空気はまだ濁っている。明日はもっと辛いかもしれない。

 でも少なくとも、今は。

 私は彼の隣を歩いている。


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