孤独な思考者
部屋には、単調なタイピング音だけが残された。
その音は冷たく、機械的で、まるで何かの審判が下るまでの時間をカウントダウンしているようだった。
私はもう湯気の立たなくなったマグカップを両手で握りしめ、指先を白くさせていた。
喉はサンドペーパーを飲み込んだみたいに渇いている。
普段みたいに、少し甘えるような、あるいはからかうような口調で言いたかった。
「理人、ちょっと言い方ひどくない?」
あるいは、
「もう少し優しくしてくれてもいいじゃない」
もしそれが言えたなら、この窒息しそうな空気も和らいで、また昨日のような親密な『共犯者』に戻れるかもしれない。
でも……。
唇は動いたけれど、音にはならなかった。
言葉は喉の奥でつかえ、重たい鉛の塊に変わってしまった。
わかってしまったからだ。もしそんなことを口にしたら、私は本当に、ただ甘えて現実から逃げるだけの、つまらない女に成り下がってしまう。
『お前は依然として、安っぽい道具だ。ただ使用者が「玲奈」から「俺」に変わったに過ぎない』
その言葉が呪いのように脳裏で反響する。
痛い。
玲奈に無視されるよりもずっと痛い。
クラス全員に孤立させられるよりも痛い。
反論したかった。「そんなことない」と叫びたかった。
私はあなたを信頼しているから、あなたを一番の友達だと思っているから、意見を聞きたいんだと言いたかった。
けれど……。
心の奥底で、小さな声が冷ややかに私を嘲笑っていた。
「本当にそうなの? 星野千夏」
「あなたは本当に『助言』を求めているの? 本当は『命令』を求めているんじゃないの?」
私は選択するのが怖い。
選択した結果――嫌われることや、利用されること――を引き受けるのが怖い。
だから、理人に答えを教えてほしかった。
彼が「断るのが正しい」と言えば、私は安心して冷たい人間になれる。
彼が「受け入れるのが正しい」と言えば、私は何の負担もなくお人好しに戻れる。
私は責任を彼に押し付けようとした。
思考するという重荷を彼に丸投げしようとした。
彼のロジックを学んでいるつもりだった。彼のように強くなろうとしているつもりだった。
でも本当は……私は彼を新しい『主人』にしただけ。
玲奈の操り人形から、理人の操り人形になりたがっている……ただの空っぽな容れ物。
「……違う」
私はうつむき、カップの中の濁った水面を見つめながら、小声で自分に言い聞かせた。
私の覚悟は、そんな安っぽいものじゃないはずだ。
やっとの思いで仮面を剥がしたのに。やっと『人間』として生きようと決めたのに。
たった一言で負けてどうするの? 突き放されたからって、逃げ出してどうするの?
考えなきゃ……自分で答えを探さなきゃ……。
そうでなきゃ、私は永遠にただの『道具』のままだ。
私は深く息を吸い、カップの中で完全に冷え切ったコーヒーを一気に飲み干した。
苦い。
今回のコーヒーは、ちっとも甘くなかった。
……
その日の放課後の帰路は、死のような静寂に包まれていた。
私と理人は、駅へと続く坂道を並んで歩いていた。
昨日はあれほど短く感じた道。夜風は心地よく、二人の距離は近かった。
けれど今日は、間にあるわずか拳二つ分の距離が、決して越えられない天の川のように感じる。
理人は何も話さない。
彼は相変わらず無表情のまま、視線を水平に保ち、精密機械のように安定した歩調で進んでいく。
私を見ようともしないし、いつものように周囲の環境にツッコミを入れることもしない。
この沈黙は罰ではない。むしろ、一種の……待機だ。
彼はずっと待っているのだ。私が自力で立ち上がるのを。あるいは……完全に倒れるのを。
私も話さなかった。
ただうつむき、自分のつま先を見つめながら、脳内で絡み合った糸を必死に解こうとしていた。
拒絶は間違い?
ううん、自分を守るために拒絶は必要だ。
じゃあ、受け入れるのは間違い?
ううん、心から助けたいなら、それは善意だ。
じゃあ、どうして私は苦しいの?
それは……私が『違心』しているから。
『心で受諾し、口で拒絶する』
答えはすぐそこにある気がするのに、まだ掴めない。
それは滑りやすい魚みたいに、私の指の間をすり抜けていく。
迷いは霧のように私を覆ったままだ。
苦しい。不安だ。
理人の『正解』という地図なしで、暗い森の中を一人で歩いている気分だ。
いつの間にか、駅の改札口に着いていた。
私たちは足を止める。
周囲は帰宅ラッシュの雑踏で、構内アナウンスと電車の轟音が交差している。
私は振り返り、理人を見た。
昨日のここでの私は、笑顔で彼に手を振り、名前を呼び、一方的に友情を宣言した。
でも今日は……。
「……行くね」
私は鞄のベルトを強く握り、低い声で言った。
昨日のような冗談も言えないし、彼からの優しい言葉も期待していない。
理人は私を見ていた。
その深い瞳からは、依然として何の感情も読み取れない。
慰めも、失望も、励ましもない。
彼はただ私を見て、そして、極めて小さく……。
こくり、と一度だけ頷いた。
それはシンプル極まりない動作だった。
けれど私の目には、それが一つの信号のように映った。
――『思考しろ』
私は唇を噛み締め、背を向け、改札を通った。
今回は、振り返らなかった。
揺れる電車に乗り、窓の外を高速で流れていく夜景を眺めながら、私はガラスに映る自分の顔を見た。迷いに満ちているけれど、泣いてはいなかった。
苦しい。
一番の友達(彼には否定されているけれど)に冷たく突き放されるのは、本当に苦しい。
でも、憎めない。
わかっているから。それが彼なりの……最も厳しくて、不器用な優しさだってことが。
考えろ、星野千夏。
他人に聞くな。
言い訳を探すな。
自分の脳で、自分の心で。
見つけ出すんだ。私だけの……『本当の選択』を。




