番外編:孤狼の古傷と、弱者という名の劇薬
俺は鬼道蓮だ。
このクズばかりの神楽坂高校において、俺は頂点に立つ「捕食者」だ。
それが俺の信条だった。
この世には二種類の人間しかいない。食らう者と、食われる者。
食われたくなければ、牙を研ぎ、拳を鍛え、全員に恐怖を植え付けろ。
恐怖こそが最高効率のパスポートだ。
恐れられている限り、裏切られることはない。
……そう信じて疑わなかった。
あの佐藤という虫ケラに、喉笛を食い破られかけるまでは。
【記憶の断片:裏切りの起源】
中二の頃だ。
あの頃の俺はまだ、「正義」だの「友情」だのを信じてるバカだった。
俺にはダチがいた。ヒカルって名前だ。
痩せっぽちで、気弱で、デカい声も出せねえ、生まれついてのいじめられっ子体質。
「鬼道くん、助けて」
あいつが泣きついてくるたび、俺は身体を張った。
守ってやるのが俺の役目だと思ってた。
俺が良くしてやれば、あいつは俺を最高の兄弟だと思ってくれると信じてた。
あの日までは。
校外の不良グループがあいつを路地裏に追い込んで、死んだ婆ちゃんの形見を奪おうとしてた。
俺はキレた。
初めてのリミッター解除だった。
三人全員病院送りにした。そのうち一人は鼻の骨を折った。
警察が来た。
学校が介入した。
あの寒々しい指導室で、ヒカルが一言、「向こうが先に手を出した」とか、「鬼道くんは僕を守ってくれた」と言えば、俺は無罪だった。
だが、俺の背中に隠れてたヒカルは、不良仲間の「余計なこと言ったら殺すぞ」って脅しを聞いた瞬間、震えながら下を向いた。
あいつは指を上げた。俺の方へ。
その目に感謝はなかった。あったのは保身のための恐怖と、そして……責任をなすりつけようとする必死さだけだった。
「……鬼道くんが、勝手に殴りかかったんです」
「僕、止めたのに……聞かなくて……あいつ、頭おかしいんです」
「先生、僕も怖くて……助けてください」
パリン。
俺の世界が砕ける音がした。
俺はヒカルを見た。俺が血を流して守ったダチを見た。
その時理解した。
弱者の「弱さ」ってのは、腕力のことじゃねえ。魂のことだ。
生き残るためなら、命の恩人だって平気で崖から突き落とす。背骨がねえ、原則がねえ、あるのは反吐が出るような生存本能だけだ。
あの日から、俺は友達を作るのをやめた。
俺が作るのは「手下」だけだ。
友情より恐怖の方が、よっぽど信用できるからな。
【記憶の断片:佐藤と自販機】
高一の時、佐藤雄大に出会った。
ヒカルと瓜二つの野郎だった。
同じ目、同じ媚びへつらい、「強者に張り付けば生き残れる」っていう同じ腐った臭い。
あいつは犬みたいに俺の後ろをついてきた。
「鬼道さん、お好きなコーヒーです」
「鬼道さん、席取っときました」
俺はあいつを見るたび、ヒカルを思い出した。
あいつが媚びた笑いを見せるたび、生理的な吐き気がこみ上げた。
だから無視した。空気として扱った。
殴らなかっただけ、俺なりの最大の慈悲だった。
そして、あの冬の夜。
高架下。
佐藤が俺の名前を使ってイキったせいで、本物の暴走族に絡まれた時。
通りがかった俺が見たのは、ボコボコにされて這いつくばる佐藤だった。
俺を見るなり、あいつは救世主を見たような顔をした。
「鬼道さん! 助けて! こいつら鬼道さんをバカにして……!」
ハッ。
またこれだ。
「助けて」。
恐怖で歪んだあいつの顔に、ヒカルが重なった。
もし助けたら、次はもっとデカいトラブルで、あいつはヒカルみたいに俺を背中から刺すんじゃねえか?
絶対そうだ。
それが弱者の生存論理だからだ。
「知らねえよ、こんなゴミ」
俺は冷たく吐き捨てた。
「俺の名前出してイキってんじゃねえ。キメェんだよ」
俺は立ち去った。
自称「忠犬」を泥の中に捨てて。
厄介払いができたと思ってた。
まさか自分の手で、悪魔を生み出したとは知らずにな。
【記憶の断片:停学中の公園】
これが報いか?
俺は公園のベンチで、手の中の捏造写真を見ていた。
全校生徒が俺を叩いてる。
誰一人として、俺を庇う奴はいねえ。
普段ヘコヘコしてた手下どもは、蜘蛛の子散らすように逃げてった。
「……笑えるぜ」
俺は自嘲した。
「最強」なんて看板は、「噂」っていう見えない空気の前じゃ、こんなに脆いもんだったのか。
自慢の拳じゃ、空気は殴れねえ。
恐怖で築いた王国は、一夜で崩壊した。
かつてない孤独を感じた。
一匹狼の孤高じゃねえ。世界から遺棄された惨めさだ。
その時だ。
猫の鳴き声が、俺の自虐を遮った。
薄汚い野良猫が、俺の手のソーセージを警戒しながら見てやがる。
俺は投げてやった。
食い終わると、猫は俺に向かって「シャーッ」と威嚇して逃げてった。
「……猫にまでバカにされてんのかよ」
「ぷっ。それはあんたの餌のやり方が悪いからでしょ?」
澄んだ、少し小馬鹿にしたような声が降ってきた。
顔を上げる。
街灯の下に、あの女が立っていた。
霜月凛。
あの無愛想な軍師の妹。
笑いに来たのかと思った。
落ちぶれた「恐喝犯」を。
だが、違った。
あいつは俺の隣に座り、天気の話でもするように言った。
「ねえ、鬼道」
「なんで犯人が見つからないか分かる?」
「……俺がバカだからか?」
「ううん。あんたが傲慢すぎるからよ」
凛はこっちを向いた。その目に怯えは一切なかった。
「あんたはずっと、弱者は虫ケラだ、見る価値もないって思ってる」
「でもさ、ライオンがずっと上向いて歩いてたら、足元の毒蛇に噛まれて死ぬのよ」
「……」
言い返したかった。黙れと言いたかった。
だが言葉の一つ一つが、釘みたいに俺の芯に刺さった。
「それに」
凛は俺の隣の空っぽの空間を指差した。
「今の自分を見てみなよ。トラブった時、あんたのために声上げてくれる人、一人もいないじゃん」
「それが強さだと思ってんの?」
「違うよ。それはただの孤独って言うの」
孤独。
その単語がハンマーになって、俺の最後の殻を叩き割った。
「本当の強者ってのはね……」
凛は立ち上がり、スカートを払った。
「ウチの兄貴みたいにさ、あんたがバカだと分かってても、面倒事に巻き込まれると分かってても、『あんたが無様に死ぬのが見たくない』って理由で前に出れる人のことよ」
「あと、あんた自身みたいに……猫に嫌われてるのに、それでもソーセージ買ってやれるような奴のことかもね」
あいつは行った。
俺一人を風の中に残して。
直後、同じ学校の知らねえガキが、わけの分からねえ顔で財布を差し出してくるまでは。
【結末:グラウンドの懺悔】
あの日の夕方。
草むらから出て、血まみれの佐藤と、俺のために自ら頭を割った霜月を見た時。
ようやく分かった。
俺の負けだ。
佐藤の執念に負けた。霜月の覚悟に負けた。
そして何より、「裏切りの影」に怯えて生きてきた自分自身に負けたんだ。
だから謝った。
だから佐藤に「ありがとう」と言った。
あれは綺麗事じゃねえ。
俺をここまで追い詰めた敵への、遅すぎる敬意だ。
あいつは証明した。弱者にも牙はあると。
俺の信条が間違ってたことを証明した。
あいつは謝罪を拒絶した。俺を一生恨むと呪った。
だが、それでもいい。
誰かの恨みを背負って生きる。
自分の弱さを認めて、仲間の力を借りて立つ。
たぶんそれが、ただ拳を振り回すことより……
よっぽど男らしい生き方なんだろうな。
(番外編:鬼道視点 完)




