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【完結】読心術と物理法則で、青春の嘘を完全論破する ~空気を読まない怪物が、仮面の聖女を「論理的」に救うまで~  作者: こころよみ
『「みんな」に飲み込まれた真実』

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許されざる呪い

 事件発生から一週間。


 「グラウンド流血事件」の処分結果は、僕の予想より早く、そして学校側の事なかれ主義(スタンダード)に則ったものだった。


 佐藤雄大は「過度の精神的ストレスによる突発的な過剰行動」と判定された。

 悪質ではあるが、第三者に実質的な身体的危害を加えていない(自分を傷つけただけ)点、および当事者である鬼道と僕が強い処罰感情を示さなかった点が考慮された。


 結果、佐藤は退学ではなく、「無期限の停学処分およびカウンセリングの受診勧告」という処分に落ち着いた。


 一方、全ての嫌疑が晴れた鬼道は、翌日から大手を振って登校してきた。

 生徒たちの視線にはまだ恐怖が残っているが、かつてのような「軽蔑」の成分は消滅し、代わりに奇妙な敬畏の念が混じり始めている。


 学校の「空気」は、再び流動を取り戻した。

 僕らに関する噂は、通過した台風のように、過ぎ去った後は新たなゴシップによって急速に上書きされていった。

 人間の忘却曲線は、実に効率的なシステムクリーナーだ。


 ……


 放課後。気象観測部。


「……おい、甘すぎだろ」


 不平の声が静寂を破った。

 鬼道蓮は長机の縁に腰掛け(彼はこの位置が気に入ったらしい)、物理公式マグカップを片手に眉をひそめていた。


「テメェ、このコーヒーに砂糖一缶ぶち込んだのか?」


「え? だって鬼道先輩、こないだ『苦くて吐きそうだ』って言ってたじゃないですか」


 向かいに座る星野千夏は、ペン回しをしながら反論した。以前のように鬼道を前にして震える様子は微塵もない。

 彼女は頬を膨らませて言い返した。


「だから角砂糖三個とミルクダブルにしといたんです! 特製ですよ!」


「ケッ。甘いのが好きとも言ってねえよ」


 鬼道は悪態をつきながらも、そのシロップのような液体を一気に煽った。


「ま、飲めなくはねえな」


 僕は百葉箱の傍らで、その光景を眺めていた。


【観測ログ更新】

【サンプルA(千夏)状態:特定高脅威対象(鬼道)に対する免疫抗体の生成を確認。】


 千夏はもう鬼道を恐れていない。

 あの日、夕陽の中で彼が頭を下げた瞬間を見たからだろう。この凶悪に見える猛獣が、誰よりも不器用な原則(ルール)を持っていることを理解したのだ。


「そういえば」


 僕は記録帳を閉じ、鬼道を見た。


「佐藤の処分の件だ。もしお前が『証拠偽造』と『名誉毀損』を徹底的に追及していれば、彼が退学になる確率は100%だった。なぜ手心を加えた?」


 それは僕が抱いていた論理的な疑問だった。

 鬼道の性格上、売られた喧嘩は倍にして買うのが常態(ノーマル)のはずだ。


「……あ?」


 鬼道は頭をかき、窓の外へ視線を逸らした。


「そりゃあ……めんどくせえからだよ」


「嘘だな」僕は指摘した。「お前の行動モデルと合致しない」


「チッ……うぜえ奴だな」


 鬼道はため息をつき、少し真面目な顔になった。

 彼は自分の手首にある、古い傷跡を見つめた。


「退学にすんのは簡単だ。だがそうすりゃ、あいつは自分を『被害者』だと思い込む。学校や権力に追い出された悲劇の主人公にな」


 鬼道は低く言った。


「そうなれば、あいつの恨みは安っぽくなる」


「俺はあいつをこの学校に残す。毎日俺を見させて、毎日『復讐に失敗した』という影の中で生きさせてやるんだ」


 鬼道は拳を握り、自嘲気味に笑った。


「それに……俺にもあいつが必要だ」


「必要?」千夏が驚いて聞いた。


「ああ。あいつの呪いは、俺にとって最高の『警報機(アラーム)』だ」


 鬼道は自分の頭を指差した。


「あいつが俺を恨んでる限り、俺を狙ってる限り、俺は絶対にミスれねえ。二度と傲慢になれねえ」


「あいつは……俺が自分自身に刻んだ『傷痕』なんだよ」


 室内に短い沈黙が降りた。

 千夏は鬼道を見つめ、その瞳には複雑な色が宿っていた。この「不良」という男を再評価しているようだった。


「……重たい生き方だな」


 僕は評した。


「他人の憎悪を背負って生きるなど、精神力を浪費するだけの非効率な生存戦略だ」


「ハンッ、強者の余裕ってやつよ」


 鬼道は机から飛び降り、いつもの不遜さを取り戻した。


「どうせまた小細工してくりゃ、何度でも踏み潰してやるだけだ。何百回でもな」


 彼は鞄を背負い、ドアへと向かった。


「行くわ。凛の奴が今日、『感謝のプリン』とか奢るってうるせえんだよ……ったく、借りがあるのはあいつの方だろ?」


「凛?」


 僕は虚を突かれた。


「いつの間にそんなに仲良くなったんだ?」


「誰があの暴力女と仲良しだ! たまたま方向が一緒なだけだ!」


 鬼道は顔を赤くし、ドアノブに手をかけたが、そこで動きを止めた。

 何か不快なことを思い出したように、すぐにはドアを開けず、千夏を一瞥し、最後に僕を見た。


「そうだ霜月。もう一個あったわ」


 彼の声は少し低くなり、先ほどの照れ隠しは消え、不良特有の深刻さを帯びていた。


「なんだ?」


「昨日の帰り道、昔俺の下についてた一年のガキが、校舎裏で下級生の女子とコソコソ話してんのを見かけたんだ」


 鬼道は眉をひそめ、そういった隠微な行為への嫌悪を露わにした。


「軽くシメて吐かせたんだが、その女子から金もらって、放課後星野を『囲む』ように依頼されたらしい」


「……え?」


 千夏がカップを片付けようとしていた手を止め、スプーンがカチャンと音を立てた。

 彼女の顔色がさっと青ざめる。


「囲む……私を?」


「ああ。『裏切りの代償』を教えてやる、とか言われたそうだ」


 鬼道は冷ややかに鼻を鳴らした。


「くだらねえ遊びだ。そのガキには釘刺しといたから、もう手出しはしねえだろうが……」


 彼は千夏を見た。その目に嘲りはなく、警告の色があった。


「お前を狙ってるのは一人じゃねえぞ。その手の陰湿な女のグループってのは、俺が思ってるより厄介だ。気をつけろ、一人になるなよ」


 言い残し、彼は迷わずドアを開け、大股で去っていった。


 鉄扉が閉まる。

 和やかだった空気に、最後の一言が再び影を落とした。


「……裏切りの代償、か」


 千夏は低く呟き、スカートの裾を握りしめた。

 彼女たちに迎合するのをやめ、避難場所を見つけたとしても、過去の人間関係はそう簡単には切れない。それらはより深い悪意となって、死角に潜んでいる。


「心配するな」僕は立ち上がり、彼女のそばへ行った。「鬼道の抑止力は有効だ。それに、ここは気象観測部だ」


「……うん」


 千夏は顔を上げ、不安は残るものの、無理に笑ってみせた。

「大丈夫。私、もう昔みたいに泣いてるだけの私じゃないから」


 特別教室棟を出る。

 廊下の掲示板には、真新しいポスターが貼られていた。


 【二学年林間合宿まであと7日】


 これはスケジュールの次の「強制イベント」だ。住み慣れた都市を離れ、深山で数日間の集団生活を送らなければならない。


 秋風が吹き抜け、晩特有の冷気と共に、ある種の胸騒ぎを運んできた。

 嵐は去った。

 だが、新たな積乱雲が地平線に集まりつつある。


 佐藤は闇で牙を研ぎ、鬼道は呪いを背負い、凛は自立を模索し、千夏は仮面を外そうとしている。


 そして全てを観測する僕もまた。

 いつの間にか「観客席」から転げ落ち、「舞台」の中央へと引きずり出されているようだ。


「ねえ、霜月くん」


 千夏が隣を歩きながら、同じポスターを見つめ、無意識に手首のプラスチックのブレスレットを撫でた。

 その声には期待と、そして来るべき責務への微かな緊張が混じっていた。


「来週は林間学校だね」


「私、実行委員だから班決めとかしおり作りとかあるんだけど……玲奈たちには『勝手にやって』って言われたけど、でも頑張って、みんなが楽しめるようにしたいな」


 彼女は振り返り、僕にいつもの温かな笑顔を向けた。


「あのさ……山に行って、もし自由時間があったら……一緒に星、見れるかな?」


 僕は0.5秒思考した。

 その希望に満ちた瞳を見て。


「気象条件が許し、かつ観測ロジックに合致するならな」


「えへへ、それってOKってことだよね!」


 千夏は嬉しそうに笑い、足取りを軽くした。


 僕は否定しなかった。

 面倒だ。うるさい。

 だが、この不快ではない日常は、もう少しだけ続きそうだ。


 ――その全てを押し流す、「悪意」の泥流が再び訪れるまでは。

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