泥流のごとき「みんな」と、血塗れの論理
僕の推理は精密無比だった。
物理法則は嘘をつかない。
検死解剖的な傷痕分析も間違えようがない。
理性的な弁論の場であれば、佐藤はすでに敗北している。
だが。
佐藤雄大は狼狽して弁解することも、似非科学で僕の物理学に反論することもしなかった。
一瞬の硬直の後、彼はあらゆる論理を無効化する挙動に出た――
彼は僕を無視したのだ。
彼は猛然と顔を背け、その血肉に塗れた、同情を誘う顔面を、すでに感情の爆発寸前にある周囲の生徒たちへと向けた。
「うっ……ううっ……」
涙が鮮血と混ざり合い、再び噴き出した。
「ひどすぎるよ……」
彼は泣き叫んだ。悲痛極まりない、虐げられた子供のような声で。
「俺は……俺はただ、【みんな】のお金を守りたかっただけなのに!」
「俺の金じゃない! あれは【みんな】が必死に貯めた、卒業のための積立金なんだぞ!」
彼は地面を拳で叩き、爪を土に食い込ませた。
「みんなの金を守るために、こんなに殴られて……死ぬ思いまでしたのに……」
「なのにこいつは……霜月理人! お前は俺を慰めるどころか、そんな冷たい屁理屈で俺を責めるのか!?」
彼はビシッと僕を指差した。指先が震えている。
「分かったよ……お前がそこまで必死に鬼道を庇うのは、最初からグルだったからだろ?」
「あの数十万……鬼道が奪った後、お前も山分けしてもらったんだろ!? あぁ!?」
ドッ――
今度こそ、空気は凝固ではなく、完全に沸騰した。
佐藤の言葉には、二つの単語が猛毒のフックとなって潜んでおり、それが全員の神経を死ぬ気で釣り上げた。
「みんな」。そして「山分け」。
彼は「僕と鬼道」の個人的な因縁を、「僕らと全校生徒」という階級闘争へと巧みにすり替えたのだ。
彼はもはや一人で戦っていない。自らを「集団利益」の化身へと昇華させた。
「クズ野郎!」
「金返せよ!」
「山分けとかふざけんな! 泥棒!」
「出てけ! この学校から消えろ!」
単なる野次馬だった生徒たちが、今や怒れる暴徒へと変貌した。
無数の罵倒、糾弾、唾棄が、「正義」という名の泥流となって合流し、圧倒的な質量で僕に押し寄せてくる。
論理? 証拠? 物理法則?
「みんなの怒り」の前では、それらは紙屑同然の脆さだ。
理人(裏):
『……なるほど。』
『これが「空気」の完全体か。』
僕は周囲の充血した目を見渡した。
彼らは真実などどうでもいい。
彼らはただ排出口を求めている。道徳的高みから思う存分攻撃できるサンドバッグを欲しているだけだ。
そして今、血まみれの佐藤は「聖人」であり、僕は「悪魔」だ。
僕が何を言おうと、この泥流に飲み込まれる。
たとえ動画証拠を出したとしても、「合成だ」と一蹴されるだろう。
この舞台において、「正しさ」に発言権はない。「弱者」にしか語る資格はないのだ。
佐藤は地面に突っ伏したまま、指の隙間から僕を見ていた。
その血糊の下に、僕は彼の底知れぬ、陰湿な嘲笑を見た。
『どうだ? 霜月理人。』
『お前の論理はどうした? 推理はどうした?』
『「みんな」の声の前じゃ、お前なんて無力なんだよ。』
確かに。
普通の相手なら、理の通じる討論なら、僕の勝ちだった。
だが彼は盤面そのものをひっくり返した。
僕は周囲を見た。今にも飛びかかってきて、僕に対し「正義のリンチ」を行いそうな男子生徒たちが蠢いている。
このままでは、反撃どころか、ここに立っている資格さえ剥奪される。
この泥流を止めたい。
彼らの沸騰した脳味噌を冷却したい。
「発言権」を取り戻したい。
唯一の方法は、佐藤と同等の存在になることだ。
「弱者」だけが通用する通貨だと言うなら。
「鮮血」だけが唯一の通行手形だと言うなら。
「……なら、望み通りにしてやる」
僕は深く息を吸い、決断した。
そして、右の拳を強く握りしめた。
その動作は大きく、明確な攻撃性を帯びていた。
周囲の生徒がギョッとして、反射的に一歩下がった。
「な、殴る気だ!」
「取り押さえろ!」
佐藤はさらに大げさにのけぞり、金切り声を上げた。「助けて! 口封じされる――」
しかし。
僕の拳は、誰にも向かわなかった。
数百の瞳が注視する中で。
僕は右腕を大きく振りかぶり、全身の力を指の関節に収束させた。
そして、一切の躊躇なく、僕自身の額へ――佐藤が怪我をしているのと全く同じ位置へ――
渾身の力で、叩き込んだ。
ゴガンッ!!
歯が浮くような、鈍く重い音が響いた。
骨と骨が硬度を競い合った音だ。
雷に打たれたような激痛が脳を貫き、視界が一瞬暗転し、火花が散った。
生暖かい液体が眉骨から溢れ出し、目尻を滑り落ち、視界を赤く染め上げる。
ポタッ。
鮮血が芝生の上に落ちた。佐藤の血だまりのすぐ横に。
死寂。
先ほどまで沸騰したやかんのように喧しかったグラウンドが、この一瞬、ミュートボタンを押されたかのように静まり返った。
罵倒していた生徒たちは口を開けたまま固まり、その表情は恐怖と困惑の狭間で凍結した。
突進しようとしていた体育教師も、その場で硬直した。
そして地上の佐藤。彼の「被害者」の仮面がついに割れた。
彼は残った片目を見開き、血まみれになりながらも無表情で立ち尽くす僕を見て、その瞳に初めて本物の恐怖を宿した。
佐藤(裏):
『……イカれてる。』
『こいつ……本物の狂人だ。』
『何してんだ? 何してんだよコイツ!?』
僕は額の激しい脈動痛を無視し、目に入り込む血を拭いもしなかった。
ただそこに立ち、鮮血が顔の半分を染めるに任せた。
そして、呆然とする衆人を見渡し、依然として平坦で、冷静で、どこか嘲りさえ含んだ声で告げた。
「よく見えたか?」
僕は自分の傷口を指差し、次に地上の佐藤を指差した。
「これほど『悲惨な被害者』の現場を作り出すのに必要なのは、0.5秒の決断と、わずかな痛覚神経の犠牲だけだ」
「今、僕も流血した。僕の傷の位置も、深度も、彼と同じだ」
僕は一歩踏み出した。
佐藤は恐怖のあまり、手足をばたつかせて後ずさった。
「君たちのさっきのロジックに従えば」
僕は周囲を見渡した。視線が合った全員が、無意識に目を逸らす。
「今の僕は、彼より痛く、彼より狂っていて、彼より被害者らしくは見えないか?」
「ならば、僕も正義を代表しているか?」
「これで僕にも……ようやく発言する資格ができたか?」




