奇妙な「川」の字と、壊されていた鍵 ~恐怖と欲情に挟まれて、俺は眠れない~
「さて、宿泊問題の検討だ」
僕は髪を拭きながら、ソファで気まずそうにしている二人を見下ろし、寝室を指差した。
「ここにはセミダブルベッドが一つしかない。リソースは有限だ」
僕は押し入れから予備の布団一式を取り出し、リビングの床に敷いた。
「プランは明確だ。君たち二人が寝室のベッドを使う。僕はリビングで雑魚寝する」
これは社会通念と接客マナーに基づく基本解だ。
「ダメです!」未央が即座に立ち上がり、激しく手を振った。
「私がご迷惑をおかけしたのに、家主さんのベッドを奪うなんて……失礼すぎます! 私が床で寝ます! ここの床、すごく……寝心地良さそうですし!」
「客人を床で寝かせるのは、この家の接客プロトコルに違反する」僕は無表情で却下した。
「それに現在のジェンダー構成(男1女2)において、唯一の男性がベッドを占有し、女性を床に追いやる行為は、社会的評価システムにおいて『クズ』と判定される。兄としての最低限の評判維持のため、協力してくれ」
「で、でもぉ……」未央がモジモジする。
膠着状態を見かねたのか、ソファの凛が足をぶらぶらさせながら、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「そんなに面倒ならさ、みんなで寝ちゃえばよくない?」
「「一緒に?」」
二つの声が重なった。
未央の声は甲高く、パニックと恥じらいに満ちていた。『ええええ!?』
僕の声は平坦で、新提案のパラメータ評価を行っていた。『……一緒に、か』
「ほら」凛は寝室を指差した。「あのベッド、折りたたんで収納できるタイプでしょ? ベッドを壁に寄せちゃえば、布団三枚敷くスペースくらいあるじゃん」
未央は顔を真っ赤にして狼狽している。「す、スペースの問題じゃなくて! あの……男女が……」
「確かに」
僕は未央の混乱を遮り、顎を撫でて高速演算を行った。
「ベッドを収納すれば、空間利用率は40%向上する。そうすれば、誰かが寒いリビングで寝る必要はなくなり、三人とも空調の効いた寝室で同等の睡眠環境を確保できる」
「熱量維持効率とリソース配分の公平性から見て、それが最適解だ」
「……え?」未央が「この人本気?」という顔をした。
「プランBを実行する」
僕は未央の困惑を無視し、寝室へ直行した。
慣れた手つきでロックを外し、セミダブルベッドを折りたたんで壁際へ寄せ、広々とした床スペースを確保する。
そして押し入れからさらに二組の布団(ソファクッションを流用した簡易寝具含む)を取り出し、並べて敷いた。
三分後。
三つの枕が一列に並んだ。
狭い寝室は瞬時に、アットホームな(窮屈な)雑魚寝スペースへと変貌した。
「よし、配置決定だ」
僕は真ん中の布団を指差した。
「セキュリティ・ロジックに基づき、凛が真ん中だ。未央が左、僕が右」
僕は当然のように分析した。
「凛は僕ら二人の共通接続点だ。中央に配置することで緩衝地帯として機能させ、僕と未央という『他人同士の異性』による不必要な身体接触を最小化できる」
「うん、理にかなってる」凛は頷き、枕を抱えて中央へ向かった。「じゃあ私がしぶしぶサンドイッチの具になってあげましょうかね」
未央は横で、凛に割り当てられた「特等席」を見つめ、瞳の奥に隠しきれない興奮を滲ませていた。
未央(裏):
『へへ……凛ちゃんが真ん中。』
『なら、どさくさに紛れて抱きつけるかも……悪夢見たフリして胸に飛び込んじゃったり……』
『凛ちゃんの隣で、寝息聞きながら眠れるなんて、私幸せすぎて死ぬかも。』
『ぐふふふふ……』
彼女は頬を染め、もじもじしながら左端へ行こうとした。
しかし。
凛が真ん中の布団に足をかけた瞬間、その動きがピタリと止まった。
待てよ。
脳裏に、先ほどの浴室での記憶がフラッシュバックする。
潤んだ瞳で自分を見つめる未央。そして、屋上での「凛ちゃんを食べちゃいたい」という発言。
凛の背筋に電流が走った。
凛(裏):
『……ちょっと待って。』
『こいつ……ガチだ。』
『普通の友達になるって言ってたけど、さっきまで私のために心中しようとしてたヤツよ!?』
『隣で寝かせたら……夜中に「ついムラムラして」夜這いかけてくるんじゃ?』
『てかさっきお風呂で……私の胸ばっか見てなかった!?』
冷や汗。
大量の冷や汗が凛のパジャマを濡らした。
彼女は突然気づいてしまった。さっき一緒に入浴したのは「狼を羊小屋に招き入れた」ようなものであり、あまつさえ今、自ら狼の口元に肉を差し出そうとしていることに。
今の未央にとって、「同衾」ほど危険な誘惑はない!
危機感が倫理観を瞬時に凌駕した。
「――いや! 待った!」
凛はバネ仕掛けのように飛び退いた。毛を逆立てた猫のように。
彼女は右側へ行こうとしていた僕の襟首を鷲掴みにし、火事場の馬鹿力で、強引に中央の布団へと引きずり込んだ。
「兄さん! あんたが真ん中!」
「……は?」僕はよろめき、呆然と彼女を見た。
「非論理的だ。僕は男、お前は女だ。未央とお前の間に異性を配置するのは、リスク評価において……」
「黙れ! これが論理だ!」
凛は正義漢ぶった口調で遮ったが、その声は微かに震えていた。
彼女は素早く最左翼(未央から最も遠い位置)の布団に潜り込み、蓑虫のように布団をかぶり、警戒心に満ちた目だけを露出させた。
「あんたは兄でしょ! 妹の貞そ……いや、妹の安全を守るのは兄の義務!」
「あんたが壁になんなさい! あらゆる邪念を遮断する嘆きの壁に! 分かった!?」
「……?」
なぜ彼女が突然未央を「邪念の源」と認定したのか理解不能だが、観測者として、彼女の心声にあるリアルな恐怖だけは鮮明に読み取れた。
それは「捕食される」ことへの本能的恐怖だ。
僕は反対側の未央を見た。
彼女は中央に押しやられた僕を見つめ、次に遥か彼方の凛を見つめ、恥じらいの表情が瞬時に凝固し、あからさまな落胆へと変わっていた。
未央(裏):
『……チッ。』
『お兄さんが真ん中かよ……』
『邪魔。壁。凛ちゃんの寝顔、全然見えないじゃん。』
『理系男子の石鹸の匂いしかしないし。』
「……実に不人気だな」
僕はため息をつき、この「肉壁」としての運命を受け入れた。
「双方に異議なし(一方は不満だが)と認め、プランCを実行する」
電気を消した。
「おやすみ」
闇が降りる。
左側には、蓑虫状態で震え、「浴室の記憶」に怯える妹。
右側には、無念さを背中から漂わせ、僕に怨嗟の念を送るヤンデレ少女。
その間に挟まれた僕は、両側の全く異なる心拍音を聞きながら、天井を見つめていた。
【睡眠ログ更新】
【現在状態:「恐怖」と「欲望」の狭間に位置。】
【予測睡眠品質:最低。】
奇妙な配置であり、空気は気まずさと微妙さに満ちていたが、この瞬間、この狭い部屋は確かに、傷だらけの三人が安心して身を寄せ合える唯一の場所だった。
意識が薄れていく。
バックグラウンド処理を強制終了し、スリープモードへ移行しようとした、その時だった。
左側の布団から、凛が声を潜めた、どこか不思議そうな問いかけを発した。
「……ねえ、未央。起きてる?」
「ん……なに、凛ちゃん?」右側から、未央の少し眠そうな声が返る。
「さっき屋上で聞きそびれたんだけどさ」
凛が寝返りを打ち、天井を向いた。
「あの鉄のドアの南京錠……どうやって壊したの? 錆びてたけど、結構頑丈だったでしょ? あんた握力ないのに、何で叩き壊したの?」
闇の中、未央の寝息と、あまりにあっけらかんとした答えが聞こえた。
「え? 私、壊してないよ」
未央の声は小さかったが、静寂な部屋にはっきりと響いた。
「私が行った時には、もう鍵が切られてて、床に落ちてたの」
「ドア、半開きだったし。だから入ったんだよ」
「……は? 切られてた?」
凛は虚を突かれ、何か言おうとしたが、睡魔に勝てなかったらしい。
「……まあいいや、用務員さんが交換し忘れたのかな……おやすみ、未央」
「おやすみ、凛ちゃん」
二人の少女の寝息が、規則的なリズムを刻み始めた。
だが、僕の弛緩しかけていた神経は、一瞬で張り詰めた。
切断されていた?
屋上へ駆け上がった時の感触を再生する。
確かに鍵はかかっていなかった。
そして床に転がっていた南京錠の断面は鋭利で、明らかにボルトクリッパーのような強力な工具で切断されていた。
用務員なら、壊れた鍵を放置するはずがない。
鬼道のような不良なら、ドアごと蹴り破るはずで、わざわざ工具など使わない。
結論:未央が屋上に到達する前に、別の誰かがそこにいた。
その人物は専門的な工具を携行し、鍵を破壊し、あの無人の高所に潜伏していた。
未央の予期せぬ侵入が、その人物の計画を狂わせたのだ。
もし……もし僕が、未央より十分早く到着していたなら。
闇に潜む、陰湿な悪意の声を聞いていたかもしれない。
『……チッ。』
『なんだよ、誰か来やがった……』
『ついてねえな。ま、今日は撤収するか。』
『また次だな……』
窓の外の雨は降り続き、全ての痕跡を覆い隠していく。
僕は目を閉じた。
「未知」という名の寒気を覚えながら、ようやく浅く不安定な眠りへと落ちていった。
【第二巻・完】
これにて、第2巻「共依存のトライアングル」編は完結です。
凛と未央の歪な関係は、雨と共に洗い流されました。 しかし、平和な結末の裏で、「壊された錠前」という不気味な事実が浮上しました。
未央が来るよりも前に、誰があの屋上にいたのか?
★今日からは「冬休み爆更キャンペーン」として、【毎日最低2話更新】を行います!★
今日から始まる【第3巻】では、 今回ラストで示唆された「見えない第三者」の正体、そして学校全体を覆う「姿なき悪意」に、理人が挑みます。
個人の悩みから、組織的な謎へ。物語は加速します。
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それでは、今日(20:10)。 第3巻でお会いしましょう!




