兄は時々バグる自動販売機 ~冷徹なロボットが、お風呂とパジャマを用意する理由~
マンションに戻った時、私たちは三人とも水死体のようにびしょ濡れだった。
玄関の床には瞬く間に水溜まりができた。
「入れ」
僕は靴箱から二足の客用スリッパを取り出した(一足は両親用だが)。
「給湯器のスイッチは入れてある。即座に濡れた服を脱げ。さもないと風邪を引く確率は100%だ」
「じゃあお言葉に甘えて!」
凛は遠慮のかけらもなく、まだ呆然としている未央の背中を押し、脱衣所へと向かった。
「行くよ未央! 風呂風呂! 泥も不運も全部洗い流そ!」
「え? で、でも……霜月先輩がまだ……」未央が僕を気にして振り返った。
「僕の体脂肪率と免疫力は君たちより高く、耐寒性に優れている」
僕は無表情でデータを示した。
「よって君たちが先に入浴するのが、全体の発症リスクを最小化する最適解だ」
……
【浴室視点(凛)】
ジャーーー。
熱いシャワーが身体を打ち、冷たい雨水と泥を洗い流していく。そして、身体の芯に残っていた最後の恐怖も溶かしていく。
狭い浴室は白い湯気で満たされた。
未央は風呂椅子に座り、膝を抱え、私が背中を流すのに任せている。
真っ白な肌には、先ほどの手すりでついた無数の細かい擦り傷があった。
「……まだ震えてる?」と私は聞いた。
「うん……ちょっとだけ」
未央の声は籠もっていた。
「あのね……凛ちゃん。凛ちゃんのお兄さん……ちょっと怖い」
「さっき屋上で怒鳴られた時……目が本当に人殺しみたいで。思い出しただけで足がすくむ」
「あはは、あれね」
私は笑い、シャンプーの泡を彼女の頭に乗せ、ソフトクリームのような形を作って遊んだ。
「騙されちゃダメだよ。あいつはただの虚勢張った張り子の虎だから」
「口は悪いし、目つきも凶悪だし、すぐ『効率』だの『論理』だの言うけどさ……要するに、素直じゃないだけのバカなのよ」
「バカ……なの?」
「そうよ。本当に冷血なロボットなら、あんたをあそこに置き去りにしてるって」
私はシャワーで泡を流した。
「あいつ、あんな風に見えて、実は……意外と世話焼きなのよ。たまにバグる自動販売機だと思えばいいわ。蹴っ飛ばせば当たりが出るタイプのね」
「ぷっ……」未央がついに吹き出した。
「お兄さんを自販機扱いって……凛ちゃんひどい」
彼女は湯気の中で振り返った。頬は上気して赤い。
「でも……うん。本当は優しい人なのかもね」
……
【リビング視点(理人)】
三十分後。
浴室のドアが開き、ボディソープの香りと共に、二匹の「蒸し上がった」生物が出てきた。
「ふーっ、生き返った!」
凛は髪をタオルで拭きながら、大股で歩いてくる。
着替えは二着用意した。凛が着ているのは以前置いていったジャージ。そして未央には……僕が中学時代に着ていたTシャツと短パンしかない。
それは無地のグレーのTシャツだが、小柄な未央が着るとサイズが大きすぎた。襟元が緩く鎖骨が露出し、裾は太ももまで隠している。まるで彼氏の服を借りた彼女(彼シャツ)のような、あるいは大人の服を盗み着た子供のような見た目だ。
「あの……お邪魔してます」
未央は恥ずかしそうに裾を引っ張り、顔を赤くした。
凛の「洗脳」が効いたのか、僕を見る目はまだ少し怖がってはいるものの、以前のような敵意は消えていた。
「サイズが合わなければクリップで留めろ」
僕は視線を逸らし、着替えを持って浴室へ向かった。
「僕も入る。ドライヤーは棚の中だ」
……
僕が入浴を終えて出てくると、リビングの空気は微妙なものになっていた。
凛と未央はソファに座り、髪を乾かしていた。
「……どうした?」
未央は顔を熟したトマトのように赤くし、膝に顔を埋めていた。
一方の凛は、気まずそうに頭を掻き、視線を泳がせている。
「あー……その、兄さん」
凛は乾いた笑い声を上げた。
「なんていうか……さっき話してて、コイツがあの屋上で叫んだ『告白』を思い出させちゃってさ。今、羞恥心で死にかけてるところ」
「うううう……言わないで凛ちゃん!」
未央が悲鳴を上げた。
「あの時は頭おかしかったの……あんな恥ずかしいこと……『永遠の愛』とか……あああもう死にたい……」
「死ぬなよ! せっかく救助したのに!」
凛がツッコミを入れた。
だが、その話題が出たついでに……凛は表情を引き締め、少し真面目な顔になった。
彼女は手を伸ばし、身悶えする未央の肩を掴んで止めた。
「未央」
「話が出たついでに、一度ハッキリ返事しとく」
未央の身体が強張り、ゆっくりと顔を上げた。
「これまでプレゼント攻撃したり、死ぬとか言ったり、正直プレッシャー半端なかったけど……」
凛は頬をポリポリと掻き、直球を投げ込んだ。
「その『恋愛』的な意味での好きに関しては……ごめん、無理」
「私、男が好きなの。女子にそういう興味はない。だから、そういう意味での『独占』なら、絶対に応えられない」
これは恐らく、凛の人生で最も明白かつ直接的な拒絶だろう。
以前の未央なら、その場で発狂していたかもしれない。
だが、今は。
未央は一瞬きょとんとし、瞳の光が一度だけ揺らいだが、消えることはなかった。
「……知ってる」
彼女は苦笑した。その瞳は、以前よりずっと澄んでいた。
「本当はずっと分かってた……凛ちゃんが男子バスケ部のイケメン見てる時、目キラキラさせてるもん」
「うっさい! あれはスポーツの美を鑑賞してるだけ!」
「……『友達』でいてくれるなら、それでいい」
未央は小さく言った。少し寂しそうだが、あの病的な執着は雨と共に洗い流されたようだ。
「頑張るよ……凛ちゃんを、普通の友達として見れるように。たぶん」
「たぶんってなによ……」
その時、僕が髪を拭きながらリビングに入った。
未央が無意識に顔を上げ、僕と視線がかち合った。
未央(裏):
『……あっ。』
『髪下ろしてると……意外とカッコいい?』
『それに鎖骨が……』
『違う違う! こいつは敵! 敵だよ私!』
彼女は感電したようにバッと目を逸らし、さらに顔を赤くした。
僕は眉をひそめた。
今の一瞬、彼女の心拍数が15%上昇した。
恐怖によるものか? それとも入浴による熱の残留か?
データ不足。判定不能。
【あとがき:嵐のち、新たなフラグ?】
作者「お風呂回、そして禁断の『彼シャツ(中学ジャージ)』……! 殺伐とした屋上から一転、急にラブコメの波動が!」
霜月「非論理的だ。濡れた衣服の代替として、サイズ不適合な古着を提供したに過ぎない。 ……それより、未央の最後の心拍数上昇。あれは湯あたりによる一時的な循環器系のエラーか? それとも恐怖か?」
作者「(本当にこの主人公は……) 凛ちゃんには振られましたが、未央ちゃんの視線が『兄』に向いたような……? この『新たなバグ』がどう育つのか、楽しみです。
さて、ここで【重要なお知らせ】です。
長かったこの第2巻も、【次回の更新で完結】となります!
凛、未央、そして理人。 不器用な三人が迎える、第2巻のラストシーン。 ぜひ最後まで見届けてください!
次回、第2巻・最終話。
★今日からは「冬休み爆更キャンペーン」として、【毎日最低2話更新】を行います!★」




