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【完結】読心術と物理法則で、青春の嘘を完全論破する ~空気を読まない怪物が、仮面の聖女を「論理的」に救うまで~  作者: こころよみ
『嘘(くうき)』だらけの教室と、聖女の仮面の剥がし方

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気象観測部の「防空壕」 ~嘘をつかない空気と、マインスイーパ中毒の教師~

 午後の授業は、凝固したような気まずい空気の中で終了した。


 数学の休み時間に星野千夏へ「表情筋分析」を行って以来、僕の座席を中心とした半径三メートル以内に、絶対的な真空地帯が形成されていた。


 話しかけてくる者がいないだけでなく、視線の接触さえも減少した。


 もっとも、物理的な視線は減ったが、「心の声」という名のデータストリームはむしろ騒がしさを増している。


『キチガイ……絶対キチガイだよ。』


『星野さんを泣かすとか、こいつ終わってる。』


『見るなよ、急に発狂したらどうすんだ。』


 僕はこれらの栄養価皆無な背景雑音バックグラウンドノイズを無視し、手早く鞄をまとめた。


 時刻は午後三時半。


 僕の両脚は、あらかじめ設定された予備プログラムに従い、渡り廊下を抜け、人混みを避け、特別棟の最上階へと僕を運んだ。


 廊下の突き当たりに、錆びついた鉄のプレートが掛かったドアがある。


 そこにはこう書かれている。【気象観測部】。


 ドアを開けると、古びた紙と、金属の酸化臭、そして安っぽいインスタントコーヒーが混ざり合った独特の匂いが鼻を突いた。


 ここは、この学校で最も標高が高く、最も人口密度の低いエリアだ。


 そして僕の「防空壕」でもある。


「……よう。腕を折ったついでに一ヶ月くらい休むかと思ってたけどな」


 部屋の奥から、気だるげな女の声がした。


 廃棄された気圧計と資料の山に隠れるようにして、黄ばんだ白衣を着た女が座っている。


 彼女は片手で頬杖をつき、口には棒付きキャンディを咥え、もう片方の手で素早くマウスをクリックしていた。


 モニターに映っているのは、「マインスイーパ」という名の古典的なゲームだ。


 佐伯涼子さえき りょうこ。物理教師。三十歳、自称・永遠の二十代。


 同時に、この廃部寸前の気象観測部の顧問でもある。


 顧問という肩書きはあるが、彼女のここでの主な仕事は、無意味な職員会議からの逃避と、僕のコーヒーをたかることだ。


 『読心』能力に目覚めてから、佐伯先生に会うのはこれが初めてだ。


 今日の経験上、人間が言葉を発する際、その脳内には不純物に満ちた「第二音声」が伴うことが多い。


 普段は怠惰に見えるこの教師も、内心では『面倒なのが戻ってきた』とか『関わりたくない』といった鋭利なノイズを隠し持っているのだろうか。


 僕は内心で、予想される衝撃に身構えた。


 佐伯先生がマウスをクリックした。口の中の飴が歯に当たり、カチリと音を立てる。


『……右下が3だから、ここは地雷。フラグ立て。』


『……こいつ、顔色真っ白だな。元々痩せてるのに、ギプスなんか吊ってると骸骨みたいだ。学食の栄養基準、また下がったんじゃないか?』


『……左クリック。セーフ。』


 悪意がない。虚偽の社交辞令もない。僕という「暴力狂」に対する恐怖さえない。


 耳に届いた心声は、二つの要素だけで構成されていた。


 八十パーセントの「マインスイーパ論理演算」と、二十パーセントの「純粋な生理学的観察」。


「ただの骨折です。観測データの記録に影響はありません」


 僕は答えながら、長く安堵の息を吐き、背手でドアを閉めた。


「そう? 無理すんなよ。ここで倒れられると、救急車呼んで報告書書かなきゃなんないし、面倒だから」


 佐伯先生は振り向かずに言った。


『……報告書、最低でも三枚は書かされる。絶対嫌だ。まあ予備の救急箱は棚にあったはずだけど、ガーゼ新調しとくべきか?』


 検証完了。


 言語と心声の合致率は極めて高い。


 口で報告書が面倒だと言い、心でも報告書が面倒だと考えている。


 口で無理をするなと言い、心では救急箱の在庫を確認している。


 あの反吐が出るような「空気を読む」粘着質感はなく、あるのは大人特有の、「面倒臭がり」と「最低限の責任感」に基づいたドライな論理だけだ。


 この部屋で、僕の聴覚神経はようやく解放された。


「ここは、僕が唯一合法的に『空気を読む』ことができる場所ですから」


 僕は隅にある長机へ行き、電気ケトルのスイッチを入れた。


 湯が沸く微かな音を聞きながら、棚から二つのマグカップを取り出す。


 一つは僕の無地の白。もう一つは、何かの物理公式がプリントされた佐伯先生専用のカップだ。


 インスタントコーヒーの粉を二匙。九〇度の湯を注ぐ。


 攪拌かくはんは不要だ。粉末はブラウン運動の作用により自然に溶解する。


 その内の一杯を、佐伯先生の手元に置いた。


 彼女は振り返らず、画面を見つめたまま、左手を伸ばして正確に取っ手を掴んだ。


『……熱っ。まあいい、カフェイン摂取は必須だ。』


 僕は自分のカップを持ち、窓際の百葉箱観測席に座った。


 すぐに記録を始めることはせず、ただ静かに窓外を眺めた。


 空気を読む(KY)。


 この国において、それは極めて重要な生存スキルとされる。


 周囲の感情の流れを感知し、全体の調和のために個人の真実を犠牲にすることが求められる。


 残念ながら、僕の脳にはそのモジュールが欠落しているらしい。


 だが、僕は「空気」そのものが嫌いなわけではない。


 分厚い積乱雲が西の空に積み重なり、元々明るかった空の色を鈍い灰色へと押しつぶしている。


 窓の外では風が少し強まり、古びたアルミサッシをカタカタと震わせていた。


 対して窓の内側では、佐伯先生のマウスが立てる乾いたクリック音と、ケトルが徐々に冷えていく金属の収縮音だけが響いている。


 十分。二十分。


 この部屋では、時間が粘り気を帯びて緩やかに流れているようだ。


 僕らの間に会話はない。


 話題を探す必要も、沈黙を埋めるための気まずい世間話も、相手が今退屈していないかを推測する必要もない。


 彼女はマインスイーパの論理マトリクスに没頭し、僕は雲の厚さの目測推定に没頭している。


 この「相互不干渉の共存」こそが、この部活の独特な生態系を形成している。


 それはまるで、異なる軌道を周回する二つの衛星のようなものだ。同じ星域にありながら、「社交事故」という名の衝突は決して起こらない。


 教室という高圧ノイズ環境を経験したばかりの僕にとって、


 この静かな時間の流れは、それ自体が最高級の精神修復メンテナンスだった。


 僕は少し冷めたコーヒーを口にした。苦味が味蕾を刺激し、脳を再起動させる。


 記録ノートを開き、今日のデータを記入し始めた。湿度78%、気圧1002ヘクトパスカル、風向南西。


「大気の空気は、決して嘘をつきません」


 ペン先の下に並ぶ数字を見つめ、僕は独りごちた。


「雨が降ると言えば、たとえ全校生徒が晴天を祈ろうとも、それは容赦なく豪雨を降らせます」


 この絶対的な客観性と、抗いようのない真実。それが、僕が気象観測を好む理由だ。


「小学三年生の頃です」


 僕は風速計の校正を行いながら、唐突に口を開いた。


 嘘や雑音のないこの空間にいるせいか、珍しく言語によって思考を整理したくなったのかもしれない。


 佐伯先生の手が止まった。椅子を回転させ、気だるげにこちらを見る。脳内の「掃海計算」もそれに合わせて減速した。


「学校で遠足がありました。その日はみんな興奮していました。テレビの天気予報が晴れだと言っていたからです」


「……」


「ですが、僕は燕が低く飛んでいるのを見ました。土が湿気る匂いを感じましたし、簡易気圧計の数値も急降下していました」


「ふうん」


「だから僕は先生に言いました。『一時間以内に強烈な対流現象が発生します。行事の中止を推奨します』と」


「で、結果は?」


 佐伯先生はガリッと飴を噛み砕いた。


「先生は僕を『縁起でもない』と言い、クラスメイトは『空気が読めない』と言いました。彼らは全てのデータを無視し、出発を強行しました」


 僕は表の最後のマスを埋めた。


「四十分後、土砂降りです。全員が濡れ鼠になり、楽しいピクニックは泥濘ぬかるみの災難へと変わりました。『楽しい』という名の主観的な空気が、物理法則によって無慈悲に粉砕された瞬間でした」


「ぷっ」


 佐伯先生が吹き出し、新しい飴の包み紙を破いた。


「その頃からあんたはそんな嫌なガキだったわけだ。可愛げのないこと」


『……可愛げはないが、間違ってもいない。真理は常に少数派にある。まあ、少数派はたいてい悲惨な死に方をするんだが。』


 僕はチラリと佐伯先生を見た。


「あの日から理解しました。人間が口にする『空気』など、主観的な思い込みと嘘に満ちた幻覚に過ぎないと。ここにある空気だけが、真実です」


 記録完了。


 僕はノートを閉じ、鞄を手に取った。


 今日の観測任務は終了だ。あとは帰宅するだけで、この長い一日を完全に終わらせることができる。


「おい、霜月」


 ドアノブに手をかけた時、不意に佐伯先生に呼び止められた。


 彼女は僕を見ず、新しく始まったゲーム画面を見つめたまま、漫然と言った。


「あんたはデータしか見ないって言うけどさ……今日の足音、いつもより〇・五デシベル重かったぞ」


「……」


「あと、さっきコーヒー淹れる時、粉が三粒こぼれてた」


 僕は動きを止めた。


 無意識にテーブルの隅、コーヒー瓶の横を見る――確かに、極めて微小な黒い粒子が散らばっていた。


「低気圧だろうが高気圧だろうが、適度にエネルギーを解放しないとな。臨界点を超えたら、どんな精密な観測機器だってパンクする」


 佐伯先生が左クリックを押す。画面上で小さな地雷の爆発エフェクトが弾けた。


「あんまり張りつめるなよ。たまにはあの馬鹿どもみたいに、雨に打たれるのも悪くない」


『……この子、以前より目が険しくなってる。学校で何かあったか? まあ、聞いても言わないだろうけど。』


「……理解不能な比喩です」


 僕はドアを開け、背中越しに言った。


「ですが、行動パターンの再校正キャリブレーションは行います。ご忠告、感謝します」


 部室を出ると、背後で鉄の扉が重々しい閉鎖音を立てた。


 僕は鞄のベルトを直し、左腕を庇う。


 正門の煩わしい人波を避けるため、旧校舎の渡り廊下を経由して帰ることにした。


 あそこは普段から人が少なく、効率の原則に叶った最適ルートだ。

本日の更新はここまでです!

一気読みにお付き合いいただき、本当にありがとうございました!


理人の避難所「気象観測部」と、顧問の佐伯先生。

役者は揃いました。


明日からは**【毎日更新】**で、理人の「論破」と千夏の「変化」を描いていきます。

(明日は 12:05 更新予定です!)


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