卑小な信徒の「復讐」 ~死をもって、あなたの記憶に永遠の傷を刻む~
「……凛ちゃん」
未央が顔を上げた。さっきまで泣いていたのが嘘のように、憑き物が落ちた顔をしていた。
彼女の声は暴風の中でも奇妙に明瞭で、しかし雨に濡れた綿のように、重く、柔らかかった。
「最初ね、私は本当に、ただ凛ちゃんに憧れてただけだったの」
彼女は自分自身を抱きしめるように腕を組み、夢見るような紅潮を頬に浮かべた。
「凛ちゃんは眩しくて、強くて。それに比べて私は、ドブの中のネズミみたいに地味で、役立たずで。凛ちゃんの後ろをついて歩けるだけで、凛ちゃんに名前を呼んでもらえるだけで、世界一幸せだなって思ってた」
彼女は上目遣いで私を見た。捨てられた小動物のような哀れさを漂わせながら、口元だけは笑っている。
「でも……だんだん、おかしいなって気づいちゃった」
「凛ちゃんは、友達が多いから」
「部活の先輩とか、隣のクラスの子とか、みんな凛ちゃんが大好きで」
「凛ちゃんはその人たちと話してる時、すっごく楽しそうに笑うの。私に向けてくれる顔より、ずっと楽しそうに」
未央は人差し指を伸ばし、虚空をなぞった。恋人の頬を撫でるような、愛おしい手つきで。
「私の中ではね、凛ちゃんは絶対の一番なの。命より大事な、一番」
「でも……凛ちゃんの中で、私は何番目?」
彼女は私を見ていた。その瞳は滴るほどに甘く、紡がれる言葉はナイフのように鋭利だった。
「十番目? 二十番目? それとも……百番目以降の『その他大勢』?」
「凛ちゃんは人気者すぎるよ」
「その光り輝く世界の中で、私みたいな人間の存在なんて……きっと道端の石ころみたいに、どうでもいいものなんだよね」
「ち、違う……」
私は反論しようとした。お前は特別だと嘘でも言おうとした。
だが未央は人差し指を唇に当て、「シーッ」という仕草をした。
「特に、あの花火大会の夜」
彼女の声はさらに優しくなった。甘いおとぎ話でも語るかのように。
「知ってる? 凛ちゃん」
「あの日を、私がどれだけ楽しみにしてたか」
彼女は手を離し、自身のレースのスカートを愛おしげに撫でた。
「凛ちゃんとの初めてのデートだったから」
「凛ちゃんに恥をかかせたくなくて、可愛くなりたくて。お母さんに頼んで、あの浴衣を買ってもらったの」
「いつも私を無視するお母さんに……床に土下座して頼んで、『金食い虫』って罵られて、ゴミを見るような目で見下されて……」
未央は目を閉じた。まるでその屈辱を反芻し、味わっているかのように。顔には聖女のような微笑みが浮かんでいた。
「でもね、全然痛くなかったよ」
「だって、我慢すればお金がもらえるから」
「お金があれば、可愛くなれる。凛ちゃんの隣に立てる」
「私を見た凛ちゃんがどんな顔をしてくれるかなって想像するだけで……もう幸せで、幸せで」
「四時間かけて着付けして、化粧も練習したの。慣れない下駄で足の皮がめくれても、全然平気だった」
彼女はカッと目を見開いた。その瞳には、私一人の姿しか映っていない。
「でも……凛ちゃんが来た」
「凛ちゃんは、Tシャツとサンダルで、あくびしながら来た」
「私を見た瞬間の凛ちゃんの目には、感動なんてなかった。あったのは……『驚き』と、『面倒くさそう』な色だけ」
「『うわ。気合入りすぎでしょ』」
未央は私の口調を真似た。その声は軽く、風に吹かれて消えそうだ。
「あの一瞬で……目が覚めたの」
彼女は小首をかしげ、言葉を探すような仕草をした。
「いい夢を見てたのに、いきなり冷水をぶっかけられたみたいに」
「あぁ……そうなんだって」
「私にとっては命懸けの『神聖な儀式』だったけど、凛ちゃんにとっては、ただの『暇つぶし』だったんだなって」
彼女は私を見ていた。
その目に恨みはない。あるのは、胸が張り裂けるような、無尽蔵の包容と憐れみだけだ。
まるで、間違ったのは私の方で、彼女はそれを優しく許してくれているかのように。
「私たちの世界……最初から、同じ高さになんてなかったんだね、凛ちゃん」
私は凍りついた。
あの日の記憶が蘇る。
私の無神経さ、私の不機嫌、私の軽率さ……。
彼女の優しい語り口によって、私の全ての行動が、彼女に対する拷問だったのだと突きつけられる。
「あの日から、私は変わったの」
未央は笑っていた。涙が音もなく滑り落ち、コンクリートの床に黒い染みを作る。
「怖かった」
「凛ちゃんがある日急に、私をつまんないって思って、捨てちゃうんじゃないかって」
「だから必死で尽くしたの。凛ちゃんが笑ってくれれば、私は生きてていいんだって思えた」
「凛ちゃんがソーダ飲みたいって言ったら、駅中のコンビニ走り回った。肺が破裂しそうで、足がもつれても、凛ちゃんが喜ぶ顔を想像すれば嬉しかった」
「凛ちゃんが遊べないって嘘をついた時も。嘘だって分かってたけど、言えなかった。だから家の前で、凛ちゃんの部屋の明かりを見てた」
「雨が冷たくて……でも動けなかった。私が動いたら、凛ちゃんに本当に捨てられちゃう気がしたから」
「翌朝、凛ちゃんが出てきて……私を見つけても、追い払わなかった時。凛ちゃんがおんぶしてくれた時」
未央の目がとろんと濁り、病的な陶酔に満ちていく。
「思ったの……ああ、よかった。凛ちゃんは私を嫌ってない。凛ちゃんはまだ、私を可哀想だと思ってくれてるって」
「凛ちゃんがくれたプレゼントもそう」
「もらった時は、天からの授かり物だと思った。だから大切に大切に使ってた」
「でも、なくしちゃった」
「ないって気づいた時、本当に空が落ちてきたかと思った。死のうと思った」
「だってあれは、凛ちゃんがくれた証明だもん! あれがなきゃ、私は本当にただのどうでもいい他人になっちゃう!」
「だから見つかった時、本当に……死ぬほど嬉しかったんだよ?」
彼女がぐらりと身を乗り出した。心臓が止まるかと思った。
「いつの間にか、私、欲張りになっちゃった」
「凛ちゃんを見てるだけじゃ足りない。凛ちゃんに守られるだけでも足りない」
「凛ちゃんの全部が欲しい」
「凛ちゃんの瞳に私だけを映したい。凛ちゃんの時間を私だけのものにしたい。凛ちゃんの一分一秒すべてで、私のことを考えててほしい」
「たとえそれが……『苦痛』だったとしても」
未央は両手を広げた。背後からの突風が、彼女の華奢な体を揺らす。
彼女は私を見ていた。その目には「献身」という名の黒い炎が燃えており、声は蜜のように甘かった。
「凛ちゃん。私はもう、私の全部をあげたよ」
「プライドも、時間も、お金も、身体も……全部あげた」
「だから……」
「凛ちゃんの人生も、私に頂戴?」
「生きて一番になれないなら……」
「私がここで死ねば……凛ちゃんは一生、絶対に、私を忘れられなくなるよね?」
彼女は笑った。
愛と、絶望と、この世界への最後の復讐が入り混じった、この上なく純粋な笑顔で。
「さあ、凛ちゃん」
「見てて」
「私だけを、見てて」
彼女は、手すりを掴んでいた手を離した。
【あとがき:究極のメモリハック】
作者「『生きて一番になれないなら、死んで永遠になる』……。未央ちゃん、その愛は重いどころか、もはや呪いの領域ですよ」
霜月「論理的には、彼女の計算は正しい。 生きた人間は時間とともに劣化し、記憶は薄れる。だが『目の前で死んだ女』は、トラウマとして脳内ストレージの特権領域に永続保存されるからな」
作者「理人くん、解説が怖いよ! ついに手を離してしまった未央。凍りつく凛。 この最悪のシナリオを覆す手はあるのでしょうか?
次回、物語はクライマックスへ。
お待たせしました、明日は【2話連続更新】(12:10 & 19:10)を実施します!」




