表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】読心術と物理法則で、青春の嘘を完全論破する ~空気を読まない怪物が、仮面の聖女を「論理的」に救うまで~  作者: こころよみ
愛は猛毒の泥沼、あるいは『優しさ』という名の絞首台

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

38/102

浴衣とTシャツの温度差

 あの日から、私の背後に小さな尻尾が生えた。


 木島未央は影のように私に張り付くようになった。

 休み時間のたびに会いに来て、放課後は一緒に帰り、トイレに行く時でさえドアの前で待っている。


 最初は、正直ウザかった。


 彼女は極度の人見知りで、私の友達に会うと貝のように口を閉ざし、私の背後に隠れて震えているだけだったからだ。

 そのたびに私は、彼女の機嫌を取るために時間を割かなければならなかった。


 でも、彼女が私に全幅の信頼を寄せ、「凛ちゃんが世界の全て」だと言わんばかりの目で私を見上げる時、私は……。


 悪い気はしなかった。


「凛ちゃんカッコいい!」

「凛ちゃんがいれば、私なにも怖くないよ」

「ずっと凛ちゃんと一緒にいたいな」


 必要とされている感覚。崇拝されている優越感。

 それは私の虚栄心を、これ以上ないほど満たしてくれた。


 あの花火大会の日までは。


 実のところ、あの日私は未央を誘うつもりなんてなかった。


 元々はクラスの友達と映画に行く約束をしていたのだが、そいつが急に風邪をひいてドタキャンになったのだ。


 ぽっかり空いた土曜の夜を見つめ、私は適当に未央へLINEを送った。


『よう。今夜暇? 駅前で花火大会あるらしいけど、行かない?』


 返信は秒で来た。


『行く!!! 絶対行く! すぐ準備するね!』


 画面越しでも伝わってくる興奮。


 当時の私は、深く考えもしなかった。

 私にとっては、せっかくの休日を無駄にしたくないだけの暇つぶし。「映画」が「花火」に、「友達」が「未央」に置き換わっただけの話だ。


 だが、それは間違いだった。


 夜の六時。

 駅前の待ち合わせ場所。


 私はいつものTシャツにデニムのショートパンツ、手にはコーラの缶を持ち、サンダル履きでふらふらと現れた。


 そして、彼女を見た。


 未央は人混みの中で、異様なほど浮いていた。


 彼女は桜の柄が入ったピンク色の高級そうな浴衣を着て、帯も完璧に結んでいた。

 髪は丁寧にアップにされ、綺麗なかんざしが挿さっている。化粧も普段より気合が入っているのが分かった。


 彼女はまるで、何か神聖な儀式に臨む姫君のように、ラフな格好の通行人たちの中でキラキラと輝いていた。


「……凛ちゃん!」


 私を見つけると、彼女の瞳がパッと輝き、小走りで駆けてきた。下駄がカランコロンと清涼な音を立てる。


 私は面食らい、無意識に自分のTシャツとサンダルを見下ろした。


「……うわ。気合入りすぎでしょ」


 私は頭を掻き、軽口を叩いた。


「ただの地元の花火大会じゃん。浴衣とか暑くない? それに下駄とか歩きにくそうだし」


 未央の笑顔が強張った。


 彼女は自分が選んだ浴衣を見下ろし、次に私の適当な格好を見て、瞳の奥に微かな落胆の色を滲ませた。


「……だって、凛ちゃんと二人で遊ぶの、初めてだから」


 彼女は袖口をギュッと握り、蚊の鳴くような声で言った。


「少し……ちゃんとした格好がいいかなって」


「そっか? まあ、好きにすればいいけど」


 あの瞬間の私は、その「ちゃんとした格好」の裏にある重さを、全く読み取れていなかった。

 ただ単に、大げさで、ちょっと面倒くさいなと思っただけだ。


「じゃ行こ。遅れると場所なくなるし」


 私は背を向けて歩き出した。


 可愛いねとも、ありがとうとも言わなかった。


 彼女の目から光が消え失せた瞬間を、私は見逃していた。


 今思えば、あれこそが、私たちの間の歯車が狂い始めた、最初の一撃(クリック音)だったのだ。


 ……


 会場に着くと、人の波で溢れかえっていた。

 賑やかな場所が好きな私にとっては、これこそがお祭りの醍醐味だ。


 だが未央にとっては、そこは地獄のようだった。


 慣れない下駄のせいで歩みは遅く、彼女は小股で私についてくるのがやっとだった。

 はぐれるのを恐れるように、私のTシャツの裾を死に物狂いで掴んでいる。


「凛ちゃん……待って……」


「もー、早くしないと焼きそば売り切れちゃうじゃん!」


 私は彼女の手を引き、人混みを強引に泳いだ。

 手を繋いでさえいれば、大丈夫だと思っていた。


 その時だった。


「あ! 凛じゃん!」


 前方から聞き覚えのある声がした。

 中学時代の遊び仲間たちだ。


「うわ! 由美(ゆみ)! 久しぶりー!」


 私は興奮して未央の手を離し、彼女たちの元へ駆け寄ってハイタッチを交わした。


「マジ奇遇! あんたたちも来てたの?」

「そーそー! 凛、相変わらずその格好ダサいんだけどウケるw」


 その瞬間。


 私は未央のことを忘れた。


 たった数分のことだったと思う。

 私は旧友との再会に浮かれ、過去の馬鹿話に花を咲かせ、腹を抱えて笑っていた。


 夜空に最初の一発が打ち上がり、轟音が響くまで。

 私は現実に引き戻された。


 ハッとして振り返る。


「おい未央、始まったぞ……あれ?」


 背後には黒い人の波。深海のように流動している。


 あのピンク色の姿は、どこにもない。


「……未央?」


 恐怖が、じわりと背筋を這い上がってきた。


 「友達とはぐれた」という感覚ではない。

 「隣の家の飼い猫を逃がしてしまった」時のような、自力では生存不可能な生物を放り出してしまったという、純粋な焦燥感。


 三十分後。


 私は河川敷の下、薄暗い茂みの陰で彼女を見つけた。


 彼女は泣いてもいなかったし、走り回ってもいなかった。


 ただ草むらにうずくまり、ピンクの浴衣の裾を泥だらけにしていた。

 片方の下駄の鼻緒が切れ、裸足になった足を投げ出し、遠くの空で弾ける花火を呆然と見上げていた。


 その背中は、あまりに孤独で、あまりに脆く見えた。


 もし私が迎えに来なければ、彼女は世界の終わりまでそこでじっとしていて、そのまま腐り落ちていくのではないかと思えるほどに。


「……未央!」


 私は駆け寄った。怒りと、罪悪感が入り混じっていた。「何やってんのよ! ついて来いって言ったじゃん!」


 未央がゆっくりと顔を上げた。


 化粧は少し崩れ、目は虚ろだった。

 私を認識した瞬間、その瞳孔にようやく焦点が戻った。


「……凛ちゃん」


 彼女は、私が手を離したことを責めなかった。友達と話し込んだことを咎めもしなかった。


 ただ、消え入りそうなほど弱々しい笑顔を浮かべた。


「よかった……凛ちゃん、迎えに来てくれた」


「私……凛ちゃんに面倒がられて、捨てられちゃったのかと思った」


 彼女は手を伸ばし、私のズボンの裾を掴んだ。

 その手は氷のように冷たかった。


「ごめんね……凛ちゃん」


「私が歩くの遅いから。私が変な服着てきたから」


「私が凛ちゃんみたいにTシャツ着てくればよかったんだ……そうすれば、凛ちゃんについていけたのに」


 その卑屈な謝罪を聞き、皮のめくれた足を見た瞬間。


 私の中の怒りは霧散し、代わりに深い徒労感と、ある奇妙な確信が芽生えた。


 ああ、やっぱりダメだ。


 こいつは、私がいなきゃダメなんだ。


 人間に飼い慣らされた家猫のように、一度野に放たれれば一分たりとも生きていけない。

 人混みで生き抜く力もなければ、帰る場所を探す意志もない。


 こいつの世界には私しかいない。


 私が手を離せば、こいつは本当にそこで野垂れ死ぬ。


 私は溜息をつき、彼女の前でしゃがみ込んだ。


「……乗んな」


「え?」


「おんぶしてやるよ。足、痛いんだろ?」


 未央は一瞬呆け、それから恐る恐る私の背中にしがみついた。


 身体は軽かった。羽毛のように重さを感じない。

 けれど、肩にのしかかるその存在は、どんな荷物よりも重く感じられた。


「……凛ちゃんの背中、広いね」


 彼女は私の耳元で囁いた。生温かい吐息が首筋にかかる。


「ずっと……ずっとこうして、凛ちゃんにおんぶされてたいな」


「バカなこと言ってないでよ。重いっつーの」


 私は悪態をつきながらも、彼女がずり落ちないように、腕に力を込めた。


 その夜の花火は綺麗だった。

 でも私か覚えているのは、背中に感じる体温と、未央の寝言のような呟きだけだ。


 それは契約でもなければ、呪いでもない。


 私と彼女の間で、一つの致命的な「誤認」が根を張り、芽吹いた瞬間だった。


 彼女は私なしでは生きられないと、私が思い込み。

 私が自分を見捨てるはずがないと、彼女が思い込んだ。


 それは噛み合わせの悪い二つの歯車だ。

 回転してはいるが、絶えず互いを削り合い、金切り声を上げ続け――やがて完全に崩壊するその時まで、回り続ける運命(さだめ)にあったのだ。






【あとがき:背中の重さ】


作者「あぁ……。浴衣デートの失敗、これは痛い。未央ちゃんの健気さと、凛ちゃんの無神経さが残酷なコントラストを生んでますね」


霜月「この時点で、関係性は『対等な友人』から『保護者と被保護者』へと不可逆的に変質した。 凛は『私が守ってやらなきゃ』という庇護欲(エゴ)に酔い、未央は『無力であれば愛される』という歪んだ学習をしてしまった」


作者「おんぶされている時の『ずっとこうしてたいな』という言葉……。物理的な重さ以上に、未来への『(かせ)』を感じます


それでは、また明日(19:10)にお会いしましょう!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ