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【完結】読心術と物理法則で、青春の嘘を完全論破する ~空気を読まない怪物が、仮面の聖女を「論理的」に救うまで~  作者: こころよみ
愛は猛毒の泥沼、あるいは『優しさ』という名の絞首台

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28/102

嘘をつかない妹のSOS ~彼女が「責任」という名の毒を飲み続ける理由~

 ドアを開ける。


 出迎えたのは、いつもの喧騒に満ちたバラエティ番組の音でも、凛の軽口まじりの「お帰り」でもなかった。


 ただ、死寂のような暗闇だけがあった。


 僕は靴を脱ぎ、リビングに入った。


 窓から射し込む月明かりを頼りに、ソファの上で丸まっている影を見つけた。


 霜月凛が横たわっている。

 制服のまま、薄いブランケットを雑に被って。


 彼女は深く眠っていた。呼吸音は普段より重く、夢の中でも眉間に皺が寄せられている。


 テレビは消えていた。

 起きている限り何かしらの背景音(BGM)を必要とする凛にとって、これ自体が極めて大きなデータ異常だ。


 彼女は眠っているため、心声は聞こえない。


 だが、空気中には「疲労」という名の因子が充満しているのを感じる。

 それは千夏が纏っていた「常に緊張している疲れ」とは異なり、「過剰に搾取された後の空虚さ」に近かった。


 僕は彼女を起こさず、忍び足でキッチンへ入った。


 冷蔵庫を開ける。うどんが二玉と、卵が数個。

 十分だ。


 十分後。

 鍋の中で出汁が沸騰するコトコトという音と共に、温かい香りが冷えたリビングに拡散し始めた。


 ソファの影が動いた。


「……んぅ……」


 凛は曖昧な鼻声を漏らし、ゆっくりと上半身を起こした。

 目をこする。普段はおしゃれに整えている髪が、今は無造作に跳ねていた。


「……いい匂い」彼女は鼻を鳴らした。声は枯れていた。「兄さん……帰ってたんだ」


「今戻った」僕は二つの丼にうどんを盛り付け、テーブルに運んだ。「起きたなら食え。素うどんに卵を落としただけだが」


 凛は重い足取りでテーブルへ向かい、幽霊のように席に着いた。


 湯気を立てるうどんを見ても、いつものように「また麺かよ」とか「栄養バランス考えろ」といったツッコミはない。


「……いただきます」


 彼女は小さく手を合わせ、箸を取った。


 ズルッ。ズルッ。


 部屋には麺をすする音だけが響く。


 僕らはどちらも喋らなかった。


 これは「阿吽の呼吸」による静寂ではない。単に、喋る気力が欠如していることによる空白だ。


 僕は彼女を見た。

 目の下にはクマがあり、食べる速度は遅く、視線はどこか虚空の一点を見つめているようだった。


「学校で何かあったか?」僕は探りを入れた。


 凛の箸が止まった。


「……別に」


 彼女は首を振り、再びうどんを啜った。


「ただ……ちょっと疲れただけ。部活の先輩がウザかったり、友達関係で色々あって」


 心声がない。


 依然として沈黙だ。


 違和感が胸を刺す。


 普段なら「ウザい先輩」の話になれば、彼女の心は少なくとも『あのババア死ねばいいのに』くらいの悪態をつくはずだ。

 だが今夜、彼女の内面世界はこの薄味のうどんのように、異常なほど淡白だった。


 ただ単に疲れているだけか。

 僕はそう判断し、深追いは避けた。


 しかし。


 僕らが食べ終わろうとした、その時だった。


 ブブッ――ブブッ――。


 テーブルに置かれたスマホが震えだした。

 静まり返った部屋で、その低い振動音は際立って耳障りに響いた。


 凛の身体が跳ねた。


 電流でも流されたかのように、彼女の全身が瞬時に硬直した。


 彼女は画面に点滅する名前を凝視している――【未央みお】。


 その瞬間。

 僕は彼女の瞳の奥に、閃光のような……深い疲弊と拒絶の色を見た。


 マラソンを完走した直後の人間に、息を整える間もなく「もう一本走れ」と告げられた時の絶望に似ていた。


 だが、それは一瞬だった。


 次の瞬間、彼女は大きく息を吸い込み、戦場へ向かう兵士のように顔面筋を調整した。


 疲れた表情は消え失せ、代わりに優しく、頼りがいのある「お姉さん」の顔が形成された。


 彼女は通話ボタンを押した。


「もしもし、未央? どうしたの? さっき別れたばっかりじゃん」


 凛の声は軽やかで、忍耐強さに満ちていた。先ほどまでの死にそうな様子など微塵も感じさせない。


 電話の向こうからはすぐには返答がなく、重く、不安定な呼吸音が聞こえてきた。続いて、泣き声混じりの低い呟きが漏れ聞こえる。

 音量は小さいが、静寂な部屋の中では、その断片的な言葉が僕の耳にも届いた。


『……キーホルダー……まだ汚れてる……』

『……洗っても落ちない……凛……これ壊れちゃったのかな?』


 凛の目は虚空を見つめ、指先は箸を白くなるほど強く握りしめている。


**凛(表):**「大丈夫だよ。それ泥だから、多少落ちなくても平気だって。私たちが一緒に探した証なんだから、逆にレアじゃん?」


**凛(裏):**

**『……また始まった。』**

**『見つかったじゃん。四時間も付き合って探してあげたじゃん。』**

**『あんな数百円のプラスチックゴミ……捨てればいいのに。』**

**『泥臭い……吐き気がする。』**


**凛(表):**「変なこと考えないで。キーホルダーは壊れてないし、私たちの関係も壊れないよ。ほら、私、最後まで一緒に探したでしょ?」


**凛(裏):**

**『勘弁してよ。』**

**『もう脚の感覚ないんだよ。』**


 カチャ。


 僕の箸が丼の縁に当たり、乾いた音を立てた。


 僕は目の前の妹を凝視した。


 口は笑い、声は安らぎを与えている。

 だが彼女の内面は、怨嗟に満ちた、限界寸前の低い唸り声を上げている。


 「忍耐」という名のノイズ。「嘘」という名の二重音声デュアル・オーディオ


 いつも僕を「人の心が分からない」と嘲笑い、誰よりも奔放に生きていたはずの凛が。今、僕の目の前で、無価値な安物のキーホルダーのために、最も安全であるはずのこの家で、完璧な「守護者」を演じさせられている。


 電話の相手がまた何か言ったらしい。


『……凛がいないと……怖い……』

『……確信……凛がまだいるって、確信したい……』


**凛(表):**「いるよ。ずっといるよ。明日? うん……いいよ、明日会おう。もう泣かないで、早く寝な?」


**凛(裏):**

**『10時半、ソラリウム前。』**

**『また会うのか……』**

**『でも私が行かないと……こいつ今夜中ずっと電話かけてくる。』**

**『さっきの校門前みたいに……ずっと、ずっと泣いて……』**


「……うん、おやすみ」


 凛はようやく通話を切った。


 彼女はスマホを画面ごとテーブルに伏せ、長く、重い息を吐いた。

 優しい表情が剥がれ落ち、そこには血の気の引いた、能面のような顔だけが残った。


「……ごめん兄さん、うるさかったでしょ」


 彼女は再び箸を取り、すでに汁を吸って伸びきったうどんを掴もうとした。

 だが手が微かに震えており、麺は何度か滑り落ちた。


**凛(裏):**

**『……まだ脚が震えてる。』**

**『あのキーホルダーの泥……まだ手に付いてる気がする。』**

**『気持ち悪い。』**


「凛」


 僕は口を開いた。声はいつもより低くなった。


「なんだ」彼女は顔を上げない。


「麺が伸びている」僕は彼女を見た。「食べたくないなら捨てればいい。出たくない電話なら、出なければいい」


 凛の動きが止まった。


 数秒の沈黙の後、彼女は乾いた笑い声を漏らした。


「……何言ってんのよ、バカ兄貴」


 彼女は顔を上げた。その目にはいつもの勝気さが戻っていたが、それは強がり以外の何物でもなかった。


**『友達があんなに大切にしてくれてて、あんなに泣いてるのに……無視できるわけないじゃん。そんなのクズでしょ。』**

**『あの子も私のためにあんなになってるんだから、私だけ悪者になんてなれないよ。』**


 彼女は、伸びて不味くなったうどんを、無理やり口に押し込んだ。

 口から漏れ出そうになる溜息を塞ぐように。そして、「責任」という名の苦い塊を、喉の奥へ流し込むように。


 僕は彼女を見ていた。


 外部関係を維持するために、彼女は高負荷な自己抑制セルフ・サプレッションを行っている。


 理解できない。


 電話の向こうの相手を傷つけないために、自分の胃と精神を傷つけるのか?

 その「自己犠牲」のアルゴリズムは、一体何のリターンを得るためのものだ?

 嫌われないという安心感か? 友情を維持しているという満足感か?


 以前なら、僕は即座にこの行動を「愚行」と判定し、切り捨てていただろう。


 だが、今は。


 無理に笑顔を作り、目元を赤く腫らしている凛の顔を見て、僕の胸の奥底に、異質な感覚が生じていた。


 怒りではない。同情でもない。


 整理整頓されていた本棚を誰かに無造作に荒らされたような、あるいは完璧な方程式に未知の変数が混入したような感覚。


 「混乱」という名の気団が胸に詰まり、名状しがたい不快感をもたらしている。


**理人(裏):**

**『……なぜだ?』**

**『拒絶すればいいだけだ。電話を切ればいいだけだ。』**

**『なぜ、誰よりも直情的で、誰よりも自由に生きていたはずの凛が、こんなザマになっている?』**


 あの「未央」という人間のせいか?

 電話回線越しに、泣き言だけで凛を追い詰める「干渉源」。


 そのロジックを解明しなければ、この胸のつかえるような「システムエラー感」は解消されないだろう。


 データが必要だ。


 あの「未央」が凛に対しどのような干渉を行い、これほど深刻な論理的歪みを引き起こしているのかを知る必要がある。


 僕は手の中のコップを握りしめた。


 明日は土曜日だ。

 そして「未央」こそが、凛の異常を引き起こしている核心的変数コア・バリアブルだ。


 ならば、厳密な観測者として、そのサンプルの正体を現場で確認する必要がある。


 干渉するためではない。ましてや守るためなどでもない。


 単なる好奇心だ。

 そして、僕を不快にさせる、この原因不明のノイズを排除するために。



**【第2部、開幕!】**


お待たせしました!

本日より**第2部『愛という名の牢獄、あるいは強者の孤独について』**がスタートです!


千夏の「同調圧力」とは違う、凛を縛る「重すぎる愛」。

理人はこの厄介なバグをどう解析するのか。


──────────────────────

**【お知らせ:最新話の先行公開について】**


本作は現在、「カクヨムコンテスト」に参加中です!

コンテスト期間中のため、**カクヨム版では【最新2話分】を先行して公開しています。**


この先の展開(未央の正体と、四万二千円の衝撃)がいち早く読みたい方は、

ぜひカクヨムの方で先読みしていただけると嬉しいです!


もしよろしければ、そちらでも**【★(星)】**で応援していただけると、

コンテストの順位が上がり、作者が泣いて喜びます!


**カクヨム版(最新話)はこちら**

https://kakuyomu.jp/works/822139840331926779

──────────────────────


次は**【明日 19:10】**に投稿します。

(兄妹の夜。理人が初めて「眠れない夜」を過ごします)

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