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【完結】読心術と物理法則で、青春の嘘を完全論破する ~空気を読まない怪物が、仮面の聖女を「論理的」に救うまで~  作者: こころよみ
『嘘(くうき)』だらけの教室と、聖女の仮面の剥がし方

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16/102

星野千夏の「脱獄」 ~彼女はなぜ、教室から逃げ出したのか~

 翌朝。


 二年B組の教室に足を踏み入れた瞬間、「空気」という名のデータストリームが微妙に偏向しているのを感知した。


 物理的な「真空地帯」は依然として存在している(なにせ他人の骨を折った人間に近づこうとする者はいない)が、僕に向けられる視線は、もはや単なる恐怖や排斥だけではなかった。


 そこには好奇心、探求心、そして……畏怖が混ざり合っていた。


 僕は席に着き、内なる受信感度チューニングを調整した。


 以前のような『近寄るな』『怖い』といった単調なノイズは減少し、代わりにより複雑な情報が流れてくる。


路人A(裏):『おい、来たぞ。昨日鬼塚を論破したの、あいつだろ?』


『鬼塚の野郎、顔真っ青にして逃げたってマジ? すげえな。』


路人B(裏):『見た目はヒョロいのに、論理武装ハンパないな。』


『拳だけで解決するタイプかと思ってたけど、頭も切れるのか?』


路人C(裏):『まだ怖いけど……怒らせなきゃ話通じるんじゃね?』


『どうやったのか知りたいわ……あの「金属音」の分析とか神がかってたし。』


 評価モデルが反転した。


 鬼塚という教師は元々、生徒の間で積年の恨みを買っていた(不人気な強権)。そのため、僕が彼に対して行った「論理処刑」は、弱者である生徒たちにとって一種の「代償的復讐」として受容されたのだ。


 僕は単なる「暴力狂ヴィラン」から、「強権に対抗できる狂人ダークヒーロー」へと再定義されたらしい。


 この世論の変化が持つ価値を計算していた時、新たな変数が介入してきた。


「よう、霜月」


 前の席の男子が、突然振り返った。


 記憶ストレージを検索する。彼はサッカー部の田中。色は少し浅黒く、声はデカいが悪意はないタイプだ。


「昨日のあれ、凄かったな」彼は声を潜めたが、興奮を隠しきれない様子だった。「あの鬼塚、いつも偉そうにしてるのに、お前に言われてぐうの音も出なかったじゃん。裏じゃみんな『スカッとした』って言ってるぜ」


『こいつのこと、まだちょっと怖いけど……教師相手にあそこまでやるとか、度胸ありすぎだろ。』


『少し話すくらいなら大丈夫だよな?』


 僕は彼を見た。


 以前なら、これを「強者への憧れに基づいた非効率な社交」と判定し、冷淡に会話を終了させていただろう。


 だが今は、凛の言葉を思い出す。「人間を見ろ」と。


「大したことではありません」僕は教科書を取り出しながら、平静に応答した。「データの紛失という過失に対し、論理的な修正パッチを当てただけです」


「ハハッ、論理的修正? お前、面白いこと言うな」


 田中は頭を掻いた。どうやら僕という変人が意外とコミュニケーション可能だと判断したらしい。


「とにかく、今度鬼塚が因縁つけてきたら、俺にもその手口教えてくれよな」


 彼は前を向いた。


 短いやり取りだったが、これは僕のクラス内での生態的地位ニッチが、単なる「異物ウィルス」から、ある種の「機能的実在セキュリティソフト」へと変化したことを示唆していた。


 しかし、男子側の単純な反応とは異なり、女子側の「空気」は遥かに粘度が高かった。


 一限目の授業開始からずっと、強烈な視線を感じていた。


 それは追尾レーダーのように、常に僕の付近をロックオンしている。


 僕が少し顔を向けるたび、その視線は驚いた小鹿のように即座に跳ね除けられる。


 星野千夏は教室の反対側に座り、教科書を開いているが、意識は黒板に全く向いていない。


『……本読んでる。』


『……水飲んでる。』


『……窓の外見てる。』


『ああもう! 話しかけるタイミングがない!』


『お礼言いたいのに……違う、昨日のあれ、どういうつもりだったのか聞きたいのに!』


『でも……今話しかけたら、みんなになんて思われる? 「あの怪物と仲良くしてる」って?』


 彼女はもがいている。


 近づきたいという衝動アクセルと、現在の空気を壊すことへの恐怖ブレーキが、彼女の中で激しい綱引きをしている。


 これこそが、佐伯先生の言っていた慣性と摩擦力だ。


 そして彼女の周囲では、あの「親友」たちが無意識に壁を補強している。


「ねえねえ、千夏ちゃん!」


 例の女子Aが突然身を乗り出し、千夏の僕への注視を遮った。


「今日の放課後、カラオケ行かない? 駅前に新しい店できたんだけど、評価超高いんだって!」


星野千夏(裏):


『……本読んでる。』


『あのタイトル……気象学の本?』


『聞きたい……あ、玲奈がなんか言ってるけど全然聞こえない。』


 千夏の思考リソースは会話に割かれていない。彼女は「マルチタスク処理失敗」の状態にあり、脳のグラフィックボードは僕の観察に全振りされている。隣からの入力信号に対しては、最低限の自動応答ボットしか返せない状態だ。


星野千夏(表):「あ……うん、いいよ」


 彼女は脳を経由することなく、習慣的に肯定の回答を出力してしまった。


「やった! じゃあ決まりね!」


 女子Aは満足げに向き直る。


女子A(裏):『よし。千夏がいれば会員割引の人数揃うし。』


『あいつ盛り上げ曲入れてくれるから、私は自分が可愛く見えるバラードだけ歌えばいいし、楽勝。』


 僕はその一部始終を見ていた。


 星野千夏は注意散漫な状態で口頭契約を結んでしまった。


 だがそれは、彼女の内なる優先順位プライオリティと衝突している。


 ……


 放課後のチャイムが鳴った。


「さようならー」


「部活遅れる!」


 教室は椅子の引く音と喧騒に包まれた。


 僕は鞄をまとめ、ヘッドホンを装着した。


 席を立ち、真っ直ぐ教室を出て、廊下を抜け、特別教室棟へと向かう。


 僕が教室を出て、およそ十秒後。


 背後の「空気」が揺らいだ。


「千夏! 行こ行こ! カラオケ!」


 女子Aと数人の女子がすでに鞄を背負い、千夏の机を囲んで興奮している。


 しかし、千夏は僕が消えたドアを見つめ、鞄を片付けていた手をピタリと止めた。


『……行った?』


『待って、今行かないと、今日はもうチャンスがない!』


『カラオケ? 私、行くって言ったっけ? ……あ、朝に適当に返事しちゃったんだ。』


『どうしよう? でも……私は今、あのノートのことだけハッキリさせたい!』


 その瞬間、彼女の中で「普通」を志向していた天秤が、巨大な好奇心と得体の知れない焦燥感によって、完全に押し潰された。


「ごめん!」


 千夏は勢いよく立ち上がり、鞄を掴んだ。


「委員会の急用で、旧校舎に行かなきゃいけなくなったの! 今日は行けない! 先に行ってて!」


「はあ?」女子Aが呆気にとられ、笑顔が消えた。「でも千夏、朝は行くって言ったじゃん? 人数揃えたのに……」


「本当にごめん! 次は私が奢るから!」


 千夏は言い訳を考える暇もなく、友人の顔色を窺うことさえせず、逃げるように教室を飛び出した。


 僕が去った方向へと、全力で駆け出したのだ。


 残された女子たちは顔を見合わせた。


女子A(裏):『……は?』


『ドタキャン? あの千夏がドタキャン?』


『委員会? 嘘でしょ、今日委員会の予定なんてないし。』


『最近あいつ、ちょっと調子乗ってない?』


女子B(裏):『しらけるわー。約束しといて来ないとか。』


 空気に「不満」と「猜疑」という名の黒い粒子が漂い始める。


 千夏は僕を追うために、自らの手で、あの完璧だった人間関係の網に亀裂を入れたのだ。


 だが今の彼女には、その亀裂を修復する余裕などなかった。


 僕は振り返らず、足も止めなかった。


 等速直線運動を維持し、渡り廊下を抜け、階段を上る。


 背後の足音は、多少の迷いを含みつつも、途絶えることなく付いてくる。


 三階。


 四階。


 屋上階。


 その足音は、あの錆びた鉄の扉の前まで追ってきた。


 僕はドアを開けた。


「失礼します」


 気象観測部の中に、今日は佐伯先生はいなかった。


 おそらく会議に連行されたのだろう。


 夕陽が部屋をオレンジ色に染め、空気には微かなコーヒーの香りが残っている。


 絶対的な静寂の地だ。


 僕は部屋に入り、ドアを完全には閉めず、数センチの隙間を残した。


 鞄を置き、記録ノートを取り出し、ルーチンワークを開始する。


 ドアの外で、足音が止まった。


 彼女は迷っている。


 彼女にとって、この敷居を跨ぐことは、「異端」の世界へ足を踏み入れることを意味する。彼女がこれまで必死に守ってきた「普通の人」というアイデンティティへの裏切りを意味する。


 一秒。


 二秒。


 心音が、ドア越しでもはっきりと聞こえる。


『……入れ、千夏。』


『ただ聞くだけ。ただ……お礼を言うだけ。』


 ギィィ――。


 古びた蝶番ヒンジが、耳障りな摩擦音を立てた。


 鉄の扉が、震える手によってゆっくりと押し開かれた。


 星野千夏が、そこに立っていた。


 逆光が彼女の輪郭を縁取っている。胸は激しく上下し、顔には戦場に赴く兵士のような悲壮な決意と、仮面を剥ぎ取った後の、剥き出しの緊張が張り付いていた。


 僕は振り返り、風速計を手にしたまま彼女を見た。


「心拍数と呼吸頻度から推測するに、あなたは現在、極度の緊張状態にあります」


 僕は彼女の目を真っ直ぐに見据え、平坦に告げた。


「単なる謝意の伝達にしては、その生理反応は過剰消費オーバーコストです。入って、ドアを閉めてください。外の『空気』を持ち込まないように」


 千夏は虚を突かれたように瞬きをした。


 そして、彼女の肩から力が抜け、張り詰めていた糸が切れたように脱力した。


「……なによ、それ」


 彼女は部屋に入り、背手でドアを閉めた。


 あの虚飾に満ちた世界を、背後の鉄板一枚で遮断した。


「ずっと付いてきてたの知ってたくせに、一度も振り返らないなんて。本当に……嫌な奴」


 彼女の心の奥底で、限界まで張り詰めていた弦が、ようやく断ち切れて緩んだ音がした。


「ごめん! 次は私が奢るから!」


ついに千夏が走りました。

「空気」よりも「自分の意思」を選んだ瞬間です。

ここから、彼女の本当の物語が始まります。


次は**【本日 14:10】**に更新します!

(たどり着いた部室。そこで理人が語る「助けた理由」とは?)

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