その硝煙は流れる髪のよう~TS美少女ボディガードが学校を襲撃してきたテロリストからクラスメートを守って、クラスの美少女と一緒にプールにランデブーするまでの散々な一日~
何年前だか覚えてないが、馬鹿が馬鹿な事を考えた。
異性間の不和は、互いの性を知らないからだ。
だったら男を女に、女を男にすればお互いの気持ちが分かるはずだ、と。
首を傾げそうになった君。気持ちは分かる。
だが傾げるのはちょっと待った方が良い。
余裕がなくなるから。
馬鹿は、そのとびきりの馬鹿は、馬鹿だったが恐ろしい事に天才だった。
その馬鹿な考えを、何とたった一人で実現してしまったのだ。
ほら? 首を傾げるのを我慢して正解だったろ?
*
(マジでこれを着けなければならないのか……)
俺は手に持ったチョーカーを見て、顔が真顔になっている事を自覚する。
俺の立場からするとあまり良くない表情だ。
教室でそんな顔をして、この性転換《TS》チョーカーを見ているのは俺ぐらいだからだ。
クラスメート達がワイワイと騒ぎながら、躊躇なくTSチョーカーを着けていく姿に戦慄する。
そのクソ度胸はどこから出てくるんだ?
敵地に侵入する為に、成層圏からダイブした時より怖いんだが?
TSチョーカーを前に真顔になる俺をしり目に、クラスメート達が続々と性転換《TS》していく。
本当にやらなければならないのか?
俺が躊躇していると、隣の席に座るクラスメートが話しかけてきた。
「なんか、ちょっと緊張しちゃうね?」
俺にそう話しかけてきたのはクラスでも目立つ存在の立花 南だった。
柔らかい笑みを浮かべる彼女は、俺と同じようにTSチョーカーを前に躊躇しているようだった。
断言できるが彼女の反応の方が人として正常なはずだ。
間違っても「畜生!巨乳じゃなかった!」と嘆く奴は頭がオカシイと思う。
「でも意外だな」
俺が「うるせぇ!貧乳になりたかった俺に喧嘩を売ってるのか!?」と正気を疑うような諍いを始めたクラスメートを呆れた目で眺めていると、立花が妙な事を言い出した。
「ガクト君はそういうの平気な顔をしてやりそうだと思ってた」
お前は俺を何だと思っているんだ?
俺は表情を殺して首を傾げて仕草だけで問い直す。
どういう事かと。
返答によっては決闘も辞さない。
「だって何でも躊躇なくやってたじゃない」
立花の言うそれは、まぁ確かにその通りだった。
この学校に”潜入”して、慣れぬ学生生活で最初はちょっとやり過ぎたのだ。
友人の冗談を真に受けて校舎の二階から飛び降りたり、科学実験室にある材料だけで爆弾を作ったりと。
一瞬だけ、どう答えたものかと考えてから無難な言葉を引っ張り出す。
「生まれてから16年、ずっと男だったからな」
俺の返答の何が嬉しいのか。
立花が「ねー」と言いながら首を傾げるような角度で頷く。
「ホント、変な試験だよね。性別を変えるなんて」
いやまったくその通りだと思う。
未成年の内にTSを体験すべし、こんな事を考えた奴はマジで頭がオカシイと思う。
独裁国家の元首でも、もう少しまともな神経をしてるぞ。
いや駄目だ、別の意味でまともじゃない。
俺と立花がTSチョーカーを前に躊躇している間にも、クラスメートたちはどんどんとTSしていく。
試験が始まって五分も経っていないのに、既に九割の生徒がTS済みだ。そのクソ度胸は(以下略)
もう一度TSチョーカーに視線を落とす。
思わず出た溜息に、立花が苦笑を浮かべたのが気配で分かった。
躊躇していても仕方がないか。
俺がTSチョーカーを首に持っていくのに合わせて立花の手も動く。
何故か目があってお互いに頷き合った。
俺は初めて銃を撃った時の事を思い出しながら、TSチョーカーを首に装着する。
自分が引いてはいけない引き金に指をかけている、そんな気持ちに襲われながら。
学校の制服は、男女共用のズボンスタイルである。
だがこのTS試験中は服装も男女別となる。
俺は更衣室の鏡の前で、女に変わった自分の姿をマジマジと眺めてしまっていた。
華奢な肩に、細い腕。
卵型の顔に、どことなしに男だった自分の面影が残る不愛想な顔。そして何故か髪の色は透き通るような水色だった。
まさかと思うが、性別どころか人類じゃない何かに変わってないよな?
若干、自分が人類なのか心配になりながらも、とりあえず俺はさっさと着替えを終える。
あらかじめ配布されていた服装セットを取り出し、説明書を読みながら下着を着け、制服を着る。
慣れないスカートに違和感があるが。
これはこれで良いかもしれない。ハイキックとかやりやすそう。
俺が女の体に慣れようと、シャドーボクシングしたり、想像の熊と格闘しているのを見たクラスメートが変な顔しながら、更衣室を出ていく。
そいつらの中には、TS試験があるのを良い事に、スカート姿で登校した奴がいたので、そんな目で見られるのは大変遺憾である。ちなみに更衣室にいた理由は下着を履き替える為だそうだ。
俺が暫く自分の体の動かし方を把握している内に、更衣室には誰もいなくなっていた。
先程まで妙に外が騒がしがったが、それも収まって久しい。
ゆっくりし過ぎたか。
俺は誰も居ない事を確認し、ブレザーで隠したホルスターに銃を収めた。
*
更衣室の扉を開けたら、俺と同じようにグズグズしていた奴がいたのか。
《《男子更衣室》》の扉が同時に開かれた。
大した興味も無かったが、つい視線を向けてしまうと、とんでもない美男子がいた。
身長は180センチ近くあるだろう。
すらりとした長い手足は、細い印象を与えるがしなやかさを感じさせる。
身長が縮んで160センチ程度の俺とは大違いである。羨ましい。
俺に気が付いた美男子が、その整いまくった顔に何故か困ったような笑みを浮かべる。
「もしかしてガクト君?」
美男子は声まで美男子なんだな。
「そうだけど、お前は?」
なぜか美男子が傷ついたような顔をする。
「立花 南です」
「そうか、凄い美男子になってたから分からなかった」
「え? そうかな?」
そして何故か急に照れだした。
良く分からない奴だ。
「俺達が最後みたいだから、さっさと教室に戻ろう」
うへへ、可愛いって言われちゃった、と照れる立花を促して歩き出す。
ちなみに俺が言ったのは美男子だ。可愛いではない。
「それにしても、立花はこんな時間までどうしたんだ?」
俺は自分の事は棚に上げて尋ねる。普段の彼女はグズグズするような人間には見えない。
顔を伏せて立花が言いよどむ。
「下着を履き替える勇気が、なかなか湧かなくて」
「ああ、追加パーツがあるからか」
「追加パーツって……」
立花が変な顔をする。
そして俺は違和感に気がつく。
「いくら何でも静かすぎる」
教室がある階にまで戻ってきたのに静かすぎる。
「授業中だし普通なんじゃ?」
「着替えが終わったらまずは教師からの説明があったはずだ。そして俺はクラスメート及びここの学生どもがその説明を大人しく聞く連中だとは思っていない」
何せ巨乳か貧乳かで争う奴らである。
大人しく教師の話を聞くわけがない。
声を出さずに苦笑する立花に、俺は静かにしろとジェスチャーだけで伝えると。俺達の教室、その隣の教室の扉をそっと開ける。
引き戸に作った隙間から確認した教室は無人だった。
本格的におかしい。
立花が何かを話そうと息を吸った事に気が付いて、その口に人差し指を充てて黙らせる。
背が縮んでいるせいで、高い位置にある美男子立花の顔が何故か赤くなる。
黙るだけで良いのに息でも止めているのか?
成績は学年トップ帯なのに、妙な所で馬鹿なんだな。
立花はちょっと馬鹿、俺は心の人物評に書き足しながら、ジェスチャーで身を低くするように伝える。
立花は何か言いたげな顔をしたが、大人しく従ってくれる。
大変助かる。
こういう時に勝手に動く《《素人》》ほど困るものはない。
俺は身を低くして自分たちの教室へと近づいていく。手前から二つ目の教室なので、移動距離が少なくて助かる。
小柄なのはこういう時はメリットだな。
大きくなった立花は逆に四つん這いに近い体勢だ。
俺はあらゆる操作で音が鳴らない海外製のスマホを教室の窓に近づける。先程の教室と違い、明らかに人の気配を感じたからだ。
インカメラが捉えた教室の内部。
それを確認した俺は顔を顰めた。
銃を持った男が二人。
スマホの画面を見た立花が息を飲んだのが分かった。
痩せた男と巨漢の男。
銃を持った二人の画像を確認しながら。
俺は、自分が思った以上に性転換《TS》した事に動揺していた事を知った。
更衣室で想像の熊や虎と戦っている内に、外でこんな事が起きていた事に気が付かないとは。
俺はスマホをしまいながら考える。
とりあえず事実だけを確認する。自分の教室がテロリストに占拠され、TSしたクラスメートが人質になっている。
よし、意味が分からん。
だがやる事は分かる。
立花を連れて、さっさと退避するのだ。
後は警察などの法執行機関に任せるのが最適解だ。
俺が立花を連れて退避しようと振り返ると、スマホが小さく振動した。
立花が俺を見て頷いている。
なんだ?と思いながらスマホを取り出すと立花からメッセージが届いていた。
〈どうするの?〉
スマホを触っていた様子のない立花からのメッセージに、一瞬首を傾げそうになるが、すぐに思考入力かと納得する。
思考入力用のデバイスは高額なので、普通は高校生が持つような物ではないが。流石、家が超の付く資産家なだけはある。
当然そんな物を持っていない俺はスマホを手で操作する。
それにしても自分の胸が邪魔だ。あと長い髪の毛。
垂れてきた髪の毛を片手で掬い上げ、文字を入力していると、立花からのメッセージがまた飛んできた。
〈可愛い!〉
思わず半眼で立花を見てしまう。
〈違うの!まだコレに慣れてなくて!勝手に入力されて!半眼可愛い!〉
立花が美男子顔面を真っ赤にしながら、メッセージを飛ばしまくってくる。
こんな不愛想な顔の、しかも水色の髪という、人類の遺伝子に喧嘩を売っているような顔の半眼に、どこに可愛い要素があるというのか?
まぁ良い。俺は立花の変わった趣味を無視して文字を入力する。
〈逃げるぞ、静かに移動する〉
〈え?なんで?〉
思わずまじまじと立花の顔を見てしまう。
美男子がキョトンとした顔で首を傾げる。
〈助けないの?〉
〈誰が?〉
〈ガクト君が〉
頭おかしいのかコイツは。
思わず呟きかける言葉を飲み込む。
馬鹿な事を言ってないで逃げるぞ。
俺がそうスマホに入力している最中だった。
教室から甲高い悲鳴が聞こえてきた。
スマホのカメラを起動させ確認する。
女生徒が痩せた男に片手を掴まれ無理やり立たされている、頭に銃を突き付けられながら。
いや違う、男子生徒か。ややこしい。
「貴様! 性別を戻せる物をTSと呼ぶのか!?」
聞こえてきたテロリストの声に、駄目な意味で顔が真顔になる。
「男女キャラクターの精神入れ替わり物や、らんま2分の1、TSという意味ではむしろ元に戻れない不可逆なTSの方が後発だ!」
そう反論したのは――誰だ? 性別が変わっているせいで分からん。
嗚呼、坂本か。
俺は席順からクラスメート思い出して、彼なら頭に銃を突きつけられても反論ぐらいするだろうなと思う。
両親が二人とも漫画家の彼は、古今東西の漫画を読み漁っている生粋のオタクだ。その精神性は孤高でありながら遍く解釈を認めるだけの度量がある。
一つの解釈しか認めないというテロリストとは最も相容れない人物だろう。
尊敬できるが、この場においては愚かしさだ。
俺はテロリストの正体が、TS純化教団である事を知って時間が無い事を悟る。
彼らは不可逆なTSこそが真のTSであるという教義を掲げるカルト集団だ。
TSチョーカーは、外せば元の性別に戻るが、それを許せないとするのが奴らだ。
故に奴らはTSチョーカーを着けたまま死ねば性別が戻らないという、その特性を狙ってテロを起こす事がある。
狂信者がそうであるように、奴らは他人の解釈を認めない。
世界は自分たちの解釈に合わせなければならない、その傲慢さは多様性からは最も遠い。
TSチョーカーの発明者が最も忌避した考え方であろう。
理解とはグラデーションでありマーブルなのだ。
だから歴史に名を残す馬鹿《天才》は、TSチョーカーなんていう馬鹿な物を発明したのだろう。本当に馬鹿だな。
「我らの癖を後発と言うか!」
「あぁ!? てめぇ後発をパクリ呼ばわりとはどういう了見だ!?」
激高したテロリスト以上に坂本が激高する。
臆さぬ精神性は尊敬の対象だが、本当にやめて欲しい。今度から坂本君と呼ぼう。
奴らは聴衆を集めてから犯行に及ぶ、今はそれを待っているに過ぎないのだ。
つまり一人や二人、その順番が入れ替わっても気にしないだろう。
本当に時間が無くなった。
俺は立花に小声でやって欲しい事を伝え、行動を開始した。
俺は廊下の消火器に飛びつくと、安全ピンを引っこ抜きながら持ち上げる。
クッソ、こんな程度の重さで《《重い》》。
テロリストと坂本君の諍いで騒然としている内に、奥側の扉に移動する。
消火器のノズルを差し込む為の隙間を作ると、俺はそこに向けて消火器を噴射した。
数年前から主流となった、粉末式ではあるが人体に無害で、また時間経過で消火剤が自然に分解されるという、実に良く出来た消火器は。
煙幕としても実に良く出来ていた。
視界ゼロで、初見の森で、生物兵器化された熊と戦った時より楽だな。
役目を終えた消火器をぶん投げながら教室に突入。
男の悲鳴で消火器の行方を確認しつつ、視界ゼロの教室を走る。
反対側の入り口で立花が声を上げてクラスメートを誘導している。
よし、立花はちゃんと仕事してくれた。
後は俺が仕事をするのだ。
揺れて邪魔でしかない自分の胸の感触を無視して、俺は机を踏み台にして飛び上がる。
「もう察の特殊部隊が来たのか!?」
煙幕の中から痩せた男の狼狽えた声が聞こえる。
実に助かる。俺は間違いなく目標であるだろう影に向かって膝蹴りをかまし、勢いそのままにマウントポジションを取る。
人語にならない何かを喚く男、テロリストにはお似合いだろう。
俺は銃を取り出して引き金を三度引く。
床で頭が跳ねる音。
殴打弾を至近で頭に三発。
これで気絶してなかったら、殺すしかない。
俺は銃と一緒に取り出していたナイフを男の鳩尾に当てながら暫し反応を待つ。
男が完全に気絶している事を確認し、男の持っていた拳銃を手早く分解して床を滑らせて遠くにやる。
よし、少なくとも暫くは動きださないだろう。
俺は立ち上がり周囲を確認する。
消火剤はかなり薄まったが、まだ視界は悪い。
だが、クラスメートの気配は感じないので、咄嗟で無計画な作戦の割には百点満点の出来だろう。
嗚呼、クソ。
油断した。
迫る気配に、自分が間抜けな油断をした事を悟る。
今更何を思っても遅い。俺は歯を食いしばった。
辛うじて差し込んだ右腕が衝撃に軋む。
消火器《鉄の塊》が頭に直撃したくせに、立ち直りの速い奴だ。
一瞬の浮遊、からの衝撃。
机を薙ぎ倒しながら、恐ろしい事に教室の端まで吹っ飛ばされた。
どれだけ馬鹿力なんだ、消火剤の霧の向こうで動く巨漢の影を涙目で睨みつける。こちとら小柄な少女だぞ、少なくとも外見は。
だが、銃を撃ってこなかっただけラッキーだ。
仲間に当たるかもしれないから、撃たなかっただけだろうが。とにかくラッキーである。
衝撃で職場放棄していた肺がようやく仕事を再開する。
消火剤のミントに似た匂いが鼻腔に広がる。
ついでに背筋に悪寒が走る。
巨漢の男が突撃銃の銃口をこちらに向けたのが分かった。
そりゃそうするよな、と思いながら俺は銃を撃ちまくる。
狙いは男の持つ銃だ。
今は小柄な少女の姿とはいえ、人間を教室の端まで殴り飛ばせるような奴だ。
間違いなく普通の人間じゃない。
非致死性の殴打弾では全弾頭に頭に当てても気絶させられるか疑わしい。
残りの残弾12発、全てを撃ち尽くす。
グシャっという金属が拉げる音が聞こえ、俺は賭けに勝った事を知った。
男の持っている銃はおそらく3Dプリンター製の銃だったのだろう。金属をプリントできるようになって随分と経つが、それでも強度の無さは解決できていない。
男の銃のシルエットがシンプルだったので、《《ほぼほぼ》》そうだろうと思ったが、ヒヤヒヤ物である。
殴打弾で壊れた銃を、男が投げ捨てるのを音で確認しながら。
俺は教室の出口に向かって走る。
背中は痛いし、骨は折れてないがあちこち打ち身で泣きそうになる。
苦し紛れか、男が投げてきた机を屈んで避けて、滑り込むようにして立花が開けっ放しにしてくれた扉を抜ける。
ちなみに女性用の下着は生地が薄いので、滑り込む時はスカートを間に入れよう。
俺はケツに食い込んだパンツを指で戻しながら立ち上がり。
そして叫んだ。
「なんで立花がいるんだよ!」
「ガクト君を置いてけないよ!」
俺は扉を開けたら一目散に逃げろと言っただろ、という言葉を飲み込んで、立花の手を掴んで走り出す。
ふざけんなよ、マジでふざけんなよ。
背後で派手な音が鳴る。
大男が扉を吹き飛ばして出てきた。
あいつ、よくあの姿で騒ぎにならずに校内に侵入できたな。
学校云々の前に街中歩いているだけで通報されそうだぞ。
「こっちだ!」
俺は警察仕事しろと内心で愚痴りながら、外に出る最短ルートに行こうとする立花を引っ張って反対方向に進む。
「なんで!?」
相変わらずの美男子ボイスで立花が戸惑う。
「そっちに行ったら逃げてるクラスメートに追いつくかもしれないし、二手に別れて立花を一人にするのも怖いからだよ!」
「え! その、ありがとう」
今のどこに照れる要素があったのか?
何故か照れる美男子顔の立花に、そう問いただしたいのを我慢して俺は走った。
嗚呼!もう! 足のストロークが短い!
あと胸! 胸が動く! 動くな胸!
女の体が不便すぎる。
俺はどっかの馬鹿に罵詈雑言を百程投げつけた。
学校とは、実は逃げるのにまったく適していない。
廊下は長く直線で見通しが良く、視界から逃れるのですら割と困難だ。
俺は追いかけてくる大男から逃げながら、どうするかと考える。
思えば更衣室を出てから、ひたすら状況に流されるだけで、行動が後手後手である。
今もそうである。
クラスメートと一緒に逃げたと思った立花が逃げておらず。
おかげでこうして一緒に大男に追いかけ回される羽目になっている。
まぁ、良い。良くないが。まぁ良い。
現場は臨機応変、いつもの事である。
とりあえず走りながら、自分の装備から確認する事にする。
武器は拳銃とナイフ、殴打弾は使い切ったので、後は9ミリ弾がワンマガジン。
だが、これはあまりアテにはならない。
弾頭が対人用の軟弾頭だからだ。
大男が、ただのデカいだけの人間だったなら、これでさっさと決着させていたが。
まぁ多分無理だろう。
あの大男は消火器を頭に投げつけられても平然とし、人間を生身で数メートル殴り飛ばせるような怪力の持ち主だ。
十中八九、普通の人間じゃない。
TSチョーカーの負の側面。
着けただけで人間の性別を変更できるという超技術。
そうであるならば、着けただけで人間を人間以上にする事など造作もない事だった。
その技術の名前は武器化《TW》、男はTW人間だった。
TW人間相手に9ミリ弾では、余程アタリ所が良く無ければ効果は期待できない。
ついでに言えば体力もほぼ無尽蔵だ。
大男はパワー重視のTW人間であるようなので、追いつかれてはいないが、このまま追いかけっこを続ければジリ貧だ。
「ガクト君!」
このままではジリ貧だと、考えていたら立花が話しかけてきた。
なんだ?と隣を走る彼女の方を見る。
「そんなに大股で走ると!下着が!」
「そんなコト気にしてる場合か!」
「女の子なんだから駄目だよ!」
180センチになったお前と違って、小柄になって大変なんだよ!
叫び返したいのを我慢して、俺は銃を取り出してマガジンを取り換える。
「それ本物!?」
驚く立花を無視して走りながら銃を構える。
「驚いてコケるなよ?」
返事を待たずに廊下にある消火器を撃つ。
軟弾頭でも消火器ぐらいなら貫通できる。
廊下に消火剤がぶち撒かれ、銃声に驚いた立花が小さな悲鳴を上げ――。
俺は全身を駆け上る悪寒に従って立花に飛び付いた。
背後から飛んでくる必死の何か、咄嗟に立花を胸に抱いて庇う。
背中を壁で強打して息が詰まる。
鉄の塊が、消火器が廊下のタイトルを砕き、天井近くまで跳ねて派手な音を立てながら廊下を転がっていく。
あのTW野郎、心中で悪態を付きながら立ち上がり、立花の手を引いて、立ち上がるのを手伝おうとしたら予想外の重さにバランスを崩しそうになる。
「ゴメン、足くじいちゃった」
困ったように、ニヘラと笑う立花。
私を――その声が形になる前に背後に回る。
クラスメートに、それも女子に言わせてはいけない言葉という物があるのだ。たとえ今はTSしていても。
「すまん!体に触る!」
所謂お姫様抱っこ。
立花が腕の中で可愛い悲鳴を上げる、美男子顔で。
消火剤で充満する廊下を走る。
俺は覚悟を決めた。
退学になって任務が失敗したらその時だ。
俺は新たな目的地に向かって足を進める。
二度も強打した背中は痛いし、立花は重たい。
そして俺は今から退学の危機だ。
TSしてから碌な事が無いぞ!
背後から男が投げられる物を手当たりしだいに投げてくる。
それを気配だけで避ける。
「立花! 今から右手を離すからしっかり掴まれ!」
怖いのか、両手で顔を隠していた立花が悲鳴を上げる。
それを無視して俺は右手を外す。立花が慌てて俺の首に両手を回す。
外すなよ!俺!
走りながら銃口を定める。
息を止め、引き金を引く。
上がる火花に安堵し、背後に迫る男の気配に息を飲む。
ジャムる銃、舌打ち、投げ捨てる。
華奢な体が上げる悲鳴を全て無視して俺は飛ぶ。
背中から窓にぶつかる。
落下の感覚に立花が息を詰まらせたのが分かる。
悲鳴を上げてくれた方が都合が良かったのに。
「爆発するから耳を塞げ!」
「ば! 爆発!? エェ!?」
声を出したせいか、立花の口から派手な悲鳴がまき散らされる。
オケ!口を開けてろ。
まさか俺達が、窓を突き破って飛び降りるとは思っていなかっただろう男が、驚いた顔で落ちていく俺達を見ている。
俺達の背後に何があるか? それに気が付いた大男が窓枠に足をかけようとする。
バーカ、もう遅ぇよ。
俺は周囲でキラキラと光るガラス片から、立花を守るようにその顔を胸に押し付ける。
重力の終着点。
背中が水面に叩きつけられる衝撃と共に、校舎で爆発が起きた。
今日は背中の厄日だな。
*
水も滴るイイ男。
立花が濡れた髪をかき上げながら叫んだ。
「ガクト君って何者なの!?」
何者なの!?と訊くこいつは、テロリストから俺がクラスメートを助けるのが当然、みたいな顔をした奴である。
「しかも、なんで爆発するの!?」
ちなみに爆弾は以前に爆弾探しゲームしようぜ、という提案により作った物で、爆弾には導火線が必要というこだわりから、C4に導火線で作動する雷管を付けた拘り仕様だ。
とりあえず一番知りたいだろう事を答える。
「ボディガードだよ」
首を傾げる立花。
「お前の」
俺の答えに大げさに驚く彼女は、自分の立場が分かっているのだろうか?
日本有数の財閥、その支配者一族の娘だぞお前。
それがこんな警備の甘い学校に通いやがって。
おかげで俺がこんなに苦労しているんだぞ。校舎を爆破したので退学になってクビかもしれんが。
驚いたまま固まっている立花を無視してプールを上がる。
スカートが! 胸の抵抗が!
「ほれ、引き上げてやるからさっさと来い」
俺は立花を促し、プールから引き揚げてやる。
男の姿である立花を引っ張り上げるのに苦労する、重い。
そこで俺は我慢の限界に達した。
「くそ!もう無理だ!TSチョーカーを外す!」
「駄目だよ!今外したらスカート姿の変態さんだよ!」
知るか!その姿で登校した馬鹿がいるんだぞ!
項に手を回す。
「せっかく美少女なのに」
やはり立花の美意識は独特なんだな。
そう思ってTSチョーカーの解除ボタンを押す。
――が。
「外れない」
今日一番の絶望に塗れた声が出た。
嘘だろ?
俺は解除ボタンを連打する。
TSチョーカーは確かに超技術の産物だが、そうそう壊れるような物ではない。
くそ!どうなってるんだ!?
うぉおおお!外れろ!
外れろとジタバタする俺を見て立花がニヤニヤした顔をする。
美男子はどんな顔をしてもサマになるんだな。
羨ましくないが!
「ガクト君、可愛い」
人の不幸を何だと思ってるんだ、この立花《護衛対象》は?
俺は遠くで鳴るサイレンを聞きながら、外れないTSチョーカーにFワードを吐いた。
*
透き通る水色の髪、不愛想な顔、視界の邪魔になる胸。
細く白い肌の手。
低くなった視界は単純に不便だった。
俺は教室のドアに映った自分の姿を見て、溜息を吐きながら教室に入る。
「あ、ガクト君! おはよう!」
間違いなく不機嫌な顔をした俺に、立花《護衛対象》は嬉しそうに朝の挨拶を投げてきた。
溜息を押し殺して挨拶を返す。
「おはよう」
高い声は鈴が鳴るような可憐な声で、俺はそれにまた溜息を吐いた。
やはりTSチョーカーなんて物を考えた奴は馬鹿だ。
絶対に。
短編
人生で初めて書いたTS物
1万字の縛りがあったので、かなり苦労した記憶がある。




