五月雨を纏い
特別にどうというわけではないけれど、趣味で発表したギターの弾き語り曲に「応援しています」とメッセージをもらった際にはなんとなくやる気出た。懐かしめの映画の中で謎の経歴をもつ女性から唐突に主人公に投げかけられた『なぞなぞ』めいたセリフ、
『わたしが一番『やる気』になる言葉ってなーんだ?』
の答えが『なんでもするから』だったことが頭の片隅に残って、
<『応援しています』もけっこう当たりだと思うなぁ>
と少し不適切な比較をしていた。涼しくはなったけれど連日の曇天で休日でも創作活動に没頭できる気分にならず、空に少しでも晴れ間が覗けば若干うれしく感じるレベルで気持ちが推移している。弾き語りアカで繋がれた友人(同志)と呼べる人の気合いの入った新曲が多くの人の目に留まればと引用してみたら想像以上に好評で、同性でも羽毛のようなやわらかさと温かさを感じる『あの美声』にうっとりしたに違いない。
『一生懸命な歌声に感動します!』
『パッションを感じます。いい曲ですね』
『もう少し肩の力を抜いて歌ってもいいかもですね』
ありがたいことに自作曲にはこういったコメントが届く。友人とは真逆でわたしの若干ダミが入った声に癒しを感じる人は少ないかも。硬派な父の影響もあり幼い頃からロックミュージックが好きで、思春期に友達とカラオケに行ってマイナー目の曲を披露しては反応に困られていた記憶しかない。そんなんだから声と歌い方は次第にクセの強いものになって、受け付けない人には受け付けない曲調のオリジナルばかりになってしまった。あわよくばバズったりしないかなと宣伝しても、ここでも猫好きで繋がれた人を戸惑わせたりしてしまっているだけじゃないのかなと最近では思う。ちなみに仕事は音楽とは全くの無関係の事務系。
『いつもありがとうね!この間の曲、めっちゃ良かったよ!詞の才能うらやま』
同志からのDMで少し自信を取り戻す。父がずっと前にプレゼントしてくれた壁掛け時計は無音のまま午後3時を示している。自宅で録音できる環境を整え、音質にこだわり過ぎるくらいこだわった機材を用いているけれど、手間を省いて気軽にライブ発信してみた時の方が反応がよかったり、曲の後の『雑談』の方が喜ばれたりと物事はなかなか上手くゆかないものだと日々実感している。
同志こと「MOMO音」ちゃんに褒められる詞は地元…かなりの田舎で育ってずっと何気なく見ていた情景を思い出しながら書いている事が多い。田舎から街に出てきて感じるちょっとした郷愁とか、やたら綺麗だった夕焼け空のこととか、素直じゃない性格のせいで叶わなかった恋のこととか、どちらかといえば自然に言葉にしたくなる。そのせいもあってメロディーがいつも後で、弾き語りをしていると時々朗読のように歌っていることも多い。洗練されたこの時代にはちょっとギャップがあって、そこが魅力だと言ってくれる人もいれば、もっと明るい曲を書いてみたらとアドバイスされることもある。
「ん…」
評価はされなかったけれど仕事が一番しんどい時に「推しの卒業」も重なってメンタルがめちゃくちゃでも心情を何とか作品にすることによってわたし自身救われた経験のある、『五月雨を纏い』というバラードは半年経ってもアクセスが増える様子がない。
【そりゃーそうさ!!そりゃー景気のいい方がいいに決まってるでしょ!みんなね!ハピハピ!】
中学校の頃の落書きから生まれたパリピで陽気な性格の謎の生命体『ガンジス』がそんな時に脳内に出現してわたしにそんなセリフを吐く。この『ガンジス』は設定上デリカシーのない生き物ではあるけれど、ずけずけと本当のことを言ってくるので意外と厄介。わたしの心のどこかにそんな風に感じている部分があるんだろうけれど、創作活動にはつきものなのかも知れない。
『肩の力を抜くって難しいよね。どうしても一生懸命になっちゃう』
『スカラーちゃんは今の歌い方でいいとわたしは思う。格好いい』
こんな風に愛情深いMOMO音ちゃんに寄りかかってばかりはいられないけれど、最近仕事先で親しくなった人にはまだ明かせない。というか、『五月雨を纏い』あたりの曲を聴かれたら色々誤解されそうな気がする。
「やっぱり爽やかな曲…」
色々考えた末、万人受けするメロディーと歌詞を目指して作品を作ってみることに。そしてスマホのメモに浮かぶだけの言葉を詰め込んで1時間ほど集中して出来上がった歌詞には、
めっちゃいいよね 最高 最高
どこまで行っても 超えてヤル!
だから行くのさ 未知の世界を
とパリピな『ガンジス』も引いてしまうような内容の薄いサビが乗っかった。これはこれでイケそうな気もしなくないけれど、MOMO音ちゃんの言うわたしの魅力はここには存在しないだろう。分からないから書けない。本当にそう思ってないから薄っぺらい。窓の日が少なくなる部屋で「あゝ」とわたしは一人嘆く。半分どうでも良くなりかけて早めの夕飯の支度でもしようと思ったときスマホに見知らぬ人からの通知が。
『こんにちは初めまして。趣味でピアノ演奏の動画を公開している者です。数日前に『五月雨を纏い』という弾き語りの曲を拝聴しました。とても感動してしまって、今日演奏してみたんです』
それは目を疑うような文面のDM。見知らぬ人からのDMは切ってあるけれど、この方「文夏」さんは前に一度ピアノ演奏の動画を視聴して気になっていた女性であるときから相互さんになっていた。DMの下部に音声ファイルのマークが表示されている。恐る恐るボタンをタップしてみると…
美しく滑らかな音色が部屋に満ちる。スマホ録音の関係上、音質は下がってしまうけれど確かな運指で演奏される、わたしの『五月雨を纏い』のそのメロディーがピアノアレンジによって全く違った印象に聴こえてくる。
<そう、わたしが表現したかったここの『転調』…その意図もきちんと汲んでくれている!!!>
文夏さんの演奏が2分間流れ続けた。直前に演奏されたと思われる音声ファイルを気付くと何度も何度も繰り返し再生していた。あの時の感動は今でも忘れられない。わたしの頬に涙が伝ったのはたぶん、色々なことを思い出したからなのだと思う。それは言葉では言い尽くせない想い。
『ありがとうございます!わたし、嬉しくって嬉しくてどうしたらいいか…』
一生懸命返信を考えたけれど出てきたのはこのメッセージ。すぐ文夏さんから「今度演奏を撮影して動画を投稿してみたいのですが宜しいでしょうか?」と返信をいただいたのでそのまま快く承諾…というかこちらから是非にとお願いするカタチで話が進んでゆく。正直その夜に何を食べたか覚えていない。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
文夏さんの演奏の動画が公開され、彼女の固定ファンと思われる方々から動画にコメントが沢山届いた。演奏やアレンジが素晴らしいので概ね好意的な評価で、文夏さんの動画コメントに元動画の引用がついていた為にわたしの弾き語りの方の再生数も想像以上に伸びた。以来、文夏さんとはとても仲良くさせていただいて創作についてのアドバイスもいっぱい貰っている。ネットで活動していてこのような発展があるとはつゆとも思わず、当初は戸惑ってばかりだったけれど色んな人の『音楽を愛する気持ち』に触れたような心地になっている。
わたしはこれからも曲を作り続けるのだろうと思う。ときどき、悩んだりしながら。
と…このお話には想像もしていなかったような続きがある。仕事先で親しくなった人とこの間お茶をする機会があった。というか端的にいえば『誘われた』。お昼時に喫茶店で、
「○○さん、映画好きなんだったよね」
とにこやかな表情でわたしに訊ねてきた彼は地味にわたしが推している俳優さんが出演する話題作について話し始める。「まだ見ていないです」と素直に答えると「それじゃ、もし良かったら一緒に行ってみない?」と誘ってくれた。歌とは違い、恋愛だと尻込みしてしまいがちのわたしでも返事がしやすい雰囲気というか、間というか、波長が合いそうだなという感覚。
「ああ、良かった。ちょっと緊張した」
了承した後におどけて見せるところも作った感じがしなくてとても好感が持てた。それから見るからに嬉しそうな彼はちょっとだけ『鼻歌』を歌った。
「え…?そのメロディーどこかで…聴いたことが」
その時は確証は無かったけれど、勘のようなもので思ったままを口に出していた。
「あ、ごめんなさい。この間ピアノ演奏の動画見てたらなんとなく覚えちゃったんです」
変な話だけれど『ピアノ演奏』というワードが出てきた時にわたしは半ば確信していた。
「その動画って文夏さんという方の動画ではないですか?」
「え!?そうだよ!知ってるの?確かオリジナルの曲だったような…。実は演奏している人、地元の同級生なんだ」
「・・・・!!!」
わたしは彼の前で絶句してしまっていた。もちろんいい意味で。正直に言えばその時、わたしは大いに迷った。彼に自分の姿を知られてしまうことを少しだけ恐れていたのだと思う。けれど人生というものは本当に不思議で、わたしはたぶん曲に辿り着いてくれた「彼」とも「文夏」さんとも『縁』という何かが存在するのだと、もしかしたら曲を聴いてくれた人とも何かの縁が存在するのではないかと、思うようになったのだ。
「その曲、『五月雨を纏い』という曲なんです」
「え?」
そしてそこからのわたしの言葉に今度は彼が驚く番だった。
主人公と性別は違いますが、この作品は昨年なんとかさんが「あき伽耶」さんと交流が始まったエピソードを元にしております。自作曲をピアノアレンジしていただいた時の感動は忘れないと思います。




