第九十七話 次なる戦闘へ
第九十七話
side:リアン
中庭に戻った瞬間、空気が変わった。
勝利でも敗北でもない。
ただ、何かを「置いてきた」時に残る、あの重く沈む空気。
グレンがアルボレアと話していた。
グレンは奥歯を噛みしめ、拳を固く握っている。
怒っているというより……悔しさを飲み込んでいるような表情だった。
アルボレアは顔色一つ変えない。
でも、その目だけが、いつもよりずっと深い色をしていた。
同じ七曜魔の二人は、僕よりもずっと重くことを受け止めているだろう。
ネレイアが堕ちて……自分で終わりを選んだことを。
「……行くぞ。報告だ」
グレンが短く言い、僕たちは言葉もなく頷いた。
僕たち一行、機戦隊のカリーナ、陸戦軍のヴァルディス、そしてグレンとアルボレア。
あまりにも静かな行進で作戦室へと向かった。
扉を開けると、ロザリンド、ノワール、そして老参謀が中央の机の前にいた。
ロザリンドがゆっくりと顔を上げ、僕たちの顔を順番に見つめる。
……そして彼女は、戻ってきていない一人に気づいた。
「……ネレイアは?」
短い問いだった。
だけど、それは刃物より重かった。
「……報告を」
ロザリンドの声は低く、揺らぎがなかった。
グレンが前に出る。
「敵兵は前回より多くは倒せていない。だが、それでも相当数は減らした。が、予想通り抵抗は激しく、こちらの被害も相応に出た。そして……」
言葉が喉に引っかかったように、グレンは一瞬だけ目を閉じた。
「……ネレイアを失った」
ノワールの瞳がわずかに揺れ、息を飲んだ。
「……どのような最期でしたか?」
静かで、しかし刺さる声でノワールが問う。
僕は前に出た。
「五芒星の一人、エリスと……相討ち、だと思う。
ネレイアは、一度は瘴気に堕ちたけど……味方を守るために……自分で終わりを選んだ。 ……立派な最期だった」
ノワールはゆっくりと目を閉じ、そして一言だけ。
「……そうですか」
その言葉には、悲しみも怒りも滲ませない。
ただ、受け入れた、という気配だけがあった。
部屋は静かだった。
誰も次に何を言うべきかわからないほどに。
その沈黙を断ち切ったのは、ロザリンドの声だった。
「次の進軍は――あさってにする。
明日は休んで体を戻し、心を落ち着けておけ。詳細はまた追って伝える。 ……以上、解散」
それだけで報告は終わった。
僕たちは立ち上がり、それぞれ部屋へ向かう。
ネレイアのこと、次の攻撃のこと――考えることはたくさんあるけれど、何よりも疲労が凄まじい。
柔らかいベッドに横になった僕は、考える間もなく意識を手放してしまった。
side:アビス
今回の報告も、あまり芳しくはないようだ。ヴェイルの顔は冷静沈着だが、長い付き合いだ。ほんの些細な変化もすぐにわかる。
侵攻の後処理で未だざわついている玉座の間で、ヴェイルが淡々と口を開いた。
「兵の損害は前回よりは軽い。……軽い、って言っても、比較的ってだけだ。数字で言えば軽くはない。特に鬼族――あれは厄介だ。悪魔兵が五人かかって、ようやく一人を抑え込めるかどうかってところだ」
俺は腕を組んだまま、黙って頷く。
報告の中身そのものよりも、その声に混じる疲労の方が重く響いていた。
戦線は膠着。
最初は有利に立っていたはずなのに、敵は想像以上に手強い。それどころか、戦況をひっくり返そうとすらしている。
その中でも、鬼族の力は特に目立っていた。
「……そして、もう一つ。エリスがやられた」
ヴェイルの言葉に、空気がわずかに揺れた。
俺の指が、肘掛けを軽く叩く音が響く。
「……そうか」
短い言葉しか出なかった。
胸の奥に、鋭い棘のような痛みが刺さる。
兵の被害では動かなかった感情が、今ようやく反応した。
「相手は敵の幹部格。……相討ちだ」
ヴェイルは静かに続ける。
報告の仕方が、いつもよりほんの少しだけ丁寧だった。
俺はゆっくりと息を吐き、目を閉じた。
「……それが、せめてもの救いだな」
しばらく沈黙が続いた。
この静けさが、どんな怒号よりも重い。
「エリス……安らかに眠れ」
呟くと、ヴェイルが軽く目を伏せた。
その時、扉がノックされ、ひょいと入ってきたのはリザだった。
銀髪を揺らしていつもの軽い調子を保ちながらも、今日はどこか緊張していた。
「報告に来たよ、アビス、ヴェイル」
「聞こう」俺が促すと、リザは頷いた。
「ヘルゴートの封印、解いたよ。ただ――まだ眠ってる。
次の敵の攻撃に合わせて、起こすつもり」
「……大丈夫なのか?」
自然と、声が低くなっていた。
リザは笑ってみせた。
でも、その笑みは僅かに硬い。
「任せて。……ちゃんと制御してみせる」
ヴェイルがそれを受けて、地図を机に広げる。
指で線をなぞりながら、淡々と告げた。
「敵の偵察部隊が通ったルートがこれだ。……おそらく、次はここから侵入してくる可能性が高い。周辺の人払いは済ませておく。
……だから、リザ、遠慮なくヘルゴートを暴れさせろ」
「ふふ、了解」
ヴェイルは続ける。
「で、奴らの侵攻はヘルゴートに任せる。
その隙に、手薄になる敵本陣を叩く。俺が直接行く」
静かな決意。
その声に、玉座の間の炎が小さく揺れた。
俺はしばらく沈黙したまま、ヴェイルを見つめる。
何度も死線を共に越えてきた男だ。
その背に、もう覚悟があるのもわかっている。
「……いいだろう」
短く、それでも確かに、許可を出した。
ヴェイルが小さく頷く。
その表情には、安堵も迷いもなかった。
俺はゆっくりと立ち上がる。
背後の影が、壁に大きく広がった。
「兵の数は全盛期の半分以下。
五芒星は、二柱を失った。……状況は厳しい」
沈黙の後、俺は鋭い目で二人を見据えた。
「だが――いざとなれば、俺も出る」
その言葉に、ヴェイルが笑う。
低く、乾いた声だった。
「そうならないよう努力するさ、王様」
その調子のまま、軽く肩をすくめる。
俺も口の端をわずかに上げた。
「……頼むぞ、ヴェイル」
炎の灯が、僅かに明るくなった気がした。
エリスを失っても、戦いは止まらない。
止めてはならない。
俺はただ静かに、燃える戦場の未来を見据えた。
読んでくださってありがとうございます。




