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第九十五話 戦士の覚悟

第九十五話


僕は剣を握り直し、自分の敵に集中する。


まだ戦いは終わっていない。

それでも……この恐ろしくも頼もしい味方に、畏怖を覚えずにはいられなかった。


ネレイアがエリスを完全に呑み込んだあと、ほんの数秒の静寂。

その時だった。


「……っ、ぁ……あ……っ……!」


ネレイアが、喉の奥を焼かれるような声を漏らし、地面に膝をついた。


「ネレイア!?」


思わず駆け寄ろうとする――が、その前に悪魔たちが立ちはだかる。

仲間たちと背中合わせになる形で、僕は剣を振るう。


どうして――何が――。


ネレイアは自分の腹を抱きしめるようにして、ぐしゃりと地面に指を押しつける。

半透明だったはずの青い体が、じわり……じわり、と黒に濁っていく。


「っ……あ……や、だ……これ……」


声になっていない。

痛がっているとか、苦しんでいるとか、そういう単純な反応じゃない。


内側から、何かを壊されている。


僕の背中に冷たい汗が走る。


次の瞬間――ネレイアの腹部が大きく膨れ上がり、


「――っ、ああああああああああ!!」


粘性の塊が弾けた。


そこから、ずるりと引きずり出されるようにして現れたのは――


呑み込まれたはずの、エリスだった。


スライムにまみれ、ぬめる体をゆっくりと持ち上げ、

口元に――あの、気持ち悪いほど余裕の笑み。


「うふふ……計画通りですわ」


鼓膜に触れただけで、気温が数度下がったような感覚がした。


「な……っ……」


ネレイアはエリスを吐き出したにも関わらず、苦しみ続けている。

体はさらに黒く染まり、透き通っていた青はほとんど残っていない。


エリスはその様子を、まるで新しい玩具を見る子供のように見ていた。


「瘴気が消え、私が死んだと……そう思い込んだのでしょう? だから、呑み込んだ。

ああ、なんという浅知恵。なんという喜劇」


うっとりとした顔。


「私は自ら瘴気の流れを止め、体の動きを止めただけ。

あなたは私を“食べる”ことに固執していたでしょう?

“死んだ”と思わせて呑み込まれる……単純な策なのに、こうも上手くいくなんて」


僕は悪魔兵を切り裂きながら叫ぶ。


「ネレイア、大丈夫か!?」


だが距離が遠い。

押し寄せる敵が壁になって近づけない。


エリスはゆっくりと手を胸に当てる。


「そして、スライムの体というのは……呑み込んだモノを自動的に吸収してしまう。そこへ、私の瘴気を――ありったけ流し込んだ」


その瞬間、ネレイアの体の黒が完全に染まった。


呻き声も、苦しむ動きも止まる。


静かに立ち上がる。


そこにいたのは――


かつての柔らかく微笑む少女の形をした、黒い影。


目だけが、妖しく、ねっとりと光を帯びている。


「……っ……」


笑う。


ネレイアが。


エリスと同じ、蕩けるような笑みで。


「ふふ……ぁ……あは……あはははは――」



僕は思わず後退りした。


ネレイアはもう――ネレイアじゃなかった。

そこにいるのは、黒く濁った、別の何か。


「あは……あはははは……」


カラカラと乾いた笑いが戦場に響く。

その横で、エリスは恍惚の表情でネレイアを眺めていた。


「うふふ……素晴らしい……導かれるのは、心地よいでしょう?」


ネレイアは一通り笑い終えると、まるで舞踏会で挨拶でもするかのように動きを止め、すっとエリスの隣に立った。


その顔――甘い声。


「ねぇ、みぃんな食べてもいいの?」


エリスはとろける声で答えた。


「ええ、心ゆくまでどうぞ」


にやり、と。

ネレイアが僕たちへ向き直り、一歩だけ前に出る。


……できる。きっと、まだ間に合う。


僕は剣を構え、光魔法を重ねる。

刃が淡い輝きを帯び、手のひらに熱が宿った。


「ネレイア……いま、浄化してやる」


言った。

怯えも迷いもない。あるのはただ、味方を救いたいという思いだけ。


ネレイアは――


まるで、聞き分けのない子供に向けるかのような顔で、困ったように笑う。

優しくすら見える――その笑顔に胸が締めつけられる。


(……なんだ、今の表情――?)


僕はほんの一瞬、躊躇した。まさか、堕ちていないのか?と、その一瞬を、信じかけた。


けれど――僕はその考えを振り払う。


(違う。揺さぶりだ。迷ったら、終わる)


ネレイアの口元がゆっくりと歪む。


「――あは♡」


次の瞬間、


ネレイアの体が 弾けた。


どろり、と広がる黒いスライムの奔流。

真っ先に呑み込まれたのは――


エリスだった。


「なっ――――!?」


エリスの悲鳴が途中で潰れる。

黒い液体は波のようにうねり、しかし僕たちにだけ大きく避けるようにして流れていく。


呑み込まれるのは――悪魔族だけ。


まるで、最初から狙っていたかのように。


「な……ぜ……何が……!?

瘴気は……あなたは堕ちたはず……っ!」


エリスが泡を吐きながら叫ぶ。


黒い塊の中から、楽しげな声。


「うふふふふ…… ねえ、そんなに簡単に堕ちるわけないじゃない。……あたしだって、七曜魔なんだから」


黒スライムが再び人の形を作る。

青さを取り戻したわけではない。

それでも、ネレイアはネレイアだった。


「ざ〜〜〜んねん♡」


その笑みは、嗜虐と余裕と、そして――

ほんの少しだけ、僕たちへの信頼すら混ざっているように感じた。


「う……ぐ、ぁ……っ!」


エリスが黒い液体に絡め取られ、抵抗の声が濁り沈んでいく。

ネレイアの体はさらに膨張し、黒い波となって悪魔族を飲み込み続けていた。


その中心に立つネレイアは、もう――あの飄々とした表情ではなかった。

苦しげでも、悲しげでもなく、ただ静かな笑みを浮かべていた。


「……ねぇ、リアンくん」


呼ばれた瞬間、僕の心臓が跳ねた。


「今回はもう撤退して。あたしはこいつと一緒に死ぬから」


「――っ!」


世界が一瞬、止まったように感じた。


「な、なに言って……!」


思わず叫んだのはクラリスだった。その声は震えていた。


ネレイアは、少し気まずそうに笑った。

いつもの、人懐っこい笑み。けれど、その裏に覚悟が滲んでいた。


「……体の制御が、少しずつ効かなくなってきてる。たぶん、瘴気の影響。

このまま戦えば……そのうち、みんなを巻き込んじゃう」


どろり、と黒い体が脈動する。

意思とは関係なく膨張し、暴れようとしているのが分かった。


「だから、エリスを処理したら、そのまま自分で核を割る」


まっすぐ僕を見て言った。


ひどく優しい声で。


「だから、早く。撤退して」


「……できない」


僕は剣を構える。

光魔法を全力で流し込む。

刃が軋り、青白く燃える。


「僕が――浄化する。助けるから!間に合うはずだ、まだ……!」


ネレイアは、ほんの一瞬だけ目を細めた。


それは、嬉しそうな、でもどこか泣きたいような顔。


「……リアンくんは優しいね。でも、もう遅いよ」


僕の手が震える。


「行って。お願い」


その声は、命令でも懇願でもなかった。

ただの――仲間としての頼み。


アイゼンが僕の肩を掴んだ。


「……行くぞ。戦士の覚悟を無駄にするな」


歯を食いしばる音が自分のものだと気付く。


「……っ……!」


踵を返す。

足が重い。

気を落とすクラリスの肩をレオが押す。

アネッサは唇を噛み、アイゼンは何も言わず前を見る。

セラフィリアは黙って祈るように指を組んでいた。


僕たちは走り、アルボレアの元へ向かう。


「ネレイアが……堕ちました。でも……最後に敵もろとも自滅するつもりです」


アルボレアは一瞬だけ驚いたように目を見開き、すぐに深く息を吸った。


「……意外に真面目な子だもの。そうするわよね」


静かに受け止める声だった。


「……門を開けなさい」


魔法部隊が詠唱を始める。


戦場の各所で、グレンたちが撤退の流れを作り始める。

鬼族、機戦隊、陸戦軍が順に戻ってくる。


裂け目が開いた。

真っ暗な空間が口を開け、その先は中庭へと続いている。


僕たちは一度だけ振り返る。


遠く、黒い波が広がっている。

体はかつてないほど膨張し、悪魔族をどんどん呑み込んでいる。

その中心でネレイアが、こっちに笑いかけているような――そんな気がした。


僕たちは門をくぐった。光が弾け、戦場が消える。


今回も、僕たちは生き残った。

読んでくださってありがとうございます。

今夜はもう一話くらい投稿したいですね。

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