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勇々戦記 ー勇者リアン、迷いと覚悟の旅路ー  作者: ヨルイチ
第二章 フェルグラッド公国編
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第九話 父子の別れと新たな仲間

キリがいいところまでいきたくて長め。

第九話


 湿った石の匂いが漂う地下牢。

 鉄格子の向こうで座るザイラスは、落ち着き払った様子で微笑んだ。


「……来てくれたのか、アイゼン」

 その声音は、かつて家族を気遣う優しい父親そのものだった。


「……」

 アイゼンは眉間に皺を寄せたまま黙り込む。僕も、狂乱の末に捕らえられた男の変貌ぶりに言葉を失う。


 沈黙を破ったのは、ザイラスの他愛もない一言だった。

「外は……まだ雨が降っているか?」


 僕がうなずくと、ザイラスは「そうか」と呟き、少し目を細める。

「雨音を聞くと、アイゼンがまだ幼かった頃を思い出す。よく膝の上で眠って……そうだな、あれはちょうど五歳のときだったか」


「……くだらない」

 アイゼンが低く吐き捨てる。だがザイラスは気にも留めず、なおも言葉を紡ぐ。


「最近は……食事はどうしている? 一人暮らしだからといって食生活が乱れてはいかんぞ。そうだアイゼン、お前は魚より肉の方を好んでいたな」


 アイゼンは拳を震わせる。僕は隣で息を呑むしかなかった。

 ザイラスはさらに続ける。


「そういえば……リアンと言ったか。君たちには迷惑をかけた。済まないね。魔人のあの子にも申し訳なく思うよ。よかったら、これからもアイゼンと仲良くしてやってくれ」


 その言葉は、異様なほどに穏やかで、何気ない世間話のように流れていく。

 しかし牢の空気はどんどん重くなり、耐えきれなくなったのはアイゼンだった。


「……やめろ」

 低く押し殺した声。

 鉄格子を睨みつけ、アイゼンが吐き捨てる。

「なぜ俺を呼んだ? 世間話をするためか? 違うだろう。――本題に入れ」


 アイゼンの苛立った声に、ザイラスはふっと表情を引き締めた。

「……そうだな。本題を話そう。お前に――伝えておかねばならぬことがある」


 鉄格子の向こう、濁った瞳がアイゼンを真っ直ぐに捉える。


「アイリスが……なぜ実験台となったのか。その理由だ」


 アイゼンの目が鋭く細められる。僕は息を飲み、ザイラスの言葉を待った。


「アイリスは……三人目の被験者だった。二度の失敗を経て、魔法を実用の域で扱え、なおかつ機械の肉体を得た唯一の成功例だ。人間より遥かに頑強で、しかも……理性を保っていた」


 低く掠れた声が、牢の石壁に反響する。


「だが、あれは偶然ではない。――アイリス自身の願いだった」


「……願い?」アイゼンが呟く。


 ザイラスは目を閉じ、記憶を噛みしめるように言葉を紡いだ。

「母を失ってから、あの子はずっと苦しんでいた。本当は……母のもとに行きたいと、何度も口にしていた。私は、それを知りながら……見て見ぬふりをしていたのだ」


 しばし沈黙が落ちる。

 ザイラスは鉄格子に額を寄せ、吐き捨てるように続けた。


「だから私は、せめて自らの手で眠らせてやろうと思った。あの子も同意した。これ以上犠牲者が増えるくらいならば、自分を最後に計画を凍結してほしい――そして、自分を眠らせてほしい。その約束を交わし、あの子を機械に繋いだ。私もその時は、約束の通り、それで最後にするつもりだった。実験は失敗し、精神を壊し、永遠の眠りに就かせる覚悟で……だというのに――」


 声が震える。

「成功してしまったのだ。正気を失わぬまま、あの子は機械の体になってしまった」


 アイゼンの拳が小さく震える。


「アイリスは絶望した。そのときのショックで、アイリスの正常な精神は心の奥深くに沈んでしまい、命令を遂行するだけの人形となってしまった。時折正気に戻っては実験体を逃し、計画を妨害することもあった。だが……強い命令には逆らえないように作った体だ。アイリスは嫌がっているのも知っていた。私は……私は、それを知りながら、なおも命令を下し続けた」


 ザイラスの目が虚ろに揺れる。

「私は、その成功に取り憑かれてしまったんだ。だからアイリスを何度も利用したし、あの力を再現しようと、非道を重ねた。……だが結局、アイリスだけが唯一の成功例だった。理由は定かではない。だが推測するに……本人が自ら望み、受け入れねば、脳を機械に接続する過程で魔力が失われる、その影響で精神に異常をきたすのだろう魔法とは心の中の空想を実現する力だからな」


 掠れた声で締めくくる。

「その日以来……私は罪悪感に苛まれ、あの子の名を呼べなくなった。呼べたのは、ただ“機人”という……冷たい呼び名だけだった」


  ザイラスの言葉を聞いた瞬間、アイゼンの肩がびくりと震えた。

その表情に浮かんだ影を見て、僕は直感した。――嘘ではないと、わかってしまったんだ。親子だから。


「……姉さんが……望んだだと?」


 かすれた声。掴んだ鉄格子に白く浮き出る指の骨。

そして次の瞬間、怒声が狭い牢内を揺らした。


「そんな馬鹿な話が……あるかよッ!!」


 拳が鉄を打ちつけ、甲高い音が鼓膜を突き刺す。

僕は思わず息を呑んだ。あまりに真っ直ぐで、あまりに痛切な叫びだったから。


「俺は知らなかった……姉さんがそんなに苦しんでたなんて! 俺はただ……ずっと一緒に笑っていられるって……そう思ってたのに……!」


 怒りと後悔が入り交じる言葉が、アイゼンの喉を裂くように飛び出す。

鉄格子を叩くたびに血がにじみ、飛び散った赤が石床に小さな点を作った。


「なぜだ、父さん! どうして俺がいるのに……! 俺を支えにしてくれることだってできただろう!? どうして狂気に呑まれてしまったんだ……!」


 その声は叫びであり、慟哭だった。

僕の胸の奥まで熱を突き刺し、息が詰まりそうになる。


「俺にはもう、あんたしかいなかったんだぞッ!!」


 最後の叫びに、僕は何も言えずに立ち尽くした。

ザイラスは静かに目を伏せたまま、微動だにしない。

――その沈黙が、どれほど残酷に響いたことか


  アイゼンの慟哭が途切れたあと、牢の中は奇妙な静けさに包まれた。

鉄格子を叩いた拳から血が滴り落ちる音すら、やけに大きく響いていた。


 そんな中で――ザイラスは、ただ静かに顔を上げた。

そこに狂気の色はなく、俺が見てきた怪物の姿もなかった。

ひどく穏やかな、それでいて痛切な父親の顔だけがあった。


「……すまなかった、アイゼン」


 その声はかすれて震えていた。

怒りに満ちていたアイゼンの声とは対照的に、ひどく弱々しく、胸に重く沈む。


「お前を……たった一人にしてしまうな」

「アイリスを……お前の姉を……あんなふうにしてしまった私の罪を……お前にも背負わせてしまった」


 鉄格子の向こうで、ザイラスは苦しげに笑った。

それは誰に向けたものでもなく、ただ自分を罰するような、涙を堪えるような笑みだった。


「本当は……お前たちと過ごす時間だけで、私は充分だったんだ」

「妻が死んで、心が壊れて……それでもお前やアイリスが支えてくれていたのに……私は……」


 言葉が途切れた。

ザイラスの喉が詰まり、肩がわずかに震える。


 僕は息を呑んだ。

狂気の支配者ではなく、ただ一人の父親として、深い後悔に苛まれるザイラスの姿がそこにあった。

アイゼンは拳を握り締めたまま、それでも言葉を返せずにいる。


 ――どれほど憎んでも、消せない父子の情がそこにあった。

 

 ザイラスはしばらく沈黙していた。

アイゼンもまた、言葉を探しあぐねているように拳を握りしめたまま動かない。

僕はただ、その場に立ち尽くして二人の間の空気を見守るしかなかった。


 やがてザイラスはゆっくりと鉄格子に近づき、両手を鉄格子の隙間から出して、アイゼンの肩に添えた。

 憲兵が素早く反応し、武器を取るが僕はそれを手で静止する。

その指は細く、骨ばって、長年の実験と狂気に蝕まれた痕跡が刻まれている。

けれども、そこに宿る眼差しは――父親のものだった。


「アイゼン……お前に託したい」


 低く、それでいて確かに届く声。

アイゼンが顔を上げ、ザイラスを睨む。


「託す……?」


「ギルドのことでも、研究でもない。そんなものは全部、灰になってしまえばいい」

「だが……お前の未来だけは、灰にしてはならない」


 ザイラスの目がわずかに潤む。

それは哀願でもあり、懺悔でもあった。


「どうか……人の痛みに寄り添える者であってくれ」

「私のことなんか忘れていい……だが、アイリスのことだけは覚えていてやってほしい……そして、私のように道を過たず……正しく歩んでほしい」


 アイゼンは唇を噛み、何も言えなかった。

ただ視線が揺れている。怒りと悲しみと――父親を失う恐怖が絡み合った複雑な色で。


 ザイラスはそれを見て、ふっと口元を緩めた。

「それだけだ……もう、会うことはないだろう」


 その言葉を最後に、ザイラスは背を向けた。

鉄格子の向こうで憲兵が彼を連れ出し、足音が遠ざかっていく。


 残されたのは、拳を握り締めたまま立ち尽くすアイゼンと、何もできずに横に立つ僕だけだった。

胸の奥で、どうしようもない重さがのしかかる。

 

 面会室を出て、憲兵に見張られながら廊下を歩く。

アイゼンは無言のまま、拳を握りしめたり緩めたりしていた。

僕はそっと横に歩み寄る。


「……取り乱して、すまなかった」


 低く、けれども確かな声で、アイゼンが呟く。

その肩越しに見えた表情は、怒りの残滓をまだ抱えつつも、少し落ち着きを取り戻していた。


「……いや、無理もないよ」

 僕は自然に返す。

「あんな話を聞いたら、誰だって抑えられない」


 アイゼンは一瞬だけ目を伏せ、深く息を吐いた。

「……ありがとう。少し、落ち着けそうだ」


 その言葉に、僕はわずかに頷く。

言葉は少なくても、互いに理解し合えるものがあった。


 憲兵に促され、僕達は詰め所へと戻る。

中には仲間たちが待っていて、僕たちの到着を見つめている。

アイゼンは少しだけ肩を落とし、視線を床に落としたまま、ゆっくりと口を開く。


「……面会してきた。内容は……まあ、大したものじゃない」


 仲間たちは息を飲み、静かに耳を傾ける。

アイゼンは言葉を選ぶようにして、しかし詳しくは話さずに続けた。


「ザイラスは……俺のことを案じていた。それだけだ」


 僕は隣でうなずき、補足する。

「父としての言葉だけだったよ」


 アネッサは少し目を細め、黙ったまま頷く。

ノワールも言葉はなく、ただアイゼンを見守る。

レオとクラリスも同じように、静かにその場に立っていた。


 その場には、誰も無理に事情を聞こうとはせず、重苦しいけれど穏やかな空気が流れた。

アイゼンは一瞬だけ肩の力を抜き、僕に視線を送る。


「……ありがとう、みんな。……少しだけ話を聞いてくれるか?」


 詰め所の空気は、戦いの後の疲労と、まだ引きずる緊張で重い。

アイゼンは椅子に座り、目を遠くにやったまま、静かに口を開いた。


「……姉さんと、よく庭で遊んだんだ」

その声は低く、どこか懐かしさに震えている。


「俺たちがまだ小さい頃、庭の花壇の前でよく競争してた。どっちが先にあの大きな木まで行けるか……なんて、どうでもいいことを真剣に競ってさ」


 僕はそっと耳を傾ける。

アイゼンは続けた。


「姉さんはいつも笑って、俺の手を握ってくれた。転びそうになったら、必ず支えてくれたんだ……俺、そんな姉さんが大好きだった」


 少し声が詰まる。拳が微かに震え、机に触れた指先から力が抜ける。


「……もう二度と、あの笑顔を見ることはできないんだな」

「姉さんは……せめて、安らかに眠れただろうか」


 僕は言葉をかけず、ただ頷いた。

周りも静かに、それぞれの思いを胸に、この場の沈黙を共有しているようだった。


 その短い沈黙のあと、アイゼンは軽く息を吐き、肩の力を少し戻した。

「……済まない、変な空気にさせたな。今日はもう休もう」


 

  その夜、僕たちは憲兵詰め所の仮眠室に案内された。

疲れ切った体を床に横たえると、アイゼンも静かに隣に座り、深いため息をつく。


「……さすがに疲れたな」

 その声には、戦いや面会で使い果たした力の残滓が混じっていた。


 僕も頷き、毛布に身を包む。

窓の外にはまだ夜の静けさが広がり、かすかな街灯の光だけが差し込んでいる。

深く息を吸い込み、目を閉じると、重力に引かれるように意識がゆっくりと遠のいていった。


 ――そして翌朝。


 僕が目を覚ますと、アイゼンはすでに起きて、身支度を済ませていた。

憲兵に促され、将軍の前に向かうことになったのだ。


「余罪の件で、呼ばれたんだ」

 アイゼンは静かにそう告げ、拳を握り直す。

「リアン、行ってくるよ」


 僕は頷いた。

せめて罪が軽くなることを祈るしかない。

アイゼンは将軍の待つ部屋へと歩き出す。



 詰め所の扉が開き、アイゼンが帰ってきた。将軍による取り調べが終わったようだ。

僕たちは皆、黙ってその表情を見つめた。

アイゼンは静かに息を整え、深くうなずいたあと、口を開く。


「……余罪について、将軍から追及を受けてきた」

 その声は落ち着いているけれど、重みがあった。

「内容は……過去のギルド活動における不正、規則違反、そしてザイラスの計画に関与していたことだ」


僕たちは息を飲む。

アイゼンは続ける。


「処遇については、まだ確定ではないが、公国の法律に基づき厳重な監視下での身柄拘束になる見込みだ」


 その言葉に、アネッサは口元を引き結び、ノワールも眉をひそめる。

クラリスは聖女としての落ち着きで表情を抑えているけれど、その目には心配が光っていた。

レオは控えめに視線を落としながらも、僕を通してアイゼンを気遣っているのがわかる。


「……俺は、どうなるか分からないけれど」

 アイゼンは短く息をつき、僕たちを見渡す。

「できることなら罪を償って、真っ当に生きられたらいいな」


 僕は力強く頷く。

「もちろんだよ、アイゼン。君のその真っ直ぐさなら、どんな困難も乗り越えられる」


 小さな沈黙が詰め所を包む。

それでも、互いに信頼を共有できたことで、重苦しさの中にわずかな安堵が混ざった。


 詰め所でアイゼンが罪状と処遇を僕たちに伝えた後、将軍から条件が告げられた。

「公国内から出ないこと――それだけ守れば、自由行動は許可する」

しかしアイゼンはそのまま詰め所に残り、余罪の取り調べを受けることになった。

「じゃあ、ここでお別れだな。リアン、世話になった」

 短くそう告げるアイゼンに、僕もうなずいた。

「あぁ……アイゼン、きっとまた」

 彼は小さく笑みを返し、扉の向こうへと歩き去った。


 僕たちは改めて、レオの実家へ向かう。

街の道を歩きながら、戦いや面会の緊張感がまだ心に残っている。

でも、あの優しいレオの両親の顔を見ることを思えば、少し安心できる気もした。


 門をくぐると、レオの両親が僕たちを迎えてくれた。

「みんな……大丈夫だったの?」

 母親の声に、レオは小さく頷く。

僕とノワールも自然と頭を下げる。


「心配かけて、本当にすみませんでした」

 僕は丁寧に頭を下げながら謝る。

ノワールも小さく頷き、控えめに「申し訳ありませんでした」と続ける。


 両親は僕たちを見つめ、安堵の息を漏らす。

「いいえ……いいのよ、無事でよかった」

 母親の目には、心配と安心が入り混じった光があった。

父親も静かに頷き、軽く微笑んだ。


 僕たちは少しの間、家族の温かさに触れ、戦いの疲れと緊張を落ち着ける時間を過ごした。

やっと、ほんのひとときだけど、安心して呼吸できる――そんな感覚だった。

 家の中に入り、レオの両親に見守られながら、僕たちは久しぶりに落ち着いた時間を過ごした。

温かいご飯の香りが部屋中に広がり、戦いや面会で張り詰めていた心を少しずつ解きほぐしてくれる。


「いただきます」

 僕が箸を握ると、ノワールも静かに頭を下げ、アネッサは笑顔で食卓を見渡す。

クラリスは丁寧にお辞儀をし、レオは自然に箸を取った。


 一口、二口と口に運ぶたび、緊張がふわりと溶けていくようだった。

「……美味しいね」

 僕がぽつりと言うと、アネッサがにっこり微笑む。

ノワールもわずかに笑みを見せ、クラリスは静かに頷く。

ほんの少しの時間だけど、こうして皆で温かいご飯を囲むことの幸福を、しみじみと感じた。


 その夜は、戦いや面会の疲れもあって、僕たちはレオの実家に泊まることにした。

夜が深まるにつれ、窓の外には静かな街の灯りがちらほらと光っていた。


 

 翌朝、まだ薄暗い部屋で目を覚ますと、静寂を破るかのように軽いノックが聞こえた。

「勇者リアン殿はおられますでしょうか」

 穏やかな声が響く。僕が扉を開くと、そこには、身ぎれいな制服に身を包んだ大公の使いが立っていた。


「おはようございます。大公閣下がお呼びです。貴方たち五人にお話があるとのことです」


 僕たちは一瞬、言葉を失った。

戦いの疲れもまだ残っている朝だというのに、再び緊張感が胸に広がる。

ノワールは眉をひそめ、アネッサは軽く唇を引き結ぶ。レオはごくりと唾を飲み、クラリスは穏やかな表情を保とうとするが、背筋の緊張は隠せていない。


 僕は小さく息をつき、皆に視線を向けた。

「行くしかないね」


 ノワールは静かに頷き、アネッサも一瞬笑みを浮かべてから覚悟を決める。

クラリスは静かにうなずき、レオは両親に一礼して、家族に心配をかけないように顔を上げた。


 僕たちは身支度を整え、家を後にする。

外は朝の柔らかな光が差し込み、街も少しずつ目覚めを始めていた。

けれど、心の奥底では、これから向かう大公との面会が何を意味するのか、まだ予測できずにいた。


 使いに先導され、僕たちは街の道を歩く。

足音が石畳に反響し、緊張の波が体を伝っていく。

誰も言葉を交わさず、ただ互いの気配を感じながら歩く――

けれど、この沈黙の中に、仲間と共に進む決意だけは確かにあった。


 

  広間に足を踏み入れると、大公は僕たちを静かに見下ろしていた。

その視線だけで、自然と背筋が伸びる。アイゼンも僕の隣で肩を強張らせていた。

「こうして貴殿に会うのも二度目か、勇者リアン。……公国の不始末で、貴殿たちに多大な迷惑をかけたこと、深く詫びる」

低く落ちる声は、説明ではなく、重々しい威厳そのものだった。

僕たちは無言で頭を下げる。


「貴殿らの出国は現時刻をもって許可しよう」

短く告げられた一言に、僕の胸の奥で小さな安堵が広がった。

自由に動ける――その事実だけで、緊張でこわばっていた体が少しほぐれる。


 大公の視線がアイゼンに向く。

「アイゼンと言ったか。貴様の行いは重い」

言葉は鋭くも静かに、しかし威圧に満ちている。


「貴様は無償労働だ。その罪を贖うまで、無償の奉仕に励むがよい」

アイゼンは一瞬、硬く目を見開く。

その瞬間、僕も息を呑む。

重い刑――当然、誰もが受け入れるべき罰だと思った。


 アイゼンが覚悟を決め、静かにうなずこうとしたとき、大公は静かに「しかし」と言った。

その声にアイゼンの肩が小さく震える。


「情状酌量の余地ありと認める」


 僕は思わず顔を見合わせる。

アイゼンも目を見開き、驚きがその表情に浮かぶ。

知らされていなかった判断――重い刑を受け入れようとした直後の、予期せぬ救いだった。

 大公の視線は変わらず鋭いが、そこには慈しみと慎重な配慮も含まれていた。

アイゼンはしばらく言葉を失い、ただ深く息を吸って、その決定を胸に刻む。

 大公はゆっくりと息をつき、広間の静寂を破った。


「そして、アイゼン。貴様には、この執行猶予中、ひとつの責務を課す」

アイゼンの目が少し揺れる。僕も隣で緊張を感じながら、その声に耳を傾ける。


「貴様は、勇者リアン一行の同行者として王国へ向かえ」

大公の言葉に、アイゼンは眉をひそめる。

「同行……?」


「そうだ」

大公の目が鋭く、しかし慈しみに満ちた光を帯びる。

「王国の王へ、我が言葉を伝える。それがお前の任務だ」


 僕は息を呑む。

アイゼンの顔にも驚きと戸惑いが浮かぶ。

重い刑を受け入れようとしていた矢先に、予期せぬ責務が降りかかる。

しかし、その目には覚悟の光も宿っていた。


 大公はゆっくりと頷き、静かに言葉を結ぶ。

「これにより、貴様の名誉と信頼を回復せよ。失敗すれば、執行猶予は取り消される」


 アイゼンは深く息を吸い、僕の目を見つめる。

その視線に、責任の重さと、これからの旅への決意が混ざっているのを感じた。


 僕も小さくうなずいた。

「……共に行こう、アイゼン」

声は小さくても、胸の奥の覚悟は確かだった。

アイゼンもまた、静かに頷く。

僕たちは互いに視線を交わし、この新たな試練に向き合う決意を固めた――大公の前で、そしてこれからの旅路のために。


 大公は少し息を吐き、さて、と話を切り替える。

前回の魔導国との国交に関する話だ。

空気が少し重くなる。ノワールはそれを察したのか、自然と一歩前に出る。


「余は、公国と魔導国との間に技術交流の機会を設けたいと考えている」

大公の視線はノワールに向けられる。

「ついては、まず魔導国に使節団を送りたい。その旨を書状に記した。魔王陛下へと届けてくれるか」


 ノワールは静かに頭を下げ、恭しく返答する。

「承知いたしました。必ず魔王にお伝えいたします」

手渡された書状を丁寧に受け取り、握りしめる手に力が入る。


 大公は再びアイゼンに視線を戻した。

「そして、アイゼンよ。公国は魔導国と国交を開く。王国とは付き合いがあるからな、伝えておかねばなるまい。これを王国の王に伝えるのがお前の任務だ」

書簡がアイゼンに手渡される。

アイゼンは深く息をつき、書簡を握りしめる手がわずかに震える。


 最後に、大公は僕の方にゆっくりと目を向けた。

「勇者リアン。貴殿らの旅の無事を祈る」


 僕は深く頭を下げる。

胸にずっしりとした緊張はあるけれど、同時に覚悟が固まった感覚があった。

大公の威厳に満ちた瞳を背に、僕たちはこの謁見を終え、次の旅路に向かうことを心に決めた。


 

  大公との謁見を終えた僕たちは、街の喧騒を抜け、再びレオの実家へと戻った。

扉を開けると、待っていた両親が駆け寄ってくる。母親は僕らの姿を見るなり、胸を押さえて安堵の息を漏らし、父親も「おかえり!」と迎えてくれた。


 居間に通され、みんなで腰を下ろすと、父親が口を開いた。

「大公様に呼ばれたんだろう……どうだった?」


 僕は真っ直ぐに両親を見つめて答える。

「無事に出国の許可をいただけました。だから、僕たちはまた旅を続けることになります」


 母親は手を口に当てて、小さく「まあ……」と声を漏らした。

その隣で、父親は深くうなずき、真剣な目を僕たちに向ける。

「そうか……ならば、行くしかないな。気をつけて行け」

「だが、もう昼を過ぎている。出発は明日にしたらどうだ?」

 母親も続ける。

「お夕飯用のお野菜、剥きすぎちゃったのよ」


 僕は微笑み、その言葉に甘えることにした。

 一歩前に出て頭を下げる。

「ありがとうございます。それと、彼はアイゼン。これから一緒に旅をする仲間です」


 アイゼンは簡潔に「俺はアイゼン。よろしくお願いします」とだけ言い、深く礼をした。

両親は驚いたように目を丸くしたが、すぐに笑みを返す。

「息子の仲間なら、私たちにとっても大事なお客さまです。どうぞ、よろしくね」


 その後は温かな食事を囲み、久しぶりに穏やかなひとときを過ごした。

母親の料理の香りに心がほぐれていく。アネッサもレオも自然と笑みを浮かべ、ノワールの顔からも張り詰めた色が消えていた。クラリスはすっかり両親と打ち解けていた。アイゼンもぎこちなく箸を進めながら、時折「……旨い」と小さくつぶやいていた。


 食後、翌日の準備を進めながら、母親は保存食を包み、水袋を手際よく整えてくれる。父親は荷物を点検しながら、黙って僕たちを見守っていた。

 その日はいつもよりほんの少しだけみんなで夜更かしをした。その温かい時間が、アイゼンの心を少しでも癒してくれることを祈って。

 


 翌朝、玄関に立ち、見送りのときが来る。

母親は少し潤んだ瞳で言った。

「……どうか、みんな無事に帰ってきてね」

「俺も母さんも、もうレオだけでなく君達のことも実の子供のように思っている。元気でな」


 その言葉に、僕たちは力強くうなずいた。

再び旅立つ朝の光が差し込み、僕たちの背中を押しているように感じられた。


  夜明けを告げる鐘の音が、山あいの街に響き渡る。

 僕たちは荷を背に、石畳を踏みしめながら公国の大門へと向かった。


 朝靄に包まれた城壁は威容を誇り、鋼鉄の門扉にはまだ冷たい露が光っている。見送りの人々の姿はない。ただ、城塞の衛兵たちが槍を手に、無言で門の脇に立っていた。


 レオが振り返り、公国の街並みを目に焼き付けるように見渡す。

「……ありがとう。必ずまた帰ってくる」

その声は小さく、けれど確かな決意を帯びていた。


 アネッサは風に髪を揺らし、笑みを浮かべる。

「さあ、行こうよ。次はどんな出会いがあるかな?」


 ノワールは何も言わず、懐に収めた書状へと一度視線を落とした。公国と魔導国、そして王国と魔導国を結ぶ重責は、その細い肩に確かに託されている。


 アイゼンは門の外を鋭く見据えたまま、低くつぶやく。彼もまた、重大な責務を託されている。

「必ずこの任務を達してみせる。それに、お前達への恩も必ず返すさ」


 クラリスは何も言わずに深呼吸をする。僕とクラリスにとっては王国への里帰りだ。特に彼女は王国の思想が間違っていたと考えを改めている。緊張もひとしおだろう。

 

 僕は深く息を吸い込み、頷いた。

「行こうか。まだまだ旅はこれからだ」


 重々しい軋みとともに、門が開かれる。

 朝の光が差し込み、広がるのは果てなき大地と、遠く霞む山々。その先には、まだ見ぬ国々と数多の試練が待ち受けているだろう。


 誰も言葉を交わさなかった。ただ、それぞれの胸に誓いを秘めながら、一歩を踏み出す。


 こうして僕たちは、公国を後にし、新たな旅路へと進み出した。

 

――第二章、閉幕

公国編、終了。次はそこそこ長編になります。

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