第八十九話 穏やかな日
第八十九話
side:リアン
朝の作戦室に差し込む光はいつも通りで、その瞬間だけは平和に思えた。僕は席に腰掛け、整列した顔ぶれを見回す――クラリス、レオ、アネッサ、アイゼン、セラフィリア。向かい側にはノワール、ロザリンド、ヴァルディス、カリーナ、老参謀。
「まずは報告だ」――ロザリンドが切り出す。彼女の声には指揮官の確かさがある。
「魔王陛下は、無事に勝利なされた。しかし傷の治療と体力回復のために魔導国へ戻った。戦闘のダメージもだが……闇魔法は消耗が激しい。ゴルド・レグナ殿相手であれば尚更だったことだろう」
その言葉を聞いて、胸の中に小さな波が立つ。僕は昨夜の決戦の概要を断片的に聞いていた。二人の激突は、大陸が割れるかのようなものだったらしい。畏怖にも似た感情がこみ上げる。
「それで、今日集めた目的は?」と僕が問う。──無意味に集めることはしない。なにかしらの報告があるはずだ。
ロザリンドは頷き、一呼吸置いてから作戦の枠組みを話し始めた。声は淡々としているが、言葉の重みは明白だ。
「こちらから攻勢をかける。手に入れた座標をもとに門を開き、敵の中枢へ一気に攻め込む。細部を詰めるために招集した」
ヴァルディスが笑み混じりに身を乗り出す。「いよいよか」
部屋の空気が引き締まる。誰も口にはしないが、皆の顔つきが変わったのが見て取れた。
ロザリンドは地図を広げ、カリーナに振る。カリーナが補足する。
「三番目に記録してある座標――そこが適していると思う。首都の中心に近い裏路地で、そこなら大きな門を開けるくらいのスペースもあった」
ロザリンドが続ける。「その地点へ大軍を集中させ、一気に突入する。目標は敵戦力の殲滅と、可能であれば“五芒星”幹部の撃破を狙う」
アイゼンがすぐに口を挟む。顔には真剣さが滲んでいる。
「敵は数が多い。こちらが大軍を注ぎ込んでも大丈夫なのか? 包囲されるリスクは?」
ロザリンドは冷静に答えた。指揮官の声だ。
「幹部は強力だが、下位の兵士たちの個々の強さは我らの方が上回る。出し惜しみせず短期決戦で叩き、敵の反応が整う前に押し潰す――それが合理的だ。時間を掛ければこそ敵の数が利する」
彼女はひとつ付け加えた。「この作戦に際し、魔王陛下から相応の戦力が与えられている。グレン殿率いる鬼の一族、七曜魔であるネレイア殿、アルボレア殿もともに来てくれる手筈となっている。現状できる中でもっとも攻撃力に優れた組み合わせだ」
言葉が部屋を満たす。聞くほどに、計画は現実味を帯びてくる。ヴァルディスは腕を組み、満足そうに頷いた。カリーナは実働隊における機戦隊の役割を考えているようだ。老参謀は地図の一点を指でなぞるように見つめている。
「編成は鬼族と公国の機戦隊を軸にする。短時間で敵の戦力を削ぎ、出来うる限りの打撃を与える電撃戦となる。退却路の確保も忘れるな。期間は一週間後──それまでに各自、準備を整えること」
短く明快だ。部屋の隅でセラフィリアが小さく息をついた。僕は彼女の顔を見て、あの白い翼が朝日で淡く輝いているのを確かめる。
僕の心はざわつきつつも、冷静に受け止める。準備期間は一週間。心身を整え、物資を積み、詰めるべきは詰める──その間にも敵は動くかもしれない。だが今は指示に従うしかない。
ロザリンドが最後に一言付け加える。声には揺るぎない意思がある。
「出来る限りの想定を用意しろ。敵幹部――五芒星への対処、退路、補給、すべて怠るなよ。各自、任務を割り振る。今日から動け」
その瞬間、作戦室は戦場のような緊張に満ちた。僕は胸の中で短く息を吐き、仲間たちの顔を見渡した。クラリスはレオといつものように消耗品や必要なものの補充を行ってくれる。アネッサは食糧の買い出し、アイゼンは武器の手入れを行ってくれる。セラフィリアはそれぞれのサポートだ。僕は仲間達が準備をしてくれている間、警備の任を続けることにする。
一週間後――ここから僕たちの反撃が始まる。準備を、確実に。
あれから4日。王城の一室。窓の外には穏やかな陽光が差し込み、石造りの床に柔らかい光の模様を描いていた。
作戦会議や進軍の準備で張り詰めていた空気も、今日はどこか緩んでいる。
僕は机に地図を広げたまま、ようやく肩の力を抜いた。
「ふう……今日は一息つけそうだな」
椅子の背にもたれて呟くと、すぐ隣のレオが笑った。
「だね。ここのところ、みんな張り詰めっぱなしだったから。せっかくの警備休みなんだし――今日はゆっくりしようよ」
「どうせなら、どこか景色のいいところにでも行かない?」とアネッサ。
「たとえば……あの湖畔。ほら、双子の悪魔と戦ったときの。あのときは余裕なかったけど、すっごく綺麗だったよね」
彼女の言葉に、セラフィリアがぱっと笑顔を浮かべた。
「私、行きたいです。あそこは空気が綺麗だし、きっと気持ちがいいと思います」
その明るい声に、クラリスが顔を上げる。
「それ、いいわね。私も外の空気が恋しかったの」
その言葉に、リアンも自然と頷く。
「いいな。たまには戦場のことを忘れて、風でも感じようか」
「決まりだね!」とアネッサが手を打つ。
「じゃあ軽食くらいは用意しようよ。アイゼン、手伝ってくれる?」
「俺か? ……まあ、いいけど」
アイゼンは少し照れくさそうに頭を掻いた。
「簡単なものでいいならな」
「助かる!」アネッサが笑顔で親指を立てる。
「パンとハムと野菜でサンドにしよう。あと、レモン水を持って行こうか」
クラリスが笑いながら呟く。
「まるでピクニックみたいね」
その一言に、場の空気がふわっと軽くなった。
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太陽が少し高くなった頃、準備を終えた僕達は城門前に集まった。
アネッサが大きな籠を抱え、アイゼンは水筒と荷を背負っている。
クラリスとレオは隣り合わせで立っている。手の甲が触れそうな距離だ。
「……レオ、その……地図は持ってきた?」
「え、あ、ああ、ここに。……ほら」
「ありがと」
クラリスは微笑むが、その頬がほんのり赤い。レオも照れくさそうに頭を掻いた。
僕はその光景を眺めつつ、少し後ろを歩きながらセラフィリアと話していた。
「最近、無理してなかったか?」
「平気です。リアンさんこそ、ずっと警備だったでしょう?あなたこそ休むべきです」
「……そうする。お互い様だな」
柔らかな笑みを交わしながら、僕達はゆるやかな坂道を下っていく。
道中は鳥の声と草のざわめき。空気は澄み、心地よい風が頬を撫でた。
アネッサが鼻歌を歌いながら先頭を歩き、アイゼンがその後をゆっくりとついていく。
「アネッサ、そんなに飛ばすな。荷が重いんだ」
「えー、男でしょ? 根性出しなさいよ」
「……やれやれ」
口調はぶっきらぼうだが、アイゼンの声にはどこか楽しげな響きがあった。
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やがて木々が開け、視界に広がる青が現れた。
湖だ。太陽の光を受けてきらきらと輝き、遠くの山々を映している。
水面を渡る風が頬を撫で、心の中にあった緊張をすべて洗い流していくようだった。
「……綺麗」
クラリスが思わず呟く。
「本当ですね」セラフィリアが両手を広げるようにして空を見上げた。
「空と水がひとつになってるみたい」
僕もその光景を静かに見つめながら、微笑んだ。
「アネッサ、いい場所を選んだな」
「でしょ?」彼女が胸を張る。
「じゃあ、そろそろご飯にしよっか!」
アネッサが早速、布を広げて昼食の準備を始める。
「さーて、勇者一行の三つ星シェフ、あたしとアイゼンの腕前を見せるときだね!」
「いや、お前はほとんど盛り付けしかしなかっただろ」
アイゼンが呆れたように言うと、アネッサがわざとらしく肩をすくめた。
「それも立派な仕事だよ? 見栄えがよくなきゃ、味も半減するってもん!」
「……見栄え気にするなら、まず包丁の持ち方から直せ」
「うるさい! あたしの包丁さばきは芸術なんだから!」
「芸術って……惨状の間違いだろ」
「なっ……!? 言ったわねこの筋肉男!」
アネッサがアイゼンの腕に向かってパンを投げつける。
それをアイゼンが片手で受け止め、そのままひょいと一口かじった。
「……うまいな。さすが王国のパン」
「はあ!? 焼いたのはあたしなんだけど!?」
「お前のは焼き目をつけたと言うんだ」
そのやり取りに、クラリスが思わず吹き出した。
「ふふ……二人、仲良しね」
「やめてくれ、勘弁してくれ」
「なにそれ! 嫌そうな言い方!」
「事実だ」
「もう! あたしが次に作るときはアイゼンの分だけ無しだから!」
「助かる」
「……ちょっとは慌てなさいよ!」
まるで漫才のような掛け合いに、みんなが笑いに包まれる。
僕も思わず頬が緩んだ。久しぶりに、こんなに穏やかな時間を過ごしている気がする。
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食後、レオが湖の方を眺めながらぼそっと呟いた。
「水、冷たそうだな……」
「試してみる?」とクラリスが少し挑発するような笑みを浮かべる。
「……やめとく。落ちたら風邪ひいちゃうよ」
「じゃあ、落ちなきゃいいじゃない」
そう言ってクラリスは靴を脱ぎ、裾を少し上げて湖に足を入れた。
「ひゃっ……! ほんと、冷たい!」
思わず跳ねた彼女の声に、レオが慌てて手を伸ばす。
「あ…! 大丈夫?」
「ふふっ……大丈夫。でも気持ちいいわ」
クラリスが振り向いた瞬間、風が吹き抜けて彼女の髪がレオの頬をかすめた。
ほんの一瞬、二人とも動けなくなる。
そのあと、レオがわずかに視線を逸らし、耳まで赤くしてぼそっと言った。
「……風、強いね」
「そうね」クラリスはくすっと笑って、また足を水に沈めた。
彼女の笑顔に、レオも少しだけ表情を緩めた。
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そのあとも、アネッサが木の枝を振り回して「剣技ごっこ」を始めたり、
アイゼンが適当に削った枝で釣り真似をして「これで釣れたらその道のプロを目指す」とか言ったり、
セラフィリアが草の上に寝転んで空を見ながら「このまま雲になりたい」なんて呟いたり。
みんなが笑って、冗談を言い合って。
戦場の記憶が遠く霞むように、湖畔の時間は穏やかに流れていった。
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やがて夕暮れ。
空が橙に染まり、水面が金色に輝く。
僕達は片付けを終え、名残惜しさを感じながら湖畔の道を歩き出した。
レオとクラリスは並んで、時折笑い合いながら。
アネッサとアイゼンはまた軽口を叩き合っている。
その後ろ姿を、僕とセラフィリアは少し離れたところから見送っていた。
「……穏やかな一日だったな」
「ええ。みんな、楽しそうでした。……もちろん、私も」
セラフィリアの声は、沈みゆく陽の光のように柔らかかった。
「こうして笑っていられる日が、いつまでも続けばいいんだけどな」
僕がそう呟くと、彼女は静かに微笑んで言った。
「続きますよ、きっと。……そうなるよう、守りましょう」
湖面に映る夕陽が、彼女の銀の髪を照らしている。
その光が風に揺れて、水面の煌めきと一つになった。
僕はゆっくりと頷いた。
「……そうだな。たとえこの先に何があっても――この光景だけは、忘れないようにしよう」
セラフィリアが小さく微笑んだまま、夕陽に向かって歩き出す。
その背に続いて、僕も静かに足を踏み出した。
金色の湖が背後で揺れていた。
まるで、今日という一日の思い出を照らしてくれているかのように。
読んでくださってありがとうございます。
日常回でした。和やかな雰囲気を出すのもまた難しいものですね。




