第八十八話 激戦、決着
第八十八話
私は黒い闇の斧を握りしめたまま、ゴルド・レグナに呼びかけた。頬には裂傷、体は火傷、口元からは血が伝う。私とて無事ではない。だが、この瞳は未だに燃えていた。
「……そうだ、立て。貴様はそんなものではない」
私の前で、ゴルド・レグナがゆっくりと立ち上がる。竜鱗の隙間からは血が滲み、翼は焦げ、片脚は地を踏み締めるたびに軋んでいる。それでも――その眼光は、一片たりとも濁ってはいなかった。
「闘志だけは、貴様に負けぬつもりだ」
ゴルド・レグナが、低く唸るように言った。
そして、次の瞬間だった。
ごり、と音を立てて――自らの左腕を、彼女は掴み、引き裂いた。
肉が裂け、鱗が飛び散り、真紅の血が大地に滴る。その光景に、私は驚きを隠せなかった。
「な――!」
だが止まらない。ゴルド・レグナはその引き千切った左腕に、深く息を吸い込み――轟音とともに、炎の吐息を放った。
咆哮とともに燃え上がる腕。灼熱が空気を焼き、爆ぜる火花が周囲を紅く染める。
やがて――燃え尽きたはずの左腕の残骸が、形を変えて再び伸びた。
それは黄金と紅蓮が混ざり合った、巨大な竜の前脚。先端は溶けた鋼のように輝き、地面に落ちるだけで砂すら蒸発させる。
「左腕は二度と戻らぬ」
低く、しかし誇らしげに、ゴルド・レグナは言い放つ。
「だが――それを賭けるだけの価値が、貴様にはある」
言葉が終わるより早く、閃光のように踏み込んでいた。
反射的に闇の壁を展開する。だが――。
衝突と同時に、世界が砕けたような衝撃。
防壁はひと撃ちで粉砕され、爆風に巻き込まれた私の体は吹き飛ばされた。
「くっ……!」
咄嗟に翼を広げて空中で姿勢を制御。そのまま距離を取る。
眼前には、燃え盛る腕を振り下ろす黄金竜の影。
――美しい。
私の顔は自然と笑みに歪む。
血の味がした。だが、それすらも心地よかった。
「フッ……ふふ……っ、良いじゃないか。やはり貴様は退屈を知らぬ女だ」
「ほう……笑うか」
ゴルド・レグナの口元にも牙を見せた笑みが浮かぶ。
「ならば、笑い合ううちにどちらかが朽ちるまで――愉しもうではないか」
再び地が割れ、黄金と闇が衝突する。
地を裂く轟音とともに、黄金の前脚が振り下ろされた。
闇を操り、瞬時に防壁を展開する。黒い膜が私の前に浮かび上がり、炎の熱と衝撃を弾いた――ように見えた。すぐに壁は悲鳴を上げるように軋み、ひび割れ、粉々に砕け散った。
「っ、重いな……!」
歯を食いしばり、背後に跳ぶ。直後、地面が押し潰されたように陥没し、焦土が風に散った。
だが、こんなもので怯みはしない。
手を振り、闇が剣の形を取るように伸び上がる。いくつも生まれた漆黒の刃が矢のようにゴルド・レグナへ殺到する。
「ふん、軽い!」
ゴルド・レグナは咆哮とともに翼をはためかせる。空気が弾け、飛来する闇の剣が軌道を逸れる。しかし全ては防ぎきれず、その体を裂いた。しかし急所は的確に避けている。血の線が宙に散り、燃えるような視線が私を射抜く。
「もっとだ……!」
次の一撃は、まるで山をも砕くような踏み込みだった。
黄金の前脚が振り下ろされる。避けても、衝撃波が襲う。
闇で受けても、熱と圧力が肌を焦がす。防ぐたびに体がきしむ。
「はは……これは、良い。強いな……!」
その強さに、私を打ち倒そうとするその意志に、思わず私は笑った。
血の滲む唇から、愉悦がこぼれる。
「その笑み、叩き潰してくれる!」
ゴルド・レグナの咆哮とともに、前脚が閃く。
その速度は視線が追いつかないほど。
――そして。
「……っ!」
次の瞬間、私の胴は黄金の前脚に貫かれていた。
熱と痛み、そして血が噴き出す。反応できなかった。音よりも速く私を仕留めに来た。
「……ふふ。見事、だ」
体から力が抜け、崩れ落ちる。そんな私の姿を見て、ゴルド・レグナは勝鬨を上げた。
「終いだ! 魔王ヴァレリア、貴様も――」
その言葉は、途中で凍りついた。
私はニヤリと笑みを浮かべる。体が影のように滲み、ほどけていく。
崩れた肉体は煙のように消え、闇が渦を巻いて黄金の前脚に絡みついた。
「なっ……!? なんだ、これは……っ!?」
ゴルド・レグナが必死に腕を振り払おうとする。
しかし、闇は生き物のように蠢き、炎をも飲み込む勢いで前脚を覆っていく。
熱も、力も、そして黄金の輝きすらも――黒に溶けていった。
やがて、前脚は闇に呑まれゴルド・レグナの側から消えた。
闇が蠢き、私の体は形を取り戻す。そして私の傍には闇に取り込まれた黄金竜の前脚がある。
「悪いなレグナ。貴様の左腕……頂くぞ」
低く、凛とした声が響く。
闇が、再び蠢く。
形を変え、漆黒の竜の前脚が私の隣に浮かぶ。
これが、私の闇魔法の切り札だ。
――重い。
けれど、この重さは悪くない。
肌に馴染み、骨に染み、やがて腕の一部になっていくような――そんな感覚。
「ふふ……見事な力だ、レグナ」
私の唇が自然と笑みを描く。
「貴様の誇り、そのまま余の糧となった。ならば返してやろう。余の手から、余の力としてな」
足元を踏みしめる。
次の瞬間、黒い閃光が弾けた。
黄金竜の前脚――いや、もう“私のもの”となった黒竜の前脚が唸りを上げ、レグナの巨体を弾き飛ばす。
音が遅れて追いかけてくる。地が裂け、砂が天へと舞う。
「ぐっ……ぉぉっ……!」
レグナが呻き、砂の中で転がる。
血が散り、黄金の鎧にひびが走った。それでも、彼女は立ち上がった。
息を荒げながら、それでもまっすぐこちらを見る――その瞳に、かつての“七曜魔最強”の威を感じた。
そうだ。こやつは、私の臣下にして、私の誇りでもあった。あの誇り高さは、今もまだ失われてはいない。
――ならばこそ、砕き甲斐がある。
「ふふ……いいぞ、もっと抗え」
遠くで小さな声が響いた。
「レーちゃん、負けないよね……?」
あの小娘、まだ見ていたか。
その声に反応するように、ゴルド・レグナの紅の瞳が再び炎を宿す。
咆哮が、大地を震わせた。
まるでこの世界にまだ己が存在していると、この私に宣言するかのように。
私はすぐに闇の防壁を張り、前脚を構えた。
「……まだ立つか。ならば――余も応えよう」
レグナは一瞬、己の身体を見下ろした。
そして――何の躊躇いもなく、自らの尻尾を引き千切り、炎の吐息で燃やし上げた。
焼け焦げた空気が鼻を刺す。
だが、炎の中で蠢いたものは、尻尾ではなかった。
現れたのは一本の槍。
黄金に輝く柄、そして刃先だけが黒く染まっている。
まるで、闇が光を喰ったかのような色。
私は息を呑んだ。
――あれは、黄金竜の尻尾を槍に加工したという伝説……それをそのまま模したのか。
レグナは血まみれのまま槍を構えた。
それでも、その姿勢は崩れない。瞳の奥に宿るのは、燃える誇り。
「前脚を奪われようともこの槍がある。槍を折られようとも翼がある。貴様を屠るためならば、肉の一片まで抗ってみせる!誇り高き竜の末裔として……そして――貴様の元・臣下として!」
その声を聞いた瞬間、胸の奥が熱くなった。
戦いの興奮が、血を沸かせる。
それでこそ、私が選んだ最強の戦士。
私は笑った。自然と笑っていた。
「良かろう。ならば来い、レグナ! 余の闇に沈むまで、その誇り、見せてみせろ!」
砂が舞い上がり、空が軋む。
闇と黄金――かつて王と臣下であった二人の怪物が、再び牙を剥き合う。
槍と前脚がぶつかった瞬間――世界が、震えた。
衝撃で空が唸り、砂漠の地が抉れ、地形そのものが変わっていく。
砂嵐が吹き荒れ、視界が霞む。それでも、私とゴルド・レグナの間にあるものは、ただ一つ。力と誇りの激突のみ。
黄金の槍が唸りを上げるたび、闇が裂ける。
刃先に宿る竜の力は絶大で、私の操る闇の前脚が、ひび割れ、崩れていく。
――なるほど、あれが貴様の切り札というわけか。
「はっ……、ははははは……!いいぞ、レグナ!もっと楽しませろ!」
私の嘲るような言葉に、ゴルド・レグナは炎の息を吐き、猛然と突進してきた。
槍で突き、翼で薙ぎ、爪で掴み、炎で焼き尽くす。
その全てが砂の大地を割り、風を裂いた。
私は闇の防壁を展開し、押し寄せる猛撃をいなす。
しかし――槍が唸りを上げ、闇すらも突き崩す。
「……ッ!」
砕け散る感覚。
次の瞬間、闇で作り上げた前脚が――完全に破壊された。
「っ……!」
衝撃が腕を通じて全身に走る。目を見開いた私の前で、ゴルド・レグナが勝利を確信したように吠えた。
「終わりだッ!」
彼女は槍を突き出す。黄金の閃光が一直線に私を貫かんとする。
しかし――その瞬間、私は静かに笑った。
「……貴様がな」
両腕を広げる。
すると、背後の闇が砂煙を巻き上げて膨れ上がり、空を覆うほどの巨大な“両手”へと変わった。
黒き掌が、ゴルド・レグナの体を包み込む。
「なっ……!」
ゴルド・レグナの顔に動揺が走る。
身を捩り、翼を広げようとするが――遅い。
闇の掌は彼女の全身を掴み、締め上げた。
竜の膂力をもってしても、指一本動かすことは叶わない。
「……このために、前脚を奪ったのか。我の注意をこの砂漠に潜ませた大量の闇から逸らすために」
ゴルド・レグナが低く呻いた。
そうだ。すべてはこの瞬間のため――私の勝利は、戦いの始まりから決まっていた。
私はゆっくりと息を吐く。
喉の奥が焼けるように熱い。だが、声は穏やかだった。
「終わりだな」
言葉に込めたのは勝利の喜びではなかった。
長きに渡る宴の終わりを悟ったかのような、寂寥の響き。
砂漠に風が吹く。
その音だけが、静かに二人の間を流れた。
闇の手に捕らわれた黄金の竜人は、もはや身じろぎ一つできなかった。
どれほどの力を誇ろうと、この掌の中ではもがくことすら叶わない。勝負は、ついた。
私は深く息を吸い込み、わずかに眉を寄せる。
――この結末を望んでいたわけではない。だが、これが戦士の定めだ。
俯いたまま沈黙していたゴルド・レグナが、不意に小さく笑った。
「超えることは、とうとうできなかったか……やはり強いな、ヴァレリア」
その声には、悔しさも恨みもなかった。ただ、清らかな敗北の響きがあった。
私は一瞬だけ目を伏せ、低く問う。
「……言い残すことはあるか」
彼女はまっすぐに顔を上げた。黒く反転した目に浮かぶ、真紅の瞳の奥に、静かな炎が宿っていた。
「ない。――やれ」
その言葉は、潔く、美しかった。
私は短く息を吐き、闇を剣の形に変える。
「……わかった」
両の掌を操り、闇の手がゆっくりと彼女を私のもとへ引き寄せる。
その体が近づくにつれ、私は一瞬だけ心を締めつけられる。
これが最後か。敵の手に堕ちようとも、我が臣下。私自ら組織した七曜魔――その中でも最強の戦士。私の誇りだった。その存在が、今、私の手で消える。
私はその首筋に剣をあてた。
「一瞬だ。せめて、苦しまずに逝け」
ゴルド・レグナは静かに目を閉じ、短く息を吐いた。
「……世話になった」
その言葉に、私は答えなかった。ただ、王たる者としての覚悟を胸に刻む。
刹那、闇が走る。
首が宙を舞い、血が花のように散った。
温かな赤が、私の頬を染める。静寂が訪れ、風が吹き抜ける。
私は闇の両手でそっと彼女の亡骸を包み込んだ。
「――安らかに眠れ。誇り高き黄金の戦士よ」
その声は、祈りにも似ていた。
闇の中で彼女の体がゆっくりと沈んでいく。
戦いの終わりを告げる鐘が、私の胸の奥で静かに鳴った。
黄金の戦士の血が、大地を、そして闇の両手を赤く染めていた。
私はその光景を見下ろし、ほんの一瞬だけ瞼を閉じる。
――これ以上、お前の誇りは汚されることはない。
ゴルド・レグナに最後の言葉を贈った、その刹那だった。
「――あーあ、レーちゃん負けちゃったなぁ。せっかくお気に入りの人形だったのに」
聞き慣れた、鼻につく声。
私はゆっくりと顔を上げた。
障壁に守られた裂け目の中、そこに立つのは――あの悪魔の少女、リザ。
彼女は悠然と笑みを浮かべ、まるで戯れのように声をかけてきた。
眉を顰め、睨みつける私を見て、リザは愉快そうに唇を歪める。
「ま、でもいっか。次は君をボクのお人形にしてあげる」
――愚弄もここまで来れば滑稽だ。
私は無言で闇を収束させた。
指先から迸る黒の霧が、剣の形を成してリザへと突き進む。
だが――裂け目の障壁に阻まれ、刃は砕け散った。
金属音にも似た魔力の反響が空気を震わせる。
リザは肩をすくめ、からかうように言った。
「そんなにボロボロじゃ大した威力も出ないでしょ? レーちゃんはいい仕事してくれたよ」
そう言うと、軽く手を上げて後方へ合図を送る。
次の瞬間――裂け目の奥から、唸り声と咆哮が重なり合った。
闇の向こうから、悪魔の軍勢が雪崩れ込んでくる。
無数の影がひしめき、地面を蹴る音が轟音となって押し寄せる。
私は思わず目を見開いた。
血の匂い、瘴気、圧倒的な殺気。
「満身創痍だね。――その体でこの数相手はきついでしょ?」
リザは勝利を確信した笑みを浮かべ、ゆっくりと指を鳴らした。
それを合図に、悪魔たちが一斉に私へ殺到する。
だが――その時だった。
地を割るような轟音とともに、前線の悪魔たちが吹き飛んだ。
衝撃波に巻き込まれた悪魔たちの断末魔が響く。
リザが目を見開く。
「――なっ!?」
砂煙がゆっくりと晴れていく。
そこに立っていたのは、赤や青の肌を持つ屈強な戦士たち――鬼の一族。
先頭に立つ大女が、巨大な金棒を肩に担ぎ、獰猛な笑みを浮かべていた。
「やァっと出番か! 待ちくたびれた!」
グレン。
地を揺らすような声とともに、彼女は金棒を振り下ろした。
再び悪魔の群れが吹き飛び、砂煙の中に血煙が散る。
私はその背を見つめ、思わず口元を緩めた。
「……いいタイミングだ」
「露払いもこなせないようじゃ、七曜魔の名折れだからな!」
グレンが笑い、背後で鬼たちが咆哮を上げる。
戦場の空気が、再び燃え上がった。
地を割る轟音が鳴り響き、悪魔たちの断末魔が空を裂いた。
その光景を見届けた私は、静かに息を整え、闇を引き戻す。
「ここは任せる。グレン」
そう告げて一歩下がると、グレンは満面の笑みを浮かべた。
「おうとも。次こそは勝ってみせるぜ、魔王様!」
彼女が金棒を大地に叩きつけた瞬間、地面が跳ね上がる。
まるで地そのものが怒り狂ったように。
戦場の空気が一変した。
鬼族たちの咆哮が、戦鼓のように響く。
――そして、虐殺が始まった。
鬼族の一人が大刀を振るえば、数体の悪魔が一息で胴を両断される。
別の鬼は豪腕で悪魔を掴み、骨を粉砕して地面に叩きつけた。
金棒が唸りを上げ、肉が潰れ、黒い血が飛び散る。
悪魔たちは統率を失い、恐慌に陥っていた。
悪魔どもの数は多い。だが、恐怖に支配された群れなど、戦力にはならない。
鬼族は戦うたびに勢いを増し、まるでこの戦場そのものが彼らの遊び場であるかのようだった。
私はその光景を見ながら、ほんのわずかに唇を緩める。
グレンは本当に楽しそうに戦っていた。
――あの王国騎士団との一戦が、よほど悔しかったのだろう。
今の彼女には、その鬱屈をすべて晴らすような凄烈な覇気があった。
リザが裂け目の中からそれを見つめている。
その笑顔が徐々に消えていくのが、遠目にもわかった。
彼女の唇が歪み、忌々しげに呟くのが聞こえた。
「くそ……数で勝ってても、これじゃ意味ない」
リザは踵を返し、背後の闇に溶けるように退いた。
その姿が完全に消えるまで、私は目を離さなかった。
やがて、戦場に再び轟音が響く。
グレンの金棒が振り下ろされ、悪魔の頭蓋が砕け散る。
地鳴りのような雄叫びが夜空を震わせ、鬼族たちがそれに呼応する。
――闇の残滓と血の匂い。
それらが混ざり合う中で、私は静かに呟いた。
「……慣れないものだな、仲間を失うのは」
そして、闇の中に漂う残滓を見つめながら、私は再び、戦いの続きを見据えた。
読んでくださってありがとうございます。
どうにか最強同士の戦いを書き切ることができました。スケールの大きな戦いを書くのは難しいですね。精進します。




