第八十七話 最強同士の決戦
第八十七話
side:ヴァレリア
灼けるような風が頬を撫でた。砂塵が巻き上がり、空気が焦げるような熱を帯びている。
ここは公国南部、乾ききった砂漠地帯。その中心で、私はひとり、門の前に立っていた。
凍結の魔法はすでに解除した。結界の歪みは徐々に蠢き、いつでも開くことができる状態にある。
決戦の日。
私はずっとこの瞬間を待っていた。覚悟はとうにできている。
“約束”を果たすために。
砂の上に立つたび、金属のような音が鳴る。靴底に絡みつく砂は熱く、灼ける大地の息吹を感じさせた。
頭上の太陽は容赦なく照りつけ、影を焼き尽くそうとしている。
――いい。
この灼熱こそ、戦場にふさわしい。
空間が歪む。ひび割れが、うねり始めた。
やがて裂け目のように黒い亀裂が走り、向こう側から瘴気の風が吹き出してくる。
肌を刺すような冷たさと、背筋を這う嫌悪の圧。
そして、あの声が聞こえた。
「約束通り、来てやったぞ、ヴァレリア」
砂の向こう、門の中から姿を現したのは、誇りであったはずの黄金の鎧を黒く濁らせた竜人の女――ゴルド・レグナ。
その後ろに、白銀の髪をゆらめかせながら、リザが笑みを浮かべていた。
あの笑み。虫唾が走る。
まるで自分が全てを見通しているとでも言わんばかりに。
「きっかり一週間……約束を守る心は残っているのだな、レグナ」
私は、皮肉を込めて言ってやった。
レグナの瞳が一瞬だけ細まり、低く唸るように答える。
「我が主人が貴様も従えようとしておられる。待ち構えているのであれば都合がいいからな」
“主人”。
つまりリザのことか。
あの悪魔の小娘が、レグナのような存在を支配しているというのか。滑稽にもほどがある。
私は鼻で笑った。
「その小娘が余を支配するだと? 思い上がりも甚だしい」
そして一歩、前に出る。
その気迫だけで、周囲の砂が吹き飛んだ。
ゴルド・レグナの濁ってなお輝く鎧が光を反射し、圧倒的な存在感を放っている。
だが――。
「貴様ほどのものがそんな小娘に支配されるとはな。堕ちたものだな、レグナ」
その言葉に、ゴルド・レグナの眼光が鋭くなった。目を細め、怒りを抑えているようにも見える。
鎧の隙間から瘴気が滲み出し、空気がびりびりと震えた。
「我が主人を侮辱するなよ、魔神風情が。貴様が我が主人に傅く姿は見ものだろうな」
「ふん……貴様のその姿は、見られたものではないがな」
私が口角を吊り上げた瞬間、地面が軋んだ。
砂が跳ね、風が走る。
互いの殺気がぶつかり合い、空間そのものが震える。
――最強の魔神と最強の竜人の戦場。
言葉を超えた力のぶつかり合いが、いま始まろうとしている。
轟音が、砂漠を割った。
空気が震える。熱が爆ぜる。
ヴァレリア――私と、ゴルド・レグナの間に走った一撃は、ただの衝突ではなかった。
それは、世界を二つに割りかねないほどの暴威のぶつかり合いだった。
「ッ……!!」
大地がうねり、砂が竜巻となって天へと昇る。
私は身を翻し、闇をまとって吹き荒れる熱波を受け流した。
レグナの爪が地を裂き、砂丘をえぐり取っていく。
その軌跡の一つひとつが、まるで隕石の衝突痕のように深く抉れていた。
「やはり、腕は鈍っていないな……レグナ!」
私の声が砂煙に消えるより早く、闇が形を変え、刃となる。
数十の黒刃が風を切り、レグナを目がけて放たれる。
だが――。
「ぬるい!」
レグナの咆哮。
その声と同時に、灼熱の炎が迸る。
炎の奔流が黒刃を焼き尽くし、砂の地平線を紅蓮に染めた。
熱風が押し寄せ、私は咄嗟に腕をかざす。
闇の盾が展開し、吹き荒れる炎を呑み込んだ。
熱が引くと同時に、私は地を蹴った。
闇が渦を巻き、翼のように広がる。
風を裂き、砂塵を突き抜け、私は上空へ――。
「ふふ、真っ向勝負が望みか……ならば望み通りにしてやろう!」
空から振り下ろした闇の槍が、雷鳴のように轟いた。
地上でレグナが翼を広げ、迎え撃つ。
爪と槍がぶつかり合い、閃光が走った。
その瞬間、衝撃波が砂漠を薙ぎ払い、周囲の砂丘が吹き飛ぶ。
互いの力が、拮抗していた。
竜の膂力と炎、私の闇と魔力。
どちらもこの大陸では最高峰の力。それを比べられることに私は喜びすら感じている。
戦いの中でしか感じられない、血の高鳴り。
“魔神”としての本能が、歓喜していたのだ。
「いいぞ、レグナ……その力、まさしく黄金竜のそれだ」
「貴様こそ……その闇の魔法の恐ろしさ、忘れかけていたぞヴァレリア!」
レグナが地を踏み砕き、私がそれを受け止める。
瞬間、世界が弾けたような衝撃が走る。
ただの拳と拳の衝突――なのに、大気が悲鳴を上げる。
砂漠が震動し、遥か彼方で砂嵐が巻き上がった。
私の足元に大きな亀裂が走る。
彼女の右腕には、闇が焼き付いたような焦げ跡。
そして私の左腕には、爪の切り裂いた傷跡。
互いに一歩も引かぬまま、次の一撃を見据えていた。
「ふふ……いいねぇ。あの魔王……やっぱり、欲しいなぁ」
リザは指先で唇をなぞりながら、焦げた地面を見下ろした。
「ヴァレリア、だったっけ。……頑張ってねレーちゃん。二人とも、ボクの“お人形”にしてあげるからね」
そう呟くと、口元に浮かんだ笑みはゆっくりと形を変え、甘やかな狂気に染まっていった。
砂漠を渡る熱風が、私達の間を切り裂く。
黒と紅。
闇を纏う魔神と、竜の血を宿す戦士。
爪と拳が衝突し、空気が爆ぜる。
翼が砂を巻き上げ、闇がそれを呑み込む。
砂丘が吹き飛び、地面が抉れるたびに、周囲の空間そのものが悲鳴を上げていた。
「ふ……相変わらず、豪快な戦い方だ、レグナ」
息一つ乱さず、私は笑う。
「瘴気に堕ち、鎧は濁り、槍は失い……それでもまだ竜として振る舞うか」
「当たり前だ」
レグナは鼻で笑い、尾を振り抜いて砂を散らす。
「我の誇りは槍でも鎧でもない。我が身そのものだ。我こそが竜。この身こそが黄金竜だ」
「なるほど、随分と口が回るようになったな」
私は冷ややかに笑い、指を鳴らす。
黒い霧が一斉に噴き出し、私の周囲を旋回し始める。
——闇の守り。
「闇魔法の真髄を見せてやろう」
闇が私の声に応じて震える。詠唱の言葉を紡ぐと、黒い霧は次々と形を変え、刃のように鋭く尖っていった。
やがて、空中には何百本もの闇の剣が並び、刃先をすべてレグナへと向ける。
レグナが翼を大きく広げた。
その眼光は、まるで狩人。獲物が動く瞬間をただ待つ猛獣のそれ。
「——行け」
私の声と同時に、剣の群れが放たれた。
闇の嵐が砂漠を覆い尽くす。
斬撃が砂を切り裂き、音が消えるほどの圧が周囲を包んだ。
だがその一瞬——。
私の意識のほとんどは剣の制御に向いている。
制御に集中するあまり、わずかに魔力の流れが途切れた。
——ほんの、瞬きほどの隙。
「そこだッ!」
レグナの咆哮。
炎の奔流が唸りを上げて吐き出される。
竜人の喉から放たれる純粋な熱、肉体が生む灼熱の息吹。
「くっ——!」
防御陣を展開。闇の盾が私の前にせり上がる。
直撃は防いだが、爆風が凄まじい。
砂が爆ぜ、体が吹き飛ぶ。
バランスを崩した瞬間、集中が切れ、制御していた闇の剣は霧散して消えた。
砂の上に着地し、息を吐く。
身体の奥からじわりと熱が上がる。
それでも私は、唇の端を吊り上げた。
「ふふ……見事だ、レグナ。余が放つ千の刃、その制御の隙を突くとはな」
上から見下ろすように言い放つ。
「だが、それでも致命傷を負わせられない。所詮貴様はその程度だ」」
「ほう?」
レグナは笑い返し、牙を見せる。
「まだ言葉は達者なようだな、ヴァレリア。だが——口ほどにもないこと、証明してやろう」
声が風に乗って響く。砂の海の向こう、ゴルド・レグナがその牙を見せて笑いながら鋭い瞳でこちらを睨みつけている。
しかし、槍を失っているやつの攻め手は限られている。
翼で起こす暴風は、闇の障壁の前では無力。
爪も牙も、尻尾の一撃も、届いたとして浅い傷に終わる。
唯一、効果的なのはあの炎の吐息――だが、使うたびに喉を削る諸刃の刃。
「余を相手に出し惜しみなどするなよ。かすり傷では余は殺せんぞ?」
挑発するように笑いかけると、ゴルド・レグナの真紅の瞳が怒りに揺らめく。
「いいだろう。焼き尽くしてくれる……!」
再び、炎が唸りを上げた。
轟、と大気が震える。
だが、私は逃げも隠れもせず、闇を纏って受け止める。
熱波が押し寄せるたび、黒の膜が波打ち、焦げた匂いが立ちこめる。
いかに強靭な竜の喉でも、これを何度も放てば崩れる――私は確信していた。
案の定、三度目のブレスを吐いた瞬間。
レグナのブレスは掻き消え、咳き込む音が響いた。
「……御し易いやつよ!」
私は即座に詠唱を省き、闇を凝縮させる。
瞬く間に黒の粒子が渦を巻き、巨大な斧の形を成した。
振りかぶり、一気に叩きつける。
地鳴りが響いた。
レグナは咄嗟に翼と尻尾で身体を覆い、急所への直撃を防ごうとした。
だが、闇の斧は防御ごと押し潰す。衝撃が砂丘を砕き、爆風が天へと伸びた。
「ぐっ……ぐううおおおおおおッ!」
竜人の悲鳴。
その体が弾かれたように吹き飛び、砂を巻き上げながら転がる。
「どうした、黄金竜よ。その程度か?」
私の声には余裕が滲む。
闇が再びうねり、今度は鎖の形に変わる。
黒い蛇のような鎖がレグナの四肢を絡め取り、空中へと持ち上げた。
「ぐっ……離せ、ヴァレリアッ!」
「抗うな、見苦しい」
私は腕を振り、闇の鎖をしならせる。
そのまま、振り回し――やつの体を岩地に叩きつけた。
大地が悲鳴を上げる。砂漠が一瞬、地震のように揺れた。
衝撃で砂煙が天を覆い、音が消えたかのような静寂が訪れる。
その中で、私は静かに息を吐く。
闇魔法は消耗が激しい。しかし肩で息をしながらも、背筋は決して折れない。
ブレスに焼かれた体が、爪に裂かれた腕が痛みを主張する。だがそれすらも心地よい。
「……これで少しは黙ったか」
レグナの姿は砂塵の向こう。だが、まだ終わってはいない。
この程度で沈む女ではないと、誰よりも私が知っている。
それでも、笑みは消えなかった。
痛みすらも愉悦に変わる――
これこそが、最強の名を戴く者同士の戦い。
「来い、レグナ。余を殺せるものならな」
読んでくださってありがとうございます。
いよいよ最強同士の決戦です。こういうの、ワクワクしますよね。
最強に相応しいスケールの戦いを書けるよう、がんばります。




