第八十三話 浄化
第八十三話
「逃げたか……」
僕にはまだ勝ち誇る余裕はない。疲労と安堵が押し寄せるが、まだ仲間達は未だ危機の中にある。
クラリスが僕の名を呼んで、慌てて近づいてくる。
「リアン! みんなが……どうしよう……!」
彼女の声が震えている。混乱と恐怖が綯い交ぜになったような声だ。僕は短く頷くと、仲間達をまずは一ヶ所に集めることにした。
エリスは去った。けれど、あの最後の言葉が胸に重く残る。
「必ず、飲み込んでやる」――その言葉は脅しであり、予告であり、誓いでもある。
僕はその場に立ち尽くしながら、静かに誓った。
仲間を、取り戻す──誰一人欠けさせはしない。
それが今の僕の、たった一つの望みだった。
エリスが去った戦場に倒れ伏す仲間たちを見渡す。
クラリスの回復魔法ももう限界で、アネッサの呼吸は荒く、セラフィリアの肌はすでに黒く染まりはじめていた。
……もう、時間がない。
門の凍結を破って撤退する。
その計画は、今の僕たちには不可能だ。
誰も、もう動けない。
僕だけがまだ立っている――それだけの状況だ。
(なら、僕がやるしかない)
言葉に出さずとも、決意は体の芯まで染み渡っていた。聖剣がかすかに震え、刃先にほのかな光が灯る。光はただの攻撃の力ではない。浄化の力だ。瘴気を祓い、体を蝕むものを焼き尽くす力――もしこれが本当に効くのなら、仲間を救えるかもしれない。
まずは優先順位をつける。
一番重傷なセラフィリアを中心に、アネッサを抱えて運び、その隣に横たえる。クラリスが震える手で指示を手伝ってくれた。瘴気に侵されながらもまだ辛うじて動けるレオ、アイゼン、カリーナ、ドミニク、ダッチも集まってその場に座ってもらう。
セラフィリアは苦悶の表情を浮かべ、肌は目に見えて黒ずんでいっている。アネッサも明らかに呼吸が浅くなってきている。瘴気が少しずつ命を蝕んでいる。
放っておけば……彼女達は、堕ちてしまう。
「絶対に、助けるから」
聖剣を握る。
刃が、かすかに光を帯びる。
僕は祈るように刃先をセラフィリアの胸へ向け、ほんのわずかに突き立てた。
血が一筋、彼女の肌を伝う。
クラリスが息を呑む音が聞こえた。
「ごめん……痛いよね。でも、君が一番重傷だから、こうするのが確実だと思うんだ」
目を閉じ、深く息を吸う。
聖剣の星晶の力を感じ、そして僕の光魔法を重ねる。
白く、熱く、焼き尽くすような光が溢れ出した。
その光の中で、僕はただ祈る。
――女神エステル様、お願いだ。
この命を奪わずに、闇だけを祓ってくれ。
どうか、僕の仲間を――救ってくれ。
まぶしさが限界に達し、何も見えなくなった。
耳鳴りがして、体が焼けるように熱い。
それでも僕は力を緩めない。
必ず、救ってみせる。
やがて、光が静かに収束していく。
ゆっくりと、目を開ける。
そこにいたのは――
静かに寝息を立てるセラフィリア。
苦しそうだった表情は消え、穏やかに微笑んでいるようだった。
隣では、アネッサが驚いたように自分の手を見つめている。
その肌からは、もう瘴気の影は感じられない。
クラリスは涙をこぼしながら、手を口に当てていた。
レオも、アイゼンも、機戦隊の皆も――みんな、息をしている。
「……よかった」
力が抜けて、僕はその場に膝をついた。
重く息を吐き、聖剣を地面に突き立てる。
光は穏やかに収まり、戦場の空気が少しだけ澄んだ気がした。
クラリスが僕に駆け寄り、震える声で言った。
「リアン……あなた、本当に……」
僕はただ、微笑んで答える。
「間に合って……よかったよ」
そう言って、肩の力が抜けた。この瞬間だけは、誰も失わずに済んだ。
そのことが、何よりの救いだった。
僕たちは、しばらくその場から動けなかった。
戦いが終わったというのに、誰も笑えなかったのは、あまりにも多くのことが一度に起きすぎたからだろう。
エリスが残した瘴気はもう完全に浄化され、風を柔らかく感じることができた。
僕はその場に座り込み、仲間たちの様子を見渡す。
クラリスはみんなの容体を確認しながら、僕のほうを何度も見た。
そのたびに何か言いたげに口を開き、けれど結局、言葉にはしなかった。
「……あれが、浄化……なのね」
クラリスが小さく呟く。
その声には、畏怖と感謝、そしてどこか祈りのような響きがあった。
僕は曖昧に頷くだけで、うまく言葉を返せなかった。
自分でも、何がどうなったのか理解できていなかったのだ。
「僕がやったのは……ただ、光を放っただけ、それだけだよ。でも、みんなが助かったなら、それでいい」
レオが苦笑しながら答える。
「“それだけ”なんて……エミリオが苦戦してたのに、そんな簡単に言わないほうがいいよ……」
その冗談めいた言葉に、少しだけ場の空気が和らぐ。
アネッサも上体を起こしながら、まだ汗に濡れた額を拭っていた。
彼女の顔色はすっかり戻っている。
僕は安堵の息を吐き、隣に横たわるセラフィリアを見やった。
「……セラフィリア」
彼女の頬に手を添える。温かい。呼吸も、安定している。
ただ、まだ目を覚まさない。
クラリスが静かに言う。
「きっと大丈夫。彼女の瘴気は完全に消えてるわ。
……あとは、少し休ませれば」
その言葉に、僕はようやく少し笑えた。
あれほどまでに苦しんでいた彼女を、もう二度とあんな姿で見なくていい。
そう思っただけで、胸の奥が熱くなった。
読んでくださってありがとうございます。
リアンはここで一つレベルアップです。




