第八十一話 シスターの実力
第八十一話
「さて……これからだな」
僕はクラリスから紙とペンを受け取り、簡単な地図を描く。
光源代わりにセラフィリアが掌に小さな灯をともした。
「今の位置は多分、首都の北側だと思う。前回遠目に見た外観と同じだ。だからここから更に北へ進めば、広場に繋がっている門に着くと思う」
「距離は?」
「直線だと半日だけど……森に隠れながらだともう少しかかるだろうね」
「なるほど……」
僕は周囲を見回した。
どこまでも木々が続く。追手の気配は今のところない。
でも油断はできない。
「……モタモタしてる時間はないな。早めに距離を稼ごう」
「賛成だ。さすがに右手まで飛ばすわけにはいかねぇからな」
「……右手にも仕込んでるのか」
アイゼンが目を丸くして機構を眺めている。
「よし、行こう。道中、エミリオの家があるはずだ。そこを中継地点にしよう」
僕は立ち上がり、森の奥を見据えた。
夜の暗闇は僕達を飲み込もうとするかのようだ。その奥にあるはずの光を信じて、僕達は歩き出した。
森は深く、そして静かだった。
木々の間から差し込む月明かりが、霧を淡く照らしている。
葉のざわめきと、足元の小枝が折れる音。
それ以外は、何も聞こえなかった。
僕たちは息を潜めて進む。
風を操るレオが後方で魔法を維持してくれているおかげで、足音はほとんど消えていた。
アネッサはまだ念のために黒猫の姿で先頭を行き、鳴き声の長さで合図を送る。
時おり、森の向こうから悪魔族の怒号がかすかに響く。
でも、まだ距離はある。
その声が遠ざかるのを確認してから、また進む。
……どれくらい歩いただろう。
ふいに、アネッサが安全の合図をした。
そして目の前の木々が開け、ひとつの小さな建物が現れた。
「着いたな」
エミリオの家だ。
以前、彼が森の奥で研究をしていた頃、僕らと出会った場所。
「よし、この中で少しだけ休もう」
僕の声に、みんながほっと息をついた。
中は埃っぽかったが、屋根はまだしっかりしていた。
焚き火はできないから、水晶灯を最小光で灯す。
薄暗い光の中で、みんなが無言で座り込んだ。
「……やっと座れた」
カリーナが壁に背を預けて笑う。
アネッサは人の姿に戻り、丸くなって欠伸をした。
アイゼンがその様子を眺めている。
「猫の姿って、結構疲れるんだよね……」
「便利そうだけどな」
「便利だけど、結構体力使うの」
「なるほど」
部屋の隅ではレオが椅子に座り、その隣でクラリスが彼を気遣っている。常時風魔法で足音を消してくれている彼は僕達よりも消耗しているだろう。しかしクラリスと話すその顔には笑顔が見える。
セラフィリアは壁際に立つ僕の隣で、同じように壁にもたれながらも僕を気遣ってくれる。
僕は仲間が思い思いにリラックスする様子を見て、少しだけ呼吸を整える。
「もう少しで“門”のある遺跡に着くはず。進路は変わらず北だ」
僕の言葉に、レオが頷いた。
「うん。敵の気配はまだないし、今のうちに進もう」
「休憩終わりかー。もうちょっと寝かせてよ」
アネッサがぼやくが、カリーナが軽く頭を叩く。
「寝てる場合じゃないわよ。敵が追ってくる前に距離を稼ぐ」
そう言って僕らは再び夜の森へ。
静かな闇の中、風と影のように進む。
――そして。
夜が明ける頃、霧の向こうにそれは見えた。
かつて大都市だったという廃墟。
石造りの塔が森の奥から姿を現し、崩れた外壁が朝日を受けて淡く光っている。
「……あれか?」
ダッチが低く呟く。
長い夜がようやく終わる。そう思った、その瞬間。
「――待て」
ドミニクの声に、僕ら全員が足を止めた。
遺跡の入口、広場へと繋がる大きな門。
その前に、ひとりの影が立っていた。
風に揺れる黒い髪に黒い肌。
黒い修道服の裾をなびかせ、赤く爛々と光る瞳でこちらをまっすぐ見つめている。
「……エリス」
彼女はすでに待っていた。たった一人で。
まるで、僕たちがここに来るのをわかっていたかのように。
「……まさか、本当に先回りされてるとはな」
カリーナが低く呟く。
ドミニクは無言で武器を構え、ダッチは残った右腕で銃口を確認している。
セラフィリアはエリスを見据え、わずかに震える唇で呟いた。
「どうして、ここが……」
その問いにエリスが口を開いた。
声は柔らかく、だけどどこか陶酔している。
「ふふ……だって、あなたたちの“帰り道”はもうここしかないのですもの。この大陸は我々の庭。あなた方は我々の導きからは逃れられないのです」
その言葉に、セラフィリアが眉をひそめる。
「導く?またその言葉ですか。あなたの言う“導き”は、ただの支配です」
「まぁ、言葉の選び方は人それぞれ。ですが――」
エリスは両手を広げた。
その背後で、空気が淡く歪む。黒い瘴気が彼女の足元から滲み出し、石畳を焦がすように広がっていく。
「私はね、あなたたちがどんな顔で導かれるのか……ずっと見てみたかったんです」
その言葉に、セラフィリアの顔が怒りで強張った。
カリーナが前に出ようとするのを、僕は手で制した。
「……エリス。あんた、最初から俺たちを逃がす気なんてなかったんだな」
「逃がすわけがないでしょう? その魂を“還す”つもりでしたよ。アビス様のもとへ」
にっこりと笑い、彼女の瞳が金色に光る。
その瞬間、周囲の木々がざわりと震えた。瘴気が森全体に広がり始めている。
「リアン」
クラリスが小声で僕に囁く。
「この距離なら、門まであと少し……でも、突破は――」
「……わかってる」
簡単じゃない。
だけど、ここで立ち止まるわけにもいかない。
エリスの視線が、まっすぐ僕に向いた。
その唇が、ゆっくりと動く。
「来なさい、青い髪の剣士。特にあなたの魂は、とても綺麗。それからそちらの堕天使も。導いてあげる価値がある」
――その瞬間、背筋に冷たいものが走った。
彼女の声が、まるで頭の奥で直接響いたような感覚。
僕は剣の柄を握りしめ、静かに構える。
「……悪いけど、堕とされるつもりはない」
「いいえ、導いてあげますとも」
エリスの背後に、黒い翼のような瘴気が広がった。
風が巻き上がり、地面が軋む。
僕の仲間たちも、一斉に武器を構える。
アネッサの瞳が獣の光を宿し、カリーナの腕部砲が唸りを上げた。
ドミニクの機戦槍が変形音を響かせ、セラフィリアの黒い羽が淡く光を帯びる。
――戦闘の気配。
空気が震え、時間が止まったように感じた。
「行くぞ……!」
僕の声に、仲間たちの息がひとつに重なる。
そして、夜明けの光の中。
僕達とエリスの、決戦が幕を開けた。
「全員構え!」
僕の声に応じて仲間たちが散開する。セラフィリアが前に出て、杖を構えながら低く呟いた。
「気をつけて……あの瘴気、とても濃い……掠っただけでも体に入り込んでくるでしょう。侵されれば、力が抜けていきます……!」
「毒みたいなもんか……!」
アイゼンが歯を食いしばりながら拳を握る。
次の瞬間、エリスが腕を振るう。
瘴気が鞭のように地を這い、空気を裂きながら僕たちに襲いかかる。
「うっ……!」
クラリスが反応して結界を展開するが、その表面が瞬く間に侵食され、黒く変色していく。
「魔法の壁も侵食される!まともに攻撃を受けては危険よ!」
クラリスの叫びを聞きながら、僕は聖剣を構えた。
正面から斬りかかる。けれど、エリスは軽やかに後退し、足元の瘴気が生きたように僕の足を絡め取る。
「くっ……!」
焦げるような痛み。足が鉛のように重くなる。まさか、これが……。
「それが瘴気の侵蝕です! リアンさん!」
セラフィリアの声が飛ぶ。
「自分の体内に入り込まれたら、ただの毒より質が悪いわ! 精神まで蝕まれてしまいます!」
エリスが微笑む。その口元に、わずかな哀しみが混ざっていた。
「……嗚呼、この輝かしき魂達をまとめて導いてしまうのは、とても勿体ないですね……。一人ずつ楽しみたいのに……」
「ハ!させねぇよ!」
ドミニクが叫び、爆風を伴って前に飛び出す。
だがエリスの右手が翻り、周囲の瘴気が刃となって彼の攻撃を弾き返す。
轟音、砂煙。視界が揺れる。
「ぐっ……! 九人でこれって、どうなってんの……!」
アネッサが歯を食いしばる。
周囲は戦場そのもの。瘴気が渦を巻き、草木は枯れ、石が砕けていた。
僕は息を切らしながらも、仲間たちの動きを目で追った。
カリーナ剣閃が黒を裂き、セラフィリアの光が一瞬だけ瘴気を押し返す。
だがそれもすぐに覆い尽くされる。
「……マズい。このままだと押し切られる。」
焦燥が胸を焼く。瘴気の濃度が上がっている――まるで、彼女自身が瘴気の核になっているようだ。
僕は剣を握り直す。
逃げ場はない。突破するしかない。
――ここを抜けなければ、未来へは進めないんだ。
エリスの姿が、霧の中にぼやけて見えた。
呼吸をするたび、喉の奥が焼ける。瘴気の濃度が――上がってる。
「……なんだ、この感じ……?」
胸の奥がざわつく。空気が重い。いや、違う。
薄い。 薄すぎるんだ。一瞬濃く漂っていた瘴気が、今はまるで霧散したみたいに消えている。
「――みんな、止まって!」
セラフィリアの声が鋭く響いた。
彼女が杖を突き立てるように構え、周囲を見回す。
「瘴気が……“薄く”なっています。……拡散してる――まずい、逃げて!」
「えっ?」
アネッサの声がした直後、世界が一瞬、止まった。
――次の瞬間、空気が爆ぜた。
「なッ――!?」
目の前の大地が裏返るように弾け、黒い奔流が吹き荒れる。
瘴気が地面から噴き出し、四方八方へと波紋のように広がった。
セラフィリアが叫ぶ。
「逃げてぇぇぇっ!!!」
僕は反射的に仲間を引っ張って距離を取る。耳をつんざく轟音。視界を埋め尽くす黒。
遅れて熱気と衝撃が襲い、地面ごと持ち上げられたかのような感覚に息が詰まる。
「ぐっ……がはっ!」
地に叩きつけられ、肺の空気が全部抜ける。
すぐさま立ち上がり、仲間の姿を探した。
瘴気の嵐が収まったあと、そこに倒れていたのは――三人。
レオは胸を押さえて苦しそうに咳き込み、ドミニクは意識が朦朧としている。
だが、エリスの一番近くにいたアネッサは……。
「アネッサ!」
駆け寄ると、彼女の肌が赤く焼けたように熱を帯びていた。
額に触れた瞬間、手のひらが焼けるような高熱。
「そんな……!」
セラフィリアが震える声で息を呑む。
「瘴気に深く侵されてる……体の奥まで……!」
アネッサがかすれた声で「だいじょ……ぶ……」と笑おうとする。
けれどその唇の端から、黒い煙のようなものが漏れていた。
「やめろ、喋るな!」
僕は叫び、彼女の肩を抱く。
そのとき――
瘴気の向こう、エリスの笑い声が響いた。
「ふふ……まずは三人。」
彼女は冷ややかに微笑みながら、指を鳴らした。
「次は……誰にしようかしら?」
その声に、背筋が凍る。
朝の光が昇るというのに、あたりは夜よりも暗かった。
――彼女自身が、瘴気そのものに溶けていっているように見えた。
読んでくださってありがとうございます。
来年も毎日投稿、頑張っていきます。
みなさん良いお年を。




