第八十話 脱出
第八十話
人通りの途絶えた路地を抜け、僕達は息を潜めて駆け抜けた。
誰かの荒い息が響くたび、皆が足を止めて耳を澄ます。
追手の気配は、どうやらなさそうだ。
カリーナが手で合図を送り、狭い石段を下る。
辿り着いた先は、木製の扉で閉ざされた小さな倉庫だった。
扉を押し開けると、中には樽や麻袋が積まれ、穀物の甘い匂いが立ちこめている。
「……敵の気配はない。ここなら、しばらくは安全だろう」
カリーナが短く言う。
僕は頷き、みんなに腰を下ろすよう促した。
呼吸を整えながら、頭の中で現状を整理する。
「潜入は……失敗だな」
沈黙を破って呟く。
誰も反論しなかった。あの状況ではどうすることもできなかったのだ。
だが、ここで立ち止まるわけにはいかない。
「本来の目的は、門を開くための座標を記録することだ。
一箇所はここでもいいと思うけど、開けた場所じゃないといけないからここの入り口を記録しよう」
僕はちらりとクラリスを見る。クラリスが頷き、腰のポーチから魔導具を取り出す。
金属の円盤の中央に淡い光が灯り、微細な符号が空中に浮かぶ。
「これで記録完了……ね」
カリーナが腕を組み、壁にもたれながら言う。
「けど、侵入口は複数あった方がいい。待ち伏せや罠のリスクが分散できる」
「もちろん、それはわかってる」
リアンは少し唇を噛み、周囲を見渡す。
「けど、この首都で動き回るのは……危険すぎる」
その空気を破るように、アネッサが手を挙げた。
「じゃあ、あたしが行こうか? 猫になってさ。
黒猫なら街中にもいたし、怪しまれないと思う」
その提案に一瞬、希望の色が灯る――が、アイゼンがすぐに首を振る。
「魔導具を使う瞬間を見られたら、一人じゃ逃げられない。変身が解けた時点で終わりだ」
アネッサが唇を尖らせるが、すぐに肩をすくめて引き下がった。
「……だよね」
皆が沈黙する。
数秒の思考の後、僕は静かに結論を口にした。
「……全員で動こう。潜伏して帰り道を辿りながら、途中の安全な地点をいくつか記録していく」
その言葉に全員が顔を上げた。
ダッチが腕を組んでうなずきながら言う。
「けど、さっきの門から帰るのは無理じゃないか? あの広場、完全に包囲されてたぞ」
「だな。警戒も強まってるはずだ」
ドミニクも同意し、重い声を落とす。
それはそうだろう。僕は少し考え込み――ぽつりとつぶやいた。
「……ひとつ、考えがある」
皆の視線が集まる。
「首都から出てしばらく歩いた遺跡にあるはずの大きな門――王都の広場に繋がっていたやつだ。あれは王都側から凍結してあるだけだ。だから、こちらから開けられれば帰れるんじゃないか」
アイゼンがすぐに問い返す。
「開ける方法は?」
「……ゴルド・レグナがやったみたいに、力づくで」
リアンは静かに答える。
「氷魔法の弱点は炎。
クラリスの補助魔法を重ねがけしてもらって、僕の炎魔法を剣撃に乗せて封印に叩き込む。
更にその瞬間に全員で一斉に攻撃を叩き込めば、ひびくらいは入れられるかもしれない」
カリーナが一瞬考え――小さく笑った。
「上手くいくかはわからんが……他に手もない。やるだけやってみよう」
その言葉に皆が頷く。
重い緊張の中、それでも微かな希望が灯った。
「じゃあ決まりだ」
僕は剣を握り、仲間たちを見渡す。
「隠れながら移動して、座標を記録。首都を脱出して、王都の広場に繋がる門を突破して帰還――」
その声に、全員が静かに頷いた。
誰もが覚悟を決めた顔をしている。
外では、まだ遠くで鐘の音が鳴っていた。
それが警報なのか、ただの時刻の知らせなのか――誰にもわからなかった。
夜の闇が、まるで生きているかのようにうごめいていた。僕たちは息を潜め、その中を這うようにして進む。
レオが風魔法で足音を消し、アネッサは黒猫の姿で先導している。
あらかじめ決めた合図――短く鳴けば「進め」、長く鳴けば「止まれ」。
それだけの単純な取り決めなのに、今の僕たちにとっては命綱だった。
路地から路地へ、物陰から物陰へ。
クラリスが魔導具を取り出し、壁際で小さく光を放つ。
座標記録――この瞬間だけはどうしても光を使わざるを得ない。
その一瞬、全員の呼吸が止まった。
「……よし、記録完了」
クラリスの囁きに僕は頷き、次の影へと身を滑らせる。
遠くから、悪魔兵たちの声が聞こえてくる。
「見つけろ! どこかに隠れているはずだ!」
その中心に、あのねっとりとした声が混じっていた。
「見つけても決して殺さないように。抵抗するようなら手足の腱を切りなさい」
――エリス。
どうやら僕たちの行動を完全に読まれているわけではないらしい。
風の魔法でで僕達の気配は完全に無い。体さえ物陰から出さなければ
それでも、油断したら終わりだ。
どれほどの時間が経っただろう。
息を殺したまま進み続け、やっと――
目的の門が見えてきた。
しかし、胸の奥が凍りつく。
門前には黒服の兵が何重にも並び、鋭い武器を手にしていた。
その中央、月明かりの下に立つのは――やはり、あの女だった。
「首都から出るなら、ここを通るはずです」
エリスが優雅に微笑みながら言う。
その声には、まるで確信しかない。
「警備を強化しなさい。逃がしてはなりません」
その瞬間、兵たちの気配が一斉に張り詰める。
抜ける隙間など、どこにもない。
あの門を通らなければ帰ることはできないのに――。
僕は唇を噛みしめた。
まるで壁のような敵陣を前に、冷たい汗が背を伝う。
――どうする。
このままここで立ち止まっているわけにもいかない。
物陰に身を潜めながら、僕は唇を噛んだ。
首都の正門前には、敵兵がびっしり。通り抜ける隙間なんてどこにもない。
カリーナもセラフィリアも息を潜めて様子を伺っていたが、誰も打開策を口にできずにいた。
「……リアン、どうするの?」
焦りを隠しきれない声。クラリスの視線が僕に向く。
でも答えを出す前に、低い笑い声が背後から聞こえた。
「ククッ、しゃーねぇな。ちょっと派手にいくぜ」
ダッチだ。
彼は背中に背負っていた巨大な砲を外すと、左腕に固定した。
「ま、見てな。こういう時のためのオレの腕だ」
ガコン――と重い音が響く。
砲と腕が一体化し、ダッチの左手がまるで兵器そのもののように変形していく。
狙うのは、正門。そこを突破しなければ、外に出られない。
「全員、耳ふさげ!」
轟音。
視界が白く弾けた。次の瞬間、地面が揺れるほどの衝撃波。
土煙と爆炎が門を包み、兵士たちの悲鳴がかき消された。
「ダッチ! 今の……!」
「見りゃわかんだろ!ロケットパンチだよォッ!!」
見れば、手首から先が飛んでいる。どうやら砲弾として打ち出したらしい。
とんでもない男だ。
「今だ、行くぞ!!」
カリーナの声で、全員が一斉に飛び出す。
視界はまだ煙と砂埃に包まれていた。敵兵は咳き込み、混乱している。
僕たちはその隙を縫って一直線に駆け抜けた。
――見えた。門が開いてる。
兵の一人が僕に槍を突き出してきたが、反射的に切り伏せる。
セラフィリアの水刃がもう一人を吹き飛ばし、カリーナが前方の障害物を焼き払った。
「抜けるぞ!」
振り返ると、エリスも煙の中で咳き込んでいた。
彼女の目は僕達を探すことすらできていない。
もう迷う必要もなかった。
僕は彼女の横を駆け抜け、そのまま正門を突っ切る。
外の空気が肌を打つ。――抜けた!
森が見える。すぐそこだ。
後ろから追手の怒声が聞こえたが、初動で遅れた彼らに僕達は止められない。
足を止めるな、止めたら終わりだ。
僕たちはそのまま、夜の森へと逃げ込んだ。
森の中は、月の光がまだ届かない。
湿った土と木々の匂いが鼻をくすぐる。
あれだけの勢いで走ってきたのに、誰も一言も喋らなかった。
ただ息が荒く、胸の鼓動がやけにうるさい。
どれくらい走っただろう。
やがて、皆の足が自然と止まった。
「……はぁっ、ここらで、一度休もう」
僕がそう言うと、誰も反対しなかった。
カリーナは木にもたれて大きく息を吐き、セラフィリアは膝に手をついて汗を拭う。
そして――
「おいおい、どうだったよ? オレの“奥の手”はよ」
得意げに笑いながら、ダッチが左腕の残骸を掲げた。いや、腕というより手首から先が綺麗になくなっている。
「すっごい威力だったね……」
アネッサが呆れたように言うと、カリーナが苦笑を漏らす。
「というか、本当に撃ち出すとは思わなかったわ。ロケットパンチって、あれ冗談じゃなかったの?」
「冗談なもんか。オレの自慢のギミックだぜ!」
「……自慢になってるのか、それ」
僕は思わず吹き出してしまう。
緊張が解けて、久々に笑えた気がした。
「でも、腕は大丈夫なのか? 壊れたままじゃ不便だろ」
「ああ? 問題ねぇ。公国に戻りゃ新しいのに換装できる。予備もあるしな」
ダッチは肩をすくめ、いつもの調子で言った。
その余裕に、みんな少しだけ安心したようだった。
――笑ってる場合じゃないけど、こういう空気が救いになる。
そう思いながら、僕は息を整えた。
読んでくださってありがとうございます。
やはりロマンはすべてを解決する。




