第七十五話 決意の夜と強襲の朝
第七十五話
夜の王城は、昼間の慌ただしさが嘘のように静まり返っていた。
僕たちは与えられた王城の客室に集まっていた。
天井の燭台がゆらりと光を落とし、クラリスの金髪を淡く照らす。
戦の報告と会議の連続で、皆の顔にもさすがに疲れが見える――けれど、その表情にはどこか、以前にはなかった“穏やかさ”があった。
「……門の解析、早く終わるといいですね」
セラフィリアが祈るように呟いた。
日記を書いていたクラリスが、静かな声で答える。
「魔導国は魔法技術に優れた国。きっと、やってくれるはずよ」
「そうそう、魔導国なら間違いないよ! 魔導院の人達はいっつも魔法のことしか考えてないんだから!」
アネッサがソファにもたれながら足をぶらぶらさせ、軽口を叩く。
その無邪気な笑みに、レオが苦笑した。
「アネッサは魔法が苦手みたいだけどね? でも、確かに希望は見えてきたよね」
「希望か……」
アイゼンがゆっくりと椅子から身を起こし、腕を組んだ。
橙色の灯りが彼の横顔を淡く照らす。
「状況が好転しても、慢心は禁物だ。敵が何を仕掛けてくるか、まだ誰にも読めん」
その声は低く、重い。けれどその直後、彼はわずかに口角を上げた。
「――とはいえ、対抗策が出揃ってやっと互角といえるところまで来たな」
最近はずっと険しい顔をしていたアイゼンも、ようやく眉間の皺が浅くなったようだ。
「ヴァレリアが……この戦いに加わるなんて、嘘みたいだね」
僕が呟くと、セラフィリアが小さく頷いた。
「魔王ヴァレリアのあの威圧感……味方で良かったと心底思いました」
たしかにそうだった。
ヴァレリアの実力は未知数だが、ゴルド・レグナすら従えていた彼女だ。こんなに頼もしい存在はいない。
それだけで、僕たちの心には確かな灯がともっていた。
「……早く平和を取り戻したいわね」
クラリスがそっと笑った。
その笑みには決意が混じっているようにも感じた。
「よし、じゃあそのためにも楽しい話をしようよ!」
アネッサが勢いよく立ち上がる。
「無事にこの戦いに勝ったら、あたしがでっかい肉持ってくる!」
「まだ終わってないだろうが」
アイゼンが呆れたように返す。その口調は淡々としていたけれど、どこか優しい。
「終わってからにしろ。だが……約束は覚えておけよ」
「おっ、珍しく乗り気?」
「肉のためにな」
笑い声が部屋に広がる。
戦場では決して聞けなかった、穏やかな音。
僕はその光景を見つめながら、ゆっくりと息を吐いた。
――こんな時間、久しぶりだ。
命のやりとりを離れ、ただ“仲間”として同じ空間にいる。
そんな当たり前のことが、今は何よりも貴重に思えた。
僕はそっと椅子の背にもたれ、ゆらぐ灯りを見上げる。
外は冷たい夜風が吹いているはずなのに、この部屋だけは不思議とあたたかかった。
夜更け。
部屋の明かりは落とされ、仲間たちの静かな寝息だけが響いていた。
僕もまぶたを閉じていたが、ふと小さな物音に目を覚ました。
軋む床、静かに開く扉の音――。
薄暗い視界の中で、セラフィリアの翼が見えた。
彼女は音を立てぬようにして、静かに部屋を出ていく。
その白い髪が、廊下の月明かりに淡く照らされた。
僕は毛布をそっと抜け出し、後を追った。
「……眠れないの?」
声をかけると、セラフィリアが振り向いた。
月の光を受けたその瞳は、少し驚いたように揺れていたが、すぐに柔らかな微笑を浮かべた。
「……リアンさん。目が冴えてしまって。夜風にでもあたろうかと思っていたのです」
「そっか。よかったら、一緒にいい?」
「ええ。もちろん」
彼女の頬に灯る微かな赤みは、月明かりのせいだけじゃなかった気がする。
石造りの廊下を並んで歩く。
静まり返った王城の中、遠くで衛兵の足音がかすかに響いていた。
その音すら心地よく感じるほど、夜は穏やかだった。
「……前にもこんなことがありましたね」
「うん。あの時はたしかクラリスの実家だったかな」
「ええ。あなたは確か喉が乾いたと言って起きてきましたね。私とそのまま少し話をしました」
「懐かしいな。あの頃とは、ずいぶん状況も景色も変わってしまった」
「ですが……変わらないものもあります。ねぇ、リアンさん」
セラフィリアが僕の横顔を見て微笑む。その横顔が、どこか寂しげで美しかった。
やがて二人でテラスに出る。
夜風が頬を撫で、月明かりが王都の石畳を照らしていた。
遠く、広場の中央にぽっかりと空いた巨大なクレーターが見える。
その上空には、黒く歪んだ裂け目が氷に覆われていた。
「……美しい街並みだったんだけどな」
僕が呟くと、セラフィリアも同じ方向を見る。
氷に乱反射して漏れる赤黒い光が、まるで夜空を汚しているようだった。
「悪魔族の力、やっぱり厄介だな」
「ええ……」
「でも、僕たちはきっと勝つ。あんなものに、この大陸を壊させたりしない」
言葉に迷いはなかった。けれどセラフィリアの表情は曇ったままだ。
彼女は両手を胸の前で組み、かすかに震える声で言った。
「……勝てるのでしょうか。
私たち天使族も、かつては局地的に勝利を収めたことがありました。
けれど……最終的には、滅ぼされてしまったのです。
どれほど祈っても、抗っても……」
その瞳が揺れる。
彼女の記憶にあるのは、天使族が滅ぼされた日のことなのだろう。
僕は一歩近づき、そっとセラフィリアの肩に手を置いた。
「大丈夫。
もう二度と、セラフィリアにそんな気持ちは味わせない。僕たちが、必ず勝つ」
力強く言うと、セラフィリアははっとしたように僕を見つめた。
やがて、その頬にゆるやかな赤みが差す。
「……不安だったのに、あなたにそう言われると不思議と勝てる気がしてきます」
その微笑みは、月光よりもやさしかった。
「戦いが終わったら――やりたいことがあるんです」
「うん、聞かせて」
「みんなと、もっと仲良くなりたいです。
一緒に、補給ではない“温かい食事”を楽しみたい。
魔導国にも行ってみたいですし、他の大陸にも興味があります。
それに……」
言葉を区切り、セラフィリアは僕を見つめた。
夜風に白い髪が揺れる。
「……あなたのことも、もっと知りたいです」
胸の奥が静かに熱くなる。
僕はその想いを受け止めるように微笑んだ。
「その願い、全部叶えよう。約束だよ」
「……ええ。楽しみにしています」
彼女の笑顔は、凍てついた夜気を溶かすようにあたたかだった。
「……そろそろ寝よう。明日に響くからね」
「はい」
二人で部屋へ戻る途中、セラフィリアの足取りはどこか軽くなっていた。
寝床に戻り、毛布にくるまる。
まぶたを閉じる直前、僕の脳裏に浮かんだのは、彼女の微笑だった。
――必ず勝つ。勇者の名に賭けて。
そう心の中で誓いながら、僕は静かに眠りへと落ちていった。
朝の空気は、冷たく張りつめていた。
夜明けの光が門の氷を照らし、淡く反射している。
僕たちはそれぞれ配置につき、息を潜めるように監視を続けていた。
──その時だ。
広場の上空で、氷が低く鳴った。音が地の底から響くように重い。
「……震えてる……のか……?」
誰かの呟きと同時に、氷の表面にひびが走る。
兵たちがざわめき、伝令が駆け出す。
僕は息を詰めてその先を見つめた。
透き通った氷を破って現れたのは、黄金の尾の先。
期待が走った。
ゴルド・レグナだ──あの猛将が帰ってきた、と。
けれど、ヴァルディスの怒号がすぐにそれを打ち砕く。
「油断するな!」
――次の瞬間、氷が砕け散るような音を立てて崩壊した。
現れたのは、黄金ではなく、黒に染まった影。
肌は茶褐色に濁り、瞳は深淵のような黒。
誇りの象徴だった黄金の鎧までもが、瘴気に蝕まれて黒く染まっていた。
「……隊……長……」
兵の声が震える。
僕も言葉を失った。予想していた。けれど、心のどこかで信じたかったのだ。
彼女はきっと、抗ってくれると。
ゴルド・レグナは振り返り、門の中へ手を差し伸べた。
その手を、小さな指が取る。
門の向こうから姿を現したのは──リザ。
彼女は微笑み、ゴルド・レグナを抱きしめ、頭を撫でた。
「えらいね、エスコートも上手だよ」
ゴルド・レグナは、まるで子どものように嬉しそうに微笑んだ。
誰もが息を呑んだ。
ヴァルディスでさえ、言葉を失っていた。
あの誇り高い黄金の竜人の姿は、もうどこにもない。主人に媚びて尻尾を振るその姿に、もはやかつてのゴルド・レグナの面影は見つからなかった。
そしてリザは僕たちの方を見た。
「この子はもうボクのもの。──君たち、終わりだよ」
読んでくださってありがとうございます。
この二人のイチャイチャを書くと寿命が伸びる気がします。




