第七十一話 勇者の資質
第七十一話
「――では、現状を整理する。まず、最悪の可能性を想定しよう」
彼女の言葉に、室内の空気が引き締まる。
「我らの最大戦力――ゴルド・レグナは、敵の手に堕ちたものとして扱う。それを前提に動く」
「……堕ちた、って……つまり、敵に……?」
アネッサが青ざめる。
ロザリンドは短く頷いた。
「可能性の段階ではあるが、否定できない。彼女が操られている場合、たった一騎といえど敵の戦力は倍増する。
我々は、それを踏まえて次の一手を考えねばならない」
「――議題は三つだ」
ロザリンドが深呼吸をして言った。
その声は落ち着いているようで、かすかに掠れていた。
「これからの攻勢方針。敵に回ったゴルド・レグナの対処。そして、数で勝る敵に対して、どう対抗するか――だ」
彼女の言葉に、全員が黙り込む。
ゴルド・レグナ。こちら側の最強の矛だったその名は、今や脅威そのものだった。
一人で千の兵を圧倒する彼女が敵に回った――それはもはや、戦況そのものが変わるということだ。
「……正面から当たれば、勝てない」クラリスが低く言った。
「彼女が出てきた時点で、こちらの部隊は壊滅する。……どんな策を取っても」
「なら、出てこさせないように立ち回るのは?」
アネッサが明るく見える声で言ったが、その笑みには力がなかった。
「奇襲とか、陽動とかさ。あの人の目を逸らせば――」
「逸らせるほど甘い相手じゃない」アイゼンが短く遮る。
「あの力に加えて、飛翔による機動力。戦場を支配しているようなものだ。視界に入った瞬間、もう逃げられん」
重たい沈黙が落ちた。
僕は、地図の上に描かれた線をぼんやりと見つめながら、喉の奥がひりつくのを感じていた。
敵の数はこちらの数倍。そこにゴルド・レグナが加わるとなれば、正面からの衝突は自殺行為だ。
「……広場の門は、もう使えないよね」レオが言う。
「広場の門……というより、どの門でも同じだろうな。向こうはこちらの兵が出て来られる場所を知っている。そこを待ち伏せるだけで済むのだから」
ロザリンドが冷静に返答する。
「……手詰まりですね」
ノワールの声が静かに響く。
彼女はロザリンドを見た。その瞳には“どうする?”という問いが込められていた。
ロザリンドは答えず、俯いたまま地図の端を指先で撫でた。
考えている。必死に。
だけど――答えが出ない。
「……わかっている。現状のままでは、遅かれ早かれ押し潰される」
ようやく顔を上げたロザリンドの目には、焦りと、それを抑え込もうとする意思があった。
「だが、無策で動けば被害は取り返しがつかない。…………やむを得ん、か」
彼女は一度目を閉じ、深く息を吐いた。
その仕草のあと、ようやく決意が見えた。
「――伝令を呼べ。ハヤブサ部隊だ」
扉の外で待機していた兵士が、すぐに応じて走る。
部屋の空気がわずかに動いた。
「魔導国本国へ報告を送る。現状を伝え、増援を求める。……そして、魔王陛下のご意見も伺う。同じ内容を、公国にも送る。……今はそれしかできない」
ロザリンドは机に紙を広げ、羽根ペンを取った。
筆先が走る音だけが部屋を満たす。
書かれている内容が想像できて、僕は胸の奥がざらついた。
“意見を伺う”なんて、彼女にとって本当は言いたくない言葉だ。
それでも、今はプライドより現実だ。
魔導国の参謀としてではなく、仲間の命を背負う一人として、彼女は文字を刻んでいく。
書状を封じると、すぐに伝令が現れた。
小柄で鋭い目をした若い鳥人――背中には白銀の羽。ハヤブサ部隊の象徴であり誇りでもある。
「これを。最速で届けろ」
「はっ!」
短い返事のあと、伝令は窓枠に足をかけ、風のように飛び出した。
外の空へと羽ばたく姿は、一瞬で視界の外に消えていく。
その速度が頼もしいほどに、同時に――胸が締めつけられるほどに、儚く見えた。
老参謀が小さく呟く。「返事は早くとも二日後……それまで、侵攻がないとよいが……」
僕たちにできるのは、ただ待つことと、備えることだけだ。
「……あとは、湖畔の門か」
ロザリンドが静かに呟く。指先が地図の一点に触れる。
双子が使っていた、湖畔の小さな門。
王国領の外れ、今は封鎖中のその場所を、僕もよく覚えていた。
「潜入経路として使えるなら、奇襲の糸口にはなる。だが……作戦と呼ぶには、まだ材料が足りない」
「それでも、試す価値はあると思う」クラリスが言った。
「少人数で動けるなら、私たちが――」
「無茶はなさらないよう」ノワールが釘を刺す。
「今はまだ“案”の段階です。焦って動けば全てを失うこととなります」
ロザリンドはその言葉に小さく頷いた。
少しだけ、表情が和らいで見えた気がする。
けれど、それもほんの一瞬だった。
「……返事を待ちながら、湖畔の門の活用方法を考える。その間警戒線は維持。警備を増やし、侵攻に備える。それが、今の我々にできる最善だ」
そう言い切る彼女の声は、決して強くはなかった。
でも、不思議と誰も異を唱えなかった。
みんなわかっているのだ。
この状況で“正解”なんて、誰も持っていないということを。
沈黙。
地図の上の灯だけが、淡く部屋を照らしていた。
ロザリンドの指が止まるたび、僕の胸の奥も重く沈んでいく。
――今できることは少ない。
だけど、少ないからこそ、どれも手放せない。
しかしいきなり妙案が浮かぶはずもなく、会議は一旦終了した。次は公国及び魔導国からの返信が来、次第集まることになった。それまでは警戒にあたることになる。
会議が終わったあと、僕たちは王城の医務室の奥にある研究区画へと向かった。エミリオの様子が気になったのだ。
重たい扉を開けると、鼻をくすぐる薬草の匂いと、星晶の淡い光が迎えてくれる。
白衣姿のエミリオが顔を上げ、僕たちを見てにこやかに手を振った。
「あ、皆さん……どうかしましたか?」
「進捗はどう?」と僕が尋ねると、エミリオは机に肘をつき、少し困ったように笑う。
「理論上は完璧なんです。素材は一級品、魔法にも破綻はない。でも……どうしても“悪魔族の瘴気”だけは浄化しきれなくて」
散乱した紙束と試験管。薄く発光する魔法陣。
そのすべてが、あと一歩届かない焦燥を物語っていた。
エミリオは、しばし考え込むように眉を寄せてから、僕をまっすぐ見た。
「リアンさん、あなたが瘴気を浄化していた時のことを、詳しく教えてくれませんか。戦場で、どんな状況でした?」
「……どんな、状況……」
思い返そうとすると、記憶の底に沈んでいた光景が、ぼんやりと浮かんでくる。
けれど、それは断片的で、掴みどころがない。
「えっと……あのときは確か、瘴気を発するカイリスに正面から斬りかかっていたけど、無我夢中だったし……」
クラリスが小首をかしげた。
「そういえばリアン、剣が光ってたように見えたけど……気のせい?」
「光?」とエミリオがすぐに反応する。
僕は首を振った。
「光か……光、確かに、女神エステル様の力を……」
断片が少しずつ繋がっていく。
血の臭い、轟音、そして──手に伝わる熱。
確かにあの瞬間、剣を通して“何か”を流していた。
呼吸を整え、記憶を掘り下げる。
「……そうだ」
自分でも驚くほど小さな声が漏れた。
「光魔法だ。光属性の魔法を剣に纏わせてた。たぶん、それが……」
「――それだ!」
エミリオが突然、机を叩いて立ち上がった。
「星晶の効力を引き上げていたのは光魔法だ! そうに違いない!」
急にスイッチが入ったように、彼の目が輝きを取り戻す。
「リアンさん、お願い! 今すぐ光魔法を見せてください!」
その勢いに圧されながら、僕は剣を抜いた。
精神を落ち着け、意識を集中させる。
静寂の中、剣の刃先に光が宿り、ゆっくりと部屋全体を照らした。
「……この輝き……この神聖さ……!」
エミリオは感嘆の声を漏らすと、すぐに机の下から奇妙な装置を取り出した。
「これは魔力の波長を測定する装置なんです。光魔法の特性がわかれば、代用できるエネルギーを作れるかもしれない!」
器具が淡く光り、剣の周囲に広がる魔力の揺らぎを読み取っていく。
エミリオの瞳は、まるで子供が星を見上げているようだった。
やがて測定を終えると、彼は椅子にも座らず、すぐ新しい紙を取り出して何かを書き始める。
「やっぱり……光だ……この波長……!」
レオが小声で僕の袖を引いた。
「……完全に自分の世界だね」
「うん。もう声、届かないかも」
僕たちは苦笑し合いながら、静かに部屋を後にした。
扉の向こうからは、ペンの走る音と、抑えきれない熱のこもった独り言がいつまでも聞こえていた。
王城を出ると、冷たい風が頬を撫でた。
崩壊した壁の隙間から見える街の一角には、まだ瓦礫が積み上がったままだ。
僕たちは足元に気をつけながら広場へと向かう。
広場では、警備に当たる兵士たちが各所で待機していた。
けれど、その顔には焦燥と不安がにじんでいる。
戦わずして敗れた――その現実が、まだ皆の胸に重くのしかかっていた。
特に、魔導国の亜人たちで構成された歩兵隊はひどかった。
彼らの隊長、ゴルド・レグナがいなくなった今、武力だけでなく心の支えまで失ってしまっている。
士気は底を打っていた。
「……このままじゃ、崩れる」
思わず口の中で呟いた。
誰かが、立たなければならない。
でも、どうすればいい?
頭の中で、過去の記憶を探る。王国騎士団時代の団長ロムレス。旅の中で出会ったリーダーたち。
彼らはどうやって皆を導いていた?
思い出そうと必死に考えるうちに、胸の奥で小さな光が瞬いた。
――初めて、聖剣と対話した時のこと。
あの時、僕はただ必死に仲間を守らなければと、そう思っていた。
そんな僕に、聖剣――女神エステル様が言ってくれた。「恐れることはない。優しさと勇気をもって立ち向かえ」と。
あの言葉が、僕を立ち上がらせた。
……なら、今度は僕が皆を立ち上がらせる番だ。
「リアン?」
クラリスが心配そうに声をかけてくる。
僕は頷き、門へと続く石階段を登った。
階段を登る僕を、兵たちが怪訝そうに見上げる。
「勇者殿……?」
「何を……?」
そんな声がかすかに聞こえる。
階段を登りきり、門の前に立つ。
街の広場全体が見渡せる高所だ。
僕は剣の柄に手をかけ、一気に抜き放った。
光が走る。
天へと掲げた聖剣が、まばゆい輝きを放つ。
兵たちの視線が一斉に僕へと集まった。
僕は息を吸い、声を張り上げる。
「――僕達は、まだ負けちゃいない!」
声が風を切り、広場に響き渡った。
「敵が強大なのは分かってる。恐ろしいのも当然だ。けど、僕達は今日まで何度も立ち上がってきた! それは、誰かに命じられたからじゃない。守るものがあるからだ!」
光が剣から溢れ、兵たちの顔を照らす。
「頼れる猛将がいなくても、仲間はここにいる! この大陸を、街を、家族を、僕達の手で守るんだ!」
「この僕が、勇者リアンが、光になる! 闇が迫るなら、その先頭に立つのは僕だ! この聖剣の輝きで、どんな闇も照らしてみせる! だから、僕の背中を守ってくれ! そして共に戦ってくれ!」
言葉を放つたび、胸の奥が熱くなる。
聖剣の光がそれに呼応するように、いっそう強く輝いた。
数瞬の沈黙。
そして、兵の中から誰かが低く呟いた。
「……あんな若造に、励まされちまったな」
「俺ら、情けねぇな……勇者殿があそこまで言うのに」
「そうだ、顔上げろ! 俺らはまだ負けちゃいねえ!」
ざわめきが広がり、しだいに笑い声が混じり始める。
さっきまで沈んでいた空気が、ほんの少しだけ温かくなっていった。
僕は剣を下ろし、小さく息を吐いた。
光の残滓がゆっくりと消えていく。
僕は剣を納め、静かに階段を下り始めた。
さっきまで沈黙していた広場が、今はざわめきで満ちている。
「勇者殿!」
「さっきの言葉、胸に響いたぜ!」
「俺たち、もう一度立ち上がります!」
階段を降りるたび、兵たちが次々と声をかけてくる。
彼らの顔に、先ほどまでの影はなかった。
恐怖の代わりに、決意の光が宿っている。
「……よかった」
胸の奥で小さく呟きながら、最後の段を降りた。
石畳の上で待っていた仲間たちが、ほっとしたように息を吐く。
「やるじゃない、リアン」
クラリスが微笑んで迎えてくれる。
アイゼンがにやりと笑いながら肩を組んできた。
「まるで舞台俳優だ。光の演出まで完璧だったぞ」
「……そんなつもりじゃなかったんだけど」
僕は苦笑しながら頭をかく。
「でも、ちゃんと届いたよ」
レオが穏やかな声で言う。
「皆の顔を見てよ。あの表情、もう戦える」
アネッサは腕を組みながら、ふっと鼻を鳴らした。
「んー、ちょっとカッコつけすぎかなー? でも、悪くなかったよ。勇者様」
「カッコつけるつもりもなかったんだけど……」
セラフィリアは微笑を浮かべて小さく頷いた。
「あなたの言葉には、確かに力がありました。……人の心を照らす光ですね」
「そんな大層なものじゃないさ。ただ……僕にできることをしただけだ」
そう言いながら、もう一度広場を見回す。
兵士たちは互いに声を掛け合い、装備を整え、いつもの活気を取り戻しつつあった。
風が吹き抜け、空の向こうに一筋の光が差す。
僕はその光を見上げながら、心の中でそっと呟いた。
――ありがとう、女神エステル様。
僕が立ち上がれたのは、貴女があの時、光を見せてくれたからだ。
背後からアネッサが笑いながら言った。
「ほら、勇者様。あたしたちも見回りいかなきゃ!」
「わかってるよ」
僕は頷き、再び歩き出した。
少し軽くなった空気の中、兵たちの声が広場に力強く響いていた。
読んでくださってありがとうございます。
リアンが主人公っぽいことをしてくれると、生みの親としてとても嬉しく思います。
今後も彼には頑張ってもらいましょう。




