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第七十話 空白の将

第七十話


side:リアン

 門の前は静まり返っていた。

 空気は凍りつき、魔法の波動が残像のように揺れている。

 魔法部隊が門の向こうに信号弾を放つたび、僕の胸は高鳴った。


 きっと――ゴルド・レグナなら戻ってくる。

 あの魔導国最強の竜人なら、あの誇り高き姿で――。


 しかし、どれだけ待っても戻ってこない。

 胸の奥がぎゅっと締め付けられる。


「……凍結を、終わらせろ」


 ロザリンドの声は震え、わずかに息を荒げていた。

 怒りと悔しさ、そして焦りが混じって、しかし指揮官として冷徹に判断を下した。

 兵たちはざわつき、視線を交わす。ゴルド・レグナが帰ってこないという事実が、誰の目にも明らかだった。


 けれど、凍結を完了させなければ、彼女が稼いだ時間も尽力も無駄になる――。

 魔法部隊はため息混じりに最後の呪文を施し、氷の結晶が門を覆い尽くす。

 処理完了の声が響き、周囲に静寂が広がった。


 ロザリンドは額に手を当て、悔しさを滲ませながら、短く息を吐く。

 「……双子が使っていた門から再突入する。準備を……しろ……」


 しかし、その声にはわずかな震えが混じっていた。

 心の奥で、ゴルド・レグナが戻らないことへの苛立ちと無力感が交錯している。

 思考は明晰であろうとしても、感情が前に出てしまい、完全に冷静とは言えない。


 そこへヴァルディスが歩み寄る。

 「……おい、本当にそれでいいのか? 感情に任せて動こうとしていないか? 未知の門から再突入など、少し考えれば危険が大きすぎることはわかるだろう」


 ロザリンドはハッと息を呑み、しばし黙る。

 額の汗を拭い、わずかに肩を落とすと、冷静さを取り戻すように声を出した。

 「……方策を考える。兵は一旦王都で待機してくれ」


 彼女はふらつきながらも作戦室の方向へ歩き出す。

 僕たちもその背を追い、作戦室へと向かう。


 胸の奥に、まだ消えない焦燥感が残った。

 ――あの門の向こうで、ゴルド・レグナはどうしているのか。

 祈ることしかできない自分の無力さに、胸が痛む。


 静かな足音が、氷に覆われた門の前で消えていく。

 そして、僕たちは次の行動に向け、作戦室へと足を踏み入れた。


 

 作戦室に戻った瞬間、ロザリンドは机を叩きつけた。

乾いた音が部屋に響き渡り、僕たちは思わず身を強張らせる。


「……どうしてだ!」


彼女の叫びは、悲鳴に近かった。

理性の殻が砕け、感情が噴き出している。普段の冷徹な参謀の面影は、もうどこにもなかった。


「待ち伏せの可能性は、考慮していた……! 罠だって想定していた!

なのに、どうして、あんな――っ、愚かな判断を!」

彼女の指先が震える。唇を噛み、血の味を確かめるように俯く。


「敵が進軍してくるなど、想定の外だった……いや、違う、違うんだ!」

ロザリンドは自分の頭を両手で押さえ、乱れた髪を掻きむしる。

「私は思い込んでいた。敵は防衛に回るだろうと……こちらと同じように慎重に構えると……!

馬鹿だ、なんて愚かなんだ……!」


机の上の資料が宙に舞う。

地図、作戦案、戦況報告――そのすべてがロザリンドの拳の衝撃で散らばり、床に落ちる。


「ゴルド・レグナの力に縋っていた。あの女がいれば、どうにかなると思っていた。

……数倍の兵力を相手にしているというのに、現実から目を逸らした!

“数による力押し”の威力を侮っていた……笑っていた……っ、私は愚かだ……!」


怒りとも後悔ともつかない声。

その目は赤く滲み、焦点が定まらない。


「彼女の判断がなければもっと被害は出ていた……そうだ、彼女は最期まで戦ったに違いない……!

だが、それでも、失うには――あまりにも、重すぎる……!」


机に手をついたまま、ロザリンドの肩が震える。

彼女がこんなにも感情的になるのを、僕は見たことがなかった。


「落ち着け、ロザリンド」

僕は一歩近づき、できる限り穏やかな声で言う。

「まだゴルド・レグナが敗れたとは――」


「黙れ、リアン!」


その叫びに、僕は息を呑んだ。

ロザリンドが、まるで怒りに飲み込まれた獣のような目で僕を睨みつけていた。


「これが落ち着いていられるか! 状況から見て、ゴルド・レグナ殿の敗北はほぼ確実だ!

……それどころか、敵の手に堕ちた可能性すらある!

最強の矛がこちらに牙を向けば、数で劣る我らは一瞬で終わる! 理解しているのか、リアン!」


その声は震え、怒りと恐怖が入り混じっていた。

僕は、ただ言葉を失ったまま、ロザリンドを見つめるしかなかった。


静寂。

誰も動かない。息を呑む音さえ聞こえる。


その重さを切り裂くように――ノワールが、一歩前に出た。


「……見ていられませんね」


ノワールの声は、氷のように冷たかった。

彼女は迷いなくロザリンドの胸ぐらを掴み、強く引き寄せる。


「ッ――」

驚く間もなく、鋭い音が響く。

ノワールの平手打ちが、ロザリンドの頬を打ち抜いた。


沈黙。誰も動けない。

ロザリンドの頬には赤い痕が刻まれ、髪が乱れ、瞳が揺れていた。


「誇り高き魔導国の参謀が……なんというザマですか」

ノワールの声は低く、怒りを押し殺して震えている。

「一度の敗北で取り乱し、机を叩き、仲間を罵り――叫び、喚く。

これがあなたの矜持ですか? ゴルド・レグナ様が命を賭して守った国の参謀が、そんな安っぽい感情で崩れる存在だったと?」


「……ノ、ノワール……」

「情けないにも程があります!」

ノワールの声が一段と鋭くなる。

「あなたは指揮官でしょう! あなたが諦めてはいけない! 例え矢尽き剣折れようとも、あなたは首が落ちるその時まで勝利のことを考え動きなさい!」


ロザリンドは唇を噛みしめ、俯いたまま震えていた。

ノワールの怒声が、彼女の迷いを切り裂くように響き渡る。

 

 ノワールの怒声が静まっても、作戦室には誰一人、声を出す者はいなかった。

重たい沈黙の中、ロザリンドは俯いたまま微動だにしない。

頬に赤い痕を残し、指先がかすかに震えている。


ノワールの平手打ちの音が、まだ耳の奥に残っていた。

それほどまでに――鋭く、重かった。


僕は息を詰めて見守る。

叱責の言葉を浴びせられてなお、ロザリンドはすぐに言い返すこともできず、ただ自分の中に何かを押し込めようとしているようだった。


「……私は……」

かすれた声が漏れる。

「……何を、していたんだろうな」


ゆっくりとロザリンドが顔を上げた。

その瞳は、まだ揺れていた。だが、先ほどまでの激情とは違う――沈痛で、静かな揺らぎだった。


「喚き散らして……取り乱して……部下の前で感情を晒すなど、最もしてはならぬことだというのに」

苦笑が、ひと筋。

自嘲のような笑みは、痛々しいほど穏やかだった。


「……ノワール、お前の言う通りだ。私は……情けない」

ロザリンドは、深く息を吐く。

まるでその吐息で、心の淀みを追い出すかのように。


ノワールは無言のまま見つめていたが、その瞳には確かな安堵が宿っていた。

彼女の言葉が、ロザリンドの中に確かに届いているのが分かった。


「……私は、知らない間にこんなに弱くなっていたのか」

ロザリンドの声が少しずつ強くなる。

「ゴルド・レグナという存在に――その力に、依存していた。

彼女がいるから大丈夫だと、根拠のない安心に縋っていた。

そして……それを失った瞬間、私は、自分まで失ってしまった」


拳を握る音が聞こえた。

彼女は再び立ち上がる。

その姿には、もう先ほどまでの混乱はない。まだ痛みは残っているが、芯の強さが戻りつつあった。


「――参謀たる者、勝利を信じてこそ部下を導ける。

敗北を恐れて膝をつくなど……その瞬間に、戦は終わるのだ」


ゆっくりと、ロザリンドは頬の赤い痕に手を当てた。

それを確かめるように触れ、苦笑を浮かべる。


「……痛いな、ノワール」

「当然です」

「そうか……。だが、良い痛みだ。……まだ私は、戦える」


そう言って、ロザリンドは背筋を伸ばした。

さっきまでの荒れ狂う嵐が嘘のように、静かに、しかし確かに“参謀の顔”が戻っていた。


「リアン」

不意に名を呼ばれ、僕は姿勢を正す。

「さっきは悪かった。……私はまだまだ未熟だ」

「……そんなことはない。君だって人間なんだ」

「……ふ。ノワールと真逆のことを言ってくれるな。甘えてしまいそうになるだろ」


ロザリンドは小さく微笑む。

その笑みはまだ痛みを伴っていたが――確かに、前を向いていた。


そして、静かに命じる。

「……そうだな、まだ戦いは終わっていない。

ゴルド・レグナの奮戦に報いるためにも、ここで止まるわけにはいかない」


その声に、作戦室の空気が動いた。

張り詰めていた重圧が、少しずつ熱へと変わっていく。

再び前に進む意志が、そこに生まれ始めていた。


 ロザリンドは深く息を吸い、乱れた髪を整えると、静かに口を開いた。

その声には、もう迷いの色はなかった。

読んでくださってありがとうございます。

夜にも投稿したいです。

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