第六十五話 貴重な情報
第六十五話
暗い道を抜けた瞬間、世界が一変した。
冷えた風が頬を撫で、青空が広がっている。
王都の中心部――かつて人々の声で満ちていたその地は、今は風の音だけが支配していた。
「……やっぱり、この景色は心にくるわ」
クラリスが小さく呟いた。
瓦礫の隙間に残る看板、壊れた噴水、途絶えた灯り。そして、広場に大きく開いたクレーター。
かつて王国の心臓だった街は、すでに息をしていなかった。
「……仕方ないだろう。エミリオの話でも、この作戦は悪魔族にかなりの打撃を与えたことは感じ取れた。これだけの破壊の甲斐はあったということだ」
アイゼンが低く答える。その声がやけに大きく響く。
僕たちが進むと、街の中央通りの先に、数人の兵が見えた。
彼らは魔導国の紋章を肩に掲げた兵士たちだ。
王都の警備を任されている部隊――この廃都と化した王都に残る数少ない“生”だ。
「止まれ!」
鋭い声が響き、魔導国の兵が一斉に槍を構えた。
視線は真っ直ぐ、僕たちの後ろ――エミリオに突き刺さる。
焦茶色の肌に、黒い左目。見た目は悪魔族のままなのだ。この姿を見て、警戒されるのも無理はない。
「ま、まさか……悪魔か!?」
「違う!」僕はすぐに前に出た。
「彼は天使だ。姿形は悪魔族だけど、心まで悪魔に堕ちてはいない」
兵たちは一瞬だけ顔を見合わせ、なおも槍を構えたままだ。
背後のエミリオは、怯えたように肩をすくめていた。
その手を、そっとアネッサが取る。
「大丈夫だよ。リアンがいるから」
無邪気な笑顔が、少しだけ空気を和らげた。
「僕が保証する。彼はこの裂け目に関する重要な証人だ。通してくれ」
そう言うと、先頭の兵士がようやく槍を下ろした。
「……了解しました。王城へ向かわれるのですね?」
「ああ。作戦本部へ報告する」
兵たちが道を開ける。
僕たちは瓦礫の中を抜け、王城へと向かって歩き出した。
沈んだ空の下、城だけがまだ威厳を保っていた。
その塔の最上部――そこに今、ロザリンドたちがいる。
僕たちは報告に向かうために歩き出す。
足元で、小石を蹴った音が響いた。
エミリオが小声で言う。
「……みんな、ボクを怖がってるね」
「そうだな。でも、それは時間が解決する」
僕は歩きながら微笑んだ。
「君が本当に何者なのか、これから示せばいい」
彼は小さくうなずき、俯いたままついてくる。
王城の奥、臨時の作戦室。
分厚い扉を押し開けた瞬間、張り詰めた空気が肌を刺した。
部屋の中央には大陸全図を広げた長机。その周囲には、ロザリンド、ノワール、老参謀、ヴァルディス、ゴルド・レグナの姿があった。
「勇者殿――帰還されたか」
老参謀がかすれた声を上げる。
その言葉にわずかに安堵を覚えたのも束の間、空気が一変する。
ゴルド・レグナが椅子を軋ませて立ち上がった。
鋭い尾が床を叩く音が響き、黄金の槍が瞬く間に抜かれる。
「貴様――!」
その怒号とともに、彼女の槍が閃光のように走った。
槍先は、僕の隣に立つエミリオの喉元で止まる。
空気が凍りついた。
アネッサが息を呑み、レオがとっさに詠唱の構えを取る。
クラリスは反射的に詠唱を呟きかけたが、僕が手を上げて制した。
「――待ってくれ、ゴルド・レグナ!」
「悪魔族を連れて戻るとはどういうつもりだ、貴様!」
竜の血を引く彼女の声が低く唸る。鋭い眼光がエミリオを貫いた。
その瞬間、ロザリンドがゆっくりと立ち上がった。
「リアン」
静かながらも、怒気を孕んだ声だった。
「説明を」
僕はうなずき、一歩前へ出た。
「門の向こう側――悪魔族の大陸は、自然や空気は僕らの大陸となんら変わらなかった。生物の気配はとても少なかったけどね。
幸い、転移地点に罠はなく、周辺は拠点としても利用可能。
水場の位置や地形も大まかには把握できたし、地図にも起こしてある。
そして……内部の状況を探るため、更に進んでいた時に、彼――エミリオに出会ったんだ」
エミリオは小柄な体をこわばらせながらも、僕の隣でじっと立っていた。
その姿を、ロザリンドも他の者たちも警戒の色を隠さず見つめている。
「彼は悪魔族だけど……心までは堕ちきっていないんだ。
言うなれば天使族の生き残りと言っていいと思う。そして彼は、体に定着した瘴気を浄化し、“悪魔族を元の姿へ戻す”魔法を研究しているんだ。また、薬師として悪魔族の首都にも出入りしていて、内部の事情にも詳しい。彼の知識は、僕達にとって貴重なものだと判断して、連れて来た」
言い終えたあと、部屋には短い沈黙が落ちた。
やがて、ロザリンドが深く息を吐き、冷ややかに言う。
「なるほど……。それで、お前はこの者を信じた、というわけか」
「うん。彼の心はまさしく僕らと同じ、普通の人間だよ」
その言葉を聞くと、ロザリンドはほんの少しだけ視線を伏せ、
そしてゴルド・レグナに目を向けた。
「ゴルド・レグナ殿」
「……いいのか、ロザリンド」
「今は、な」
ロザリンドの短い言葉に、ゴルド・レグナは不満げに舌を鳴らしつつも槍を引いた。
金属音が静かに響く。
そして、ロザリンドの視線が再びエミリオに突き刺さる。
「――では聞かせてもらおうか、少年。お前は何者で、何を知っている?」
その声音は冷たいが、どこか試すようでもあった。
エミリオは一度だけ僕を見てから、小さく息を吸う。
「……僕は、かつて天使族の端に連なる者でした。
けれど、瘴気を注がれ、体が変質しました。
それでも……心まで“堕ちる”ことはなかったんです」
彼の声は震えていたが、確かな芯があった。
「だから僕は研究を始めました。瘴気を浄化し、元に戻すための方法を。
……ほんの少しだけど、成功例もあります」
彼は自らの帽子を脱ぎ、右目を覆う前髪を上げる。そこには白に戻ったエミリオの目があった。
その光景に、室内が再び静まり返る。
ノワールが顎に手を当て、老参謀が目を細めた。
そしてロザリンドがゆっくりと椅子に腰を下ろす。
「瘴気の浄化……興味深い」
碧い瞳が細められ、微かな笑みが浮かぶ。
「いいだろう、話を聞かせろ。浄化だけでなく、悪魔族の実態の全てをな」
少年は小さくうなずき、震える指先を握りしめた。
その表情には、覚悟と恐怖が同居していた。
悪魔族の首都――ヴァスヘル、か」
ロザリンドが低く呟いた。
エミリオは頷き、真っ直ぐに視線を返す。
「はい。王が君臨し、全てを統べています。城塞都市であり、十万を超える軍勢が駐屯しています。最近になって、徴兵の動きと部隊の再編が進められていて、住民の間にも不穏な空気が広がっています」
「十万……」
ゴルド・レグナが槍の柄を握り締めた。竜の瞳が細く光る。
「それだけの軍を動かす準備をしているというのか」
「はい。“五芒星”と呼ばれる幹部級の者たちも頻繁に出入りしているようです。何か大きな作戦が動いているのは間違いありません」
作戦室に重苦しい沈黙が落ちる。
僕は唇を結んだまま、机の上の地図を見下ろした。
「……敵の動きが早い。こちらが体勢を整える前に動かれると厄介だ」
ロザリンドが腕を組み、静かに言う。
「エミリオ、お前はその“再編”の目的に見当はついているのか?」
エミリオは一瞬だけ躊躇い、そして答えた。
「兵の補充以上の意味はないと思います。どこかに攻め込んで大敗を喫した――そんな話を聞き及んでいましたが……ここのことだったんですね」
エミリオが話し終わったのを見て、ノワールが口を開いた。
「……双子の証言と照らし合わせても、矛盾はありませんね」
机上の資料を閉じ、静かに言う。
「首都の名、軍勢の規模、そして“五芒星”の存在――すべて一致しています。信憑性は高いかと」
ロザリンドがわずかに頷き、エミリオへと視線を向けた。
「では聞こう。悪魔族を統べる“王”とは、何者だ?」
エミリオはしばらく沈黙し、やがて静かに答えた。
「名は――アビス。最初に悪魔になった男、と言われています。たった一人で勢力を築き、今の悪魔族の礎を作った。僕はその素顔を見たことはありませんが……比類なき武勇を誇る、とは聞いたことがあります」
「……最初の悪魔、か」
ロザリンドの声が低く響く。
「神話のような言い草だな。最初に禁忌を犯した痴れ者のくせに」
ゴルド・レグナが鼻を鳴らし、槍の穂先を軽く床に打ち付けた。
「その“王”を支える幹部たち――“五芒星”とやらについても聞かせてもらおう」
エミリオは小さく息を整え、ひとりずつ名を挙げていった。
「まず参謀、ヴェイル。
知略に優れ、悪魔族の作戦のほとんどを仕切っています。冷静沈着で、王に次ぐ権力を持つとも言われています。
ただ……彼自身が戦っているところは誰も見たことがない。戦闘能力は未知です」
「次に、王の側近――リザ。
姿を見た者は少なく、常に誰かに守られています。戦闘能力はほとんどないようです。ですが……何か、特別な役割を担っているようです」
エミリオの声が少し沈む。
僕は思わず息をのんだ。
リザ――何度も会ったあの悪魔族の少女は幹部だったのか。
「それから、双子のミラとミロ。
二人は斥候や奇襲を専門としています。二人揃った時の戦闘能力は非常に高いですが……今は捕まっていると聞きました」
ノワールがわずかに眉を動かす。
「我々が確保した双子ですね。……情報が繋がりました」
エミリオは最後に、少しだけためらいながら名を告げた。
「シスター・エリス。
王を信奉する狂信者です。見た目は修道女のようですが、心は完全に悪魔。残虐で冷酷……そして、とても強い。誰も彼女を正面から倒したことはありません」
作戦室の空気が一層重くなる。
沈黙を破ったのは、ロザリンドだった。
「……五芒星のうち、確認できたのは四人……いや、双子が一人ずつで五人ということか?」
「いえ、双子は二人で一つです。最後の一人に関しては、記録も噂も、ほとんどありません。
噂によると、王宮から出てくることが稀なようです。存在しているのは確かですが」
ロザリンドはしばらく考え込み、やがて静かに息を吐いた。
「よく話してくれた、エミリオ。――次は、こちらがどう動くかを決める番だ」
読んでくださってありがとうございます。
多忙につき、毎日投稿が難しくなる日があるかもしれません。
そんなときは翌日二話投稿などで対応していこうと思います。




