第六十四話 少年の決意
第六十四話
部屋の空気がすっと引き締まる。エミリオは小さな手つきで帽子を深く被り直し、言葉を選びながら話し始めた。
「ボクは……薬を調合して、たまにヴァスヘル――多くの悪魔族が住まう首都に行くんです。薬草を仕入れたり、完成した薬を売ったり。そのついでに、街の人たちと話をする機会があって」
「首都、ヴァスヘル……知らない街です。首都と言うからには、あの王が住んでいるのですよね?」
セラフィリアが確認するように言う。声の色には、わずかな緊張が滲んでいた。
「ええ。王が住む城を中心に広がる巨大な街です。この大陸の悪魔族のほとんどがその街に住んでいると言われ、住民の数も、軍の規模も桁違いです」
クラリスがメモ帳を取り出し、さらさらと記録を始める。
「軍勢の数は分かる?」
エミリオは少し考えてから答える。
「正確な数は掴めませんが、徴兵で増えた兵を含めれば十万を超えていると思います。……どこかに侵攻した部隊が全滅したらしくて、その穴を埋める形で再編が行われているようです。訓練場では朝から晩まで新兵の姿を見かけました」
「全滅……王都の戦いのことでしょうね。やはり、あの敗戦の影響は大きいのですね」
セラフィリアが小さく息を呑む。彼女の瞳にかすかな動揺が走るのを、僕は見逃さなかった。
「街の雰囲気はどうなんだ?」僕は尋ねる。
「ざわついています。みんな表面上は普通に暮らしていますが、内心では不安を感じているようです。悪魔族は基本的に全員が戦う力を持ちます。ですが、やはり戦いを怖がって徴兵を避けようとする人もいます。役人たちは昼夜問わず名簿を確認して回っているようです。市場の会話でも“誰が召集された”って話題が必ず出ます」
アイゼンが腕を組んで唸る。
「……完全に戦時体制だな。こっちの準備が遅れれば、また一気に押し返されるかもしれん」
エミリオは頷きながら、さらに続ける。
「王城周辺は兵の移動が多いです。それに、幹部級が城に集っているとの話もありました。王が幹部に招集をかけているということは、何かしらの大規模な作戦の前触れかもしれません」
クラリスのペンが止まる。
「……この情報、すぐにでも伝えたほうがいいかもしれないわね」
僕はうなずき、机の上に地図を広げた。
「徴兵、軍の再編、幹部の招集……十分だ。これは作戦本部に伝える価値がある」
「はい。細かい位置や通りの配置も、ある程度は描けます」
エミリオはそう言うと、持っていた紙を取り出し、いくつかの簡略な地図を描き始めた。
ペン先が紙を走る音だけが、静まり返った小屋に響く。
クラリスが横で補足のメモを書き足し、セラフィリアは真剣な眼差しでその地図を覗き込んでいた。
「……ありがとう、エミリオ」と、僕は言った。
「君の情報があれば、僕達も次の手を打てる」
エミリオはわずかに微笑み、フードの影で右目を隠した。
「ボクにできるのはこれくらいです。でも……それが反撃の礎になるなら、それで十分です」
その言葉には、どこか決意のような響きがあった。
外の風が窓を叩く。
僕たちはしばし無言のまま、地図を囲み続けた――次の戦いを見据えながら。
「――じゃあ、これで大体の情報はまとまったな」
僕はクラリスの書いた報告書の束を見つめながら言った。
机の上には、エミリオが描いた地図と、クラリスの走り書きが並んでいる。
「次は……王都への報告、ですね」
セラフィリアが息を吐くように呟いた。
アイゼンがうなずく。「ああ。これだけの情報なら、作戦室もすぐに動くだろう」
外はもう夕方だった。窓から差し込む赤い光が、皆の横顔を照らしていた。
一日の緊張が解けたせいか、空気にはどこか安堵の気配があった。
僕は立ち上がり、外の空気を吸い込む。
「門を通って、一度戻ろう。……王都に報告だ」
仲間たちはそれぞれ荷物をまとめ始めた。
セラフィリアは資料を丁寧に巻き、クラリスは筆記具を仕舞い、アネッサは軽く伸びをして「さーて、また一仕事だね」と笑った。
そんな中、エミリオは少し寂しそうに立ち尽くしていた。
僕はその姿を見て、静かに声をかけた。
「エミリオ。君も一緒に来ないか?」
「……え?」
「君の身元は、僕たちが保証する。作戦室でも、君のように内部の事情に詳しい人がいると助かる」
僕はまっすぐに彼を見た。
エミリオは一瞬戸惑ったように視線を伏せ、自分の顔を指でなぞる。
「でも、ボクは……この通りの見た目です。そちらの人たちから見れば、悪魔族にしか……敵にしか見えません」
「見た目なんか関係ないよ?」
アネッサがゆらゆらと尻尾を揺らしながら笑った。
「なんなら、もっと怖〜い竜とか、イカつい熊とかもいるし!」
「……ぷっ」
セラフィリアが思わず吹き出した。クラリスも肩をすくめて微笑む。
重かった空気が、少しだけ柔らかくなる。
エミリオはその様子に小さく笑い、胸の前で拳を握った。
「……ありがとうございます。じゃあ、ボクも……行きます。少しでも、誰かの力になりたい」
「それでいい」僕は頷いた。
「君の覚悟、受け取ったよ」
――それから少しの間、エミリオは家の片付けと旅支度を整えた。
使い古した薬瓶を丁寧に木箱に詰め、小さな棚に鍵をかける。
次にこの家に戻ってこられるのはいつになるかわからない。そのまま王都で魔法の研究をする可能性も考えると、荷物は少し多くなってしまった。
そうしているうちに辺りは暗くなってしまい、僕達はこの近辺で一夜を明かすことにした。
エミリオの家に全員は寝られないので、クラリス、アネッサ、セラフィリアの女性陣だけ泊まらせてもらい、僕とレオ、アイゼンはすぐそばの平地で野営をした。
女性陣だけの空間に若干の居心地の悪さを感じたエミリオが助けを求めるように僕達のところに来て、互いに笑い合った。アイゼンも最初よりは警戒が薄れているみたいだ。そして共に外で夜を過ごした。
そして夜明け前。僕たちは再び歩き出した。
見つからないよう慎重に草の揺れる丘を越え、最初の拠点――あの遺跡へと戻ってきた。
目の前には、暗く黒い口を開いたままの裂け目。
二つの大陸を繋ぐ、王都への門だ。
僕は振り返り、少し緊張した面持ちのエミリオに声をかけた。
「……あの門をくぐったら、王都だ。緊張するだろうけど、僕たちが守るから」
エミリオは一度深呼吸し、まっすぐ僕を見た。
そして、迷いのない声で言う。
「……はい!」
その返事と同時に、僕は一歩を踏み出した。
裂け目の闇に僕の体が消えて、続いて仲間たちも僕の後に裂け目の中に入って来た。
闇と光が交錯する刹那――
長い旅の中で、また一人、確かな仲間が加わった瞬間だった。
読んでくださってありがとうございます。
やはり同じ釜の飯を食えば仲良くなれるものなんですよね。
エミリオが仲間になりました。今後、彼はどのような役割を担うのか。お楽しみに。




