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第六十三話 エミリオの研究

第六十三話


「ボクの生活を、脅かさないでほしい……です……」


痩せた体を震わせながら、帽子の影に隠れた瞳は切実さを帯びていた。

仲間たちは誰もが眉をひそめ、容易に警戒を解かない。ここが敵地であることを考えれば当然だ。アイゼンなどは槍を下ろしはしたが、いまにも再び振りかぶれるような構えのまま少年を睨みつけている。


そんな張りつめた空気を破ったのは、セラフィリアだった。

「……エミリオ?」


唐突に彼女が名を呼んだので、僕は思わず彼女を見た。


「あなた、もしかして……薬師エミリオですか?」


「えっ……?」少年――エミリオは目を瞬かせる。戸惑いの色が濃い。「た、確かに……調薬して、街に売りに行くことはありますけど……」


セラフィリアの瞳がぱっと輝いた。

「覚えていませんか? 聖歌隊で、あなたの薬を買い付けに来ていたセラフィリアです!」


「……聖歌隊……?」エミリオは記憶を探るように首を傾げ、帽子の影で目を細めた。数秒後、はっと顔を上げる。

「あ……! 思い出しました! あの、熾天使セラフィリア、ですね!」


「ええ、そうです!」セラフィリアはぱっと笑みを浮かべた。「エミリオ、あなたこんなところにいたんですね!」


彼女は振り返り、僕たちに向かって強く言った。

「この人は大丈夫です。信用できる人物ですよ」


「……知り合いなのか?」僕は思わず問いかける。


「はい。昔、私が聖歌隊に所属していた頃に、薬を卸しに来ていた薬師です。その調薬の腕も、人柄も、私が保証します」


セラフィリアの断言に、張りつめていた胸の奥がようやく少しだけ緩んだ。僕は聖剣を鞘に納め、深く息をつく。

「……そうか。すまなかった、武器を向けて」


エミリオはおずおずと首を振り、「い、いえ……」と小さな声で返した。


一方、アイゼンは眉間に皺を刻んだまましばし黙っていたが、最後には僕に倣うように槍を背に納める。ただし、その目だけはなお警戒の光を失っていなかった。


「……あの、よければ、ボクの家に来ませんか?そこで詳しい話をしましょう。ボクに敵意がないこと、わかってもらいたいです」


 アイゼンが罠かもしれんと僕に忠告する。しかし僕は、貴重な情報源にもなりうる。危険を承知で飛び込まないといけないこともある、と答えた。


「ならばせめて、俺とリアンでやつの側に立つ。いいな?」

 アイゼンは警戒を解かずに譲歩してくれた。彼の警戒心は当たり前だ。だからこそ、家に行く選択をした僕が仲間を守らなければならない。

「ああ、そうしよう」


 そうして僕達はエミリオの案内のもと、すぐ近くにあるという彼の家へと向かうことになった。


 エミリオの家は森の中にひっそりと建つ小屋だった。扉を開けると、棚に瓶や乾いた薬草がぎっしり詰まっている。だが六人で入るには狭すぎて、僕らはぎゅうぎゅうに押し込まれる形になる。


「クラリス、レオ、アネッサ、セラフィリアは後ろに下がれ。出口の近くだ」

アイゼンが低い声で後衛組とアネッサを後方へと促した。彼自身は僕の隣に立ち、エミリオのすぐそばで目を光らせている。まるで彼を監視しているようだ。


セラフィリアが小さく息をつき、口を開いた。

「……エミリオ。あなたも、悪魔族に……堕ちてしまったんですね?」


「……はい」

エミリオは悲しげに目を伏せ、指先で自分の目を差した。黒く反転したその目は、かつての彼の姿を容易に想像できないものに変えている。

「この近くに、街があったんです。大きな塔がシンボルの、美しい街でした。最後はそこに身を寄せていた。でも結局は……悪魔族に蹂躙されてしまって。僕も瘴気を注がれて、こんな姿になってしまったんです」


セラフィリアはぎゅっと唇を噛み、悲しげに目を伏せる。

「……どうして正気を保っているんですか? 私の一族も、友達も……皆、狂気に呑まれてしまったのに」


エミリオは少しだけ間を置き、遠い記憶を辿るように語った。

「僕が瘴気を注がれたとき……街にはまだ天使族が残っていて。彼らが最後の力を振り絞って、決死の反攻をしたんです。一度は悪魔族を押し返して……その隙に僕は逃げ出した。体は変質してしまったけど……魂までは、なんとか……」


その言葉にはかすかな誇りと、深い悲しみが混じっていた。


レオが口を開く。

「薬師だって言ってたよね? でも、君……魔法の研究をしてるって言ってた」


エミリオは一瞬黙り込んだ。うつむいた肩が小さく震え、そして顔を上げたとき――その瞳には強い決意が宿っていた。


「……薬学と魔法学を掛け合わせて、新しい魔法を作ろうと思ってるんです」


「新しい……魔法?」僕が問い返すと、彼は頷いた。


「はい。その魔法は……体に定着してしまった瘴気を、浄化する魔法です」


「瘴気を……浄化する魔法?」

僕が思わず繰り返すと、空気が一気にざわついた。


「すごいじゃん、それ!」アネッサがぱっと身を乗り出す。猫耳がぴんと立ち、目が輝いていた。「もし本当にそんな魔法ができたら、悪魔族にされちゃった人たちを救えるんでしょ!?」


「……希望の光です」セラフィリアも強く頷く。その表情には悲しみの影がまだ残っていたが、それ以上に大きな期待がにじんでいた。「エミリオ……もしそれが完成したら、どれだけ多くの魂が救われることか」


対して、クラリスは鋭い視線を少年に向ける。

「でも、それって本当に可能なの? 瘴気に蝕まれると、魂が変質してしまうって……セラフィリアだって、元に戻る方法は見つけられなかったって言ってたわ」


「そうだな」アイゼンも腕を組み、低い声で続けた。「できもしない夢を語って、俺たちを騙してる可能性だってある」


「……僕は、できれば信じたい」レオは静かに言葉を挟んだ。瞳が細められ、冷静に事実を見極めようとしている。「エミリオの言葉は今すぐには否定も肯定もできないけど……でも、魔法は、夢を現実に変えることだってできるから」


仲間の意見が割れ、場の温度が揺れる。僕は少し考え、そしてエミリオに向き直った。


「……その研究、上手くいってるのか?」


促すように問うと、エミリオは唇を噛み、拳を膝の上でぎゅっと握った。


「……正直に言うと、まだ……完成には程遠いです。でも、兆しはあるんです!」

瞳に灯った熱が、狭い部屋の中を明るくするようだった。


「兆し、か……。その兆し、見せてもらうことってできるか?」

 

 僕が尋ねると、エミリオは、長めの前髪を指で払いのけた。

隠されていた右目があらわになる。そこには、忌まわしい黒の染みを帯びているはずの瞳が——どこまでも澄んだ、普通の人間の目をしていた。


「……っ!」

セラフィリアは思わず両手を口元に当て、声にならない声を漏らす。

「まさか……消えてる……! そんな……あり得ない……」


クラリスは息を呑み、目を細めて凝視する。

「……白く戻ってる。けれど……どうやって……?」


アネッサは驚きのあとに笑みを浮かべ、尻尾を大きく揺らした。

「すごいじゃん! エミリオ、ほんとに治ってるの!? これって希望だよ!」


アイゼンは腕を組んだまま険しい表情を崩さない。

「……これだけでお前が敵でないとはまだ判断できん。だが、少なくとも俺達が見た悪魔族の目とは明らかに違う。これは……」


レオは静かに観察し、低い声で言葉を挟む。

「……理屈も気になるけど、まず目の前で結果を示された以上、軽んじるわけにはいかないね」


セラフィリアは一歩前に出て、震える声で続けた。

「私……ずっと諦めていたんです。瘴気に染まった者は戻らないって。でも、あなたは……本当に……!」

彼女の声は喜びで震えていた。


僕は剣を握る手に自然と力が入っていた。

「……それが、君の研究の成果なんだな。すごいじゃないか。これなら、セラフィリアも元の天使族に戻れるかもしれない」


 エミリオは右目を指でなぞり、どこか申し訳なさそうに首を振った。

「……ごめんなさい、まだこれは“部分的な成功”に過ぎないんです」


セラフィリアが首を傾げる。

「部分的……?」


「はい。浄化の過程では、“触媒”となる素材が必要なんです。けれど、その素材にかかる負荷があまりにも大きい。強度が持たず、たいてい途中で破損してしまうんです」


そう言ってエミリオは机の上の小瓶を手に取った。

中には細かな光の欠片のような粉末が入っている。

「これは“星晶”と呼ばれる素材です。僕が見つけられた中では最も純度が高いのですが、それでも悪魔族ほどの穢れを浄化しようとすると……このように砕け散ってしまう」


クラリスが腕を組んだまま、低く呟く。

「つまり、小規模な浄化はできても……根本的な解決には至らない、と」


「ええ。小さな生き物なら浄化できます。けれど、人間ほどの存在や、悪魔族となると、触媒が保たない。僕自身の体も同じです。この右目以上は浄化が進まない……星晶が割れてしまえば、そこで魔法も途切れてしまうんです」


その言葉の端に、わずかな悔しさと無念が滲んでいた。

拳を握る指先が震え、エミリオは苦笑するように目を伏せる。

「もし触媒の耐久を上げる方法さえ見つかれば……それか、もっと大きな星晶を見つけることができれば……完全に浄化できるはずなのに……」


セラフィリアはその言葉を聞いて、胸に手を当てた。

「……あなた、ひとりでそこまで……」


レオが静かに息を吐きながら言う。

「だけど、道筋はしっかりしてる。素材の問題さえ解決できれば、理論上は——」


アイゼンが現実的な声で遮った。

「問題はその素材をどうやって手に入れるか、だが――。アテはあるのか?」


エミリオは小さく首を振った。

「いえ……この素材が採れていた山は、悪魔族に荒らされてしまいました。今は無人ですが、見つかる星晶はどれも砕けていて、使用に耐えるものではないんです」


 部屋の中に、重い沈黙が落ちた。

エミリオの言葉を受け止めた誰もが、すぐには言葉を返せずにいた。


やがて、アイゼンが静かに手を上げた。

「……その星晶の粉末、少し見せてもらえるか?」


エミリオは頷き、小瓶を差し出す。アイゼンは慎重にそれを受け取り、光にかざした。

瓶の中の粉末は、淡い蒼光を帯びながら、ゆらりと揺れている。まるで夜空の星屑を閉じ込めたようだった。


「この輝き……どこかで見た気がする……」

アイゼンは眉間に皺を寄せ、遠い記憶を探るように呟く。だが、やがて首を振った。

「……思い出せん。悪い」


その横でレオが口を開く。

「代わりになる素材とかはないの? 似た性質のものとか」


エミリオは苦笑して首を振った。

「他の触媒なら、ある程度の代用はできます。でも――星晶だけは違うんです。あれは“瘴気を拒む性質”を持つ唯一の結晶。代わりは、ありません」


再び、沈黙。

誰もがその希望の儚さに、言葉を失っていた。


そんな中、エミリオがふと空気を変えるように問いかけた。

「……皆さんは、天使でも悪魔でもないですよね? どうしてこの大陸に?」


一瞬だけセラフィリアと視線を交わし、それから静かに口を開く。

「僕たちは別の大陸から来たんだ。そこはこことはまた違った種族の亜人や人間が住む大陸。けれど、悪魔族がそこにも手を伸ばしてきた。街が襲われ、多くの人が犠牲になった」


クラリスが続けるように言葉を添える。

「彼らはこの大陸と行き来する“門”とも呼ぶべき裂け目を使っていたわ。私たちはその門を一時的に封じることに成功して……今は、反撃のための偵察をしているところなの」


エミリオの目がわずかに見開かれた。

その瞳には驚きと、深い悲しみが交錯していた。

「……そんなところにまで、あいつらの手が……」


しばらく俯いていたが、やがて、エミリオは顔を上げた。

その瞳には、先ほどまでの迷いはない。


「……ボクにも協力させてください」


僕は思わず目を細めた。

「協力?」


「ええ。もう、あんな悲劇は見たくないんです。街も、友人も、何もかも奪われて……もう二度と、同じことを繰り返したくない」


握りしめた拳が震えている。

それでもその瞳は、まっすぐ僕を見据えていた。


僕はしばらく考え込み、やがて小さく頷いた。

「……わかった。だけど、危険な道だよ。後悔はしない?」


エミリオは微笑んだ。

「覚悟はできています」


その表情は、先ほどまでの穏やかな薬師ではなく――

かつて街を守れなかった一人の生き残りとしての、確かな決意を宿していた。

読んでくださってありがとうございます。

一点補足。作中の話でもわかるように、悪魔族に堕ちる際は瘴気を注がれる→姿が変わる→更に注がれる→魂が変質、という流れになります。

エミリオは二段階めで運良く止まったので、正気を保っているというわけです。

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