第六話 技術の最前線、ギアフロント
その日の午後。
私たちは街の中央区画にそびえる技術ギルドへと向かった。
周囲には商人や技術者らしき人々がひっきりなしに行き交っている。皆、紙束や工具箱を抱え、議論をしながら足早に建物へ吸い込まれていく。
「……意外に人が多いわね」
私が小声で呟くと、隣のレオが淡く笑った。
「民間の工房だからね。出入りの敷居はそれほど高くない。だけど、工房内には僕らでは入れない箇所も多い。二人を探すには骨が折れるかもしれない」
つまり、ここでアネッサの役割が重要になる。
私は視線をレオのローブに落とした。胸元に潜む黒猫はじっと身を潜めている。
正面の大扉を抜けると、内部は広々としたロビーになっていた。吹き抜けの天井には大きな歯車型の装飾が吊り下げられ、壁際には掲示板や、研究成果を紹介する展示物まで並んでいる。
雰囲気はまるで「学会と商談の場」が合わさったようだった。
受付へと歩を進めると、快活そうな受付嬢が話しかけて来た。
「ようこそ、技術ギルド・ギアフロントへ!」
思っていたよりも堅苦しさはなく、商会の出入り口のような賑わいさえ感じられる。
「工房の見学をお願いしたいのですが」
レオが一歩前に出て、落ち着いた声でそう告げる。彼のローブの胸元には、すでにアネッサが黒猫の姿で潜り込んでいる。彼女の存在を悟られぬよう、私は視線を泳がせないように注意した。
「見学でしたらいつでもどうぞ! 本日は少し混み合っておりますが、ご案内いたしますね」
受付嬢がにこやかに答える。まるで危険な潜入などではなく、ただの市民見学の一員になったような錯覚を覚える。けれど胸の奥底では、針のような緊張がじりじりと走っていた。
案内されるままに進んでいくと、巨大な歯車の動く音や、鉄を叩く槌の響きが重なり合い、工房全体がひとつの生き物のように脈打っていた。
「よう、見学か?」
装置の案内を受けていると、身長の高い赤髪の男が近づいてきた。
「俺はこの工房の副長を任せられてるアイゼンってもんだ。見学は歓迎だけど、危ないから手は触れないようにな」
にこやかに笑って立ち去る。悪意も敵意も感じられなかった。このギルド……凶行は一部の者の仕業なのかもしれない。
「……立派なギルドだね」
レオが低くつぶやく。私は頷きながらも、心のどこかで焦燥を抑えきれなかった。――この中のどこかに、リアン達が囚われている。そう思うだけで、胸が締めつけられる。
ふと、ローブの内側でアネッサが小さく動いた気配があった。彼女が行動を起こす合図。
私とレオは一瞬だけ目を合わせ、言葉なき確認を交わす。
「それでは、こちらが鍛造工房です」
案内役が扉を開いた瞬間、レオがわざと質問を投げかけ、彼女の注意を引く。
そのわずかな隙に――黒猫の影が、するりとローブの裾から抜け出した。
アネッサが裏手へと駆けていくのを、私は横目で捉える。
――さあ、ここからが本番。
私は胸の奥で小さく祈るように息を吐いた。
side:リアン
ガタガタと車輪が石畳を叩く音が、頭に響いていた。
僕は両手を後ろで縛られ、目隠しをされたまま、硬い木の床に押し込まれている。息苦しさはないが、自由は奪われていた。
どれほど揺られただろうか。街道を走っているのか、それとも狭い裏路地かさえ、見えない僕には判別できなかった。けれど時折聞こえる金属の擦れる音や、鼻をつく油の匂いが――ただの牢獄ではなく、どこか工房のような場所へ近づいていることを感じさせた。
隣でかすかなうめき声がした。
「……ぅ……」
その声に思わず身を固くする。目隠しのせいで表情は見えないが、声の主はノワールだ。
「……ここは……?」
彼女の低い声が、掠れながらも確かに聞こえた。
ノワールは僕らの中では飛び抜けて魔力が強い。だからこそ、あの対魔装置の影響をまともに受け、気を失っていたのだろう。僕は声を潜める。
「ノワール、無理はしないで。僕たちは……どうやら捕まって、運ばれている」
縄の食い込む痛みを堪えながら、耳を澄ませる。外の物音、鉄扉が開くような軋み、そして低く響く男たちの声――。
彼女は小さく息をつき、状況を探ろうと努めているのがわかった。
「……視界を奪われているのが厄介ですが……この匂いと音……ここは……工房?」
やはり、同じ感覚を掴んでいるらしい。
荷馬車が急に止まり、僕たちの体が前へと揺れる。
「着いたな。下ろせ」
誰かの命令する声が響き、後ろで木の扉が開く音がした。
僕の心臓がどくりと鳴る。
――ここから、何が始まるのか。
僕たちを縛る縄が乱暴に引っ張られ、背中から無理やり外へと引きずり出された。
足元はまだ目隠しで見えないが、固い石畳から木の床に変わった瞬間、鼻をつく油と鉄の匂いがさらに強くなる。まるで金属を焼き、削り、組み合わせている現場に放り込まれたようだった。
「早く運べ。人目につかないとは限らんぞ」
男の声が低く響く。
どうやら大通りからではなく、人気のない裏口から入っているようだった。
荷車から下ろされ、僕たちは一人ずつ縄を引かれて歩かされる。足元に段差があり、石の階段を下る感覚があった。
「……地下に連れていかれてる?」
僕が小声でつぶやくと、隣で歩くノワールがわずかに頷く気配を見せた。
「はい……空気が湿っている。表の工房じゃなく、何か隠してる場所ですね」
やがて足音が広い空間に反響するようになった。周囲の気配からして、かなり広い部屋に入ったのだろう。耳を澄ませば、何かを回転させる機械音や、魔力を吸い取るような低い振動まで感じ取れる。
「中へ入れろ」
その声と同時に、僕の背中を押される。
僕たちは一列に並ばされ、縄のきしむ音だけがやけに耳に残った。
まだ目隠しは外されていない。けれど――ここがただの工房ではないことだけは、もう確信していた。
目隠しを外された瞬間、僕は思わず息を呑んだ。
そこは広大な地下施設だった。石造りの壁と天井に補強の鉄骨が走り、所々に魔導国で見たものと似た水晶灯が据えられている。奥では巨大な歯車が低い唸りを上げながら回転し、パイプを通じて青白い魔力の光が脈打つように流れていた。工房というより、魔法と機械を掛け合わせた異様な実験場――そんな印象だった。
僕の両手は背中で縄に縛られ、自由を奪われている。けれど、それだけじゃない。
首に装着された金属製の輪――冷たい感触がずっと皮膚に食い込んでいた。それが何よりも不気味だった。
(これのせいか……)
何度か試しに魔力を練ろうとしたが、首の装置が喉元を締めつけるように微かに振動し、力が霧散してしまう。まるで意志そのものを押し潰すように、魔力が封じられていた。隣でノワールも小さく舌打ちする。
「……なるほど。さっきの装置を首輪の形にしてるわけですか」
彼女の声音は怒りを押し殺したように低かった。
僕が言葉を返す前に、靴音が響いた。硬く、ゆったりとした歩調。
やがて闇の奥から、一人の男が姿を現した。
白衣のような作業着に身を包み、痩せぎすの体。だがその目はぎらついた狂気を帯び、口元には愉悦を隠そうともしない笑みが浮かんでいた。
僕は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
この男が――この狂気に満ちた笑みの持ち主こそが、僕達を襲った集団を率いる者なのだと、直感で理解した。
「ようこそ……我がギアフロントへ」
男は口元を吊り上げて言った。
「私はザイラス。このギルドを率いる者だ」
名乗った瞬間、その声には歓喜がにじむ。
「まさか……まさか本当に魔人を捕らえられるとは! ふふ……ふはははっ!」
ノワールを指さし、恍惚とした笑みを浮かべた。
「公国の技術は確かに優れている。蒸気機関、火薬兵器、歯車仕掛け……人の叡智の粋だ。だがな――それはもう限界にある!」
ザイラスは興奮に駆られたように声を張り上げる。
「歯車をどれだけ磨こうが、爆薬の威力を増そうが……これ以上の未来はない! だからこそ私は求めた! 公国の技術と……魔法の融合を!」
首の装置がじり、と音を立てる。ザイラスはそれを誇らしげに見つめ、さらに言葉を重ねた。
「そのための鍵が――魔人! 生きた魔力の結晶! 人間の器には収まりきらぬ力! その力と歯車がかみ合った時、新しい時代が始まるのだ! そしてその偉業を成し遂げるのは、この私だ!」
頬を紅潮させ、呼吸を荒げながら叫ぶザイラス。
その様子を、ノワールはじっと見つめていた。
彼女の唇が、冷たく歪む。
「……くだらない」
わずかに吐き捨てるような声だった。
「公国の限界を嘆くふりをして、自分が目立ちたいだけ。そんな浅ましい欲望で、未来を語るつもりですか?」
ザイラスの顔が一瞬だけ引きつり、そしてさらに狂気を帯びた笑みへと変わっていく。
「……ほう。魔人にそう言われるのは、実に愉快だ」
ザイラスが演説めいた言葉を吐き終えたとき、壁の奥から低い鐘の音が響いた。
同時に、施設のあちこちに埋め込まれた歯車がぎしりと回転を止め、管の中を流れていた光がしゅうっと消えていく。
「まったく……この国の“規律”とやらには反吐が出る」
忌々しげに唾を吐き捨てるような声音で、彼は言葉を続けた。
「夜になれば電力を供給しない? 資源を節約するため? 騒音対策?くだらん! 科学も技術も、国家の法に縛られた時点で死んでいる!この愚劣な法は、いつまで私の足を縛り続けるつもりだ!」
彼は苛立ちを隠さず、机を拳で叩いた。
「それなのに、酒場や宿屋の明かりは一晩中煌々とついている。くだらない! 酔いどれと怠惰な旅人に与えられる電気が、私には許されぬのか……!」
彼の声は怒りに震えていたが、それは自分自身にどうにもできぬ現実を噛み殺すような響きでもあった。
彼の目がぎらつき、怒りと苛立ちを隠さずにこちらを見た。
「だが……仕方あるまい。今はこの枷を受け入れるしかない」
僕とノワールは護衛に腕を掴まれ、冷たい石の牢へと押し込まれた。
格子が重たく閉じられると、ザイラスは鉄の向こうから僕らを見下ろす。
「――安心しろ。明日にはまた、工房の機械たちが目を覚ます。そこで君たちが“材料”としてどうなるか……私自身も楽しみでならん」
彼の口元に歪んだ笑みが浮かんだ。
「死ぬ? いや、そういう生易しい結末ではない。肉体も精神も、形を保てるとは限らない。自分が自分でなくなっていく感覚を、骨の髄まで味わえるだろう」
ぞわり、と背筋をなぞる寒気。
その言葉は、死よりもずっと不気味に思えた。
ザイラスは愉快そうに肩をすくめ、背を向ける。
「今夜はよく眠っておけ……“自分でいられる最後の夜”かもしれんからな」
重い扉が閉まると、闇と沈黙だけが残った。
鉄格子の冷たさに背を預け、僕は息をつく。
「……大丈夫だ。僕は僕であり続ける」
小さな声でつぶやくと、隣のノワールがくすりと笑った。
「その意気です、リアン殿。……魔王陛下のお言葉に比べればあんな脅し、くすぐったいだけでしょう?」
互いの声だけが、この暗い牢の中で確かな灯のように響いた。
翌日、鈍く響く鐘の音で目を覚ました。
牢の外から差し込む光はまだ淡いが、工房の奥ではすでに低い唸りが始まっている。
管に青白い光が走り、金属の軋む音が壁越しに伝わってきた。
「……始まったか」
ノワールが目を細めて呟く。
その横顔は落ち着いて見えたが、空気の震えに耳を澄ませているのが分かった。
ほどなくして、足音が近づいてくる。
現れたのはザイラスだった。
昨夜の苛立ちはどこへやら、今朝の彼は昂揚を隠そうともしていない。
「おはよう、勇者殿。それに魔族の客人」
彼はわざとらしく礼をしてみせた。
「工房は夜を越え、再び息を吹き返した。今日から本格的に“調律”を始められる……まったく、待たされる身は辛いものだな」
彼の視線が僕をなぞる。
その眼差しは、まるで珍しい鉱石を品定めするようだった。
「……昨夜の言葉を思い出しているか? ここでは死ぬことよりも、もっと面白いものが待っている。肉体も精神も、分解され、組み替えられ、やがて――何が残るかは分からん」
ザイラスは格子に手をかけ、声を潜めて笑った。
「君が君でなくなっていく様を、私は何よりも見届けたい」
ノワールが鼻で笑う。
「あなたが観測者を気取ろうと、結局はただの凡人。道具に振り回され、制度に縛られ、夜の闇に怯える……普通の人間に過ぎません」
「……っ!」
ザイラスの眉が一瞬だけぴくりと動いた。
だが、すぐに冷笑で取り繕う。
「言うがいい。だが君たちはもう、私の工房の中にいるのだ」
その言葉と共に、護衛が格子の鍵を回す音が響いた。
鉄の扉が軋みを上げて開かれる。
逃げ道は、もうない。
ザイラスは僕たちを実験台の前まで連れて行き、片手で指示する。
「さあ、目の前で見てもらおう。君たちの未来をね」
部屋の中央に、もう一人の人間が拘束されている。王国でよく見る紋様の入った服を着た、旅人風の男だ。目は恐怖に揺れ、全身が震えている。彼は鎖で手足を固定され、逃げられない。
「まずは四肢を——その後、魔力と機械の融合だ」
ザイラスはハイテンションで笑いながら、魔法陣と精密な機械を操作する。
次の瞬間、旅人の手が強引に装置に組み込まれ、金属のフレームが骨と結合するように固定されていく。彼の叫びが部屋中に響くが、ザイラスはまるでそれを音楽のように楽しんでいるかのようだ。
「さあ、脳への洗脳プロセスだ。音波で心を、人格を溶かす……」
低くうなりながら振動する装置が頭部に接続され、旅人はもがきながらも逃げられず、目に恐怖と混乱が渦巻いている。
装置が最後の工程に入ると、旅人の身体は完全に機械に組み込まれ、頭部の音波装置から微かな振動が脳を揺さぶる。やがて、目が虚ろになり、意識の欠片が消えたその瞬間、装置の光が一層強く輝いた。
そして装置から解き放たれた旅人は、もはや人間とは言えなかった。
四肢は完全に機械となり、目は虚になっている。体は確かに生体反応を示しているようだが、今の旅人を生きていると言えるのかは疑問だった。
ザイラスは歓声を上げ、手を叩いて跳ねるように喜ぶ。
「ほうら……新技術の“機人”、完成だ!ふふふ……どうだ、君たち?驚きで声も出ないだろう。我が計画の素晴らしさ、少しは理解できたかね?」
ザイラスは機人の胴体にプラグを取り付け、魔力の数値を測る。
しかし、機人が示した魔力の数値は弱く、彼の期待したほどの出力はなかった。
「……やはり、出力は低いな。これでは今の公国の機械技術にすら及ばん。だが、まだまだ可能性はある!より魔力に優れた勇者や魔人が材料ならどういう結果になるか!興味が尽きんよ!」
ザイラスの瞳は熱狂的に輝きつつも、どこか理性が薄く、失敗を理解しつつも興奮を抑えきれない様子だ。
僕の中の何かが切れた。
「な……何をしているんだ、こいつは……!」
怒りと恐怖が混ざり、声は自然と吠えるように響く。握りしめた拳が震え、全身が怒りで熱くなる。
「こんな非道……絶対に許せない……!」
ノワールも僕の隣で冷静を装いながら、目には蔑みと憤りが宿っている。
目の前で、普通の人間が心も体も奪われ、ただの魔法機械に変えられる──その光景が、僕たちの胸を深く抉った。
ザイラスはそんな僕たちの反応に気づくと、興奮をさらに増した声で笑う。
「そうだ、その表情だ!恐怖と怒り、絶望……すべてが実験のスパイスだ!」
僕は歯を食いしばり、心の中で誓った。
――絶対に、この男を止める、と。
ザイラスは満足げに僕たちを見回すと、手を大きく振りながら言った。
「さてさて、これが私の自慢の成功例だ——見せてあげよう!」
部屋の奥の装置が稼働し始め、青白い魔力の光の中から、一体の女性型の機人が現れた。
その姿は……僕の胸を凍らせた。どこか、人間らしい柔らかさを残しつつも、目は冷たく、感情の痕跡を残していない。
「……この子はね……」ザイラスの声が興奮に震える。「私の実の娘だよ」
その言葉に、僕は言葉を失った。目の前の機人は、自我を失ったはずなのに、微かな表情を浮かべているように見える。恐怖や怒り、あるいは哀しみの残滓……それが無意識に形となったのだろうか。
しかし、その迸る魔力の強さに目を見張る。防御や攻撃に使える力は、僕に匹敵するほどだ。
「この……外道が……!」
僕は怒りを抑えきれずに歯を食いしばる。
ザイラスは女性型の機人に手を振り、低く命令を下す。
「行け、あの魔人の女を装置に繋げ——彼女を次の“機人”にするのだ!」
僕はザイラスに叫ぶ。
「やめろ!!お前、そんなことをしてみろ!絶対に許さない!」
この拘束さえなければ、首の対魔装置さえなければ――
しかし体は満足に動かせず、叫ぶことしかできない。
女性型の機人は命令通りに動き、ノワールに近づいていく。
「貴様……私に近寄るな!くそ、この首の装置さえ外せれば……!」
ノワールも普段の冷静さを失い動揺している。
構わず機人はノワールに近づく。その冷たく正確な動きが、僕の胸に絶望と怒りを同時に刻む。
ノワールは無理やり装置に繋がれ、手足が金属フレームに固定されていく。叫び声も届かない。僕は必死に手を伸ばそうとするが、魔法による身体強化なしでは拘束も破れない。
「さあ、始めるぞ!」ザイラスは高揚した声で呟き、操作盤に手をかける。魔法と機械の機械の融合実験が開始され、ノワールの身体を機械が侵していく――。




