第五十九話 次なる一手
第五十九話
作戦室。
崩壊を免れた王城の奥、厚い扉を抜けると、重苦しい空気が漂っていた。
すでに集まっていたのはロザリンドとノワール、そして公国から派遣されている老参謀。
僕達が戻り、戦いを終えたゴルド・レグナとヴァルディスも戻ってくる。
「――戻ったか」
ロザリンドが短く声をかける。その表情には疲労の影はあれど、達成感も色濃く浮かんでいた。
まず議題となったのは今回の戦果だった。
王都は広場を中心に大部分を失ったとはいえ、犠牲はゼロ、何より――
「数千に及ぶ敵を討ち滅ぼし、奴らの移動手段を抑えた。そして情報源まで確保できた。……これ以上の成果は望めまい」
老参謀が深く頷き、重い声で言葉を継ぐ。
次に話は捕らえた黒騎士の処遇へ移った。
意識を取り戻し次第、尋問にかける。その際、体に纏う瘴気の影響を避けるため、複数人で交代しながら行うことが決まった。
同時に空の裂け目も調査が進められていた。前回と同じく凍結処理が施され、今は機能を完全に停止している。
その最中――窓の外から羽ばたきの音が響いた。
羽根を持つ伝令兵が舞い降り、窓枠から軽やかに入ってくる。
「報告! 魔導国本国にて拘束していた双子の悪魔、ついに口を割りました!」
その言葉に、場の空気が一気に張りつめる。
「……何を聞き出せましたか」ノワールが冷静に問う。
「はい。大陸における悪魔族の現状、軍勢の規模、そして奴らの移動手段――空の裂け目の構造と開閉の方法についてです」
一瞬、沈黙。だが次の瞬間、作戦室に集う者たちの表情が大きく変わった。
「……これでようやく、奴らを追い詰められる」ロザリンドが小さく呟く。
セラフィリアがその言葉を受け、翼を震わせながら微笑んだ。
「私たち天使族は、ここまで抗うことすらできませんでした……。でも――これなら、勝てるかもしれない」
その声は、淡い希望となって作戦室に広がっていった。
作戦室の長机の上には双子の証言で得られた情報が並べられ、地図や記録の紙束があちこちに散らばっている。
悪魔族の大陸がどういう地形かはわからない。だが、軍勢の規模はハッキリした。それさえわかれば、こちらの攻め手も見つかるかもしれない。
「あの空の裂け目をこちらが利用できれば、状況は一変するな」
老参謀が低く言った。しわがれた声なのに、不思議と部屋全体を引き締める力がある。
「問題は、向こうの大陸の詳細な地理がわからぬこと。無闇に攻め込めば、こちらの兵は迷い込んで壊滅するでしょうな」
ロザリンドが腕を組み、椅子にもたれて唸った。
「だが、防衛だけではいずれ限界が来る。敵はとにかく数が多い。こちらが一歩を踏み出し、根本を叩かなければじわじわと押し潰されるだけだ」
その意見に、場が重くなる。
僕も胸の奥で同じ思いを抱えていた。――あの大軍を何度も相手にできるはずがない。どこかで攻勢に出なきゃ、守り切れない。
「リアン、君はどう見る?」
不意にロザリンドに名前を呼ばれ、全員の視線がこちらに集まった。
正直、心臓が跳ねる。けれど、逃げるわけにはいかない。僕なりの考えを口にした。
「……僕たちが裂け目を通るにしても、まずは小規模な偵察から始めるべきだと思う。こちらがしたように罠が仕掛けられている可能性もあるし、何より、向こうの大陸の地理を知らないまま大軍を送り込むのは無謀だ」
少し間を置いて、ヴァルディスがうなずく。
「ふむ、理に適っているな。だが、誰を送る? 向こうは悪魔族の本拠地だ。無事に戻って来られる保証はないぞ」
言葉の重みが、背中にのしかかる。
――偵察に行く者は、片道切符かもしれない。
「それでも必要だろう」
ゴルド・レグナの低い声が響いた。
「根元を叩かねば消耗を強いられるのみ。今回こそ奇策ともいえる方法で勝利したが、状況自体は変わっていない。我らの誰かが踏み込まねばならんのだ」
張りつめた空気が、ひび割れのように会議室に広がる。
僕は拳を握りしめた。
作戦室の空気は重たかった。
壁にかけられた地図の前で老参謀が杖を突き、深い皺の顔をこちらに向ける。
「偵察小隊は少数精鋭でなければならん。五人か……多くても七、八人だろう。更に、例え一人となっても戻れる見込みがなければ意味はない」
その言葉に、クラリスがわずかに息をのんだのが分かった。隣で彼女の肩が小さく震える。
僕は声をかけたい衝動を抑え、黙って耳を傾ける。
「選ぶ基準は明白です」
ノワールが低く告げる。
「潜入と撤退に耐えられる者、そして何を犠牲にしてでも情報を持ち帰る覚悟を持つ者。そうでなければ、裂け目を潜る意味はありません」
アネッサが机に両手を突き、尻尾をばたばた揺らした。
「ねぇ、それ……仲間が倒れても見捨てろってことだよね? そんなの納得できないよ……」
「事実を述べているだけです」
ノワールは冷たく言い放つ。
アイゼンは腕を組んだまま、黙って二人を見比べていた。その隣ではセラフィリアが唇を噛みしめ、目を伏せている。
「……ふむ」
ゴルド・レグナが不快そうに鼻を鳴らす。
「貴様らの議論は死にに行く人間を選んでいるようなものだ。それでは落とさぬ命まで落とす羽目になる。それならば我一人で行ったほうがマシだ」
「ゴルド・レグナの言うとおりだ」
ヴァルディスが低い声で同意する。鋭い眼光が一同を射抜く。
「確かに危険は大きい。だが、犠牲を前提にするな。必要なのは最も生還の可能性が高い組み合わせだ」
ロザリンドがそこで言葉を継ぐ。
「その通りだ。小隊に求められるのは、隠密と機動力、そして万一の戦闘に耐える力。――リアン、私としては、お前たちにこの任務を託したいと思っている。私の知る限り、もっとも今回の条件に適しているのがお前達だ」
突然視線がこちらに集中した。
クラリスも、レオも、アネッサも、アイゼンも、セラフィリアも。仲間の顔が僕に向く。
胸の奥が重くなる。
――仲間達となら大丈夫だと信じている。それでも……危険が大きすぎる。
僕の口は乾き、冷たいものが背中を伝うのがわかった。
喉の奥がひりつくような沈黙の中、押し黙った。言葉は出ない。出せない。
誰かを選べば、誰かが裂け目へと踏み出す。――その重さが、胸をぎゅうと締め付ける。
「……仲間と話す時間をくれないか」
絞り出すように、僕は言った。声はかすれていたかもしれない。だが、作戦室にいた誰もがその声を聞いた。
ロザリンドは一瞬、僕を見据えた。冷たい風が通り抜けるような視線だが、その奥には計算がある。やがて彼女は頷く。
「いいだろう。ただし、時間をかけすぎるな。正午まで待つ」
老参謀が杖をコンと小さく床に打ちつける。ノワールは眉一つ動かさず、ゴルド・レグナは不満げに唸った。ヴァルディスは黙って腕を組んだまま、いつでも戻ってこいと言わんばかりの沈黙で応えた。
僕たちは礼もそこそこに、作戦室を出た。隣の小さな談話室へと歩を進める。扉が閉じられると、緊張の糸が一瞬だけ解け、仲間たちの表情が一斉にこちらへ向いた。
「どうするの、リアン」
クラリスが震える声で言う。瞳が赤く潤んでいるのが分かった。彼女を見た瞬間、胸の奥が痛む。
「無茶なのはわかる……だけど、誰かがやらなくちゃいけないんだよね」
レオが静かに言う。いつも通り穏やかな口調だが、今日はその中に強い決意が混ざっている。
「あたし、行くよ!」
アネッサはすぐに身を乗り出した。尻尾がピンと張り―普段通りの元気さを装っているが、その瞳は本気だ。「ここで他の誰かに任せて何かあったら……あたし、後悔すると思う」
「――やるなら、まずは準備と現地での撤退ルートの確保を優先しなければな」
アイゼンが低く釘を刺す。彼の言葉には大人の冷静さがある。潜入にあたって仔細を詰めない限り、ただ突っ込むだけでは全滅する――彼はそう言いたげだった。
セラフィリアは小声で――でもはっきりと、自分の考えを述べた。
「無事に情報を持ち帰るためには、なによりも隠密の手段がいるでしょう。もし故郷の近くに繋がれば、私がある程度の地理はわかりますが、故郷から離れたところに出ればそうはいきません。何より――最優先は皆さんの命です。それをお忘れなく」
話はどんどん広がっていく。誰がどの役割を担えるか、どの装備が必要か、大陸の詳細な地形が分からない以上、想定できる最悪のケースを洗い出す。クラリスは仲間を守りたいという気持ちを前に出し、回復魔法と補助魔法でのサポートを、レオは風魔法で足音を誤魔化し、空気の震えが索敵にもなると言って隠密と索敵の両方を引き受けてくれた。アネッサは偵察と機動役、アイゼンはしんがりと戦闘支援を買って出る。セラフィリアはクラリスと同じく魔法による支援と、ある程度の案内を引き受けてくれた。
僕はただ黙って聞き、時折言葉を差し挟む。僕達が前線に出るべきかどうか、その葛藤が何度もよぎる。仲間の笑顔を思い出すたび、手が震えた。だがこうして共に作戦を立ててくれる仲間たちの顔を見れば、彼らの決意がこちらを貫く。誰かが行くと言ったら、全員が共に行く。こんなに頼もしい仲間が共に居てくれる幸運に、僕は深く感謝した。
議論は長引いた。配置の割り振り、合図の取り決め、戻れなかったときの連絡方法、魔力消耗の配慮。時計の針は刻々と正午に近づく。声が掠れ、笑いが出るほどの疲労も混じるが、不思議と覚悟は固まっていった。
最後に僕が切り出す。声はまだ震えているが、明確だった。
「僕達はこの任務を受ける。六人編成で、役割はこうだ。レオ、索敵と隠密。クラリス、回復と補助の魔法。アネッサ、偵察。アイゼンは殿を。万一の時は僕と共に戦闘を行う。セラフィリアは補助と案内。そして僕は……小隊長を務める。皆の命を、預からせてもらうよ」
一同が互いを見交わす。了承の黙示が広がり、クラリスが小さく頷いた。アネッサは笑顔だが、目は真剣そのものだ。レオは軽く拳を握り、アイゼンは静かにうなずく。セラフィリアは意志の強い瞳で僕と目を合わせた。
僕たちは心を確かめ合い、意志を固めた。談話室の扉を開けると、作戦室はあの時のまま。ロザリンドは腕を組み、老参謀は杖を脇に寄せ、ノワールは冷たい視線を向けていた。ゴルド・レグナとヴァルディスも静かにこちらを見ている。
「戻ったか」
ロザリンドが短く言った。
「ああ」
僕は胸を張って答えた。声は震えていたが、揺るぎはない。
「……僕達が偵察に向かう。詳細を詰めよう」
部屋に重く、しかし確かな決意が満ちた。ノワールが息を呑み、老参謀が目を細める。ロザリンドの唇がわずかに動いた――褒めるのか、戒めるのか、それはまだわからなかった。だが、針が正午を指す前に、僕たちは一つの決断をした。
読んでくださってありがとうございます。
明日は二話くらい投稿できたらいいなぁ。




