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第五十七話 王都の終わり

リアンやクラリスにとっては辛い展開です。

第五十七話


それからの数日は、息の詰まるような時間だった。

避難命令が発令され、街には動揺が広がっていた。泣き叫ぶ声、怒号、途方に暮れる人々。

王都の通りを歩けば、どこもかしこも荷をまとめる人の姿ばかりで、いつもの賑わいは影も形もなかった。


そんな中、ロザリンドは迷いなく歩いていた。

彼女の視線の先は常に前方だけ。立ち止まれば、崩れてしまうからなのだろう。


「……本当に、いいのか」

僕は意を決して声をかけた。人のいなくなった路地で二人きりの時だった。


ロザリンドは足を止めない。だが、小さく息を吐いた。

「いいはずがないだろう」

「……」

「追われたとはいえ、生まれ育った街だ……。それを自分の手で捨てることになる。二度と踏むことがないと思っていた故郷の土を踏んだ矢先にだ。……建物も、記録も、民が積み上げてきた歴史も……どれ一つ、軽んじてはいない」


その声は震えていた。握られた拳の爪が白く食い込み、袖越しに見えていた。


「けれど、選ばなければならない。民の命か、歴史か――どちらかしか守れないなら、私は迷わない」

「……」

「二度と同じ過ちは繰り返さない。それが私にできる、唯一の償いだから」


カイリスの策略で、領民すら失った過去。

彼女が口にしなくても、僕たちは知っている。あの痛みが、今も彼女を苛み続けていることを。


僕は何も言えなかった。

ただ、彼女の背に宿る決意の重さに圧され、立ち尽くすしかなかった。


ある夜、僕たちは丘の上から王都を見下ろしていた。

沈黙の中で、誰もがわかっていた。これが、僕らのよく知る王都、その最後の光景だということを。


「……きっと、これでよかったんだよな」

自分でも驚くほど小さな声が口をついた。


ロザリンドは目を閉じ、長く息を吐いた。

「よかったかどうかなんて、きっと誰にもわからない」

「……」

「ただ、これで生き延びた民がいるなら……私は、そのために選んだのだと思い続けるしかない」


彼女の頬を伝うものが、暗闇の中でも見えた気がした。


僕は拳を握りしめた。

王都を捨てる――その決断の痛みと重さを、決して忘れまいと誓った。

 

 夜の王都は、いつもよりも静かだった。

けれどその静けさの奥には、胸の奥を締めつけるようなざわめきがあった。


避難命令が下されてから数日。数日に分けてまずは中継地点である公国へ避難する計画の、今日が最終日だった。

 今日の避難が終わると、いよいよ王都内は無人となる。

ロザリンドの采配は恐ろしいほど徹底していて、あらかじめ経路が整備され、移動順や役割分担までもが細かく決められていた。

各街区には指揮役が配置され、避難民の列は驚くほど秩序正しく進んでいく。


――混乱は、最小限に抑えられていた。

けれど、それでも。人々の胸に渦巻く不安や痛みまで消せるわけじゃない。


「おじいちゃん、早く!」

「わかっとる、わかっとるよ……!」


手を取り合う親子。

泣きじゃくる子どもを必死で抱きしめる母親。

住み慣れた家を振り返り、名残惜しそうに佇む老人。


行き場のない涙と、言葉にならない想いが、列のあちこちに散らばっていた。


「……すごいな」

僕は小声で呟いた。

これほど大規模な避難で、暴動も混乱も起きないなんて。


「ロザリンドの準備のおかげだろう」隣のアイゼンが静かに答えた。「恐らく、あの会議の時点で既にこの避難計画まで絵を描いていたんだろう。奴の指示には迷いも綻びもない。上官としては理想的だ」


確かにそうだ。

ロザリンドは、泣き叫ぶ人々に直接声をかけ、兵士たちには決して高圧的にならないよう命じていた。彼女の眼差しは冷たくも鋭くもなく、ただ一心に民の安全を願うものだった。


列を見送る彼女の背は、兵よりも民に近い。

――その姿を見ていると、胸が痛んだ。


「……皆、あの人に従っているんだな」

「当然だろう」アイゼンは短く言い切った。「やつ自身、断腸の思いだったはずだ。それでも民の命のため、生まれ育った王都を捨てる決断をした。……俺達にできるのは、その覚悟を支えることだけだ」


僕は黙って頷いた。

確かに、そうだ。


ふと視線を向ければ、クラリスとレオが避難の列を手伝いながらも、時折建物を振り返っている。

セラフィリアは祈るように両手を合わせ、避難の無事を祈願している。アネッサは泣きじゃくる子供達の前でおどけて見せ、笑顔を作っていた。

それぞれが、今できることを必死に果たしている。


――それでも胸を締めつけるのは、この光景が「王都の終わり」を告げているからだ。


最後の列が夜闇に消えたとき、街は本当に静まり返った。

もう、誰もいない。

残されたのは空っぽの家々と、消えかけた灯りだけ。


僕は思わず立ち止まり、振り返った。

何百年も続いた人の営みが、わずか数日のうちに空っぽになってしまったのだ。


「……これが、僕達の選んだ道なんだな」


呟いた声は、夜風にかき消された。


 

 王都の広場は、不気味なほど静かだった。

けれどその地下では、とんでもない罠が完成しつつあった。


「――これで仕込みは終わりだ」

ロザリンドの低い声に、誰も返事をしなかった。ただ皆、息を呑んでその場を見下ろしている。


広場の下には、巨大な術式が仕掛けられていた。

発動すれば、建物や壁もろとも大地が崩れ落ちる。できあがるのは、王都の中心にぽっかりと口を開ける巨大なクレーターだ。

そして落ちた先では、炎の魔法陣が待ち構えている。逃げ場のない穴の中で、敵は焼かれ続ける。――二段構えの処刑場。


「……やつらは、再び王都の空から侵攻してくるだろう。あの双子もそうだったが、成果を得た出入口に執着する特性があるようだからな。ならば迎えてやろう」

ロザリンドの言葉に、ゴルド・レグナが腕を組んでうなずいた。


偽装の準備も万端だった。

兵や職人たちが藁人形を並べ、鎧や布をかぶせて人影に見せかける。街角には焚き火台が置かれ、煙がかすかに上がっていた。鶏や山羊を放しておけば、夜更けに鳴き声が響いて「人がいる」ように思わせるだろう。

市場に残された木箱や食器、散らかったままの机。生活の跡をあえて残すことで、敵の目を欺く。


クラリスは疲れた作業員を回復させ、レオは補助魔法で力を貸し、セラフィリアは静かな祈りの歌で人々を落ち着けていた。アネッサはあちこち駆け回ってお茶を出したり軽食を運んだりしている。そういえば、初対面のときはアネッサは酒場の店員だったな、とふと思い出した。


作業がすべて終わったとき、王都はもはや“空っぽの街”になっていた。

だが外から見れば、人が暮らしているかのように見える――それがロザリンドの狙いだ。


「……これでいい。あとは奴らを待つだけだ」

ロザリンドは深く息を吐いた。


僕は広場を見回しながら、胸の奥がざわつくのを抑えられなかった。

ここは、かつて人々の笑い声で満ちていた場所だ。

今はただ、巨大な罠の口を開けて、敵が落ちてくるのを待っている。


「必ず……守ってみせる」

ロザリンドは誰にともなくそう呟いた。その横顔は決意に満ちていたが、苦しげでもあった。


僕たちは頷き合い、それぞれ配置につく。

あとは――裂け目が開くのを待つだけだ。

読んでくださってありがとうございます。

息の詰まる展開ばかりですが、緊張からの解放は大事にしたいと思っています。お付き合い頂けると幸いです。

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