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第五十六話 苦渋の決断

難産パート。ここらへんを執筆しているとき、書いては消し書いては消しを繰り返していました。

第五十六話


 再び作戦室へ戻ると、すでにロザリンドとゴルド・レグナが待っていた。窓の外を見ると、まだ空にはひび割れが残っており、王都全体が不気味な影に覆われているように感じられた。


 ロザリンドは椅子に腰かけていたが、僕らが入ってきた瞬間に顔を上げる。その眼差しには疲労と怒りが混ざっていた。

「……状況は聞いた。兵に大きな被害はなかったが、民の被害は甚大だと」


 ヴァルディスは静かにうなずき、深い皺を刻んだ顔をさらに険しくさせた。

「討伐隊として、誠に面目ない。市民を守れなかったこと、痛恨の極みだ」


 ゴルド・レグナは腕を組み、険しい表情のまま低く言い放つ。

「忌々しいが、奴らのほうが上手だったな。民の頭上から侵攻されれば、混乱に陥るのも無理はない……雑兵にここまで好き勝手されるとはな」


 彼女の言葉に、作戦室の空気がさらに重くなる。僕たちも口を開けず、ただ拳を握りしめるしかなかった。


 やがてロザリンドが机に身を乗り出し、冷徹な声で言った。

「問題は――あの裂け目だ。そして、そこから現れた二人の悪魔。リザと、あの“ヴェイル”と呼ばれた男」


 その名を聞き、僕の胸に重いものが沈む。裂け目の奥から現れた彼らの姿は、ただの襲撃以上の“意図”を感じさせたからだ。


「奴らの言葉から察するに、今回の襲撃は“試し”に過ぎん」

 ヴァルディスが唸るように言葉を続ける。


 ゴルド・レグナも鋭い目を細めた。

「偵察――連中は、我らの反応を測りに来た。つまり次は、本格的な侵攻が来るということだ」


 作戦室に沈黙が落ちる。

 僕たちも、言葉を失ったまま、その意味の重さを受け止めるしかなかった。


 作戦室。重苦しい沈黙の中、地図を広げる音だけが響く。


ロザリンドが口を開く。

「市街の混乱ぶりは相当なものだ。もう一度同じ規模の――いや、今回以上の襲撃があれば、被害はこんなものでは済まんかもしれん」

その声には苛立ちと焦燥が滲んでいた。


ヴァルディスは腕を組んで低く応じる。

「だが、兵は神出鬼没の敵を相手に気を休める暇もない。まずは再編が先だ。防衛線を整え、市民の避難路も確保し直さねばならん」


リアンはその横で唇を噛みしめながら、さきほどの光景を思い出す。怒りと悲しみをぶつけられた民の姿が頭から離れない。

「……でも、今回だって備えは万全だった。それでも……。今回のように黙って備えているだけじゃ、間に合わないかもしれない」


アイゼン拳を握りしめて頷く。

「そうだな。このままでは同じことを繰り返すだけだ」


ゴルド・レグナは大きく鼻を鳴らし、翼を鳴らす。

「敵が毎回あの規模で来るのであれば、守りに徹するのはもはや愚策だ。次の侵攻前に攻め込むべきだろう。だが――奴らは裂け目を使用している。こちらが入り込めぬ限り、完全な勝利はない」


セラフィリアが不安げに視線を巡らせる。

「……もし、次の侵攻が今回以上の規模であれば……市民の安全を考えると、王都を守る戦力を減らしてまで踏み込むのは危険ではないでしょうか。こちらが攻め込んでいる隙をつかれれば……」


場は再び沈黙に包まれた。

防衛を優先するか、攻勢に出るか。

重苦しい空気の中、全員が次の一手を模索していた。


  ロザリンドが小さく息を吐いた。

 その吐息がやけに冷たく響いたのは、彼女の次の言葉を誰も予想していなかったからだろう。


「……王都を放棄する」


 僕は思わず息を呑んだ。作戦室の空気が、一瞬で凍りつく。

 まさか――この国の象徴とも言える王都を、自らの手で見捨てるなんて。


 重苦しい沈黙を破ったのは、ゴルド・レグナだった。分厚い腕を組み、彼女を見据える。

「ふむ……思い切った策だな。だが、その先があるのだろう? ただ退くだけではあるまい」


 ロザリンドは冷徹な眼差しで頷く。

「次の侵攻は大規模になるはずだ。ならば、悪魔族はまた空のひび割れを使う――あの広場に開いた裂け目からだ。大軍による侵攻に向く大きな入り口はあれのみだ。であれば、侵入地点そのものを“処刑場”に変える。無人の王都に奴らを引き込み、広場に張り巡らせた罠で一網打尽にする」


 背筋に冷たいものが走った。

 その作戦はあまりにも大胆で、そして冷酷だ。市民を避難させ、王都そのものを囮にする――それが彼女の導き出した答え。

 目の前の女性が、徹底した戦略家であることを改めて思い知らされる。


 ヴァルディスが重々しく口を開いた。

「……なるほど。確かにそれならば、広場に兵を常駐させる必要もなくなる。警備に回す兵も減らせるだろうな。しかし――市民はどうする? 王都を空にしても、王国領に留まれば安全とは言えまい」


 ロザリンドは即座に答えた。

「大公閣下、そして魔王陛下に避難民の受け入れ拡大を願い出る。それでも収まりきらぬ者たちは……魔導国西のアルボレア殿が支配する森に、そして公国南のテラリス殿が住まわれていた砂漠地帯に、それぞれ仮設の避難所を設ける」


 彼女の声音には一切の迷いがなかった。

 その徹底ぶりに、僕は胸がざわつくのを覚える。

 ……本当に、王都を捨てるのか?

 僕が守ろうとしていたものを。

 けれど、それが最善だというのなら――。


 ロザリンドの言葉の後、作戦室の空気はさらに重くなった。だが、その静けさを破ったのは僕の仲間たちだった。


「――王都を捨てるなんて、そんな……」

クラリスは両手を胸の前で組み、瞳に怒りと恐れを混ぜた光を宿していた。普段は冷静な彼女の声の端に、震えがあった。


「民を避難させるのはわかる。でも、街そのものを見捨てるのは……」

アネッサはいつもの軽やかさを失い、足の裏で床を小さく擦った。額に汗をにじませながらも、言葉を繋げる力が残っている。


「街一つを囮にするというのは大きすぎる賭けではありませんか?歴史も、文化も、取り返しがつきません」

セラフィリアはゆっくりと立ち上がり、悲しげに窓の外を見た。その顔には自らの故郷を思い出すかのような儚さが滲んでいたが、言葉には揺るがぬ決意も含まれていた。


「確かに市民を外へ出せば被害は小さくなるかもしれん。だが――」

ヴァルディスは眉を寄せ、否定するでもなく問題点を積み上げる。彼の声はいつも通り重く、しかし今回はどこか寂しげだった。


そして、僕は口を開いた。震えるほどではないけれど、心臓が喉に浮かぶような感覚があった。

「ロザリンドの案が最悪だとは言わない。でも――王都を丸ごと捨てる必要はあるのかな。市民を領外へ逃がしておけば、王都を放棄しなくても同じ効果を得られるんじゃないか? 王都の建造物は歴史が深い。罠にしてみすみす壊す必要はないんじゃないかな」


僕の言葉は、自分でも驚くほど淡々と出た。代案はリスクを減らすだけでなく、文化遺産や記録を守る道筋を残そうとする逃げ道でもあった。


ロザリンドは青い瞳をゆっくり細め、僕の顔を見据えた。表情に怒りはない。むしろ、その背後にある計算を探るような冷たさがあった。やがて彼女は、穏やかではない声で口を開く。


「それも一案だ。奴らの目的は土地ではなく人だからな。王国領内が無人であることを示してやれば、奴らに『ここを攻める意味がない』と思わせることができるだろう。――しかし、それは無抵抗で奴らに王国を差し出すようなものだ。仮に奴らが無人の王都内を拠点とし留まったとしたら? 奴らに侵攻の足がかりを与えることになる。それよりも、『王都は危険だ』と思わせるほうが良いだろう。さらに、王都だけでなく領内の他の入り口にも罠が仕掛けられていると思わせられれば、奴らは慎重になる。恐れが生まれれば奴らの奇襲性は薄れる」


彼女の声音は冷たく、しかし確かな論理で組み立てられていた。防衛のための戦術ではなく、心理戦まで見据えた一手だ。僕は唇を噛んだ。そこには、単純な損得を越えた何かがある。


「だが――」ロザリンドは言葉の端で一瞬ためらったように見え、拳をぎゅっと強く握りしめた。手のひらに白い筋が浮かぶ。震えがそこに現れた。


クラリスはその様子に顔を曇らせた。「でも、ロザリンド……歴史ある建造物や資料は――戻せないものがある。あなたはそれらも全て捨てるつもりなの?」

セラフィリアも静かに首を振る。「あなた方の歌や祈り、過去の記録を放棄するのは……早計ではありませんか? 形が残らなくても、文化を守る方法は見つけられないのでしょうか」


ロザリンドは歯を食いしばった。目の縁が熱く光り、薄く震える唇を噛む。やがて、声が崩れそうになりながらも、彼女はそれでも言葉を継いだ。


「そんなことはわかっている……わかっているのだ……!」

拳がさらに強く震えた。声が嗄れ、息が震える。彼女は自分の胸を抑えるように、しかしそれでも前を向く。


「だが……最優先は民の命だ。私は……今度こそ……!」


その一言は、部屋の中を刺すように突き抜けた。言葉の後の沈黙に、僕たちは皆、言葉を失った。息を呑む音すら、ほとんどしない。


瞬間、僕の頭の中に記憶がよみがえった。かつてロザリンドが、カイリスの策略によって自らの領地も兵も領民も全てを失ったときの、あの絶望。だが、彼女の瞳に宿る痛みはそれが単なる戦訓ではないことを告げていた。失ったものの重さが、今の彼女の冷徹さと決断の根底にある。


誰も彼女に反論できなかった。慰める言葉も、咎める言葉も、出てこない。彼女が背負った過去と、今ここで下そうとしている決断の間に、沈黙が重くのしかかる。


僕はただ、自分の拳を握りながらゆっくりと目を伏せた。心の中では、守るべきものと、見捨てることで守れる命とが引き裂かれている。だが、誰もが知っている――何かを失わなければ、もっと多くを失うかもしれないのだと。


「……反論は無し、か。決まりだな」


ロザリンドが低く呟いた瞬間、作戦室の空気はさらに重く沈み込んだ。

王都放棄――その言葉が頭の中で何度も反響する。


僕はまだ、胸の奥に小骨が刺さったような感覚を拭えない。

本当に、これでいいのか……?


「重要な文化財、文書や記録、王家の宝物――持ち出せるものは全て持ち出せ」

ロザリンドは兵へと指示を飛ばす。

「だが、迷う暇はない。時間をかけすぎれば市民の避難が遅れる。優先はあくまで人命。それを忘れるな」


兵たちは沈痛な顔で一礼し、部屋を出て行った。

誰もが理解している。王都を守るのではなく、見捨てるのだと。


……息苦しいほどの沈黙が残った。

読んでくださってありがとうございます。

今更ですが、一話ぶんの文字数ってどのくらいなのか調べてみようと思います。エピソードによってあまりにも文字数に差がありすぎるので……。

調べてみて、書き溜め分が消化出来次第修正していきます。

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