第五話 救出の第一歩
小説って難しいですね。
side:クラリス
居間には夕陽が柔らかく差し込み、家族の笑い声が小さく響いていた。
レオは少し照れくさそうにしながらも、楽しそうに旅の仲間の話を両親に話す。
「リアンは本当に頼りになるんだ。戦いでもそうだし、普段の旅でも皆を気遣ってくれるんだよ」
両親は微笑みながらうなずく。
「そう、頼もしいのね」
「クラリスも、僕らが困った時にはいつも助けてくれるし、魔法や判断力も的確で……」
私は少しだけ照れながら、仕返しのように言う。
「ふふ、ありがとう。あなたも頼りになるわよ?」
レオは顔を赤くして固まる。少し意地悪しちゃったかな?
レオは誤魔化すように慌てて話を変える。
「ア、アネッサは天真爛漫で、それでいて戦いでは軽やかで、見ていると元気をもらえるんだ」
「うん、あの明るさには助けられているわね」
私は微笑みながら相槌を打つ。レオの口調は控えめだけれど、楽しそうな顔には普段見せない可愛らしさがあって、思わずこちらも笑みがこぼれる。
その時、玄関の扉が勢いよく開き、息を切らせたアネッサが駆け込んできた。
「クラリス!リアンたちが――っ」
居間の空気が一瞬で張り詰め、私は立ち上がり、アネッサに駆け寄って肩を手を置く。レオも目を大きく見開き、両親の顔にも驚きと緊張が広がった。
「ア、アネッサ!?どうしたの……?」
声が震えるのを抑えながら、私は状況を見極めようとする。
「襲撃されて……ノワール様も捕まって、リアンも抵抗できなくて…!」
アネッサの言葉は途切れ途切れで、息も荒い。
「でも……あたしだけは影響を受けなくて……リアンが、あたしだけでも逃げろって――!」
アネッサの真剣な目が私を見据える。
私は深呼吸をして、震える声を抑えつつ答えた。
「分かったわ、アネッサ。でもまずは落ち着いて、状況を整理しましょう」
柔らかな夕陽はまだ居間を染めていたが、その温かさの下で、私たちは一気に現実の緊迫に直面したのだった。
居間に座り直し、私は深呼吸をした。アネッサも息を整えながら、まだ少し動揺した様子で口を開く。
「クラリス……リアンたちが、お城を出たあと、急に……」
言葉を選ぶように息を整えながら続ける。
「ノワール様もリアンも、何もできなくなって、捕まっちゃって……あたしは逃げろって言われて……」
私は黙って頷き、アネッサの表情を見つめる。彼女の緊迫感が、言葉以上に伝わってくる。
そのとき、レオの父親が前に身を乗り出した。さっきまでの話の中で、彼は公国の技術者だと言う話を聞いた。もしかしたら彼ならばなにかわかるかもしれない。
「なるほど……その時、二人はどんな動きをしていた?動きに制限はあったか?」
アネッサは少し戸惑いながらも答える。
「うーん……魔法を使おうとすると、力がすっと抜けるみたいに動けなくなったの。剣を振ったり体で戦おうとするのは……できなくはなかったけど、動きも重くなった感じで」
父親は眉をひそめ、さらに質問する。
「距離はどれくらいだ?どの範囲に効果があった?」
「相手とはそんなに離れてなかったかな……範囲も狭いと思う。ノワール様とリアン、同時に動けなくなったわけじゃなかったから、一人しか狙えないんじゃないかな……」
父親は更に質問を重ねる。
「失礼だが君は、魔法は?」
「あたしはあんまり魔法が得意じゃなくて……獣人だし、肉弾戦のほうが得意だよ」
父親はうなずき、メモを取るように視線を下に落とした。
「なるほど……これは携帯可能な小型の対魔装置だな。短時間だが周囲の魔法とその使用者の動きを抑える作用を持つ。物理攻撃には直接影響がないが、魔法で補助をして戦う者の戦闘力は大きく削がれる」
私は思わず息を飲む。
「そんな装置が……公国の技術はそこまで……」
父親は続ける。
「範囲が限定的で、魔力が強いものほど効果を受けやすい。その反面、弱点もある。複数の属性を一度に使うか、魔力を絶えず変化させることができれば、作用時間を半減できる。適切な防御具を用意すれば、ある程度耐えられるはずだ」
アネッサは目を丸くしながらも、少し希望を見いだしたように息を整える。
「そうか……じゃあ、リアン達を助ける方法はあるんだ」
私は肩を落としつつも、心の中で少し安心する。
「ええ……まずは装置の特性と弱点を踏まえて、どうやって対応するか考えましょう」
居間にはまだ緊張感が残っているが、冷静さを取り戻しつつ、私たちは次の行動を考え始めたのだった。
まず始めに声を上げたのはレオだった。控えめながらも、少し希望を滲ませた声で言う。
「……僕、できることはあると思う。風の魔法は得意だし、ほかの属性もある程度扱えるから、装置の影響を抑えながらリアンたちを助ける方法を考えられるかもしれない」
両親は顔を見合わせ、少し驚いたようにうなずく。アネッサも目を見開き、わずかに微笑む。私は胸の奥で小さく安堵した。レオの言葉には確かな力と知性が感じられる。
「それなら次は……襲撃者が誰なのかを突き止めないとね」私は口を開く。
アネッサがうなずき、息を整えながら続けた。
「路地の周囲はほとんど人気がなかったよ。音もなく現れて、気づいたときにはもう……」
父親が眉をひそめ、考え込む。
「なるほど……手際がいいということは、技術や魔法を知る者、あるいは特殊な訓練を受けた組織か……?」
私は視線をアネッサに向ける。
「覚えていること、思い出せる限りで教えてくれる?」
アネッサは深く息をつき、襲撃時の様子を手振りを交えて説明する。
「お城を出て、路地に差し掛かってすぐ……見えないけど、何か光の反射があった気がする。装置の影響でノワール様もリアンも身動きが取れなかったから、細かい様子は……」
父親はうなずき、私の方を向いて言った。
「なるほど。光の反射……やはり対魔装置であることは間違いない。あの装置は特殊な光を対象に当てて魔法を抑えるんだ。しかも操作が巧みだ」
私は口元に手を当てて考え、それからアネッサに話しかける。
「アネッサ……あなたの記憶だけが頼りだわ。もっと細かいところまで思い出せる?」
アネッサは少し元気を取り戻した様子でうなずく。
「うん、あんなの忘れられないよ!任せて!」
居間には緊張が残りつつも、希望の光が少しずつ差し込んでいた。私たちは襲撃者の正体を探ろうとテーブルを囲み、襲撃の状況や装置の性質について議論していた。父親は技術的な視点で分析し、私はアネッサの証言と照らし合わせながら整理する。アネッサも必死に思い出そうとしているが、情報はまだ断片的で議論は行き詰まりそうだった。
「……誰が襲撃してきたのか、まだはっきりしないわね」私はため息をつく。アネッサも肩を落とし、少し俯いた。
そのとき、母親がふと顔を上げた。
「そういえば……思い出したことがあるわ」
私たちは一斉に母親の方を向く。
「随分前のことだけど、ご近所の井戸端会議で聞いた噂なの。魔法を扱える機械を作ろうとしている集団がいるらしいのよ。そのときはただの噂だし気にしなかったんだけど……その材料として、魔人を利用するのが最も適している、なんて話もあったの」
私は一瞬言葉を失った。アネッサも目を見開く。父は机に肘をつき、真剣な表情で聞いている。
「……材料として魔人?」アネッサが確認するように繰り返した。「それって……ノワール様が狙われたってこと?」
母親はうなずく。
「偶然かもしれないけど、状況と照らすと無関係ではない気がして……念のために話してみたの」
父親がすぐに立ち上がる。
「なるほど。装置の効果や狙いと噂の内容を照らし合わせると、この襲撃は単なる強盗や個人の恨みではなく、組織的な目的がある可能性が高い」
私は心の奥でざわりとしたものを感じた。行き詰まった議論に、母親の何気ない噂が光を投げかけたのだ。
「これで、襲撃者がどんな集団なのか、少し絞り込めそうね」私は静かに言った。
アネッサも少し元気を取り戻したように笑みを浮かべる。
「じゃあ、私たちでも何か手がかりを見つけられるかもね!」
居間には緊張感が残るものの、新たな手がかりに希望の光が差し込む。私たちは一丸となって、次の行動をどうするか話し合い始めたのだった。
居間で襲撃の状況を整理し、次に何をすべきか話し合っていた。母親が聞いた噂、アネッサの証言、父親の技術的推理……全てを合わせれば、襲撃者の手口や目的の輪郭が少しずつ見えてくる。
「まずは、襲撃があった場所の周辺で何か情報が得られないか、確認する必要があるわね」私は提案する。
アネッサは手をパタパタと叩いて元気よく言った。「よーし!街を歩き回って聞き込みしてくるね!」
レオも小さく頷く。「僕は街の地理や人々の様子を見て来るよ。もし怪しい機械や技術者がいれば、目星をつけられるかもしれない」
私は少し微笑んだ。「じゃあ私は、街の資料館や技術屋を回って、技術的な情報を集めてみる。アネッサとレオが外を回ってくれるなら、効率もいいわね」
アネッサは嬉しそうに跳ねる。「うん!みんなで協力すれば、きっと手がかりが見つかるよ!」
私たちは荷物をまとめ、必要最小限の装備を持って外に出た。
「疲れたら、いつでも家に帰っておいで。美味しいご飯を用意して待っているからね」
レオの両親のその言葉に、私は少し安心した気持ちになる。
「ええ、ありがとうございます」私は頷く。アネッサも少し頷き、目を輝かせながら街へと歩き出す。レオは少しだけ緊張した様子で両親に「じゃあ、気をつけて行ってくるね」と言いながら小さく手を振る。
街のざわめきの中、私たちはそれぞれの役割を胸に、調査のために歩き出した。家がすぐ戻れる場所にあることを知っているだけで、少しだけ心が軽くなるのを感じた。
空は薄曇りで、街の空気は夕方の賑わいと、どこか緊張感をはらんでいる。技術の国らしく、街角には鍛冶屋や工房の煙が立ち上り、金属の光が反射して輝いていた。通りには蒸気や油の匂いが混ざり、歩くだけで頭が少しくらくらするほどだ。
レオが街の細部を観察し、私に小声で指摘する。「このあたりの工房、例の対魔装置に似た技術を扱っているみたい。僕はまずここに探りを入れてみるよ」
私は頷き、頭の中で手分けと進行ルートを整理する。まずは目撃者や街の人々から情報を集め、次に怪しい技術者や工房の動きを探る。そして、装置の弱点や襲撃者の特徴を照らし合わせて分析する……計画はシンプルだけれど、一歩間違えれば命に関わる。
「よし、じゃあ手分けして情報を集めましょう」私は皆に声をかける。
「うん!」アネッサは笑顔で答え、足取りも軽く通りに飛び出す。
レオも少し緊張しながらも、確かな手応えを感じて一緒に歩き出す。私も深呼吸をして、心を落ち着けた。
襲撃されたという報告の衝撃はまだ胸の奥に残っているけれど、今は冷静に、そして迅速に動くしかない。私たちはそれぞれの役割を胸に、街の雑踏に溶け込むように歩き出したのだった。
アネッサは天真爛漫な笑顔を振りまきながら、人々に声をかけて目撃情報や怪しい動きを聞き回る。人懐っこい性格のせいか、道行く人々もつい話してしまうようで、思ったより多くの情報が集まった。
レオは街の工房や金属加工屋を巡り、目に付く装置や機械を細かく観察する。普段は控えめな彼も、仲間のためなら殻を破れるようで、熱心にメモに書き留めていた。
私は資料館や工房の帳簿などを確認し、過去に作られた機械や、素材の仕入れ記録を調べる。人通りの少ない裏通りも歩き、見張りの有無などをチェックした。
日が沈み、街の空が夕暮れのオレンジから月夜の紫に染まり始める頃、私たちは一旦広場に集まることにした。屋台の明かりが柔らかく通りを照らし、蒸気や香ばしい匂いが漂う。人々の賑わいの中、私たちは簡単な屋台料理を手に取り、疲れを癒しながら情報を共有する。
「思ったより色々と見つけられたわね」私は手元のメモを見ながら言った。
アネッサは大きく頷き、笑顔で「うん!怪しい目撃情報もあったし、変な道具も見かけたよ」と報告する。
レオも控えめながら、「工房の記録を見ると、材料や設計に特徴があったよ。襲撃に使われたであろう装置と照らし合わせると、正確な効果や対策がわかった」と冷静にまとめる。
屋台の灯りの下で、私たちは今日の収穫を整理し、次にどこを調べるべきか話し合った。街の雑踏の中でも、仲間同士で情報を交換するだけで少しずつ安心感が増すのを感じた。広場の明かりの下、アネッサは手にしたメモを広げながら報告する。
「あたし、気になる話が聞けたんだけど……公国でも一番大きい技術ギルドで、最近ちょっと怪しい動きがあるらしいんだって!」
その言葉に、私は思わず眉をひそめた。
「怪しい…って、どんな感じ?」
「詳細はよく分からなかったんだけど、材料の仕入れ方や新しい装置の開発で、他の工房やギルドと揉めてるみたい。それに…」
「それに?」
アネッサは少し小声になった。「秘密裏に作業してるらしいの。それも、かなり特殊な素材を使うって噂で…なんか魔力が高い素材であればあるほどいいんだって」
その瞬間、私は身を正した。レオも目を見開いている。
「なるほど、リアン達が襲撃された件と関係がある可能性が高いわね」私が言うと、アネッサも大きく頷いた。
「うん、そう思う! だから次はそこに目星をつけて調べてみようよ!」
レオも冷静に言葉を添える。「公国のギルドは国に活動報告を提出することを義務付けられているよ。彼らの動きのヒントになるかもしれない」
夜の広場のざわめきの中で、私たちは今日得た情報を整理し、次の行動方針を固めた。公国の最大規模の技術ギルド――そこが、今回の騒動の核心に近いのかもしれない。
みんなの顔を順に見渡す。レオの眉が少しひそめられていて、何かを考えているらしい。
「……そういえば、アネッサの話を思い返してたんだけどさ。二人は拘束されたんだよね?」
アネッサに尋ね、アネッサは思い出しながら答える。
「うん、確かに二人とも縛られるところだったよ。最後までは見れてないけど。でも、それがどうかした?」
「おかしいなと思ってさ。あの対魔装置と同じものをぼくは工房で見てきたんだけど、あの装置が効いている間は拘束なんて必要ないんだ。魔力が強い者ほど体の力が抜けて、何もできなくなるから」
真剣な顔で続ける。
「おそらくだけど、まだ準備が整っていないんじゃないかな。あの装置の効果時間は長くないから、拘束する必要があったんだと思う。それに夜は騒音対策としてこの国は工房を動かすことを禁止しているんだ。そのために工房への電力供給も遮断してる。だから何か行うなら昼間、周りの音に紛れて誰も気づかない時間まで二人は手出しされないんじゃないかな」
レオが小さな声で言う。たしかに、彼の推測は理にかなっている。私はそれを聞きながら、改めて周りを見渡した。アネッサは息を整えて歩き疲れた脚をブラブラと揺らしている。長い一日で疲れているのは明らかだ。
「……確かに、今無理に動かなくても大丈夫かもね。みんな、疲れているし、一旦レオの家に戻りましょう。明日の早朝から改めて調査を始めるのが安全だし、効率的だと思うの」
私の声に、アネッサは頷いた。
「そうだね……うん、それが効率的だね」
レオも小さく微笑む。彼の肩の力が少し抜けたのがわかる。私たちはそのまま歩き出す。夜の空気が少し冷たいけれど、こうして少しでも安全な場所に戻れると思うと、胸の奥の緊張が少しだけ和らいだ。
家に戻ると、すぐにレオの両親が温かい笑顔で迎えてくれた。
「よく帰ってきたね。ご飯はもうすぐできるから、まずは落ち着きなさい」
アネッサは元気よく「ただいま!」と返すけれど、その目にはまだ疲れと緊張が残っているのがわかる。レオも少し肩を落としながら、でも安心したように微笑んでいた。
私たちは席につき、両親が用意してくれた食卓の前に並ぶ。湯気の立つ料理を前に、少しだけ空気が柔らかくなる。けれど、心の片隅にはあの襲撃のことがちらつく。リアンやノワールの身の安全も、まだ完全には確保されていない。
「……アネッサ、大丈夫? 疲れてる?」
思わず訊ねると、アネッサは少し恥ずかしそうに笑った。
「うーん、ちょっとだけ……だからこそ、しっかり食べなきゃだよね!」
レオも小さく頷き、料理に手を伸ばす。家の温かさにほっとしているのが伝わる。私も箸を持ちながら、短い間だけでもこうして安心できる時間を噛み締めた。
食事の間も、私たちは得られた情報をまとめながら、次の行動を確認する。必要な情報や装置の正体、そして調査の方針を頭の中で整理しながら、緊迫感を完全には消さないように意識する。
夜が更け、家の灯りが柔らかく揺れるころ、私たちは一日の疲れをそのままに布団に入った。アネッサは早くも夢の中にいるようで、寝息が穏やかだ。レオもいつもは少し夜更かし気味だけど、今日ばかりはすでに寝息を立てている。
翌朝、空がまだ薄暗いうちに私は目を覚ます。窓の外には冷たい朝の光が差し込み、静かに一日が始まることを告げている。レオも目を覚まし、アネッサも軽く伸びをして起きる。朝の冷気が私たちの気持ちをシャキッとさせる。
「さあ、行きましょう。今日からまた調査を再開するわ」
朝の冷たい空気を胸いっぱいに吸い込み、私は吐息とともに小さな決意を吐き出した。レオとアネッサと共に家を出ると、まだ人通りの少ない石畳の道を歩く。昨日までと変わらぬ公国の景色に、ほんの少し不気味さを覚えた。二人がこの国のどこかに囚われているのだと思うと、平穏な町並みすら仮面のように思える。
「クラリス、今日はどう動く?」
隣を歩くレオが小声で訊ねる。
「……技術ギルドを中心に情報を集めましょう。あまりに辻褄が合いすぎる。きっと彼らの研究と無関係ではないはず」
私は答えながら周囲を見渡した。早朝の市場には露店の準備を始める商人たちがいて、パンの焼ける香りや香辛料の匂いが漂っている。アネッサが思わず鼻をひくつかせるが、目の奥にはまだ緊張が残っていた。
私たちは人目を避けつつ、まずは冒険者たちが集まる酒場に立ち寄った。朝から飲んでいる者はいないが、夜に仕入れた噂を仲間内で交わしている者たちの声が耳に入る。
「――聞いたか? あそこの技術ギルドの連中が、夜遅くに人を連れ込んでたらしいぞ」
「いや、それは前からある噂じゃんか。実験材料とか言って、志願者を集めてるって噂だけど、眉唾物だろ?」
「でもよ、昨日のは違う。見慣れない連中を縄で縛って運んでるのを見たって話だ」
私は思わず足を止めた。レオもアネッサも、私と同じ言葉を耳にしたらしい。
「……間違いないわね。やっぱりギルドの奥で何かが進んでいる」
口にした瞬間、胸の奥に冷たいものが落ちた。ノワールやリアンの顔が浮かぶ。今もどこかで拘束され、材料となる時を待たされているのだろうか。
そのときレオが小声で話しかけてくる。
「夜遅くということは、襲撃からは少し間が空いているね。襲撃地点から拠点までは距離があるのか、抵抗にあって思うように移送できなかったか―――どっちしても、夜中には工房を動かせないから、まだ時間はあるはずだよ」
その推測に、私はわずかに肩の力を抜いた。確かに――まだ準備段階なのだろう。だからこそ、私たちに残された時間はある。
「……急ぎましょう。今はまだ、技術ギルドに直接踏み込むのは危険すぎるわ。まずは周囲の動きを洗う。夜の搬入経路、協力している商人……どんな小さなことでもいい」
アネッサが力強く頷いた。レオもそれに倣う。
街はもう活気を帯び始め、人々の声と車輪の軋む音が響く。そんな日常の中に、異質な闇が潜んでいる。私はそれを暴き出すために、仲間たちと歩みを進めた。
まず私は、先ほどの二人組に話を聞くことにした。せっかくの目撃情報だ。少しでも多くの情報が欲しい今、これを逃す手はない。
酒場の隅で囁かれていた会話を聞き流すふりをしながら、私は一歩踏み出した。
「……その話、詳しく聞かせてもらえますか?」
思わず背筋を伸ばした二人組の冒険者が、こちらを警戒するように睨んだ。だが、私が柔らかく微笑むと、男たちは視線を泳がせる。
「お、お嬢さん、ただの噂だよ。真に受けちゃ――」
「私も旅人――言うなれば、余所者なのです。見慣れない方々を運んでいたと聞こえました。命に関わるかもしれない噂なら、真に受けるべきでしょう?」
男たちは互いに顔を見合わせ、やがて観念したように水杯を置いた。
「……昨夜のことだ。俺の知り合いが荷受けの仕事で遅くなったとき、見たらしい。技術ギルドの連中が縄で縛った人間を馬車で運び込んでたって」
「顔は見えなかったが、数は二人。連れていたのは、あのギルドの研究員だ」
「搬入口は?」と私は問いかけた。
「正面からじゃない。西側の裏口だ。普段は閉じてるんだが……たまに使っている痕跡があるのは噂になっている」
背筋に冷たいものが走る。やはりギルドの奥では何かが進んでいる。
私は礼を告げ、席に戻ると仲間たちに耳打ちした。
「裏口、西側ですって。夜に人を運び込んでる」
「なるほど」アネッサが顎に手を当てた。「じゃああたしは馬車や荷運びのルートを探ってみるね。搬入している業者とかがわかれば時間が割り出せるかもしれないし」
「僕は街の職人に当たってみる」レオが声を低めて言った。「ギルドと取引してる工房は多いはず。納めてる品目から実験内容が推測できるかもしれない」
「私は……酒場に残って、引き続き冒険者たちから話を聞いてみるわ。外部の目撃情報がもっと欲しい」
三人で頷き合い、それぞれ散っていった。
――数刻後。
再び酒場に戻ると、最初に顔を出したときよりも賑わいが増していた。私は奥の席に座り、やってきた二人を待つ。最初に戻ってきたのはアネッサだった。
「馬車の件、気になる話が聞けたよ。週に一度だけ深夜に荷を運び込んでるみたい。荷台は幌で覆われ、中身は見えない。見張りもついてるんだって」
間を置かずレオも戻ってきた。
「工房の職人から聞いたよ。最近、妙に“魔力伝導材”の発注が増えてるんだって。魔力を通すための部材で主に王国へ輸出している品らしくて、公国内での使用はほとんどないんだとか。普通の研究をしているわけ……ないよね」
私は息を呑んだ。
「やはり……技術ギルドで間違いなさそうね。時間も惜しい。侵入計画を立てましょう」
テーブルの上に広げた紙切れに、それぞれの情報を書き込みながら、私たちは静かに顔を寄せ合った。周囲の喧騒に紛れ、作戦会議は密やかに進む。
「普段は正門を解放しているみたいだよ。そして運のいいことに、工房見学も実施している。侵入の機会は作れるね」レオが指で地図を叩く。
「ただし、見学という以上、後ろ暗いところは見せないだろうから、どうやってリアン達の居場所を突き止めるか、それが課題になるね」
「それならあたしに任せてよ。考えがあるんだ」
アネッサが得意げに私たちを見る。詳しい話を促す。
「あたしたち獣人は、『獣』と『人』、両方の姿を持つ人種なんだ。あたしは小さな黒猫に変身できる。レオのローブに隠れていったあと、隙を見て工房の裏に侵入してみるよ」
レオが目を丸くして驚く。
「へぇ、そんなことができるんだ」
たしかにそれができるならかなり助かる。だけど――
「危険すぎるわ、単独行動なんて。もしあなたまで捕まってしまったら――」
誰も助けられないかもしれない。もしかしたら動物の姿のまま、人知れず殺されてしまうかもしれない。私には承諾しかねる提案だった。
それでもアネッサは譲らない。
「大丈夫。あたしが一番対魔装置の影響を受けにくいんだから。それに、きっと危険をなくすことなんてできない。さっさとリアン達を解放してみんなで協力するほうが安全だよ」
それに、と区切ってアネッサは続ける。テーブルの上に置いた拳を握りしめ、ぎりりと歯を食いしばり言葉を絞り出す。
「……あたしが一番悔しいんだ。目の前にいたのに、逃げることしかできなくて……だから、お願い。あたしにやらせて」
私はアネッサをじっと見つめ、観念したようにため息をついた。
「……それでも危ないと思ったらすぐに逃げること。いい?…………本当に任せていいのね?」
アネッサは短く笑みを浮かべる。
「うん、任せて。やらなきゃ二人を助けられないでしょ?」
三人の視線が重なった。杯を打ち合わせる代わりに、無言で頷き合う。
――技術ギルド潜入作戦が、ここに始まった。




