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第四十八話 今度は間違えない

個人的にお気に入りの回です。

第四十八話


王都の正門を抜けてしばらく街道を歩く。いつもなら商人や兵士の往来があるはずの街道が、異様な静けさに包まれていた。


「……本当に、王国は終わりなんだね」

レオがぽつりと呟く。

アネッサは耳を動かし、あたりを見渡す。

「足音も全然しない。人の通りがないんだ」


確かに、僕達以外の音はほとんど聞こえなかった。

けれど歩みを進めるうちに、徐々に人の気配がするようになってきた。

瓦礫の広がる城下から離れ、攻撃されて荒れ果てた農地や林を抜けると、やがて小さな村が見えてくる。アネッサとセラフィリアはローブをかぶり、亜人であることを隠す。戦争はもう終わったが、念のために。


「……あれは」

クラリスが声を上げ、駆け足になる。


村にはまだ人の気配があった。

戦の影響で荒れてはいたが、住民たちが畑を耕し、子供たちが走り回る姿が見える。人々は疲れ果てた顔をしていたが、それでも生きようとしていた。


「……苦しくても、生きようとしている」

僕は胸の奥にほんのわずかな安堵を覚える。


しかし同時に思う。

ここに暮らす人々も、悪魔の餌食になるかもしれない――。僕達が守らなければならないと、固く心に誓った。


 村に入ると、農具を手にした数人の男たちがこちらを警戒するように振り返った。

クラリスが先頭に立ち、声をかける。

「私たちは旅の者です。迷惑はかけません。通行を許していただけませんか?」


一人の中年の男が肩で息をつきながら答えた。

「……旅人か。あんたらもこんな時に大変だな」

その目は、疲労と諦めで濁っていた。


少し話を聞いてみると、この村も魔導国の空襲部隊に狙われたという。田畑を焼かれ、収穫は半分以下。

「俺たちが生きるための土地を壊していきやがる。戦場で死ぬならまだしも……こんなやり方じゃ、俺たちみたいな村人はどうすりゃいいんだ」


彼は握りしめた拳を震わせながら吐き捨てるように言った。

「早く戦争が終わってほしい。……さっさと亜人の国なんかぶっ倒して、いつもの生活に戻りてぇよ。畑仕事して、母ちゃんの飯を食って、子供を寝かしつける毎日が恋しいんだ」


僕たちは返す言葉を失った。

――終わったんだ。もう王国は。

けれどその事実を、この人たちに告げることはできなかった。あまりにも残酷すぎる。


「……きっと、すぐに……」

僕は言葉を濁し、曖昧に答えるしかなかった。

村人は虚ろな目で頷くと、再び黙々と畑を耕しに戻っていった。



しばらく歩き続け、夕暮れが近づいたころ。

僕の胸の奥に苦い記憶が蘇る村に差し掛かる。


そこは前の村よりもさらに酷かった。

田畑は黒く焦げ、食糧倉庫は瓦礫の山。幼い子供たちですら、小さな手で土を掘り起こして新しい苗を植え付けていた。

必死なのだろう、誰一人として僕たちに視線を向ける者はいなかった。


アネッサが小さく唇を噛む。

「……子供まで……」

セラフィリアも目を伏せ、羽を揺らしながら沈黙する。


僕は息を呑んだ。これが戦争の爪痕――数字や勝敗では測れない現実だ。

「……公国の大公に、必ず伝えよう。この人たちが助けを受けられるように」

気づけば、僕はそう口にしていた。


クラリスが頷き、村の中心にいるであろう村長を訪ねる。

「施しはいりません。迷惑もかけません。ただ、一晩の寝床だけ……貸していただけませんか」


やせ細った老人が顔を上げ、しばし無言で僕たちを見た。

やがて、背後の小屋を指差す。

「……あの小屋でいいなら空いてる。元は馬小屋だが、もう馬はいない。屋根と壁ぐらいはあるから好きに使え」


クラリスは深く頭を下げた。

「ありがとうございます」


そう言って僕達のもとへ戻ってくる。

僕たちは互いに無言で頷き合い、指定された小屋へと向かった。

乾いたパンと干し肉、それに水を少しの簡単な夕食をとる。

 腹を満たしたとはとても言えないが、明日もずっと歩くことになるので早めに横になろうと決める。

 だが、夜の闇が村を覆っても、耳には休まらぬ音が届いてきた。


 ぎしぎしと木を運ぶ音。石を積み直す音。

「お腹すいた……」と泣く幼子と、それをあやす母親の声。

 押し殺したため息。くぐもった嗚咽。


 僕は毛布を被って目を閉じてみるが、心臓が落ち着かず、胸の奥がきゅうと締め付けられる。

(……じっとしてなんて、いられるわけない)


 そっと体を起こし、音のする方へ足を向ける。月明かりの下、瓦礫の山を前に、村人たちが寄り合って汗を流していた。

「……なにか、手伝えることはありませんか?」


 その声に、作業していた数人が手を止める。視線が僕を容赦なく射抜いた。

「あんた……あの時、水路を……」

「忘れちゃいねぇぞ」

 苦い表情。ざわめき。だが、それでも人手は欲しいのだろう。年長の男が短く吐き捨てた。

「……そこを片付けるのを手伝え」


「はい!」僕は即座に頭を下げ、両腕で瓦礫を抱え上げた。

 泥に足を取られながら、それでも必死に石を運び出す。その姿を、いつしか他の仲間たちも見つけていた。


 レオは無言で杖を向け、風の魔法で崩れかけの柱を軽々と持ち上げる。村人たちが目を丸くする。

 アイゼンは畑へ向かい、鍬を借りて土を耕す。大きな背が黙々と動くたび、村の老人たちは驚きと感謝を滲ませる。

 クラリスは身体強化の術を村人に施した。荷が軽くなったと感じた瞬間、疲れ切った顔にわずかに笑みが戻る。


 アネッサはローブのフードを深くかぶり、耳と尻尾を隠したまま子供たちの輪に紛れ込む。

「ねえ、こーんな顔できる?」と変顔をしてみせ、泣き声を笑い声に変える。

 セラフィリアはその隣で、同じようにローブを羽織って翼を隠し、持参していた干し肉や穀物を村人に差し出した。

「少しですが……皆さまに温かいものを」

 借りた大鍋に材料を入れ、手際よく煮込む。やがて湯気とともに漂う香りに、夜気がやわらぐ。子供も大人も、熱いスープを啜りながら「生き返る」と小さく呟いた。


 それぞれが思い思いに、できることを探し、尽くした。

 作業がひと段落したのは深夜。ようやく村の空気に少しの安堵が混じったころだった。


 僕達は疲労困憊の体を引きずりながら小屋へ戻る。

 毛布に横たわると、仲間たちの寝息がすぐに響きはじめた。

 土と汗と焚き火の匂いの中で、僕は目を閉じる。

(……これで、少しは償えたのかな)

 眠気が重く覆いかぶさり、意識は静かに途切れていった。


 

 まだ陽が昇りきらない早朝。僕たちは村人たちに迷惑をかけないよう、静かに支度を整えて出発するつもりだった。

 けれど、門の前に出ると、村長をはじめ数人の村人たちが既に待っていた。


「……おはようございます」

 思わず僕が声をかけると、村長は深く頭を下げた。

「……昨夜は世話になった。瓦礫も、畑も、子供たちも……あれほど助けられたのは初めてだ」


 すると周りの村人たちも次々に頭を下げ、口々に言葉をかけてくれる。

「ありがとうよ」

「どうかご無事で」

「女神の加護がありますように」


 その光景に胸が熱くなった。ほんの少しの手助けだったのに、こんなふうに感謝されるなんて。

 仲間たちも同じ気持ちのようで、それぞれ照れくさそうに、けれど晴れやかな表情で頭を下げていた。


 見送られながら村を出ようとしたときだった。

「……勇者殿」

 村長が僕を呼び止める。振り返ると、険しい顔ではなく、柔らかな笑みを浮かべていた。


「……昨日まで君を邪険にしていたこと、謝らせてほしい。済まなかった。だが昨夜の働きで、君の気持ちはよく伝わった。……君の行いは、まさしく勇者に相応しい」


 その言葉に、胸の奥がぐっと詰まった。目頭が熱くなり、泣きそうになったけど――僕は必死に笑顔を作り、頭を下げた。

「……ありがとうございます。忘れません」


 村長は黙って頷き、僕たちを見送ってくれた。


 歩き出したあと、クラリスが横で微笑んだ。

「リアン、貴方の気持ちが村人たちにも伝わったみたいですね」

 アネッサがローブを脱ぎながら、からかうように、しかし温かい声で言う。

「泣きそうな顔してたもんね、リアン」

「う、うるさいな……」

 思わず返すと、皆が笑った。重たい空気の中を歩き続けてきたけど、今日は少しだけ足取りが軽い。


 さらに一度の野営を経て、いよいよ視界に巨大な城壁が見えてきた。山々を背にそびえる要塞のような門。鋼の装飾と鋼鉄の光が煌めき、僕達を威圧する。公国の厳しい正門は何度見ても圧倒されてしまう。

 

 無事に入国の手続きを終え、公国の首都に入る。相変わらず活気に溢れた国だ。おそらく公国は初めて見るであろうセラフィリアが、目を丸くして辺りを見回している。

僕達はまず大公の城を目指して歩き始めた。



  公国の衛兵に導かれ、僕たちは高い天井と磨き抜かれた大理石の床が続く謁見の間へ通された。

 広間の奥、荘厳な椅子に腰掛けているのが――公国大公、エルドリヒだ。厳めしい顔は威圧感があるのに、瞳には理知的な光が宿っている。


「よくぞ戻った、戦士アイゼン。そして勇者一行よ」

 落ち着いた声が響く。


 僕たちは膝を折り、アイゼンが一歩前に出て口を開いた。

「大公閣下。我らは王国と魔導国の戦いに身を投じ、その結果、裏で糸を引いていた真の敵に行き着きました。その名は――悪魔族」


 大公の瞳がわずかに細められる。

「……なるほど。やはりか」

「ご存じで?」クラリスが小さく驚きの声を漏らす。


 大公はゆっくりと頷いた。

「すでに将軍ヴァルディスからある程度は報告を受けている。だが、詳しい話はそなたらからも聞かねばならぬ。とはいえ――この件は余一人で判断するべきものではない」


 静かな間を置き、続ける。

「魔導国の魔王も交えて話し合う必要があるだろう。すでに魔導国からは使者が届いている。近く魔王ヴァレリア自らが公国に来る予定だ」


 僕たちが顔を見合わせると、大公はさらに言葉を重ねた。

「そして、もうひとつ知らせておこう。王子カイリス……あの若き王国の指導者は、今、公国の牢に繋がれている。ここ公国で、沙汰を下す」


 あの誇り高かった王子が、牢に囚われている――敗戦とは、そういうものなのだ。その現実を改めて僕は再確認する。


「魔王が到着するまで、まだ日数がかかる。城下に滞在し、体を休めるがよい。追って遣いをやろう」


 謁見はそこで終わった。僕たちは退出を促され、大理石の扉が重く閉ざされる。


 廊下に出ると、セラフィリアが小さく息を吐いた。

「……緊張しました」

「まぁ、大公の前だからね」僕も苦笑する。


 これからどうする?と言った話題に変わると、レオが控えめに手を挙げた。

「あ、あの……よかったら、僕の実家に行かない?戦争が始まってから顔を出せてなかったし……心配してると思うんだ」


 クラリスが穏やかに微笑む。

「そうね、いい考えだと思う。ご両親も顔を見ればきっと安心なさるでしょう」

 アネッサはにやりと笑って尻尾を揺らす。

「いいね!レオのお母さんのご飯美味しいんだよね〜!」


 こうして僕たちは、次なる目的地――レオの実家へと向かうことになった。


  城下の石畳を抜け、レオが少し懐かしそうに目を細めながら歩いていく。やがて、二階建ての家の前で立ち止まる。何度もお世話になったレオの実家だ。小さな庭には花が咲き、窓辺には灯りが揺れている。


「久しぶりだなぁ」

 ほんの少しはにかみながら、レオが玄関の扉を叩いた。


 ほどなくして開いた扉の向こうから、柔らかな声が聞こえる。

「……レオ?」


 出迎えてくれたのはレオの母親だった。彼女は息子の顔を一目見るなり、声を詰まらせ、そのまま強く抱きしめる。

「レオ! 無事だったのね……!」

「ちょ、母さん……苦しいよ……」


 そう言いながらもレオの声は弾んでいて、安心と嬉しさが隠しきれない。


 その騒ぎを聞きつけて、父親が現れた。

「なんだ、レオが帰ってきたのか!」

 彼もまた大股で近寄り、腕に力を込めて息子を抱きしめる。

「お前、よくぞ……! 本当に心配したんだぞ!」

「も、もうやめてよ、父さんまで……」

 照れくさそうに抵抗しながらも、レオの頬はほんのり赤く染まっている。


 その後、二人の視線が僕たちに向けられた。

「君たちも、よく無事で帰ってきた。ずっと心配していたんだ」

「……ありがとうございます」僕は思わず頭を下げた。クラリスもアイゼンも微笑み、アネッサは片手をひらひらと振る。


 そして、父親の目がセラフィリアに留まる。

「そちらのお嬢さんは初めましてだね。彼らの旅の仲間かい?」

 セラフィリアは少し緊張しながらも、胸に手を当てて丁寧に一礼した。

「はい、セラフィリアと申します。リアンさん達の旅に同行させていただいています」

「そうかそうか、よろしく頼むよ」

 その笑顔は温かく、セラフィリアの表情が少し緩んだのを僕は見逃さなかった。


 六人で家に入ると、母親が勢いよく腕まくりをして台所へ向かう。

「さぁ、今日はごちそうにしなくちゃね!」

 父親は暖炉の近くに座り込み、僕達を順に見回してから言った。

「戦争が始まってからずっと、息子も、君たちも心配で仕方なかったんだ。全員無事で本当によかった」


 その言葉に胸の奥がじんと熱くなった。戦い続けてきた日々の重さが、ふっと軽くなるような気がした。


 談笑しているうちに夕暮れが迫り、窓から射す陽が赤く傾いていく。やがて台所から香ばしい匂いが漂い、母親が大きな皿を次々と食卓に並べていった。煮込み料理に焼き立てのパン、温かいスープ……僕たちの心も体もじんわりと満たされていく。


「いただきます!」

 皆で声を揃え、賑やかな食卓が始まった。

母親が作ってくれた料理は、どれも懐かしい味がした。

久しぶりに落ち着いた食卓を囲めるせいか、皆の顔も自然とほころんでいる。セラフィリアも最初は背筋を伸ばして緊張していたけれど、父親が昔のレオの失敗談を語り出すと、口元を覆って笑みを堪えるような仕草をしていた。そんな姿を見ると、彼女もようやくこの家の温かさに触れられているのだと思えて、僕は少し安心する。


アネッサは遠慮なく食べ続け、クラリスは「おいしいです」と真面目に感想を伝え、アイゼンは黙々と箸を進めていた。レオも久々の実家の味に嬉しそうにしている。こうして皆が一緒に笑いながら食べられる時間が、どれだけ尊いものか……それを強く噛み締めていた。


食後、お茶をすすりながらひと息ついていたとき、父親がふと僕たちを見て口を開いた。

「それで、君たちはこれからどうするつもりなんだ?」


部屋の空気がわずかに引き締まる。

僕はしばらく考えてから、静かに答えた。

「……まだやるべきことがあるんです。だから、立ち止まってはいられないと思っています」


父さんはしばし僕の顔を見て、そしてゆっくりと頷いた。

「そうか。なら、何も言うまい。……だがな、いつでも帰ってきなさい。レオだけじゃない。お前達みんな、我が子のように思ってるんだ」


「……ありがとうございます」

僕は心が熱くなるのを感じながら笑った。レオの両親は、他人であったはずの僕達すらもただ優しく包んでくれている。そんな彼らの温かさが心地よかった。


そのあとはまた、他愛ない雑談に戻った。クラリスが旅先での笑える失敗を話せば、アネッサが大げさに身振りを加えて盛り上げる。母さんは「ほらほら、食後に甘いものもあるのよ」とデザートを出してきて、僕たちは子どものように喜んだ。


やがて父親が言う。

「今日は泊まっていくといい。この時間にこの人数を泊められる宿を探すのは骨が折れる」

 母親も力強く頷く。

「そうよ。久しぶりなんだから、遠慮しないで」


 僕たちはその厚意に甘え、久々に心から安らげる夜を迎えることにした。戦火を越え、たどり着いたこの小さな家は、まるで温かな港のように感じられた。


――こんな穏やかな日々が、ずっと続けばいいのに。

そう思いながら、僕は静かに瞼を閉じた。

読んでくださってありがとうございます。

リアンの心に魚の骨のように刺さっていた過去をようやく清算できました。

ここまで長かったですね。

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