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第三十五話 覚醒

昨日の投稿を忘れていたので朝早くから。

夜にも投稿します。

第三十五話


牢の中、薄暗い光の中で僕たちは肩を寄せ合い、短い作戦会議を始めた。時間は正午の処刑までわずか一日。冷たい石の床に背をつけ、目を合わせて、互いの考えを確認する。


「牢からの脱出は……無理だ」

 アイゼンが静かに言う。牢の構造や監視の強化を考えれば、確かに単独ではどうしようもない。


 クラリスは膝を抱えたまま考える。

「なら、チャンスは……移送の時だけ……」

 そう、処刑のために広場へ連行されるその瞬間――それが唯一、僕たちが動けるタイミングだった。


 レオは唇を噛み、手の中で小さな魔法の炎を揺らす。

 「牢の中で何かをするのは無理でも、外に出た瞬間なら……風魔法で音を消すことはできる」

 僕は頷き、手順を頭の中で整理する。


 アネッサはフードで猫耳と尻尾を隠しながら、鋭い目で仲間を見渡す。

 「広場に出る時は、人の目を逸らす方法も考えないとね。混乱や撹乱のチャンスは作れるはず」


「情報操作や撹乱はクラリス、アネッサ、レオが担当だ。僕とアイゼンは実動。移送の瞬間、どうやって脱出させるかが勝負になる」

 僕が指示を出すと、皆は短く頷く。焦燥と緊張が、互いの呼吸に滲む。


 時間は限られている。牢の中では何もできない。処刑の広場への移送――そこまで生き延びることが、まず最優先。


 「これが最初で最後のチャンス……絶対に逃すな」

 アイゼンの声が、静かな牢の中で重く響く。


 僕らはそれぞれの役割を心に刻む。移送の瞬間を見逃さないため、全員が神経を研ぎ澄ます。

 絶望の中でも、希望を握りしめる。正午まで、全力で生き延びる――その一念だけが、僕たちを支えていた。


  翌日、処刑のために移送される瞬間が来る。このまま従うフリをして、外に出た時に行動を開始する――はずだった。牢の扉が開かれたその瞬間、僕たちは予想外の手をくらった。


「え……何これ……?」

 クラリスが小さな声で漏らす。フードの下で瞳が大きく見開かれていた。


 兵士たちは無表情のまま、縄を取り出す。次の瞬間、僕たちは全員、首や手首をさらに縛られ、さらには一本の太い鎖で全員が繋がれてしまった。


 肩と腕にずっしりと重みがかかる。拘束は硬く、歩く以外の動きはほぼ封じられた状態だ。手を伸ばしても仲間に触れることすらままならない。


「これ……歩くだけしかできない……」

 レオが低く呻く。いつも冷静な彼の声に、珍しく焦燥が滲んでいた。


 アネッサもフードの奥で顔を引きつらせている。尻尾も自由にならず、普段の敏捷さは完全に封じられた。


 アイゼンは無言だ。だがいつもの落ち着きはなく、予想外の事態に戸惑っているように見える。


 僕は拳を握りしめる。仲間と分担して行動できない。足取りを揃えるしかない。この重苦しい束縛では、思うように動けない。


 牢を出た瞬間、広がる午前の光は僕たちに残酷すぎるほど明るく、あの処刑台が待っているのを知らしめる。

 絶望――それは縄の重みとともに、僕達の胸にじわじわと染み渡った。


 「くそ……これじゃ……」

 僕は言葉を呑み込み、ただ足を前に出すしかなかった。希望はまだある。だが、今はただ、絶望の重みに押し潰されそうになりながら歩くしかない――。


 

  鎖に繋がれたまま、僕たちは広場の中央に引き出された。人々の視線が一斉に僕たちに注がれる。民衆の表情には驚きや恐怖、好奇の混ざった色が浮かんでいる。


 大広場の壇上で、カイリスが僕たちの罪状を読み上げる。声は冷たく、明瞭で、逃げ場のない現実を容赦なく突きつけてきた。


「勇者リアン、この者は王国の忠義を裏切り、魔導国に身を寄せ、民衆を惑わし王家を貶めた!」

 僕の名が呼ばれるたび、周囲のざわめきが大きくなる。怒りや不信が民衆の間で広がり、僕たちの存在は完全に犯罪者として晒されていた。


 「聖女クラリス、この者もまた王家を冒涜し、民衆を惑わした。王国の秩序を乱す者である!」

 クラリスの顔を見た。普段の上品さは影も形もなく、民衆の注視と罪状に押され、硬直している。僕も、彼女も、仲間も、逃げられない現実を理解していた。


 「レオ、アネッサ、アイゼン、同様に王国に背き、王家の敵に加担した者として断罪する!」

 名前が呼ばれるたび、民衆の間にざわめきが走る。僕たちは鎖に縛られ、ただ立つしかない。抵抗の余地はなく、広場全体が圧迫感に包まれる。


 読み上げる声の一つ一つが、心に重くのしかかる。民衆の視線、カイリスの冷徹な声、鎖の締め付け。僕たちは、これから迫る裁きの前で、完全に晒され、追い詰められていた。

 拘束されたまま広場に立たされ、僕は息が詰まりそうだった。周囲の群衆の視線、兵士たちの冷たい目、処刑台の無機質な金属…すべてが圧し潰す。心臓が早鐘のように打ち、仲間たちの苦しげな息づかいが耳に刺さる。


「もう…これで終わりなのか…」


手足を縛る縄は痛く、動かそうとしてもほとんど自由はない。仲間たちも同じように、絶望に沈んだ顔で僕を見ている。クラリスの目には微かな恐怖と悲しみが、アネッサの顔には泣きそうな絶望が浮かぶ。レオは必死に平静を保とうとしているが、その肩は微かに震えていた。アイゼンでさえ、唇をかみしめ、冷静を装うのが精一杯の様子だ。

 そしてカイリスは勝ち誇った笑みを浮かべている。その笑みは邪悪で、まるで死神のようだ。


思考を巡らせるが、答えは浮かばない。僕が何をしたところで、どうにもできない。すべては王国の力に押し潰される運命のように思えた。最悪の場合、僕が命と引き換えに攻撃魔法で自爆すれば、四人の拘束くらいは破壊できないだろうか……そんな思いまで頭をよぎる。


 

そのときだった。


「リアン、恐れることはありません」


唐突に、頭の奥から柔らかく慈愛に満ちた声が響いた。思わず僕はハッと息を呑む。周囲のざわめきも、兵士たちの足音も、一瞬、止まったように感じた。


「誰…?」僕は口を開き、目を見開く。


「あなたの胸にある優しさと勇気を、私は知っています。その心を持って立ち向かいなさい。仲間を思うその心に、我が光を託しましょう」


声は温かく、聖母のような包み込む力を帯びていた。目の前に差し込む光の粒が、僕の胸の奥に直接触れるように感じられる。これは……間違いない。聖剣に宿る女神エステルの意思だ――僕の心を読んで、絶体絶命のこの瞬間に力を貸そうとしているのだ。

 これまでも何度かその気配を感じることはあった。だがその度に別の助けが入っていた。レアに拘束された時、アイリスに負けそうな時。森のヌシに追いかけられている時。もしかすると、あの時も助けようとしてくれていたのかもしれない。僕は女神の慈悲に深く感謝をした。


身体が熱を帯び、光が全身を包む。拘束された縄が重いことも忘れ、心が研ぎ澄まされる。民衆も兵士も、そして仲間たちも、光を見て思わず目を逸らす。圧倒的な力と慈愛の光が、周囲の空気を震わせ、絶望を一掃するかのようだった。


「僕は…絶対に負けない!」

轟くような光が処刑台を包み込んだ。

 あまりの眩しさに、周囲の兵たちが一斉に目を覆い、悲鳴をあげる。

 ……気がつくと、僕の両手を縛っていた縄は焼け落ち、黒い灰となって風に散っていた。


「……っ、いまだ!」


 胸の奥で脈打つ聖剣の輝きに導かれるように、僕はクラリスたちへ駆け寄った。

 彼女らの枷もまた、触れるまでもなく砕け散っていく。

 呆然としていた仲間たちはすぐに我を取り戻し、互いに頷き合って立ち上がった。


 光が渦を巻き、処刑場そのものが神域のように変わっていく。

 兵士たちは恐怖に震え、近づくことすらできない。


「な……なんだこれは……!」


 カイリスの声が耳に届いた。

 光に照らされた彼は剣を構えながらも一歩退き、額に汗をにじませている。

 怒号でも嘲笑でもない、純粋な戸惑い。

 自分の知るはずの世界が音を立てて崩れていくのを前に、ただ理解が追いつかないといった顔だ。


「馬鹿な……処刑は……確実に終わるはずだったのに……!」


 彼の声は震え、唇がわなないている。

 それでもなお剣を握りしめていたが、一歩、また一歩と後ずさっていた。


 ――今だ。

 僕は仲間たちを手で促し、処刑場の外へと走り出す。

 聖剣が閃光を走らせるたびに、兵たちは悲鳴を上げてひるみ、道が拓けていった。

   処刑場を抜け出した僕らの背後で、兵たちの列がざわめいた。

 剣を手にしていながら、誰一人として踏み出してこない。


「……あれは……聖剣の……」

「まさか……勇者が……」


 押し殺した声がいくつも漏れ聞こえてくる。

 恐怖というよりも、神に触れた人間のような畏怖。

 その目は僕を敵兵としてではなく、ひとりの“存在”として見上げていた。


「何をしている、下がるな!」


 その沈黙を切り裂いたのはカイリスの怒声だった。

 彼の目だけは光に染まらず、ただ怒りにぎらついている。


「勇者だと? 笑わせるな! ただの反逆者だ! あの小僧に怯むとは情けない……!」

「追え! 捕らえろ! ここで逃がせば王国の恥だ! お前たちの命で償うことになるぞ!」


 剣を振りかざして怒鳴り散らす彼に、兵たちは震えながらも動き始めた。

 だが、その足取りは鈍い。

 聖剣を握る僕を睨みつけながらも、その眼差しには迷いと恐れと、そしてどこか祈るような色が滲んでいた。


「……くそっ、押し切るぞ!」


 僕は仲間に声をかけ、迫り来る兵を睨み返した。

 この畏怖が完全に敵意に変わる前に、突破するしかない。

  王都の石畳を蹴って駆け抜ける。

 背後からは甲冑の足音と怒声が追いすがり、振り返れば剣光が煌めいていた。

 だが兵たちの眼差しには恐怖ではなく――いや、正確には畏怖が滲んでいた。


「聖剣が……あれは、物語で語られる勇者と同じじゃないか……!なのに、なぜ敵に……!」

「関係ない! 捕らえろと命じられたんだ!」


 互いに言い聞かせるように声を張り上げている。

 その足は重く、斬りかかる剣も迷いを帯びていた。


「こっちだ、王都の門を抜ける!」

 僕は仲間を導きながら叫ぶ。

「目指すのはロザリンドの領地跡だ! 奴らはあそこまでは追ってこない!」


 答えはすぐに返ってきた。

「でも……門は封鎖されてるはずよ!」とクラリス。

「力づくで行くしかない!」僕は歯を食いしばった。


 街路には逃げ惑う市民の姿。

 僕らは彼らを巻き込まぬよう狭い路地を選び、飛び出してくる兵士は剣の峰で叩き倒した。

 血を流させはしない。戦えぬよう無力化するだけだ。


「ぐっ……!」

 受け止めた兵士の剣を弾き、肩口に衝撃を与える。相手は呻き声を上げて膝を折るが、命までは奪わない。


 しかし被害は避けられなかった。

 追撃の兵が投げた槍が屋台を粉砕し、果物が弾け飛ぶ。

 馬の悲鳴があがり、荷車が横転して石畳を転がった。

 市民の悲鳴が僕の耳を刺す。


「無関係の者は傷つけるな!」と誰かが叫んだ。

 だが、それは兵士たちの叫びでもあった。

 彼らもまた市民を守るべき存在でありながら、命令と混乱に翻弄されている。


「構うな! 敵を逃がすな!」

 カイリスの声がまた響いた。怒りで喉が裂けそうなほどの絶叫。

 畏怖に沈む兵士たちを叩きつけるように、感情だけで動かそうとしている。


 門は――すぐそこだ。

 閉ざされた関所に立ち並ぶ兵の影。

 僕は剣を握り直し、胸の奥で脈打つ光を感じ取った。


「……突っ切るぞ!」


 仲間たちの息が一斉に荒くなる。

 恐怖も迷いも、今は切り捨てなければならない。


  王都の関所が目前に迫った。

 高くそびえる城門は固く閉ざされ、その前に槍と盾を構えた兵士たちが列を成している。


「止まれ! この先は通さぬ!」

「反逆者を逃がすな、囲め!」


 彼らは広場の光を見ていない。

 追手よりも士気が高く、ただ任務を果たすため、敵を迎え撃つ兵の顔をしていた。


 ――だが、今の僕を止められるはずがない。


「どけぇっ!」


 聖剣を振るうと光の軌跡が走り、盾を持つ兵が弾かれて吹き飛んだ。

 槍が突き出されるよりも早く踏み込み、柄を叩き折る。

 剣の峰で兜を打ち抜かれた兵が呻き声を上げて倒れ込む。


 ひとり、ふたり……立ち塞がる兵は次々と無力化されていった。

 切っ先は人の命を奪わず、それでも抗う力を根こそぎ奪っていく。


「くそぉっ……! 止まらん……!」

「これが……勇者の……聖剣の力なのか……!」


 声にならない呟きが背後に広がったが、もう遅い。

 門の前は空白となり、僕らは突き進む。


「門の魔法防御を! 急げ!」

 誰かが叫ぶが間に合わない。

 僕は聖剣を振りかぶり、木扉を縛る閂へと叩きつけた。


 閃光が走り、鉄をも焼き斬る音が響く。

 轟音とともに扉が内側へ崩れ落ち、夜気が一気に流れ込んだ。


 僕らは一斉に門をくぐり抜ける。


「待てぇぇッ!」


 背後から鋭い声が追いかけてきた。カイリスだ。

 剣を構え、門前まで迫っていた。だが一歩外へは踏み出さない。


 彼の目がぎらつき、悔しさと怒りが混ざり合う。

 その口から吐き出されたのは、怒鳴り声だった。


「追え! 必ず捕らえろ! たとえ地の果てまででもだ!」


 命令を受けた兵たちが渋々門を越えて追ってくる。

 だが、その背後で立ち尽くすカイリスの姿は――もはや冷静さを欠いた焦燥そのものだった。


 関所を突破した僕らを、兵士たちの怒号が背中から追いかけてきた。甲冑がぶつかり合う音、地面を踏み鳴らす靴音。だが、どれほど数があっても、もう僕らの足を止めることはできない。


「……任せて!」

振り返ったレオが、短く詠唱を口にする。次の瞬間、乾いた大地の砂が風に乗って渦を巻き上げ、追撃してくる兵士たちの視界を奪った。砂塵はまるで壁のように広がり、咳き込みながら兵士たちは足を止める。


「今のうちに――急いで!」

クラリスが杖を掲げ、淡い光が僕らを包み込む。体がふっと軽くなり、息が弾むほどの加速感が脚に宿る。身体強化の魔法だ。

僕は頷き、仲間たちと共にひたすら前へと駆けた。


背後ではまだ兵士たちの叫びが響いていたが、やがて砂塵の帳と距離がすべてを断ち切った。追っ手の足音は遠ざかり、もう僕らを捕らえることはできない。


街道を駆け抜け、息が切れながらもひたすら走り続けた。すでに景色はオレンジ色に染まり、影が伸びていく。


 ――そして、ようやく歩兵たちが集う拠点の灯りが見えた。


「……着いた……!」

僕は胸いっぱいに冷たい空気を吸い込みながら、ようやく剣を下ろした。

仲間の誰もが汗と埃にまみれ、けれどその表情には安堵が広がっていた。


もうしばらくは、追って来る気配はない。

ようやく、一息つける。

読んでくださってありがとうございます。

ようやくリアンに主人公らしいことをさせてあげられました。

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