第三十三話 公国の選択
政治パートってホント難しいですね。
第三十三話
side:ヴァレリア
伝令の鳥人が舞い降りる音を聞きつけ、玉座の横に控えていたノワールが滑らかに歩み寄る。
「魔王様。いくつか報告がございます」
その声音はいつものように丁寧で落ち着いている。
「申せ」
「まず一つ目。アルボレア様、ネレイア様、そして歩兵隊の奇襲は成功した模様です。王国騎士団は無残に崩れ去り、もはや再編の見込みはございません」
「ほう……指揮官さえ始末できれば上出来と思っていたが、そこまでの戦果を上げたか」
グレンが苦戦し、テラリスを失うことになったあの王国騎士団を……私は高笑いしたくなる気分を抑え、心の中で冷笑を浮かべた。
ノワールは一礼し、すぐに二つ目を告げる。
「農村部、穀物倉庫、家畜への襲撃も順調に進んでおります。特に初動は警戒が薄く、予定より広範囲を制圧できました。王国の腹をじわじわと削ることになるでしょう」
「良い。腹が減れば剣を握る力も萎える」
「そして三つ目。罠の設置も完了しております。数が多く、多少の粗は否めませんが……馬車や輸送を止めるには十分。解除には魔力を流す必要がございますゆえ、凡庸な兵士では手も足も出ぬでしょう。撤去には相応の時間を要するかと」
「ふむ。粗があると言いつつ、抜かりはないな。……さすがは余の右腕だ」
ノワールの目がわずかに細まる。恭しく頭を垂れながらも、褒められた嬉しさにほんの少しだけ笑っているのが見えた。
「最後に四つ目。王国北方の森の進軍路確保及びその先の領地を制圧、完了した模様です。現在は歩兵と合流、拠点作りに従事しています。これは王都に攻め入る足掛かりとなるでしょう」
「良い。素晴らしい戦果ではないか」
勝利の報せが並び、思わず口元が綻びそうになる。だが、私はすぐに表情を引き締める。
油断は敵だ。好機こそ落とし穴が口を開けるもの。
「王国にとって最も痛手は……兵糧だな」
私は玉座の肘掛けに指を軽く叩きながら、思考を巡らせた。
「兵を養えねば戦は続けられぬ。ゆえに奴らは兵を優先し、辺境を切り捨てようとするだろう」
唇がわずかに吊り上がる。
「ならば辺境に潜り込んでいる者たちも、動きやすくなるというものだ」
ノワールが恭しく頷きつつも、どこか愉快そうに目を細めている。
「もっとも……あわよくば公国への食糧の輸出を削れば、余らにとっては好機だがな」
私はわざと肩を竦めて見せた。
「だが、そこまで愚かではあるまい。……とはいえ、念のため公国への支援は準備しておけ」
「御意」
「そして王国は必ず空からの襲撃を警戒し、魔法隊を動員するだろう。罠の撤去にも骨を折るはずだ。当面、進軍はあるまい」
少しの間を置き、私は声を低めて命じる。
「兵には一日だけ休息を与えよ。ただし警戒は怠るな。常に刃を研いでおけ」
ノワールが深々と頭を垂れる。
私は最後に付け加えた。
「潜入組には伝えよ。拠点作りを続けよ。然るのちに王国へと送り込む。命を待て、とな」
その瞬間、戦場を見渡すように心の中で笑った。
王国がどう足掻こうと、私の掌から逃れることは叶わぬ。
数日、戦場は静かだった。兵たちの疲労も取れ、英気は十分に養えただろう。
その折、再びノワールが黒衣のまま音もなく姿を現した。
「魔王様、報告がございます」
「申せ」
「まず、兵糧への攻撃を続けていた部隊が……王国の魔法隊に撃墜されました。部隊長は既に十分な戦果を上げたとして、空襲を停止すべきと具申しております」
「ふむ……」私は片眉を上げ、少し考えてから頷いた。
「よかろう。無駄に損耗する必要はない。余も承認する」
ノワールが深々と頭を垂れる。
続いて報告は続いた。
「罠の撤去は遅々として進まず……狙い通り、王国の足を止めております」
「当然だ」私は薄く笑みを浮かべる。
「魔法の心得がない者には解除できない……ノワール、やはり良い仕事だ」
「恐縮です」
ノワールは冷静に頭を下げるが、その頬はひくついており褒められて喜んでいるのを隠しきれていない。
そしてノワールは一拍置いて、声を潜めた。
「そして最後に……公国に忍ばせていた密偵より報せが。王国が公国に対し、食糧輸出を減らすと正式に通達したとのこと」
「……何?」
一瞬、思考が空白になり、それから。
「ふ……ふふ、はははははっ!」
私は玉座に背を預け、堂々と笑い声を響かせた。
「この窮状にあってなお、己の首を絞める采配を下すか! 公国をも敵に回しかねぬではないか! 愚かにも程があるわ!」
笑いながらも、胸の内では即座に手を打つ。
「ノワール、余はすぐに書状をしたためる。公国へ使者を放て」
「ははっ」
「内容はこうだ――これまでのやり取りを踏まえ、いよいよ国交を本格化させたい。魔導国独自の魔法技術や知識に加え、食糧面でも支援を行う、と」
ノワールの目がかすかに見開かれた。
「周辺は荒地ゆえ誤解されているかもしれんが、我が国には森の恵み、そして人魚たちが暮らす海の豊穣がある。貴国は王国からの輸入に依存していると聞く。ならば魔導国の特産とも言える森や海の幸を味わい、友誼の証とされたし、とな」
私は指先を翻し、命じた。
「公国に失礼あってはならぬ。いつもの使者に加え、そなた自身も赴け。ノワールよ」
「ははっ、謹んで」
私は再び唇を歪める。
王国が愚を重ねれば重ねるほど、魔導国の覇道は盤石となるのだ。
side:エルドリヒ
王国からの書状と、魔導国からの書状――そして魔導国より寄越された二人の使者。
これらが余のもとに届いたのは、同じ日のことだった。
まず王国からの書状。
内容は予想通り、いや……予想以上に強硬であった。
「……抗議は無視、か」
王国は食糧輸出の削減を改めて突きつけてきた。
それどころか、「魔導国に与するのであれば、更なる制裁を科す」とまで記されている。
自らの首を絞めながらも虚勢を張るその姿勢に、余は深く息を吐いた。
次に魔導国からの書状。
こちらは王国とは対照的に、礼を尽くした文面であった。
本格的な国交の開始、魔法技術の共有に加え、特産である食糧の輸出を約束する――。
さらに、これまでの使者に加え、魔王の右腕とも呼べる秘書まで同行させるという周到さ。
「……これは、国の行方を決める選択となるやもしれぬ」
余はそう呟き、決断する。
公国の命運を左右する局面である以上、独断で決めるべきではない。
「評議を開け。宰相、諸侯、参謀らを招集せよ。そして……魔導国の使者二人も、席に加えよ」
使者を同席させることは、異例中の異例。
だが彼らの意図を直に確かめる必要があると余は判断した。
いかに王国と付き合いがあろうと、己の国を危うくする選択を甘んじて受け入れるわけにはいかぬ。
そして、いかに魔導国が未知の敵とされてきた存在であろうと、国益をもたらす道をただ無視することもできぬ。
評議の場が整えられれば、余はすべての意見を聞き、秤にかける。
その重さが、公国の未来を決するのだ。
評議の間に余が腰を下ろすと、宰相をはじめ、公国の有力貴族、軍の参謀らが次々に席についた。
そして、その一角には異彩を放つ存在が二人――魔導国の使者たちである。これまで何度も顔を合わせてきた使者と、そして以前にも使者としてやって来た、魔王の秘書を名乗る黒衣の魔人。
場に重苦しい沈黙が落ちる。
やがて、宰相が立ち上がり、口を開いた。
「閣下……、王国からの書状は……身勝手極まりないものにございます。
我らは技術を、王国は食糧を。それぞれの不足を補うことで均衡を保ってきたはず。
ところが彼らは一方的に輸出削減を突きつけ、さらには『魔導国に与すれば制裁する』とまで……」
「その通りだ!」と声を上げたのは、強硬派の貴族だ。
「王国はもはや我らを取引相手ですらなく、下に見ている! 今こそ魔導国と手を結び、王国に思い知らせるべきだ!」
だがすぐに反対の声も飛ぶ。
「軽々しく口を開くな! 王国からの食糧が途絶えれば民は飢える。
魔導国などと取引をすれば、いずれ公国も火の粉を浴びるやもしれぬ!」
場は一気に騒然となり、互いの言葉がぶつかり合う。
余はしばしそれを聞き流し、やがて「静まれ」と声を発した。
「……参謀はどう見る」
問われた参謀長は、眉間に皺を寄せつつ答えた。
「兵站の観点から申し上げます。
王国からの輸入が削減されれば、二年と持ちませぬ。
魔導国からの支援が事実であれば、取引相手を変えることは現実的な策となりましょう」
場の空気が一瞬止まる。
その静寂を破ったのは、魔導国からの使者であった。
「我らが魔王陛下は、貴国の窮状を憂いておられる。
森と海の恵みを惜しみなく分かち合い、また魔法技術も共に歩むべく用意がある」
恭しくもその声音は冷ややかで、だが一切の隙を見せぬ。
「王国は、取引の天秤を自ら壊したのです。
我らが欲するのは服従ではない。共存と、共栄でございます。
大公閣下――貴国はいずれを選ばれますか?」
その言葉に、再び場はざわめきに包まれた。
だが余は動じぬ。ただ、両の拳を玉座の肘掛けに置き、すべての声を心に刻む。
「もはや王国は我らを対等の相手とすら見ておらぬ!」
「このままでは民は飢えるばかりだ!食糧を握られては……」
「だが魔導国に肩入れするなど、危険極まりない! 魔王と手を結べば、王国との断絶は必至!」
互いに怒号をぶつけ合い、議場は熱を帯びてゆく。
余は沈黙しつつ、そのやり取りを見守っておった。
そこへ、黒衣の女――魔導国より参った秘書、ノワールが静かに立ち上がった。
仕草ひとつ、声ひとつまで恭しく、されど言葉の刃は鋭い。
「恐れながら申し上げます。王国の書状を拝見しましたが……それはもはや取引先への通達ではございません。恫喝でございます。
貴公国の技術に依存しつつ、なお餌で縛ろうとする――そのような振る舞いを、果たして誇り高き諸侯閣下は甘んじて受け入れられるのでしょうか?」
広間が静まり返った。ノワールの声音は丁寧でありながら、皮肉を含んでおった。
「対して我が主は、交わりを望んでおります。技術と糧を交換し合い、互いを高め合うことを。
その証として、余人には任せぬ秘書たる私を寄越された。これは誠意であり、覚悟に他なりませぬ」
彼女は深々と一礼した。
言葉の端々に嘲りを隠しながらも、その論は鋭く、否定しようのない真理を含んでおった。
「……確かに」
「王国のやり方は、もはや横暴以外の何物でもない」
「我らが持つ技術を惜しげもなく吸い上げておきながら、食糧を削るとは……」
次々と賛同の声が上がり始める。
先ほどまで王国との関係を断つことを恐れていた者たちでさえ、ノワールの言葉に揺さぶられ、魔導国との交わりを口にし始めておった。
余は両手を組み、沈思する。
……場の流れは、すでに決しつつある。
議場のざわめきが徐々に落ち着き、魔導国寄りの声が優勢となったのを感じながら、余は玉座に座したまま深く息を吐く。
「……よい、これにて余の裁断を下す」
その声に、場の者たちは一斉に視線を向ける。
宰相も、参謀も、諸侯も、息を呑む。
「王国は、己の都合のみで食糧を操作し、公国をも脅迫する――もはや信義に基づく取引国ではない。
よって余は決めた。今後、公国の安全と国益を優先し、魔導国との協力を強化する」
余の言葉が議場に響くと、ノワールは軽く会釈をし、微かにほほえむ。
「大公閣下のお決めになった通りに、全力で支援を尽くします」
「ふむ……」宰相が低くうなずく。
「王国との取引は今後制限し、魔導国との連携を最優先に据える……了解いたしました」
余はゆっくりと立ち上がる。
「これより、国としての方針は明確になった。王国に迎合することなく、魔導国との交流を深め、貴国の民を守ること。
違反や異議があれば、余の名において厳正に処する」
議場には決意の静けさが満ちた。
ここに、公国の新たな方向性――魔導国との協力を軸とする国政――が正式に打ち立てられたのである。
余は目を閉じ、心中で呟く。
「……これで、公国の未来は、少しは安泰となろう」
評議を終えた余は、議場を後にしながらも心中で次の手を考えておった。
王国という大国の強硬姿勢、そして交易の不安定さを鑑みれば、公国が生き残るには魔導国との関係をより強固にせねばならぬ。
「……単なる取引では足りぬ。いかなる事態が起きても、互いを支え合う形を整えねば」
余は筆を取り、魔導国へ向けた文書をしたためさせる。
内容は明確である。これまでの取引に加え、軍事面でも互いを守る約束を交わすこと、すなわち同盟の提案である。
言葉は尊大にして礼を尽くしつつも、毅然とした調子で書かせる。
「我ら公国と魔導国が結束すれば、王国の一方的な脅しも意味を成さぬ」
余はそう呟き、書状の封を締める。
さらに、使者にはこう伝えさせる。
「同盟は単なる言葉ではなく、行動で示すものである。軍と資源、交易の安定――すべてを含めて互いに支え合うことを約束する」
この書状が届けば、公国と魔導国の関係は単なる交易から、より実質的な同盟へと発展するであろう。
余は深く息をつき、窓の外に広がる公国の森と街並みを見渡す。
「……さあ、次は行動だ」
公国と魔導国の新たな同盟構築の一歩が、ここに踏み出されたのである。
side:ヴァレリア
公国からの使者が差し出した文書を受け取った瞬間、私はその重みを感じ取っていた。
開封し、目を走らせれば……内容は明白。
交易の拡大に留まらず、軍事を含めた本格的な同盟の申し出であった。
「ふふ……とうとう決断したか」
私は玉座に身を預け、脚を組み替えながら声を漏らす。
文面には、明らかに王国の圧力と傲慢に対する怒りと、先の見えぬ恐怖が滲んでいる。
王国とて愚かだ。己が唯一の強みたる食糧を振りかざし、友を敵へと追いやったのだから。
「余にとっては、好都合以外の何物でもない」
隣に控えるノワールが、慇懃無礼な仕草で頭を垂れた。
「魔王様、いかがなさいますか? この申し出、受け入れるに値するとお見受けいたしますが」
私は唇に指をあて、しばし思案する。
確かに、公国の技術立国としての力は計り知れぬ。
その力と魔導国の魔法技術を結びつければ、大陸の均衡は一気にこちらへと傾くであろう。
「――受け入れよう。だが、こちらからも条件を突きつける」
私の声に、ノワールが小さく目を細めた。
「条件、にございますか?」
「うむ。口先だけの同盟では意味がない。余は、公国に兵と技術の一部を提供させると同時に、戦時には必ず魔導国と肩を並べることを約束させる。加えて……王国が攻め込んできた場合、後背を守る責務を負わせるのだ」
私は嗤う。
公国にとっては重荷であろうが、逃げ場はない。
王国と手を切った今、魔導国と結ばねば滅びを待つのみなのだから。
「余とて慈善で手を差し伸べるわけではない。――よいか、ノワール。返書をしたためよ。余はこの同盟を受け入れる、と。そしてただの交易相手ではなく、共に歩む盟友と呼ぶに相応しいかどうか……見極めてやろうとな」
「御意」
ノワールは深々と頭を下げ、文机へと歩み出す。
私は再び背をもたれ、薄い笑みを浮かべた。
王国は己の足を食い破り、公国は余に手を伸ばした。
大陸の天秤は、確実に私の方へと傾いている――。
side:カイリス
「……何だと?」
報告を受けた瞬間、僕は思わず立ち上がっていた。
伝令の口から告げられたのは、公国が魔導国と国交を正式に開始し、さらには同盟を締結したという知らせ。
「そんな馬鹿な……!」
胸の奥に冷たいものが走る。
公国はこれまで、王国にとっては食糧と技術を通じたただの隣人にすぎなかった。
確かに強固な同盟ではなかったが、それでも王国に仇なす魔導国と手を組むなど――到底ありえぬ話のはずだった。
「……僕らへの抗議を口実にしたのか」
無意識に拳を握りしめる。
食糧の輸出削減を決めたあの時、宰相も僕も、多少の軋轢は生じようとも結局は従わざるを得ないと踏んでいた。
だが、公国は従うどころか、魔導国と手を結ぶという最悪の選択を取ったのだ。
「愚かしい……!」
思わず声を荒げる。だが、愚かしいのは誰なのか。
公国か、それともこの事態を招いた僕らか。
「殿下」
宰相が低い声で口を開いた。
「今は後悔に浸っている場合ではございません。すでに事は動いてしまった。魔導国と公国が連携する以上、王国は二正面からの圧力に晒されます」
「わかっている!」
苛立ちが声に滲む。
だが理解はしていた。
このままでは王国は孤立する。兵糧は減り、補給は滞り、農村は荒れ……それでもなお、戦い続けなければならない。
僕は深く息を吐き、視線を宰相に向けた。
「……どう動くべきだ?」
「ひとつは国内の結束を固めること。もうひとつは、外へ新たな繋がりを探すことです。いずれにせよ、覚悟を決めねばなりませんな」
宰相の言葉が重くのしかかる。
だが、僕の胸の内にはそれ以上に大きな苛立ちが渦巻いていた。
――魔導国。ヴァレリア。
公国を取り込み、こちらを嘲笑っているに違いない。
「いいだろう……」
低く呟き、唇を噛む。
「この僕が必ず叩き潰す。王国を愚弄した報い、必ず受けさせてやる」
読んでくださってありがとうございます。
政治エアプなので想像で書いているところもありますが、大目に見てください。




