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第三十話 竜と竜

スケールの大きな戦いを描こうと頑張りました。

第三十話


朝の光が城門を照らす中、正門前にはすでに亜人の歩兵隊、そして僕たち一行が集合していた。

ゴルド・レグナは冷静な目つきで隊列を見渡している。

アルボレアとネレイアも整列しているが、その表情は微笑みで感情が読み取れなかった。


僕はクラリスの方を見て、少し笑みを浮かべる。

「準備は万端だね」

クラリスも小さく頷く。「ええ、リアン。無事に戻るのが第一よ」


アネッサは軽くジャンプして、リアンの腕を叩く。「ふふん、今日も無事に行けるよね?あたし、頑張るから!」

レオは控えめに、でも確かな声で言う。「僕も全力を尽くす」

アイゼンは落ち着いた表情で僕たちを見渡し、短く「行こう」とだけ言った。


少し歩きながら、僕たちはお互いに声を掛け合った。

「王国に潜入するんだ。くれぐれも無理はするなよ」

「わかってる。でも、行動は迅速にね」


 そして僕たちはゴルド・レグナらと共に王国への進軍を開始する。

振り返ると、見送りに来た仲間たちの姿があった。ドルガが腕を振り、バルドも笑顔でこちらを見ている。

ナーガラは優しく笑い、サリアも翼をはためかせて見送ってくれる。

ロザリンドは静かに微笑み、すやすや眠るリュミアを抱えてこちらに微笑みかける。

ノワールも普段の冷静な表情とは違い、柔らかい表情で僕たちを見送ってくれた。


僕は仲間たちに手を振り返し、心の中で誓う。

「必ず戻る。全員で、笑ってまた会おう」


足音が石畳に響き、隊列は進む。

背後の笑顔を胸に、僕たちは王国へと向かうのだった。


 朝の光を受け、僕たちは魔導国を出発した。亜人の歩兵隊に囲まれた隊列は整然としており、ゴルド・レグナの冷静な指揮のもと、順調に進軍を続ける。


初日は城外の荒野をゆっくりと進む。僕たちは互いに声を掛け合いながら歩き、クラリスやアネッサ、レオ、アイゼンもそれぞれの緊張をほぐそうと会話を交わす。空は青く、遠くの山並みを眺めながら、「ここから王国へ向かうんだ」と改めて思った。


二日目、森を抜ける道中では歩兵隊の動きに目を配りつつ、僕たちは簡単な演習や情報の確認を行う。アルボレアは軽やかな足取りで先導し、ネレイアは夜間警戒を整える。夜になると焚き火を囲み、クラリスが「明日も無事でありますように」と小声で祈る。僕は頷き、仲間たちの顔を見渡す。皆それぞれに覚悟を抱えていることを感じた。


三日目、山道に差し掛かると隊列は緊張感を増す。険しい道が続き、荷物の運搬もままならない。しかし、ゴルド・レグナの指揮のもと、歩兵たちは淡々と進む。アネッサはその緊張感を察してか、口数は少なめだが、時折軽く笑みを見せ、僕たちの気持ちを和らげる。


四日目、宿営地での一幕。レオは火の傍で静かに地図を広げ、戦術を復習していた。クラリスはそれを静かに見守り、レオはその視線に笑みで応える。僕は二人を微笑ましく思いながらも、内心では潜入作戦のことを考えて緊張していた。


五日目、夜明け前に出発。空襲部隊の増員と警戒位置の確認をしながら、隊列はさらに王国領に接近する。アルボレアとネレイアは偵察と情報収集を兼ね、前方を確認しつつ、僕たちにも警戒を促す。


そして六日目、公国北の山脈手前。ここでアルボレアとネレイア、そして歩兵隊と別れる日が来た。アルボレアは微笑みながら、「私達はここから別行動よ。気をつけてね」と告げる。ネレイアは妖しげな眼差しで僕たちを見据え、「死なないでね。君たちには興味あるんだから……」と言う。僕は力強く頷き、二人に礼を返す。二人はゴルド・レグナに向き直り、真剣な表情になる。


「気をつけてね」

「必ず勝つ」


短い言葉だったが、互いに全てを伝えている気がした。二人が山道の方へ歩き去るのを見送り、僕たちはゴルド・レグナと共に王国への進軍を再開する。振り返れば、二人の背中が小さくなり、しかしその笑顔が心の中に温かく残っていた。



 side:カイリス

僕は演習場に立ち、眼前で繰り広げられる神創騎士団と魔法隊の合同演習を見守っていた。

甲冑のきらめき、詠唱の声、轟く魔力の奔流──どれも淀みなく噛み合い、王国軍がいかに精強であるかを示している。


「ふむ……これならば実戦でも通用するな」

胸中でそう結論づけ、思わず口元が緩む。王国の力は揺るがない。そう確信できる仕上がりだった。


その時、背後から足音。振り返れば伝令が一人、息を切らせて駆け寄ってくる。

「報告します! 公国北の山脈にて、魔導国の兵が再び進軍している模様!」


僕は短くため息をついた。

「馬鹿の一つ覚えか……」


どうせまた前回と同じ手だろう。

「亜人のみか? 巨人の姿は?」

「いえ、亜人のみで編成されております」


やはりか。ならば恐るるに足らず。

魔導国の歩兵など、王国騎士団に比べれば烏合の衆にすぎない。あれに手こずるほど我が軍は脆弱ではない。


「よかろう。生き残った騎士団を差し向ける」

僕はすぐに決断を下す。


そして近衛に命じた。

「王国騎士団副団長、ルナを呼べ。進軍を命ずる」


これで充分だ。──王国の誇りに懸けて、奴らを蹴散らしてみせよう。



「失礼いたします」

程なくして、低い声とともに、黒き甲冑の女騎士が姿を現した。副団長ルナ。

彼女は姿勢正しく僕の前に立つが、その面差しの奥に、かつての戦いで刻まれた影を僕は見た。


王国騎士団は巨人の一撃で壊滅し、団長ロムレスは戦死。

そして生き残ったのはほんのわずか──その中に彼女もいた。

恐怖に震えながら、命からがら逃げ帰った者のひとり。


「お呼びでしょうか、殿下」

毅然とした声。しかし僕の耳には、どこか必死に張り詰めた響きとして届いた。


「公国北の山脈に、魔導国の歩兵が進軍している。巨人の姿はない。ただの亜人ばかりだ」

「なるほど……」

ルナの表情がわずかに動く。恐怖ではない。燃え立つ執念だ。

「では、我が騎士団で討つに足る敵と」


「お前に任せる。残存部隊を率い、奴らを蹴散らせ」

僕はそう言いながらも、内心で疑いを拭えなかった。

──本当に、この女に再び隊を率いる力があるのか?


問いかけるように、僕は目を細める。

「ルナ。お前は前の戦い、無様な姿を晒したばかりだったな。再び立てるのか?」


彼女は一瞬息を詰まらせた。だが次の瞬間、片膝をつき、拳を胸に当てる。

「はい……私は副団長として必ずお応えいたします。

ロムレス団長と仲間の魂を奪った魔導国、その穢れを払うために。

恐怖など、もはや敵ではございません」


その声音には震えが混じっていた。けれど、その震えを押し殺すほどに、彼女の眼は炎を宿していた。

復讐の炎──巨人ではなく、魔導国そのものに向けられた憎悪。


僕は小さくため息をつく。

「……よかろう。だが忘れるな。王国の威信は、お前一人の肩にあるのではない」


「心得ております、殿下」

深々と頭を垂れ、立ち上がるルナ。その拳は血が滲むほどに固く握られていた。


彼女が去っていく背中を見つめながら、僕は思う。

──この女騎士は、恐怖を越えて立つのか。それとも執念に呑まれ、再び倒れるのか。

次の戦場が、その答えを示すだろう。


 ルナの足音が遠ざかり、演習場には再び騎士たちと魔法隊の掛け声が響く。

僕は腕を組みながら、その光景を見下ろした。


──だが心中は晴れない。

王国騎士団は本来、王国の誇りであり、最精鋭の部隊だ。そのはずが、たった一体の巨人に壊滅させられた。団長ロムレスの死は痛恨だったし、生き残った者たちも恐怖の影を抱えている。


ルナ……彼女は副団長としてよくやってきた。だが実力も胆力も、ロムレスの後任としては疑問が残る。

ましてや恐怖から生還した彼女が、かつてのように冷静な判断を下せるのか。

僕はどうしても信用しきれなかった。


「……とはいえ、他に適任もいない」

小さく呟く。


王国は三正面を抱えている。

魔導国との対立、公国の動向、そして北方の辺境で止むことのない魔物の襲撃。この襲撃に関しては領地の一つに誘い込むことでなんとか食い止めているが、国力の分散は避けられず、兵を無闇に動かす余裕などない。


だからこそ、亜人の歩兵程度なら騎士団の残存兵力で片を付けねばならぬのだ。

魔法隊を割くほどの相手ではない。王国騎士団が再び立ち上がれるかを試す好機でもある。


「魔導国め……巨人を失ってなお、亜人ばかりを繰り出すとは。学ばぬものだ」

僕は鼻で笑う。


だが、胸の奥にかすかな不安が残るのも確かだった。

もしもあれがただの陽動で、公国や王国内に別の策を巡らせているとしたら──?


公国はしたたかな中立を装っているが、いずれは決断を迫られる。

どちらに転ぶかで、大陸全土の命運が変わるだろう。


「……その時こそ、僕が王国を導かねばならない」

王はもはやお飾りだ。愚かな父ではなく、僕自身が。


魔導国を討ち、王国の威光を再び大陸に示す。そのためには、この小競り合いすらも盤面の一手にすぎない。

ルナも騎士団も、そのために駒として動いてもらう。


僕は空を仰ぎ、冷たい風を胸に吸い込んだ。

近い。必ず戦乱は大陸全土を呑み込む。

だが、その混乱を制するのは──王国、そして僕自身だ。



 side:リアン

 アルボレアとネレイアと別れてから、僕たちはゴルド・レグナとともに北へ進軍した。

途中、野営を繰り返しながら二日。王国領の最北端にある、鬱蒼とした森の影が見えてきた。


この森は王国の人間にとっては忌むべき場所──“禁踏地”と呼ばれる領域だ。

森を守る衛兵の姿など一人もない。誰も近づこうとせず、噂だけが広まっている。

だからこそ逆に、敵の追跡を恐れる必要もないのだろう。


けれど安心などできなかった。

僕も、クラリスも、レオも、アネッサも、アイゼンも──皆、森に潜む“ヌシ”の存在を知っている。

その脅威を思うと、自然と背筋が強張る。


森の入口に足を踏み入れる前、僕たちは互いに視線を交わした。

「……ここから先が本番だね」

思わず口にした僕の声は、僅かに震えていた。


クラリスは唇を噛みしめ、瞳を伏せる。

レオは静かに頷いたが、その手は杖を強く握りしめている。

アネッサは珍しく軽口もなく、耳をぴんと立てて周囲の気配に集中していた。

アイゼンでさえ、眉間に深い皺を寄せている。


誰もが緊張に縛られ、言葉を失っていたその時──。


「小さき者の、小さな悩みよ」

重く響く声が場を断ち切った。振り向けば、ゴルド・レグナが牙を覗かせ、嘲るように笑っていた。

「ヌシだと? 我が敵ではない。小枝のように折ってやれば済む話よ」


その豪胆さに、僕たちは息を飲む。

勇気をもらうどころか、むしろ人間と竜人との隔たりを突きつけられた気がした。


 僕たちは、息を詰めながら森に足を踏み入れた。

中は昼だというのに薄暗く、木々の枝葉が重なって光を遮っている。

湿った空気は重く、肺に沈むようだ。


──ギャアッ、と。

どこからか甲高い鳥の悲鳴が響き、直後に低い獣の唸り声が応じる。

ざわり、と茂みが揺れ、鋭い視線のようなものがこちらに突き刺さった。


「……見られてる、かも」

アネッサが耳を伏せ、警戒を強める。

クラリスの唇が小さく震え、レオの手は杖を強く握りすぎて白くなっていた。アイゼンもいつでも槍を振るえるよう手に力を込めながら歩いているのがわかる。

僕自身も背筋を冷や汗が伝う。


森そのものが、僕たちを拒んでいる──そんな気配だった。

この一歩先で、何かが飛び出してくるのではないか。

そう思わせるほどの圧迫感。


だが。


 背後からざくり、と足音が響く。

ゴルド・レグナが森へと踏み込んだのだ。


その瞬間、空気が一変した。

唸り声はぴたりと止み、茂みのざわめきすら消え失せる。

聞こえるのは、枝葉の間を抜ける冷たい風の音だけ。


「……っ」

僕は思わず息を呑んだ。


まるでこの森の住人すべてが、彼女を恐れて身を潜めたかのようだ。

目には見えないが、無数の視線が背後へ逸れ、獣たちが震えているのを確かに感じた。


「ほう……」

ゴルド・レグナは鼻で笑う。

「畜生かと思っていたが……力の差は理解できるようだ。賢しい獣どもめ」


僕たちは顔を見合わせ、言葉を失った。

不気味さは変わらぬのに、獣の脅威だけが消え失せた静けさ──その静けさこそ、かえって恐ろしかった。

 森の中を進む僕たちは、警戒を怠ってはいなかった。

足取りは慎重に、耳はわずかな異音を探っている。

けれど――どこか拍子抜けするくらいに、何も起こらなかった。


前にここを通ったときは、枝が折れる音にさえ身体が硬直し、風に揺れる葉音にすら身構えた。

だが今は、そんな音そのものがほとんど聞こえない。

魔法で足音を消す必要もなく、囁き声すら不要で、普通に会話が成り立つほどの静けさが続いていた。


「……なんだか、意外と平気だね」

アネッサが小声でそう漏らした。

僕は返事をせずともわかっていた。仲間の誰もが同じことを感じている。緊張はしている。だがその中に、ほんの少しだけ「もしかしたら何事もなく抜けられるんじゃないか」という油断が混じっていた。


もちろん、それはゴルド・レグナの存在あってのことだ。

小柄な竜人が悠然と歩く後ろ姿は、見ているだけで心を支配する。

彼女がいる限り、この森すら牙を剥けない――そんな錯覚すら覚えた。


やがて木々の隙間に光が差し込み、出口が近いと知れたとき、胸の奥にかすかな安堵が芽生えた。

だが次の瞬間、その安堵は粉々に砕け散った。


――空気が変わった。


吐く息が急に重く、冷たい。背筋を氷柱でなぞられたように、全身が硬直する。

頭の奥底で記憶が蘇る。かつてここを抜けたとき、嫌というほど味わった圧迫感。


……ヌシだ。

この森に潜む竜が、確かに僕たちを狙っている。


冷や汗が頬を伝い落ちる。喉が塞がるようで、声も出ない。

仲間たちも皆、顔を青ざめさせていた。


ただ一人、ゴルド・レグナだけは違った。

彼女は足を止め、黄金の瞳を細め、気配の方角を射抜く。

そして低く「……ほう」と呟き、白い歯を覗かせて笑んだ。

僕らの恐怖とは対照的に――その笑みは、狩りの予感に歓喜する者のものだった。

 

 気配は、少しずつ確かな形を帯びてきた。

最初はただ、空気が重くなったような圧迫感だった。

だが今は違う。森そのものが呻くように震え、木々の葉がざわめくたびに、背骨の奥を冷たい爪で撫でられるような感覚が走る。


「……っ」

思わず歯を食いしばる。

僕の心臓は、もはや耳の奥で鐘のように鳴っていた。

隣を見ると、アイゼンでさえ微動だにせず、岩のように固まっている。彼もまた、気配の正体を肌で理解しているのだ。


一方で、アネッサの尻尾は毛を逆立て、肩を小刻みに震わせていた。

クラリスは白い指を胸元で組み、祈るように目を伏せている。

レオの顔色は青ざめ、唇を噛んで視線を彷徨わせていた。


逃げ場はない――皆がその事実を悟っていた。


森の奥から、地鳴りのような低音が近づいてくる。

それは足音か、鼓動か、あるいは呼吸そのものか。判然としない。

ただ確かなのは、それがとてつもない「生き物」の存在を告げているということ。


僕の背中を冷や汗が伝い落ちた。

過去に一度、遠くから気配を感じたことはあった。だが今は違う。

こちらへ歩み寄ってくるのだ。ゆっくりと、逃げ場を塞ぐように。


息を詰める僕たちの中で、ただ一人、ゴルド・レグナだけは表情を崩さなかった。

小柄な竜人は黄金の瞳を煌めかせ、口元に笑みを湛えたまま。

恐怖どころか、歓喜すら滲ませて。


「……良い。実に良い」


低く呟く声が、緊張に凍りついた空気を逆撫でした。


そして――それは姿を現した。


木々の間を押し分ける轟音。

獣道を埋め尽くすほどの黒い鱗。

枝葉を踏み砕く巨大な翼。

黄金の瞳が森を貫き、僕たちを射抜く。


森のヌシ、ドラゴン――。


その威容が目の前に姿を現した瞬間、全身の毛穴が総立ちになった。

逃げたいのに足が動かない。声をあげたいのに喉が塞がる。

緊張はすでに限界を超えて、悲鳴に変わろうとしていた。


ただ一人、ゴルド・レグナを除いて。

彼女は笑みを消さぬまま、竜と対峙した。


 竜の巨影が森を圧した瞬間、僕は反射的に叫んでいた。


「戦う必要はない! 森を抜ければ、もう追ってはこないはずだ!」


声が裏返る。自分でも必死すぎると思うほどだった。

横でアイゼンが短く頷き、クラリスも祈るように僕の言葉に同意する。


だが――ゴルド・レグナは首を横に振った。

小柄な竜人の黄金の瞳が、眼前のヌシだけを見据えている。


「甘いな。ここは進軍路となる。こやつを放置すれば、我が兵は悉く喰われる。……邪魔だ」


その声音に一切の迷いはなく、むしろ愉悦が混じっていた。

歯を見せて笑うと、彼女は一歩前に出た。


次の瞬間、空気が弾けた。


ヌシが咆哮を放つ。

森そのものが震え、枝葉が吹き飛ぶ。

同時にゴルド・レグナの姿が掻き消えた――否、速すぎて目が追いつかないのだ。


「……っ!」


僕の目に映ったのは、地を砕く尾撃と、それを紙一重で躱す小柄な影。

巨体が振るう一撃は大地を裂き、森の巨木を薙ぎ倒す。

だが彼女は小柄な体で舞うように駆け、黄金の爪を閃かせて竜の鱗に切り込んだ。


金属を叩くような轟音。火花が散り、空気が焼け焦げる匂いが鼻を突いた。


「こ、これが……!」

隣のレオが声を失い、アネッサは言葉もなく目を見開いていた。


僕たちがこれまで経験してきた戦いとは次元が違う。

人間が剣を交える戦いではない。

人外同士の衝突。森全体を巻き込み、天地そのものを震わせる力と力のぶつかり合いだった。


竜が翼を広げる。

その一振りで暴風が生まれ、僕たちは思わず身を伏せた。

落雷のような音とともに地面が裂け、岩が飛び散る。


だがその暴風の中心で、小さな影は消えなかった。

ゴルド・レグナは笑みを絶やさず、さらに爪を振り抜く。

その一撃は竜の頑丈な鱗をも断ち割り、血飛沫を大地に散らした。


「あり得ない……」

クラリスの声が震えた。

僕の喉も凍りついたまま、言葉を発せなかった。


人智を超えた者たちの戦い――。

僕たちはただその圧倒的な光景に呑み込まれ、立ち尽くすしかなかった。

 

 竜の咆哮が空を裂いた。

炎が吐き出され、森を赤々と染め上げる。

熱風が頬を焼き、思わず目を背けた。普通ならば、それだけで戦場に立つ者すべてを灰に変えるだろう。

だがその炎の奔流を、ゴルド・レグナは翼で切り裂いた。

彼女の背から広がる一対の翼は小柄な身体に不釣り合いに見えながらも、その一振りは烈火を押し返し、渦を巻かせて霧散させる。


「はァッ!」

彼女が声を放ち、鋭い爪が閃いた。

竜の顎をかすめ、白銀の火花を散らす。

巨体が唸りを上げ、森を震わせながら尾を振るう。


轟音。地面が抉られ、巨木がまとめてなぎ倒される。

しかし、小柄な竜人は何もなかったかのように立っている。

真紅の瞳は爛々と輝き、口元には笑みが宿っている。


「良いぞ! もっと来い!」


彼女は退かない。

牙を剥く竜の巨体に真っ向から挑み、尻尾を鞭のように振るって体勢を崩させ、牙を受け止めては火花を散らす。

互いの爪と爪がぶつかり合うたびに、天地が震える。


その戦いは、一進一退。

竜の爪がゴルド・レグナの肩を裂き、血が飛ぶ。

だが彼女は一歩も退かず、逆に黄金の槍を振るい、竜の鱗に深々と傷を刻んだ。


その槍が振るわれるたび、雷鳴のような衝撃が森を貫いた。

巨体の竜でさえ呻き声を上げるほどの破壊力。


僕は息をするのも忘れていた。

仲間たちも同じだ。

怯えも、恐怖も、やがて圧倒的な光景の前に言葉を失い、ただ見入るしかなかった。


戦いの熱はさらに高まり、森を焦がし、大地を割り、空気すら震わせていく。

それでもゴルド・レグナは笑顔を絶やさなかった。

その笑顔は獰猛にして清らか、戦いそのものを歓喜する者のものだった。


そして――ついに決着の瞬間が訪れた。


竜が大きく翼を広げ、地を震わせる咆哮を上げて炎を吐いた。

それを正面から受け止めながら、ゴルド・レグナは槍を構える。

黄金の刃が灼熱の中で輝き、次の瞬間、閃光のように突き抜けた。


「――!」


耳を劈く衝撃。

黄金の槍が、竜の胸を深々と貫き、その心臓を穿った。


竜は絶叫し、森を揺らし、暴れ狂った。

巨木をなぎ倒し、大地を砕き、最後の足掻きを見せる。

だがやがて力が抜け、巨体が崩れ落ちた。


大地が揺れる。

砂塵が舞い上がり、森を支配していた圧倒的な気配が――ふっと消えた。


静寂。

風が木々を揺らす音だけが、そこに戻ってきた。


黄金の槍を引き抜いたゴルド・レグナは、返り血を浴びたまま立っていた。

小さな身体に似合わぬ大きな存在感を放ち、なお口元には――戦いを楽しんだ者の笑みが残っていた。


森のヌシが倒れ、ようやく空気が動いたのを感じた。

張り詰めていた緊張の糸が切れ、僕は思わず大きく息を吐いた。

アイゼンも肩で息をし、クラリスは膝を震わせて木に背を預けている。

アネッサは毛を逆立てたまま尻尾を丸め、レオは蒼白な顔でただ立ち尽くしていた。


その中で、ただ一人――ゴルド・レグナだけは笑みを浮かべ、竜の亡骸を見上げている。

彼女の真紅の瞳はまだ戦いを求めるかのように輝き、握る槍からは血と熱気が滴っていた。


「……良い戦いだった。これほどの竜がまだ生きていたとはな。森を支配するに足る力、確かにあった」


ゴルド・レグナは一歩、竜の首元に歩み寄り、槍を軽く振って血を払う。その仕草すら、勝者としての余裕と矜持に満ちている。


僕は息を呑んだまま、その姿を見つめた。

自分たちが命を賭しても一太刀浴びせられるかどうか怪しい相手を、彼女は正面からぶつかり合い、打ち倒したのだ。


圧倒的な強さ。

そして、圧倒的な異質さ。


「……やっぱり、次元が違うな」

僕の声は震えていた。畏怖か、憧れか、自分でもわからない感情が胸を占める。


ゴルド・レグナは振り返り、口の端を上げてみせる。

「怯えるな。お前たちは、お前たちの戦いをすればいい。これは我の役目だ」


その言葉に、僕たちは返せなかった。重い沈黙が森に降りる。

死骸の熱がまだ残る空気の中で、僕はようやく、自分たちが「生き残った」という実感を少しずつ噛みしめた。


――七曜魔、金竜のゴルド・レグナ。僕はその名を畏怖と共に深く心に刻み込んだ。



ゴルド・レグナが目を閉じ、戦いの余韻を味わっているのがわかる。

森の中に残る熱気、倒れた竜の体臭、焼け焦げた木々の匂い――そのすべてを、彼女は感じ取っているようだった。


やがて、ゆっくりと目を開けると、背後を振り返り、真紅の瞳を森の奥に向けて叫ぶ。


「この森の支配者は我が下した!これからは我が支配者だ!我が配下にその爪の先でもかけたものは、即座に八つ裂きになると思え!」


その声は森全体に響き渡った。

耳をつんざく音が森に広がり、木々が微かに震える。

すると――一度だけ、魔獣たちの咆哮が一斉に響き渡った。

地鳴りのような唸り、獣の荒々しい叫び。

まるで森そのものが応えたかのような、一瞬の恐怖だった。


しかしその後、森は再び静寂に包まれる。

風の音だけがかすかに耳をかすめる。


ゴルド・レグナはゆっくりと僕たちの方を見て、落ち着いた声で言った。

「これでよい。任務達成だ」


僕たちは呆気に取られながらも、彼女が促すままに歩を進めようとした。

しかしクラリスがそっとゴルド・レグナに近づいた。

胸の奥で心配が渦巻いているのがわかる。


「……あの、少し……その、傷が……」


ゴルド・レグナは眉をひそめ、少し面倒そうに首を傾げる。

「なんだ、聖女。ほっといてもそのうち治る」


クラリスは少し戸惑いながらも強い意志で手を差し出す。

「だめです……! 万が一ということもあります」


すると、クラリスの手から柔らかな光が溢れ出す。

暖かい光に包まれ、ゴルド・レグナの肩や腕の傷はみるみる塞がり、痛みも消えた。


その瞬間、ゴルド・レグナの表情が変わった。

面倒くさそうにしていた瞳が、きらりと光を帯びる。

そして、わずかに微笑むように口の端を上げ、静かに言った。


「……良い腕だ」


クラリスは小さく頷き、少し照れたように笑う。

ゴルド・レグナはそのまま視線を彼女に向け、再び口を開く。

「……名前は?」


クラリスは少し躊躇いながらも答えた。

「……クラリスと申します」


その答えを聞いたゴルド・レグナは、ほんの少し頷く。

最初の無関心で冷たい態度から、クラリスを認めたかのような落ち着きと尊敬の色が垣間見えた。

僕はゴルド・レグナのほんの小さな変化を感じ取りながら、森を抜けるべく前へと歩き出した。

読んでくださってありがとうございます。

強者同士のぶつかり合いっていいですよね。上手く描写できたかはわかりませんが、楽しんで頂けたなら嬉しく思います。

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