第二十七話 誇りを抱いて散るは
ここらへん、筆が乗ってました。
第二十七話
side:ロムレス
「来るぞ、鬼だ!」
黄金の瞳を血走らせて魔法隊を睨みつけ、金棒を振りかざして突進してくる姿が見えた。あの力、まともにぶつかればひとたまりもない。
「重装騎士を前へ出せ! 壁を作れ!」
即座に号令を飛ばす。厚い盾が幾重にも並び、鉄の壁が魔法隊を覆うように立ち塞がった。鬼が盾を叩き割ろうとするたび、背後から響く掛け声と共に盾が押し返す。
「いいぞ……怯むな! お前たちは王国の盾だ!」
巨人には、魔法隊の攻撃が確かに効いていた。テラリスと名乗ったあの巨体は膝をつき、鈍い唸り声を漏らしている。まだ倒れはしないが、確実に追い詰められている。
「魔法隊、続けろ! 畳みかけろ!」
再び複数の詠唱が重なり合い、魔力がうねりを上げる。巨人に向かう光の奔流。地響きと悲鳴。
兵たちが沸き立った。
「押しているぞ! 魔導国の兵なぞ怯むな! 叩き潰せ!」
数の力は絶対だ。こちらは五万、相手は一万にも満たぬ。鬼と巨人がいるとはいえ、局所で押さえ込めば勝機はある。歩兵の波が魔導国兵を飲み込み、戦況は明らかにこちら有利へ傾いていた。
(勝てる――!)
心の奥でわずかに震える恐怖を押し殺し、俺は声を張り上げ続けた。
side:グレン
ちくしょう……!
テラリスの巨体が、再び魔法の奔流に呑まれていくのを目の端で見た。皮膚は裂け、血が流れ、膝をついたまま立ち上がれねぇ。あの大地の化身たる巨人が、だ。
「……テラリス……!」
アタシの胸が焼ける。怒りか、それとも悔しさか。
兵どもも、その光景に動揺してやがる。鬨の声は弱まり、逆に王国の兵どもは勝ち誇ったように咆哮をあげている。
このままじゃ押し潰される。
――アタシがやるしかねェ。
金棒を両手で握り直し、喉の底から吠えた。
「魔導国の兵どもッ! 臆するなァ! アタシが道を拓く! ついて来いッ!」
重装騎士どもがまた立ち塞がる。鉄壁の壁。今までなら押し込むまでに時間を食っただろう。だが――もう迷わねぇ。
「うおおおおッ!」
振り下ろした金棒が盾ごと騎士を叩き潰す。鉄の壁が、音を立てて砕け散った。
地響きのような衝撃と共に、数人まとめて地面に沈む。
「こんなモンでアタシを止められるかよッ!」
血と汗に濡れた顔で笑う。痛々しいほど傷だらけのテラリスに聞こえるよう、さらに声を張った。
「見てろよ、相棒! アタシが全部ぶっ壊してやるッ!」
兵どもが再び鬨の声をあげた。
その熱が、戦場に戻ってくる。
side:ロムレス
……まずい。
巨人は膝をついたまま血を流し続けているというのに、鬼の方が勢いを増してきやがった。重装騎士を盾ごと叩き潰し、魔導国の兵どもが再び声を取り戻している。
士気の差で戦が傾くのは、一瞬だ。
「くそっ……!」
俺は剣を抜き、前へ躍り出た。
狙いは魔法隊――巨人にとどめを刺す唯一の切り札だ。あいつらを潰されるわけにはいかん。
「剣隊、盾隊、俺の背に続けッ! 魔法隊を死守しろ!」
盾を構えた騎士たちが前に並ぶ。その中央に俺は立ち、鬼の眼を正面から睨み据えた。
赤い肌に赤い角。鋼のような筋肉。金棒を肩に担いだその姿は、まさに怪物そのもの。だが――恐れを口にするわけにはいかねえ。
「来いよ、化け物……ここを抜けたきゃ、この俺を倒してからにしろ!」
剣を掲げた。
背後で魔法隊が詠唱を続ける声が響く。
一手でも二手でも稼ぐ――それが俺の役目だ。
鬼の口元が、笑った気がした。
side:グレン
本来なら、こういう場面は楽しむものだ。
強そうな奴を見つけたら、じっくりと打ち合って、どれだけ持つか確かめたい。
……だが、今は違う。テラリスを狙い、魔法隊が唱え続けている。悠長に構っている暇はねェ。
「邪魔だ、人間ッ!」
金棒を振り下ろす。大地ごと抉る一撃――
だが、その直撃は重い盾で受け止められた。ギシギシと金属が悲鳴を上げるが、騎士は下がらない。
「ちっ……!」
間髪入れず、薙ぎ払う。
かわした。しかも僅かな隙に踏み込み、剣閃がアタシの脇腹をかすめた。赤い血が一筋、飛ぶ。
「……は?」
思わず目を見張る。
人間風情が、アタシの速さを見切っただと?
再び叩き潰すように振るう。今度は三連撃。だが奴は盾と剣を組み合わせ、すべてを受け流した。
その上で――反撃の刃が唸りを上げて迫ってくる。
「ククッ……」
舌打ちが笑いに変わっていた。
こいつ、ただの雑兵じゃねェ。
まるで百戦錬磨の獣のように、斬り結ぶたび鋭さを増していやがる。
「名を名乗れ、人間!」
アタシは怒鳴る。
すぐにでも仕留めなきゃならねェはずなのに、胸の奥に火が灯るのを止められなかった。
side:ロムレス
「名を名乗れ、人間!」
金棒を振るう鬼の声が轟く。
俺は剣を握り直し、前に踏み出す。盾を構え、振り下ろされる金棒を受け止めながら、内心ではつい嬉しくなってしまう。こんなに強いやつが、俺のことを一人の敵だと認識している。これ以上ない栄誉だ。
「王国騎士団団長、ロムレス!」
名を告げると、自然と背筋がピンと伸びる。剣の先で金棒を受け止めつつ、俺は冷静に計算する。
奴がこちらに構えば構うほど、魔法隊の詠唱は進む。足元で繰り広げられる攻撃の連鎖が、仲間たちのための時間を作り出しているのだ。
「……よし、悪くない展開だ」
緊張の中、俺は心の中でそう呟く。恐怖も疲労も押し殺し、目の前の鬼に全力で立ち向かう。これが、王国騎士団団長としての、今の俺の使命とは、仲間を守るために全てを賭けることだ。
振り下ろされる金棒は一撃ごとに殺意を孕み、受けるたびに腕が痺れる。だが俺は退かない。
盾を斜めに構えて衝撃を逸らし、剣で押し返し、ほんの僅かな隙を作っては再び盾を掲げる。
「ちっ……!」
鬼が焦れて吐き捨てる声が耳に届く。
わかる。奴は苛立っている。圧倒的な力を持ちながら、俺を押し切れないからだ。
俺は深く息を吐き、心を静める。
無論、恐怖はある。だが――俺は歴戦の場数を踏んだ身だ。ただの力押しで屈するような半端者じゃない。
盾が唸り、剣が火花を散らす。斬っては防ぎ、防いでは躱す。全ては、後ろに控える魔法隊のため。
(まだだ……まだ時間が必要だ……!)
鬼の金棒が盾を弾き飛ばさんばかりに叩きつけられる。体が揺れ、口中に鉄の味が広がった。
だが俺は踏みとどまる。意地でもここから退かん。
その刹那――
「……来た!」
背後から眩い光が奔り、轟音が戦場を震わせた。
幾人もの魔法隊員が詠唱を繋ぎ合わせた、特大の連携魔法だ。一直線に放たれた奔流が、山をも穿つかのように巨人へ叩き込まれる。
巨体が揺れ、呻き声とともに大地が震えた。
巨人が――揺らいでいる。
「……いける!」
思わず叫びが漏れる。
この瞬間、俺は確信した。いかに魔導国が化け物を繰り出そうとも、王国には勝機がある。俺たちの剣と魔法で、この戦場を制することができるのだ、と。
side:グレン
テラリスの巨体がぐらりと揺れ、膝を折りかける。血が溢れ、大地に黒い染みを作っていく。
その光景を見た瞬間、アタシの頭に熱が走った。
「なァにが……“いける”だってェ!?」
怒声と共に振り下ろした金棒が盾を弾き飛ばし、重々しい衝撃音とともにあの騎士――ロムレスを吹き飛ばした。
ちっ……あの野郎、しぶてェ。だがもう構ってる暇はねェ!
視線を走らせれば、魔法隊が次の詠唱に移っていた。もう大規模な連携じゃなく、単発の魔法だ。
だが狙いはわかる。テラリスの急所。
「やめろォッ!!」
咆哮と共に地を蹴り、魔法の奔流を掻い潜る。飛んできた炎も岩も、アタシの金棒で叩き砕く。
怒りに任せた一撃ごとに兵を弾き飛ばし、血飛沫を散らしながら魔法隊へ突っ込む。
「そこから動くんじゃねェぞォ!」
金棒が横薙ぎに振り抜かれる。数人がまとめて吹き飛び、悲鳴を上げる暇もなく地面に転がった。
再び魔法が放たれるが、アタシは止まらねェ。テラリスを殺させるわけにはいかねェんだ!
数度の薙ぎ払いで抵抗は潰え、魔法隊の陣形は崩壊。炎の矢も岩の槍も、もう飛んでこない。
荒く息をつき、血走った視線を敵陣に向ける。
「……よくも、よくもやってくれたなァ……!」
握った金棒が震える。怒りで。悔しさで。
アタシは牙を剥く。誰一人、テラリスを傷つけさせはしねェ。
side:ロムレス
吹き飛ばされた体の痛みが全身を襲う。肋に響き、腰が痺れる――だが、俺はそれを振り切って這い上がる。兵を守れなかった。魔法隊を守れなかった。胸の中で、何度も、済まないと呟く。
だが、魔法隊がくれた時間は無駄にしない。あいつらが魔法でこじ開けた可能性を、俺が切り開く。
「よくも仲間を……!」
感情に任せて叫びながら駆け込む。激情に我を忘れたふり──それが、今の俺の作戦だ。グレンは予想どおり、俺に意識を向ける。金色の瞳がぎらつき、金棒を振り上げる。その一撃を、盾で受け、剣で返す。
鉄と鉄が火花を散らす。金棒の重みが腕に伝わり、何度も真っ直ぐな一撃を叩きつけてくる。だが俺は受け流し、躱し、切り返す。刃を合わせるたびに、こちらの意図を探るようにグレンも動きを変える。だが、俺は笑みを混ぜて言った。
「なぁ、お前さん……強ぇな。だがよ、戦争ってのはな、ひとりが強くたって勝てやしねぇんだ」
グレンの視線が、一瞬だけ周囲に揺らぐ。俺はそこを待っていた。言葉を続けながら周囲を指し示す。
「見ろよ。お前ひとりが突出して暴れてりゃ、こうなるのは自然なことだろ?」
言葉どおり、視界の端で隊列が動く。俺が誘い込んだのだ。金棒の届かぬ距離に槍を並べ、重装騎士たちが円を描く。お前を止めるために生まれた壁が、じわりと迫る。槍の先が光り、馬の蹄が地面を蹴る音が増す。
魔導国の歩兵は既に押されている。数の力が、ここで形を為している。群れが密集し、胸を合わせ、盾と槍で押し潰す。テラリスの巨体は血と魔法の傷で喘ぎ、立っているのさえ辛そうだ。奴の足元に群がっていた雑兵たちも、突如として反撃の波に呑まれていく。
グレンは必死に抵抗する。金棒を振り回し、最後の力で周囲を薙ぎ払おうとする。だが、槍列が適切な間合いを保ち、重装騎士が盾で弾き、歩兵が数で圧す。徐々に、グレンの動きは鈍り、回転が利かなくなっていく。
「くそ……!」と、グレンの吠え声が破裂する。だがその声も、やがて消耗の音へと変わる。目の前の景色は変わらない――こちらの槍列が締まり、魔導国兵の波が割れていく。巨人はもう虫の息だ。魔法隊は潰れ、仲間の遺体が散乱する戦地に、冷たい現実だけが残る。
俺は息を整え、剣先を地に突いたまま、静かに言う。
(これで詰みだ)
胸に走る震えは恐怖か安堵か、それともただ冷徹な計算の余波か分からない。だが確かなのは、この瞬間、戦況は明らかにこちらへ傾いたということだ。
side:グレン
歩兵は蹂躙され、テラリスの巨体もついに崩れかけている。
そしてアタシ槍列に囲まれ、もう一歩も動けねぇ。
……完全な敗北だ。そう、誰がどう見ても、これで終わりだった。
「クソッ……!」
歯を食いしばる。
自分が突出しなければ。自分が魔法隊をもっと早く潰していれば。
テラリスをここまで追い詰めさせずに済んだのに。
「アタシが……アタシがッ!」
胸を焼くのは、悔恨と後悔、そして仲間を守れなかった怒りだ。
その時、ロムレスが冷たい響きでアタシに言った。
「悪いな、あんたは強すぎる。あんたみたいなのは、捕虜にしてもリスクのほうが高いんだ。だから、ここで死んでもらう」
槍が迫る。死の感触が首筋にまで這い寄る。
……あぁ、ここでアタシは終わるのか。
テラリス、ごめんな。兵達も。なにより魔王様、役目を果たせなくてすみません。
その瞬間、轟音が大地を揺らした。
咆哮――それは仲間の、最後の声だった。
「……ッ!?」
振り返れば、倒れかけていたテラリスが、血まみれの体でなお立ち上がっていた。
もう動けるはずがないのに、巨躯が揺らぎながらも天を突くように斧を掲げている。間違いない。最後に全ての力を斧の一撃に込めるつもりだ。
「グレン……不甲斐ない相棒で……済まぬな……」
「なに言ってやがる!」
アタシの喉が張り裂けそうになる。謝るなよ、ふざけんな……!
お前をここまで追い詰めたのはアタシだってのに!
だがテラリスは、迷わず最後の覚悟を見せた。
「先に逝くぞ、相棒よ!地獄でまた会おう……!」
ロムレスが叫ぶ。「避けろ! 全員退けッ!」
兵たちが狼狽して散る中、巨人の仲間は高らかに叫んだ。
「このわしが……ただで死ぬものか! 七曜魔の威、とくと見よッ!」
そして――斧が振り下ろされる。
地が割れ、岩盤が跳ね上がり、世界が揺らいだ。
大地が裏返り、風が血と土を混ぜて吹き荒れる。
王国騎士団の陣は一瞬にして瓦解し、戦場そのものが荒地と化した。
「テラリス……ッ!」
アタシは咆哮と衝撃に吹き飛ばされながらも、ただその名を叫んだ。
仲間を失う痛みが、胸を焼いた。怒りも悔しさも、全部を押し流すほどの、どうしようもねぇ痛みだった。
――こんな終わりを、アタシは許さねぇ。
たとえこの身がどうなろうと、必ず報いる。
仲間の命を燃やしたこの一撃を、無駄になんかさせやしねぇ。
side:ロムレス
地鳴りが収まった後に残ったのは、ただただ凄まじい破壊の跡だった。
視界の端から端まで、かつて整然と並んでいた我らの隊列は砕け散り、馬の死骸と破裂した盾、血にまみれた旗が泥に絡みついている。勝利を確信したはずの心は、今や深い喪失と痛みで引き裂かれていた。
巨人の最後の一撃がもたらしたものは、ただの物理的破壊だけではない。兵の生気が、一瞬にして吸い取られたように見えた。先ほどまで弾けていた士気は見る影もなく、勝ちは決まったと踏んでいたあの自信は、地に叩きつけられて砕け散った。胸の奥に、得も言われぬ衝撃と畏怖が残る。――七曜魔という存在が、ただの『亜人』として一括りにするべきではないと、骨の髄まで叩き込まれたのだ。
はっとして、俺は周囲を見渡した。あの一撃があった以上、被った損害の割に見合う戦果がないならば、全てが徒労に終わる。せめて、もう一人の七曜魔――グレンを討ち取らねば、この毀損は取り返しがつかない。
泥と血の匂いの中、目を凝らすと視線の片隅に動く影があった。駆け寄ると、それは息絶えたテラリスの巨躯のそばに寄り添うグレンの姿だった。血に濡れた軽鎧、乱れた髪、そして片手にはまだ金棒が握られている。
俺の胸の中で、ぶわりと何かが沸き上がる。悲しみか、憤怒か、それとも――敵への決意か。刃を握る手に力を込め、俺は静かに息を整えた。ここで終わらせるわけにはいかない。まだ、やるべきことが残っている。
side:グレン
地が裂け、世界が一瞬にして裏返った。土煙と破片が渦を巻き、叫び声と金属の軋みが一斉に飲み込まれていく。生者と死者の区別もつかぬほどの混乱――だが、アタシは頑丈なほうだ。斧の直撃ならともかく、衝撃の余波はアタシの体に痛みを残しただけだった。息を荒げながら土煙が晴れるのを待つ。
視界が戻ると、真っ先に目に飛び込んできたのは、ぐしゃりと倒れたテラリスの巨躯だった。斧は砕け、両腕すらも衝撃で吹き飛んでいる。巨体は支えを失ったようにぐらりと揺れ、そのまま地に沈んだ。
「テラリスーーッ!!」
叫んだ。だが返事はない。顔を覗き込むと、テラリスはまるで満足したように、わずかに微笑んでいるように見えた。血と土にまみれたその顔を見て、アタシの胸の中に熱い何かが込み上げる。
アタシは膝をつき、泥にまみれた手でテラリスの頬に触れた。すでにその褐色の肌は温度を失っている。涙が出そうになるのを必死で堪えながら、テラリスの亡骸に喋りかけた。
「なぁ、テラリス……アタシはさ、七曜魔の中で、お前が一番気が合うって思ってたんだ。豪快で、派手好きで、なんでもかんでもぶち壊すようなやつで……ったく、最後にこんなでっかい花火打ち上げやがってよ……」
嗚咽を押し殺すようにして、アタシはテラリスの髪にそっと触れる。あの豪快な笑い声ももう聞けず、肩から眺めるあの地平線ももう見られない。気持ちがぶわりと溢れた。
「お前の命を、無駄にはしねェ。約束する。お前の墓に、魔導国の勝利を捧げてやる」
誓いを口にした瞬間、背後で兵の足音が近づくのを感じた。振り向けば、黒と銀の甲冑が、泥と瓦礫の間を慎重に歩いてくる。間違いない――ロムレスだ。あの人間が、まだ剣を握りしめて生き延びている。
軍勢は壊滅した。テラリスは、もう動かない。だが、負けじゃねェ。アタシ――猛火のグレンがここにいる。血を拭い、金棒を肩に戻す。腕に残る震えを押し殺し、顔を上げると、向こうには剣を構えたロムレスが立っていた。息を切らしながらも、あの男の目は覚悟で満ちている。
いいだろう。ここで終わらせてやる。
テラリスに誓ったこの約束を果たすためにも、まずは――お前の首だ。
アタシは歯を食いしばり、血で濡れた金棒を力いっぱい握り直した。
戦いはまだ、終わっちゃいねェ。
side: ロムレス
全身が悲鳴をあげていた。
兵を導き、猛火のグレンと幾度も打ち合い、そしてあの巨人――剛土のテラリスが命を燃やして振り下ろした破壊の余波。そのすべてが、この体を限界まで削っていた。呼吸は荒く、剣を振るうたびに軋む音が骨の内側から響いてくるようだ。
だが――目の前にいるのは七曜魔のひとり、猛火のグレン。
こいつをここで討ち取らねば、王国にとって脅威となるのは間違いない。ここで仕留める。それが騎士団長としての最後の責務だ。
剣と盾を構え、声を張る。
「王国騎士団長、ロムレス……いざ、参る!」
血の味が混じる息を吐き、軋む体に鞭を打つようにして前に出た。
斬り、防ぎ、躱し、また斬る。だが、剣はことごとく紙一重で空を切る。
「……ぐっ……!」
動きが鈍い――否、こちらの動きが悪くなっただけではない。
グレンの戦いぶりが、先ほどとはまるで違っていた。周りを見ずに感情のままに突っ込んでいた猛火はもういない。いま目の前にいるのは、鬼族特有の膂力と敏捷さを冷静な思考で操る、歴戦の戦士そのものだ。まさか、仲間の死を経験して、成長したとでもいうのか――。
こちらの剣筋を見切り、最小限の動きで紙一重に躱す。
その上で、一歩先を読んでカウンターを放つ。
鬼族の肉体でそんな芸当をやられたら、人間の自分には分が悪い。
それでも――退くわけにはいかない。
兵を守り、王国を守るために。
自らを奮い立たせ、気力を振り絞って剣を振りかぶる。
渾身の踏み込みと共に、全てを込めた一撃を叩き込む。
「……捉えた!」
確実に斬った――そう思った、その刹那。
視界がぐるりと揺れる。
「……ッ!?」
気づけば、グレンの金棒が迫っていた。
避ける間もなく、鈍い衝撃が左の脇腹に叩き込まれる。
骨がきしむ音と共に、肺の奥から空気が強制的に吐き出された。
「がっ……は……!」
焼けるような痛みが全身を駆け抜け、膝が地を突く。
剣が手から零れ落ちそうになるのを、必死で食いしばって堪える。
――勝ったと思ったのは、錯覚だった。
グレンは、さらに先を読んでいたのだ。
――体が重い。
剣を振るたびに、散っていった仲間の顔が脳裏に浮かぶ。
胸の奥に宿るのは、生き延びたいという執念ではない。ただ一つ。仲間の犠牲を無駄にしないため、残った騎士達を守り抜くため――その想いだけだった。
「うおおおおッ!」
自らを鼓舞するように吠え、最後の斬撃を放つ。
だが、グレンは冷静そのものだった。金棒が舞い、火花が散るたび、俺の一撃はことごとく弾かれていく。
(……もはや俺では届かない、か)
薄々悟っていた。だが退くことなど許されない。
次の瞬間――激しい衝撃。
手から剣が弾き飛ばされ、土に落ちる音がやけに遠くに聞こえた。
それでも、俺は盾を構えた。
足は震え、視界は霞んでいる。それでも、最後の最後まで仲間を守る者でありたい。
この盾だけは――倒れるまで下ろさぬ。
グレンの声が耳に届いた。
「王国騎士団長、ロムレス……その名前、忘れねェ」
――あぁ。
思わず、胸の奥に温かいものが広がった。こんなにも強い存在の、その心に俺の名が刻まれた。
それだけで十分だ。
「……七曜魔……猛火のグレンか。名前聞いといてよかったぜ」
微笑みと共に、俺は言葉を紡ぐ。
「じゃあな」
短く返した声の直後、金棒が振り下ろされる。
盾が砕け、視界が白に染まる。
(……仲間たち……すぐに、そっちへ……)
最後の想いと共に、意識は闇に溶けた。
side:グレン
「じゃあな」
アタシの一振りで、騎士団長ロムレスの命が絶たれた。
盾ごと叩き砕かれたその姿が、地に崩れ落ちる。強敵だった。最後まで立ち向かった騎士の名は、その誇り高い最期は、生涯忘れねェ。
勝敗が決まった瞬間、王国の兵や騎士たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
だが、アタシは追わなかった。奴らを追い立てるよりも――今は別のことが大事だった。
崩れ落ちた仲間の亡骸へと歩み寄る。
テラリス。七曜魔の一角にして、アタシの相棒。
その髪を少し切り取り、掌に収める。ずしりと重く感じたのは、きっと気のせいではない。
「……仇は取った。安らかに眠れ」
その瞬間、背後に微かな殺気。
振り返ると、一人の女騎士が立っていた。
細身の体を覆う鎧は血と土に汚れ、両手に握る槍は震えている。鎧ごと体が小刻みに震えて、ガチャガチャと耳障りな音を立てていた。
だが、その目だけは違った。
アタシを真っ直ぐに見据え、恐怖の奥に確かな覚悟が宿っていた。
「団長の……仇っ!」
震える声で、そう叫んで槍を突き出してくる。
だが、軽い。必死さは伝わるが、力は伴っていない。
アタシは金棒を一振りする。
甲高い音を立てて、槍は弾き飛ばされる。
女騎士はその場に尻餅をついた。肩は上下に震え、息が荒い。だが視線だけは、まだ逸らしていない。
冷たく言い放つ。
「お前らの親玉に伝えろ。魔導国は決して屈しねェと。そして、アタシ達七曜魔の恐ろしさを……骨身に刻んでおけ」
言葉を刻むように吐き出し、わかったら行けと足で地を蹴り上げる。
女騎士は顔を歪め、立ち上がると背中を見せて走り去った。戦場に、アタシひとりが残る。
見上げた空は灰色に濁り、死体の匂いが漂っている。
掌の中の髪束を強く握りしめながら、アタシは呟いた。
「……テラリス。いつかアタシがそっちに逝ったら、また酒でも呑もうぜ」
その声は、誰に届くこともなく、戦場の風に溶けていった。
読んでくださってありがとうございます。
キリよく終わらせたくて予定より長めにしてしまいました。
サブキャラも魅力的に描けているといいのですが。
伝わりやすい描写ができるよう頑張ります。




