第二十三話 七柱の守護者、七曜魔
今回から新章、大陸戦争編です。
長くなりますがお付き合いください。
第二十三話
第四章 大陸戦争編
魔王ヴァレリアが戦争を宣言したあの日から、僕は深く悩んでいた。今日もまた、ヴァレリアが用意してくれた魔王城の一室で深いため息をつく。
僕は、何を信じればいいんだろう――。
王国が魔導国に実質的な宣戦布告をした。戦争の鐘が鳴った瞬間、世界の色が変わったように感じた。騎士団として共に剣を交え、汗と血を流したあの仲間たちが、もう遠い存在に思える。
魔王ヴァレリアが僕たちを庇護すると言った。彼女の言葉は一方的だった。「そなたらの命は保証する」と。けれど、その一言は、僕の胸に重くのしかかる。
レオ、アネッサ、アイゼン――仲間たちは魔導国の側につくことを明確にしている。僕にとっては救いでもあるけれど、同時に心をえぐるものでもあった。彼らは正しい。僕も理屈ではわかっている。王国のやり方は間違っている。
でも……。
僕の中で、過去の記憶がぐるぐると渦巻く。騎士団に所属していた頃、師匠に叱られ、同期と研鑽を重ねた日々。僕を育ててくれたあの人たちは、今どうしているのだろう。戦場で僕を待っているだろうか。
「……リアン、私……」
クラリスの声がかすかに震えて届く。振り返ると、彼女は部屋の角に寄りかかるようにして、目を伏せていた。顔には疲労と戸惑いが混ざっている。
「クラリス……」
彼女は小さく震える手で胸元を押さえ、吐息のように言った。
「私……家族のことを思うと、どうしても……。王国が間違ってるのはわかるのに……、家族や友達、王国で過ごした時間は全部、愛しいんだもの……」
僕はその言葉に胸を締め付けられた。王国は間違っている。でも、そこで育まれた日々や大切な人々は否定できない。クラリスの悩みが痛いほどわかる。
「クラリス……その気持ちは当然だ。僕だって同じだ。王国のやり方は間違っている。でも、僕を育ててくれた師匠や同期、仲間たちとの日々は、無かったことにはできない」
彼女は震える唇を噛みながら、少しだけ顔を上げた。瞳の奥に迷いと悲しみが見える。眠れないのだろう、目の下にはクマができ、憔悴している様子が見てとれる。
「……リアン、私、どうしたらいいか……わからない……」
僕は肩にそっと手を置いた。暗い夜の空気の中で、二人の心は重く交錯する。しかし、時間は待ってはくれない。
迷いながらでも、僕たちは進むしかない――
わかっている。早く答えを出さなければいけない。しかし、そんなに簡単に答えが出る問題ではない。
僕は押し黙り、クラリスもまた目を伏せる。
沈黙を破ったのは、レオだった。
「……リアン、クラリス。君たちが悩むのは当然だよね。君たちにとって王国は故郷だ。いくら王国を追われた立場だと言っても、王国で過ごした日々を忘れられるわけじゃない」
彼は僕らをまっすぐに見つめて、穏やかな声で続けた。
「けれど、公国はこの戦いに巻き込まれる。いずれ避けられない。僕の両親も心配だ……けど、今の王国なら、魔導国と手を結んだ公国にさえ剣を向けかねない。だからこそ、僕は魔導国につく。遠回りでも、それが公国を守ることにつながると信じているんだ」
クラリスの肩が小さく揺れた。僕もまた、胸の奥を刺すような思いに言葉を失った。
アイゼンが低い声で口を開いた。
「レオの言うとおりだ。王国は暴走している、俺にはそうとしか感じられない。魔導国につくことこそが公国のためにもなるだろう」
そして彼は、静かな瞳をこちらに向ける。
「だが――リアン、クラリス。お前たちがどんな選択をしようと、俺は尊重する。たとえその選択が、俺たちの敵になることでもな」
言葉の重みが、刃より鋭く胸を突いた。
隣にいたアネッサが、猫の尻尾をゆるく揺らしながら、少し笑みを浮かべた。
「あたしは迷う理由なんてないよ。魔導国の国民だから、魔導国のために戦うのは当然。……でもさ、リアンとクラリスが悩むのも、わかる気はする」
だけど、と一旦切って、切なげな表情で僕を見る。
「あたしは……ごめん、これ言ったらきっと二人はもっと迷うと思う。でも、言わせて。あたしはさ、二人のことが大好き。だから、できることなら……戦いたく……ないな……」
アネッサは言い終わると、俯いて背を向けてしまう。きっと、今の言葉はずっと胸に秘めていたのだろう。仲間思いの彼女は、きっといま口に出してしまった言葉を後悔している。それでも気持ちが抑えきれなかったのだ。僕は答えられず、アネッサの小さく縮こまる背中を眺めることしかできなかった。
部屋に沈む沈黙。外は嵐の前のように静かで、風の音さえ遠い。
まだ戦は始まっていない。けれど、この城の空気そのものが、近づく大戦の兆しを告げていた。
僕は拳を握りしめた。
選ばなければならない。心の叫びと、仲間の信念。その狭間で、答えを見つけるしかないのだ。
長い沈黙が続いた。
魔王城の一室には誰の声もなく、外を吹く風がどこかの窓を叩く音だけが響いていた。
ふと、隣のクラリスが小さく息を吐いた。
「……私は、ずっと王国で生きてきた。守られて、育てられて……だから、間違っていると思いながらも、王国を憎みきれないの」
彼女の瞳は揺れていた。炎を宿すようでありながら、消えそうな灯火にも見えた。
「でも……あの国が亜人を差別し、奪い、壊していくのを黙って見ていられるほど、私は強くない」
その言葉に、胸の奥が強く揺さぶられる。
僕も同じだからだ。
王国を否定したくはない。けれど、王国を肯定することもできない。
レオが小さくうなずき、僕に視線を向ける。
「リアン……リアンは、どうなの? 僕らは決めた。けど、最後に選ぶのは君だ」
言葉が喉に詰まった。
剣を握れば、誰かを傷つける。守るためだと信じても、いつか誰かを裏切る。
それでも――選ばなければならない。
僕は深く息を吸い込み、吐き出した。
「……僕は、王国を守りたいと思っていた。子どもの頃から、ずっと。だけど今の王国は、僕の知っている王国じゃない。僕が守りたいと思える王国じゃないんだ」
拳を握る。血が滲むほどに強く。
「だから、僕は……魔導国と共に戦う」
その瞬間、クラリスが目を見開いた。
やがて、彼女は小さく微笑んだ。涙をにじませながら。
「……あなたがそう決めるなら、私も覚悟を決めるわ。どんなに苦しくても、あなた達となら、きっと」
アイゼンは深くうなずき、アネッサは尾を一振りして笑い、レオはほっと息を吐いた。
けれど、安堵はなかった。
広間に漂う緊張は消えず、むしろ濃くなっていく。
戦はまだ始まっていない。
だが、僕らはもう退けない。
大陸を割る大戦へ――運命は確実に、動き出していた。
僕たちがそれぞれの答えを口にしたあと、しばしの静寂が広間を支配した。重く淀んでいた空気が、ようやく形を持ったように感じられる。もう迷いはない――そう思った矢先、控えめなノックの音が部屋に響いた。
僕は立ち上がり、扉に手をかける。きしむ音と共に開いた先に立っていたのは、見覚えのある金髪の女性だった。
「……ロザリンド」
彼女は高貴さを残した凛とした佇まいで、既に魔王城の住人としての風格を纏っていた。かつて王国の人間だった姿はもうそこにはなく、魔導国に仕える者の顔になっていた。
ロザリンドは淡々とした声音で告げる。
「陛下が呼んでいる。紹介していなかった残りの七曜魔との顔合わせをするとな。それから、今後の方針についても伝えておくと。――謁見の間へ来い」
それだけ言うと、彼女は踵を返し、足早に去ろうとした。だが、廊下の影に消える直前、ふと立ち止まり、振り返った。
そして、少しだけ声色を和らげて言った。
「……私はそなたらに感謝している。できることなら、生きてまた会いたいものだな」
それはほんの一言だった。けれど、その声音に込められた願いは、鋼鉄の鎧よりも重く胸に響いた。戦の気配は、もう城を満たしている。彼女の祈りは、その実感をさらに強めた。
僕たちは互いに短くうなずき合い、足を進める。石畳の廊下を抜け、巨大な扉の前に立つと、門番が重々しくそれを開いた。
――謁見の間。
そこには壮麗な赤黒の絨毯が延び、奥の玉座にはヴァレリアが座していた。漆黒の衣をまとい、静かな威圧感を放っている。その両脇には、七曜魔が勢揃いしていた。
月、火、水、木、金、土、日……それぞれの気配が濃密に渦巻き、呼吸すら困難になる。
玉座の傍らには、ノワールの姿もある。冷たい眼差しでこちらを見つめるその姿は、まるで「試されている」と告げているかのようだった。
僕は思わず、胸の奥で拳を握った。
この場に立っていることが、すでに運命を選んだ証なのだ。
まず、僕達から自己紹介しなくてはいけないだろう。僕達はいま、七曜魔から試されているのだ。共に戦うに値するかを。
僕がまず一歩前に出て、堂々とした声で名乗る。
「僕はリアン。今は……旅の剣士だ。見ての通り、剣を扱って戦う。この国に住む仲間のため、精一杯戦うよ」
見極めるかのようにレアの目が細くなる。壇上から放たれるそのプレッシャーにも負けず、顔を下げないよう意識する。
しばらくして、レアの顔がふい、とそっぽを向いた。一応は合格……ということなのだろう。
次にクラリスを促し、一歩前に出てもらう。魔王と七曜魔の威圧感に顔を青くしているが、それでも気丈に立っている。
「彼女はクラリス。聖女だ。王国の出身だが、亜人の仲間のため、王国を止めるために共に戦ってくれる」
クラリスは恭しく一礼する。貴族らしいその所作はこの場に相応しく、その洗練された動きにアルボレアが反応する。
「礼儀正しくていい子ね……。守ってあげたくなるわ」
クラリスはにこっと上品に微笑んで元の位置に戻る。七曜魔の一人に認められたその事実が、少しだけ彼女の自信に繋がったようだ。
次にレオを促して一歩前に出てもらう。レオはプレッシャーに負けて……とは少し違う、まるで生命の危機を感じているかのようにカタカタと震えていた。「大丈夫か?」と尋ねるけど、答えない。ならばせめて早く終わらせてやろうと、紹介を始める。
「彼はレオ。魔法使いだ。特に風魔法の扱いには長けていて、戦闘からサポートまでなんでもこなしてくれる。気弱なところもあるけど……芯の通った、立派な子だよ」
レオの名前を言ったあたりから、更にレオの震えがひどくなる。そこで気づいた。
壇上、あのスライムのような七曜魔――たしか、ネレイアと言われていた――が、レオを舌なめずりしながら見ている。
僕はレオを守るように彼の前に立つ。
ネレイアの隣に立つグレンが、「やめとけネレイア。お前の食事じゃねえよ」とネレイアに注意する。
ネレイアは「はぁい」と言ってレオから視線を外す。
その瞬間、レオが解放されたかのように大きく息を吐いた。そのまま元の位置よりも少し後ろに下がらせる。そしてその前にはアイゼンに立ってもらった。
次にアネッサを紹介する。彼女はグレンという知り合いがいるうえ、七曜魔のうち数人は見たことがあるようだ。そんなに緊張はしていないが、それでも汗が一筋垂れている。
「彼女はアネッサ。黒猫の獣人で……魔導国の民だ。この国のために立ち上がった。戦いでも役に立ってくれるけど、なによりその明るさに支えられている。この役目もきっと大切だと思ってるよ」
アネッサは少し緊張しながらもグレンの方をちらっと見る。グレンはその視線に気づき、手を振って微笑み返す。アネッサもそれに満面の笑顔で返し、尻尾を揺らしながら元の場所に戻って行った。
最後にアイゼンを紹介する。レオを守る立ち位置はそのままに、数歩前に出てもらう。
「彼はアイゼン。槍を扱う戦士だ。冷静で仲間思い、とても頼りになる人だよ」
アイゼンはその場所から一礼する。落ち着いているように見えるが、その瞳には緊張が混じっている。
七曜魔の中でも最も異質な威圧感を放つ金色の竜人がアイゼンをちらりと見る。彼女も槍を扱うのだろう。黄金に輝く槍を携えている。彼女はしばらくアイゼンを見ていたが、やがて興味を失ったように目を閉じた。
これで僕達の自己紹介はすべて終わった。僕は一礼し元の場所に戻る。七曜魔と並び立てるとは言わないが、せめて戦場に立つ価値くらいは示せただろうか。
次は七曜魔側の紹介をしてもらうことになった。
ノワールが一歩前に進む。燕尾服の裾を揺らしながら、軽く一礼する。
「――七曜魔の方々のご紹介をさせていただきます。会ったことのある方もいらっしゃるでしょうが、顔合わせということで、ご了承くださいませ」
「こちらにおわす方々が七曜魔――魔王陛下をお支えする七柱の守護者にございます」
まず白一色の少女――新月のレアに視線が向けられる。
「――新月のレア様。伝説に残る吸血鬼。まさしく、夜を統べる存在にございます」
真っ白な肌、銀白の髪、そしてゴシック調の服までも白。日傘の影から覗く赤い瞳だけが、血のように鮮烈だ。その視線は静かにこちらを射抜き、気配だけで身の縮む思いがした。
次に赤い肌を纏う鬼族の女――猛火のグレン。
「――猛火のグレン様。烈火の如き闘志を持つ戦鬼にございます」
額に生える大きな二本の角や逞しい腕や肩が男勝りの戦士らしさを際立たせている。鋭い牙をのぞかせて笑う姿は、戦場そのままの荒々しさを感じさせた。
次は、水晶のように透明な体を持つスライムの女性――
「――妖水のネレイア様。水の守護者にして、その身も水に溶けるが如き存在にございます」
表情は柔らかくフレンドリーだが、瞳の奥に潜む嗜虐的な光に、背筋が凍る。触れるものすべてを溶かしてしまいそうな危うさを感じる。
大樹のように大きく穏やかな……精霊?
「――悠木のアルボレア様。母のように全てを包み込む樹精であり、森の支配者にございます」
枝のようにしなやかな腕、緑豊かな髪と葉の装飾。微笑むその顔は優しく、見ているだけで少し心が落ち着く。
黄金の鎧を纏い、黄金の槍を携える女性の竜人――その体躯は決して大きくはない。だというのに明らかに他の七曜魔の面々と比べても威圧感の質が違う。まるで、王国を抜けるときに追いかけられたあの森のヌシのような――
「――金竜のゴルド・レグナ様。竜種の始祖である黄金竜、その末裔にして竜人族の長であらせられます」
翼と尾、そして角を持ち、赤く縦に割れた瞳は鋭く突き刺す。圧倒的な威圧感で、この場にいるだけで息が詰まるほどだ。
褐色の巨躯――既に滅んだはずの巨人族。
「――剛土のテラリス様。大地を司る巨人族にして、七曜魔随一の怪力を誇る戦士でございます」
鍛え上げられた岩のような筋肉はまさに人外。だが何よりも目を引くのはその巨躯。この広間ですら彼女は低そうにその場に片膝をついている。彼女の存在だけで、床や壁までも揺らすような重厚感がある。
最後に、あの燃えるハーピー――烈日のルミネア。
「――烈日のルミネア様。永劫に蘇る不死鳥の化身。創世より生きておられるこの世界の観測者にございます」
燃えるような赤い翼と髪、神秘的で神々しい佇まい、そして不死鳥というその正体に言葉を失う。創成期から存在する?そんなの、神話級の存在だ。空間に漂う熱と光が、畏怖と同時に希望のような感覚を抱かせた。
ノワールは一礼して締めくくる。
「以上、七曜魔の方々でございます。不肖、このノワールが紹介させていただきました」
僕は息を呑んだ。
七人それぞれの存在が異質で強大すぎる。自分たちが、この戦の渦の中心に立っていることを、痛いほどに実感する――そして、これから運命が確実に動き出すのだと。
ノワールからの紹介を終えたあと、謁見の間に沈黙が落ちた。
七曜魔たちは僕たちを一人ひとり値踏みするように眺め、空気が重く張り詰めていく。
そんな中、最初に口を開いたのはグレンだった。
「よっし! こいつらなら魔導国のために頑張ってくれそうだな!」
朗らかな声と共に大きく頷き、僕たちへ向けて拳を突き上げる。迷いも打算もない、まっすぐな信頼のこもった言葉だった。
続いて、ネレイアが唇に笑みを浮かべる。
「ふふ……特に、あのレオって子。魔力が高くて……美味しそう」
甘やかに響く声に、レオは小さく肩を震わせた。冗談なのか本気なのか、判断がつかない。けれどあの目の光は、まるで獲物を前にした捕食者のものだった。
アルボレアは口元に手を当てながら優美に笑った。
「まあ……初々しい子供たちね。戦場で磨かれていくのかしら。楽しみだわ」
母のような余裕すら感じさせる声音に、かえって背筋が冷えた。
最後に、ゴルド・レグナが低い声を放った。
「所詮は小さき者。覚えておけ、我の邪魔をすれば――殺す」
それだけを告げて再び黙り込む。その声音に一片の感情もなく、ただ冷徹な事実を言い渡しただけのようだった。
他の者たちは言葉を発さなかったが、視線や仕草から、それぞれの評価が伝わってきた。
レアは冷笑を、テラリスは沈黙を、ルミネアは無関心を――。
胸の奥に重苦しい感覚が積もっていく。
これが、七曜魔。
魔王の側に立つ存在たちの真意は、いまだ深い闇の中にあった。
読んでくださってありがとうございます。
一点補足。七曜魔はすべて女性で構成されております。
これは単にヴァレリアが直々に実力者を探していった結果、女性ばかりになってしまっただけです。
七曜魔はあくまで戦闘を担当する部下なので、当然政治や経済などを担当する部下もいます。描写する必要が今のところないので出てきませんが。そちらには男性もいます。
ヴァレリアは基本的に実力主義なので、今後七曜魔に空きが出たら実力のある男性を取り立てることもあるかもしれませんね。




