第二十二話 戦慄の知らせ
二話投稿。少し短めですがキリよく。
第二十二話
謁見を終え、城の長い通路を歩きながら、僕は少し気まずそうに口を開いた。
「えっと……勝手に決めちゃったけど、良かったかな……?」
クラリスはふわりと微笑み、優しく答えた。
「大丈夫よ。私もこの旅を終わらせたくないと思っていたわ」
レオも頷く。
「問題ないよ。むしろ、方向性が決まって安心したくらい」
アネッサとアイゼンも笑顔で応じてくれる。和気藹々と歩きながら、僕たちはこれからの旅の話や冗談を交わし、少し緊張の残る気持ちをほぐしていた。
そのとき、不意に前方に巨大な影が現れた。
――と、同時に体の奥がゾクゾクと冷える。僕は思わずどっと汗が吹き出した。
僕達は一気に警戒体制に入る。ドルガとバルドは低く構えて唸り、アイゼンは無言で槍を構える。その異様な気配は、確かに覚えがあった。七曜魔――魔王直属の忠臣で、一騎当千の実力者――僕の全身が、目の前の存在から全力で逃げろと警鐘を鳴らしている。
影はゆっくりと姿を現す。目の前に現れたのは、ドルガよりもさらに大きく、肌の赤い鬼族の女性だった。筋肉質な体に額には2本のツノ。身の丈ほどもある金棒を片手に持ち、鋭い視線でこちらを睨みつけている。その気配だけで、普通の人間なら尻込みするだろう。
「なんだァ? 見ねェ顔だな。何者だテメェら?」
僕の体に緊張が走る。これは……間違いなく只者ではない。
その圧倒的な存在感に、思わず僕は小さく息を飲んだ。しかしその瞬間、アネッサが駆け出した。
「待てアネッサ! 迂闊に……!」
僕が声を張り、手を伸ばすも間に合わない。アネッサは鬼族の女性に突進――すると思いきや、勢いよく抱きついた。
「グレン様ーーー!!!久しぶりーー!!!」
僕たちは呆気に取られ、ポカンと立ち尽くすしかなかった。
グレン――そう呼ばれた鬼族の女性は、アネッサの頭をわしわしと撫でながら笑顔を見せる。
「アネッサ! 久しぶりじゃねェか!」
その瞬間、通路に漂っていた緊張感は一気に吹き飛び、僕たちは茫然自失のまま取り残されていた。
――どういうことだ?グレン様?アネッサと知り合い?
僕は混乱しながら二人が楽しそうにしているのを見ているしかできなかった。
アネッサは抱きついたまま、満面の笑みで僕らに向き直った。
「みんな!紹介するね!この方は七曜魔の『火』の守護者――猛火のグレン様だよ!とっても優しいの!」
「七曜魔……火……」僕は思わずつぶやいた。あんなにも恐ろしい気配を放っていたのに、今は全然親しみやすい雰囲気で、そのギャップに混乱する。
グレンは頬をかきながら、困ったように笑った。
「まったく、アネッサは……」
けれどその顔は、どう見ても満更でもなさそうだった。
これまで会った七曜魔といえば――冷徹な吸血鬼である新月のレア、神秘的で近寄りがたい烈日のルミネア。その二人を思い出していただけに、今目の前のこの気さくな女性が同じ七曜魔だとは、到底信じられない。僕も含め、皆の肩から一気に力が抜けていく。
グレンは僕たちを見回し、豪快に笑った。
「アネッサの仲間なんだろ? よかったら話そうぜ。旅の時のアネッサの様子とか、ぜひ聞かせてくれよ」
そう言って、彼女は気さくに僕らを手招きする。
「ちょうどそこにアタシの部屋があるんだ。来な、案内してやる」
僕たちは顔を見合わせてから、自然と頷き合った。七曜魔と話すなんて本来なら緊張の極みのはずなのに、今はどこか、不思議と安心してついていける気がしていた。
グレンの案内で通された部屋は、七曜魔の私室とは思えないほど質素だった。豪華な装飾もなく、無骨な木の机と椅子、それに鍛錬用らしき鉄製の器具がいくつか置かれている。それだけで彼女の人となりがなんとなくわかるようだった。
「ほら、座れよ。遠慮すんな」
そう言ってグレンは僕らに椅子をすすめる。僕たちは促されるまま腰を下ろした。
「悪い、椅子が足りねえな」
グレンはドアに向かって大きな声で「おーい!いくつか椅子を持ってきてくれ!」と声をかける。
すると程なくして使用人が数個の椅子を運び入れ、一礼して退室して行った。
「さて……」グレンは腕を組み、じろりとアネッサを見やる。
「こいつは昔からちょこまかしててな。どこに行っても勝手に突っ走って落ち着きがない。お前ら、よく一緒に旅できたな」
「ちょ、ちょっとグレン様! そんな言い方しなくても……!」
アネッサが真っ赤になって抗議するけど、グレンは腹を抱えて豪快に笑った。
「ははは! 相変わらず可愛いやつだ!」
僕たちは思わず顔を見合わせ、苦笑する。七曜魔の一人にからかわれるなんて想像したこともなかった。
「で? アネッサは旅の途中でどんなだった? 泣き虫は相変わらずか?」
「泣き虫じゃないってば!!」
アネッサが勢いよく否定する。クラリスがくすっと笑い、レオとアイゼンも口元を押さえている。僕もつい笑いを堪えきれなかった。横を見れば他の仲間たちも皆優しく微笑んでいる。
グレンはそんな僕たちを見て、満足そうに頷いた。
「なるほどな。いい仲間を持ったな、アネッサ」
その言葉に、アネッサは少し照れくさそうに目を逸らす。僕はそのやり取りを見ながら、胸の奥が温かくなるのを感じていた。七曜魔――畏怖の象徴だと思っていた存在が、こうして仲間を気遣い、笑ってくれるなんて。
「そういやお前ら、さっき魔王様と話してたんだろ? どうだったよ、実際のところは」
その問いかけに、アネッサが一番に口を開いた。
「……正直に言うと、と〜〜〜っても怖かった!でも……優しかった。前に会ったときより、ずっと」
彼女の答えに、僕も自然と頷いた。
「うん。僕もそう思う。厳しさはあるけど、温かさも感じる方だった」
ロザリンドが少し考え込むようにして、静かに言葉を紡いだ。
「燃え盛る炎のように激しい方と思えば、すべてを包む海のような寛大さも併せ持つ……不思議な魅力に溢れた偉大な方だった。これからは魔導国の民として、世話になることになる」
その真剣な口調に、グレンは豪快に笑い声を上げる。
「ははは! ずいぶん気に入られたみたいだな! 魔王様は常に民を想っておられる。だから安心しな。お前らの命はもう脅かされねェよ」
そう言ってから、彼女はふと声を落とし、ニヤリと笑った。
「なんてったって魔王様の強さったら、このアタシですら足元にも及ばねェからな」
その一言に、僕の背筋を冷たいものが走る。――七曜魔である彼女が、あっさりと「及ばない」と言い切る相手。その底知れない力を想像して、思わず息を詰めた。
部屋の空気はまだ和やかで、グレンは笑顔を絶やさない。けれど、僕の心の奥底には、魔王ヴァレリアの得体の知れない存在感が、改めて重く刻み込まれていた。
グレンは腕を組み、僕たちを順に眺めながら問いかけてきた。
「で? お前らはこれからどうするんだ?」
僕は仲間たちの顔を見回し、静かに答えた。
「僕たち――僕とクラリス、レオ、アネッサ、アイゼンは旅を続けます。この大陸だけじゃなく、海の向こうのまだ見ぬ地へ。もっと見聞を広めたいから」
クラリスは小さく頷き、レオも真っ直ぐな目で同意を示す。アネッサはにかっと笑い、アイゼンは黙って腕を組んだまま、肯定の気配を漂わせていた。
その一方で、ロザリンドがゆっくりと口を開く。
「私は……この国に残る。魔王陛下に仕えることを許されたのだから、領主としての経験を活かしたい。それに……」
彼女は仲間を振り返り、穏やかに微笑んだ。
「ドルガも、バルドも、ナーガラも、サリアも……皆、この国なら自分たちの居場所を見つけられるだろう」
僕はその言葉に頷いた。確かに、この国ほど種族に関係なく受け入れてくれる場所はない。彼らがここに残るのは自然な選択だ。
「……そっか」グレンは豪快に笑い、机に肘をついた。
「分かれ道ってやつだな。でも悪くねぇ。自分で選んだ道なら、胸張って進めばいいんだ」
その言葉に、僕は少し肩の力が抜けた。仲間たちがそれぞれの未来を選んだことに、もう迷う必要はない。
グレンの笑い声がまだ部屋に残っていたそのとき、ドアを激しく叩く音が響いた。
「……?」
僕たちは顔を見合わせる。グレンが片眉を上げ、低く言った。
「入っていいぞ」
扉が開き、そこに立っていたのは――老齢の執事、ジルバだった。
「ジルバさん!」思わず僕は声をあげる。
「お久しぶりです!」
「はい、ご無沙汰しております」
そう応えながらも、ジルバの顔には硬い緊張が張り付いていた。
その空気をいち早く察したのはグレンだ。
「……なにがあった?」
さっきまでの気さくさは消え、鋭い声が部屋を支配する。
ジルバは一歩前に出て、僕たち全員を見渡した。
「勇者一行様、それに猛火のグレン様……大変なことになりました。魔王陛下がお呼びです。急ぎ、謁見の間にお戻りください」
只事ではない。その声音と表情に、胸がざわついた。さっきまでの和やかさが一瞬で吹き飛ぶ。
「……わかった、すぐに行く」
グレンは短く答え、重く息を吐く。
ジルバが足早に退室すると同時に、グレンは立ち上がり、力強く言った。
「そういうことだ、行くぞ」
僕らはただ頷き、胸の奥に不安を抱えながら、再び謁見の間へと向かうのだった。
謁見の間に戻った瞬間、息が詰まりそうになった。
さっきまでのヴァレリアとは比べ物にならない――まるで世界そのものを押し潰そうとするかのような圧。足が勝手にすくみ、喉が渇く。
その横にはノワールが控えている。さらに七曜魔の姿もあった。新月のレア、烈日のルミネア、そして名前は知らないが人型のスライム――恐らく、これも七曜魔のひとりだ。
「……」
思わず唾を飲み込む僕たちの前に、グレンが一歩進み出た。その背中が壁のように頼もしく見える。
「猛火のグレン、ここに」
その場に跪きながら、グレンの凛々しい声が、謁見の間に響いた。
「うむ」
ヴァレリアはそれだけを返す。しかし放たれる圧は一切収まらない。呼吸ひとつすら重苦しい。
やがてヴァレリアの瞳が僕を射抜いた。
「国外にいる七曜魔はあとでよい。まずはそなたらに共有しよう。それに……リアンよ。そなたらにも関係のある話だ」
背筋を冷たいものが走る。
ヴァレリアは重々しく口を開いた。
「今しがた、早馬に乗った伝令が来た。相手は王国、内容はこうだ。我が国の誇りを汚した勇者と、勇者を唆した大逆人ロザリンドを引き渡せ、さもなくば女神の鉄槌が下るであろう。とな」
「――!」
僕らは一斉にざわついた。知られていた?僕たちが魔導国にいることを?どうして?
いや、それ以上に――女神の鉄槌。王国が戦を仕掛ける際に用いる言葉だ。つまりこれは、僕とロザリンドを渡さなければ、王国は魔導国と戦争を始めるという宣告だ。
「思い上がったものだ、差別主義者が」
ヴァレリアの声には、怒りが滲んでいた。圧がさらに強まる。
「我が魔導国の民と客人を引き渡せ、さもなくば戦争だと言う。こんなに舐められたのは初めてだ」
その声音は炎のように激しく、それでいて氷のように冷静だった。
「余はこんなものに従わん。ロザリンド、そして供の亜人どもよ。そなたらの命はこの私が保証しよう。勇者よ。そなたらも我が右腕の客人。その身になにかあれば魔導国の恥となる。そなたらもこの余が庇護しよう」
その言葉に、心臓が跳ねた。僕たちを――庇護すると。魔導国の、魔王が。
ヴァレリアの眼差しが七曜魔たちに向けられる。
「レア、グレン、ネレイア、ルミネア。いつでも出られるようにしておけ」
「はっ!」
彼女らは一斉に跪き、声を揃えて答える。その迫力に、背筋が凍った。
やがて、ヴァレリアはすべての者に目を巡らせた。
その視線に貫かれ、僕は呼吸すら忘れそうになる。
「我が愛すべき臣民とその客人たちよ。……心せよ――――戦争だ」
第三章――閉幕
読んでくださってありがとうございます。
王国編、終了です。綺麗に締めてきた魔導国編、公国編と違って次の長編に繋がる終わり方ですね。
次回の投稿からは新章、大陸戦争編となります。
楽しんでいただけると嬉しく思います。




