第十四話 裏切りの剣
キリがいいところで切ったので少し短め。
第十四話
王子派の兵の接近を受け、ロザリンドは地図を広げ、僕たちの前で隊の配置を組み始めていた。
「敵は王都からここまで……予想より早い。どうやらかなりの速さで進軍している」
部屋の空気が張り詰める。僕たちは息をひそめ、指示を待つしかなかった。
そのとき、鳥人の偵察が羽音を立てて入ってくる。
「報告です! 王子派の兵、すでに領地のすぐ側まで接近しています!」
その言葉に、ロザリンドの眉がさらに深く寄る。焦燥が滲み、手元の地図を何度も叩く。
「……こんなに早く……!」
彼女の声には怒りと焦りが入り混じっていた。だが、すぐに冷静さを取り戻すように深呼吸をし、命令を飛ばす。
「兵を迅速に集め、迎撃の隊を編成しろ!」
僕たちは即座に動き出す。アネッサとレオ、ノワールとアイゼン、クラリスもそれぞれの役割を確認し、領地の防衛ラインに沿って配置される。
僕は仲間たちの動きを目で追いながら、緊迫感を噛み締める。
その時、ロザリンドがひそかにイザベルを呼び寄せた。僕たちには聞こえない低い声で、耳元に囁く。
「……内通者は、クラリスでほぼ間違いない。リアンたちは遊撃部隊として孤立させる……そこで仕留めろ」
イザベルの顔が一瞬険しくなる。僕たちは気づかない。ロザリンドは冷静さを装いつつも、内心の焦燥と怒りがその声の低さに滲んでいたのだろう。
その秘密の指示をイザベルだけに伝えると、ロザリンドはすぐに迎撃の準備を指示する。
「兵を整えろ! 王子派の先鋒を迎え撃つ! 全員、戦闘態勢に!」
僕たちは息を整え、影のように配置につく。アネッサとノワールはフードを取り、全力で戦いやすいいつもの格好に戻す。互いに視線を交わして警戒を固める。クラリスも、無意識に僕の方を見てうなずいた。
胸の奥に緊迫が押し寄せる。
――敵はもうすぐそこまで来ている。だが、僕たちにはまだ仲間と信頼がある。
ロザリンドは焦燥の中でも迅速に隊を整え、僕たちは迎撃の構えを取る。
その瞬間、鳥の羽音が遠くから響き、王子派の兵の姿が視界の端に現れる――もう逃げる時間はない。
僕は仲間たちと肩を寄せ合い、心を一つにする。
――この戦いが、亜人たちを守るための最初の決戦になるのだ。
僕たちは指示通り、兵たちと共に部隊を組んで行動していた。アネッサとレオ、ノワールとアイゼン、クラリスも含めて、互いの連携を確認しながら、領地周辺の警戒を続ける。
その時、前方に王子派の兵が現れる。僕達を狙っているようだが、それにしては人数が少ない。こちらは部隊で行動しているのに、あちらは小隊二つ程度の人数だけ。
「孤立しているはずでは……!」
隊長が憎々しげに呟く。苛立ちと焦燥が混じった声だ。どうやら、敵は僕たちが孤立するはずと考えていたらしい。だが、僕たちは部隊と共に普通に行動しているだけだ。孤立するはずもない。何かがおかしい。
「おい、話が違うぞ!何をしている!」
隊長の叫びに、兵たちの動きが焦りに満ちる。僕たちは背中を預け合い、冷静に連携を維持している。
そのとき、僕の背後に気配が走った。振り返ると――
「……下がれリアン」
イザベルを連れ、ロザリンドが現れた。瞳には悲しみと怒りが交錯している。
ロザリンドは自分の隣で守るように立つイザベルを真っ直ぐに見据えて悲しそうに言う。
「さっきの指示はイザベル、お前にしか出していない……それを敵が知っている、ということは……そういうことなのだな」
ロザリンドの視線がイザベルに突き刺さる。僕たちは意味を理解できず、息を呑む。
イザベルは肩を落とし、観念した顔でうなずいた。
「……はい。気づかれていましたか」
ロザリンドは怒りと悲しみを滲ませながら声を震わせ、問いかける。
「……いつからだ、イザベル」
「……ロザリンド様、抵抗はしないでください。傷つけたくはありません」
僕たちは衝撃で言葉を失う。仲間の裏切りが、現実のものとして目の前にあった。
背後では王子派の兵が迫り、隊長の怒声がさらに高まる。僕たちは背中を預け合い、次の行動を考えるしかない。
――目の前の状況は絶望的だが、立ち止まるわけにはいかない。
王子派の兵に応援が到着し、陣形を組み直してこちらに殺到してきた。
「反逆者め!亜人に肩入れする恥知らずを討て!」
敵兵たちの怒号が辺りを揺らす。
ロザリンドは歯を食いしばり、冷徹に号令を放った。
「全軍、迎撃せよ! ここで退けば領地も民も滅ぶ!」
僕たちも兵と共に剣を構える。ノワールはレオと協力して複雑な魔法陣を展開し、アネッサはアイゼンと連携して敵前線をかき乱す。クラリスは震える心を必死に押さえ込み、仲間に癒しの光を注いでいた。
だが戦況は厳しい。王子派の兵は予め計画を知っていたかのように動き、こちらの布陣を切り裂いていく。イザベルが長きにわたり流してきた情報が、敵の手を完璧に導いていたのだ。
「ロザリンド様、このままでは持ちません!」
伝令の声が血に濡れて震える。
ロザリンドは短くうなずき、僕に視線を向けた。
「リアン、君たちは私と共に退くのだ。ここで討たれてはならぬ」
「でも――」
「命令だ! 領民を守るには、生き残り次へ繋がねばならぬ!」
悔しさを噛み殺し、僕たちは彼女の言葉に従った。退路を確保するため、前線の兵が命を賭して敵を食い止める。その背中に血と汗が飛び散り、悲鳴が響く。
やがて夜陰に紛れ、僕たちはロザリンドを中心に領地の奥へと退いた。追撃はないようだ。深追いするなとの命でも出ているのだろうか。
味方の血で赤く染まった服のままロザリンドは震えていた。
「……イザベル。どうしてだ。……私はイザベルのことを半身のような存在だと思っていたのに……」
彼女の声はかすれ、怒りと哀しみで揺れていた。
僕は答えを返せなかった。ただ、彼女の苦悩を受け止めるしかなかった。
その夜、領地の奥に築かれた仮陣地に戻った僕たちは、次の一手を模索する。
だが、イザベルの裏切りにより戦況は王子派に大きく傾き、このままでは領地は持たないことは明らかだった。
「……次の策を考えねばならない」
ロザリンドは沈痛な面持ちで言った。
「イザベルを失い、王子派に先手を打たれた今……私たちは追い詰められている」
緊張と絶望が夜気に満ちる。
それでも、僕たちは剣を下ろすことはできなかった。
ロザリンドが思索を深めていると、夜の空気を裂くように、羽音が近づいてきた。仮陣地の見張りが慌ただしく動き、鳥人の伝令が翼をたたんで駆け込んでくる。
「伯爵様! 重大な報告です!」
ロザリンドは拳を握りしめ、険しい目で伝令を見据えた。
「申せ」
伝令の声は震えていた。
「領地は……すでに制圧されました。王子派の兵は反対側からも進軍しており、兵士もすべて捕らえられ……ここも間もなく包囲されます……!」
その言葉が落ちた瞬間、空気が凍りついた。
ロザリンドは目を見開き、次いで深く息を吐いた。唇を噛み、しばし天を仰ぐ。
「……そうか。すでにすべて筒抜けだったというわけか」
その声は震えてはいなかったが、僕には深い絶望が滲んでいるように聞こえた。
やがて、彼女は静かな声で兵に告げる。
「……全軍、武器を捨てよ。我らは敗れた」
兵たちは呻くような声を上げたが、彼女の命令に逆らうことはできなかった。次々と槍や剣が地に落ち、甲冑の擦れる音だけが響く。
間もなく、王子派の兵たちが仮陣地を取り囲んだ。鋼の壁のように槍を突き立て、こちらに一歩も逃げ場を与えぬ。
「辺境伯ロザリンド、貴様を捕縛する!」
兵士たちが駆け寄り、ロザリンドの両腕を荒々しく縛り上げた。
僕たちの方にも槍の穂先が突きつけられる。アネッサは震え、クラリスの腕にしがみついている。ノワールは表面上は冷静だが、汗が一筋垂れている。アイゼンは武器を取ろうとするも下手なことはできないと諦め、レオも同じく練ろうとした魔力を霧散させる。クラリスは小さく息を呑み、杖を握りしめる。
だが兵たちは手を出してこない。
「……王国の勇者と聖女に無礼は許されん。拘束はせぬ。ただし下手な真似をすれば、その場で突き殺すまでだ」
冷たい声で言い放ち、数十本の槍が僕たちの喉元を取り囲んだ。ちょっとでも剣を抜こうとすれば即座に血を啜るだろう。
「王子殿下はまもなく到着なさる。それまで大人しくしていろ」
僕たちは息を呑み、動けなかった。
敗北の重さと、迫り来る王子の影が、胸を締めつけるようにのしかかってくる。
篝火の炎がざわめく兵列を照らす。その間を、王子が歩み出てきた。豪奢な衣と鎧を身にまとい、足取りはゆるぎない。まるで勝利を当然とする者の歩みだった。
そのすぐ隣に並ぶのは――イザベル。
堂々とした鎧姿のまま、剣を佩き、兵に囲まれても一切怯んでいない。長年ロザリンドを守り続けた女騎士が、今は王子の傍らに立っていた。
「田舎の伯爵、ロザリンドよ」、
王子は声を張り上げ、冷笑を浮かべる。
「お前程度が我ら王国に歯向かうとはな。王家に刃を向けた罪、その身で償うがいい」
縛られたロザリンドは顔を上げ、鋭い眼差しで睨み返した。
「……殿下。我が領民とて王国の民。民を虐げるその振る舞いこそ、王家の名を汚す行為だ」
「王家に逆らう者こそが汚れよ」
王子は鼻で笑い、イザベルを手で示した。
「見よ。お前の最も信頼した騎士は、すでに私に忠誠を誓っている。貴様の策など、始めから私の掌の上だったのだ」
ロザリンドの目が大きく揺れる。
「……イザベル……!」
イザベルは微動だにせず、冷たい眼差しで主を見返した。
その顔には忠義の仮面が貼り付いている。
「勇者リアン。そして……聖女クラリス」
王子の視線が僕たちに移る。特にクラリスの前に立つと、その顎を乱暴に掴み上げた。
「私の婚約者が亜人どもと行動を共にするとはな。だが忘れるな。お前は私のものだ。力も、心も、すべてだ」
クラリスは震えながらも睨み返す。その姿は凛々しかったが、肩にかすかな震えが走っていた。
王子は愉快そうに笑い、兵に命じる。
「全員、連れて行け。王都にて沙汰を下す」
槍の穂先がさらに近づき、喉元に冷たさを感じる。
闇の中に響く王子の笑み声が、僕たちの心を深く締め付けた。
冷たく湿った石の匂いが、牢の中に充満していた。
鎖に繋がれてはいないものの、僕たちは重苦しい沈黙に押しつぶされていた。鉄格子の隙間から差し込む光はわずかで、時折、外の兵士の靴音が響くだけだ。
やがて、無骨な扉が開く音が響いた。甲冑の兵が数人、無感情な顔で立っている。
「――来い。沙汰が下される」
僕たちは無言で立ち上がった。槍を首元に突きつけられ、抵抗の余地などない。アネッサは震える息を押し殺している。クラリスはその手を握りしめ、必死に落ち着かせていた。
城の広間に足を踏み入れた瞬間、光の洪水に目が焼かれそうになった。高い天井、赤い絨毯。並ぶ兵士の列。
その最奥には玉座があり、厳しい顔の王と、隣に立つ宰相。そしてその前に立つ王子と……イザベル。
イザベルは堂々と王子の側に立ち、鋼の仮面のような表情を浮かべていた。
「よくぞ連れてきた」
王子の冷ややかな声が広間に響く。
王は重々しく頷き、宣告を下すように口を開いた。
「辺境伯ロザリンド。お前は王家の命に背き、反逆の兵を挙げた。その罪、極刑に処す」
「……っ!」
ロザリンドは縛られたまま、悔しげに奥歯を噛み締めた。
「勇者リアン」
次に王が僕の名を告げる。
「王国に仇なす者と行動を共にした罪は重い。ゆえに勇者の称号を剥奪し、国外追放とする。同じく、共に行動したレオ、アイゼンも追放とする。次にこの国の門をくぐれば、首と胴体が分かれると思え」
後ろで二人が唇を噛む音が聞こえた。
「そして――亜人ども」
宰相の視線がアネッサとノワールに向けられる。
「亜人である時点で存在そのものが罪。よって処刑に処す」
「なっ……!」
僕は思わず声を荒げたが、すぐに兵士の槍が喉元に突きつけられた。アネッサは震えながらも必死に睨み返し、ノワールは静かに目を閉じている。
最後に、王子の視線がクラリスへと注がれた。
彼はゆっくりと歩み寄り、彼女の腕を強引に掴む。
「聖女クラリス。お前は私の婚約者だ。今日からは王家の庇護のもと、私の側で生きることになる。……反抗は許さぬ」
「っ……!」
クラリスは必死に振り払おうとするが、王子は強引に引き寄せ、冷たい笑みを浮かべる。
王子の手に強引に掴まれたクラリスは、必死に抗おうとした。
「離してください! 私は――!」
「やめろ!」
レオが一歩踏み出す。しかしその瞬間、数本の槍が彼の胸元に突きつけられた。
「下がれ!」兵士の怒号が響く。
「クラリス!」
僕も叫んで飛び出そうとしたが、同じように鋭い槍が行く手を阻んだ。冷たい鉄の先端が喉元に押し当てられ、息を呑むしかない。
王子は嘲笑を浮かべ、クラリスを自らの胸元に引き寄せると、耳元で冷たく囁いた。
「無駄な抵抗をするな。……抵抗すれば、その場であの者たちの首を刎ねる」
クラリスの体が硬直した。握りしめた拳は震えていたが、彼女はそれ以上抗うことができない。
「……っ」
唇を噛み締め、王子に従うように歩を進めた。
その光景を、僕たちはただ声を張り上げることしかできなかった。
「クラリス!」
「戻れ!」
「行くなーー!」
叫びは無情に広間へと響き、やがて重い扉が閉ざされた。
残された僕たちには、すでに処刑への道しか残されていない――そう思われた、その時だった。
「おおおおおッ!」
怒号とともに、広間の扉が破られた。飛び込んできたのは武器を手にした亜人たち。獣の耳、角、羽を持つ者たちが次々となだれ込み、兵士たちに斬りかかった。
「何だと!? 亜人どもが……!」
兵士たちは慌てて陣を立て直すが、彼らの目は恐怖に揺れていた。
「ロザリンド様を解放しろ!」
「人として扱ってくださった恩を、ここで返す!」
広間はたちまち混乱に包まれた。剣と剣が打ち合い、悲鳴と怒号が入り乱れる。
「今だ、行くぞ!」
僕が先陣を切り、レオも続く。アネッサとノワールを挟み込むようにして走る。アイゼンがロザリンドの縄を断ち切り、彼女を支える。
「……恩に着る」
ロザリンドは苦痛に顔を歪めながらも歩を進めた。
乱戦の最中、兵士の列を突き破り、僕たちは必死に駆け抜けた。槍の穂先が掠め、背後で怒声が飛ぶが、振り返る暇はない。
やっとのことで城門を抜け、路地へ飛び込んだ。石畳の街路を走り抜け、やがて薄汚れた建物が立ち並ぶ一角――王都の貧民街に足を踏み入れる。
「……ここなら、ひとまず追手は撒ける」
肩で息をするレオが呟く。
僕は荒い息を吐きながら、胸の奥に残る焦燥を押さえきれなかった。
――クラリスが、王子の手に落ちたまま。
一日二話投稿、やってみたかったんですよね。




